日暮れ


 重い太刀をざりざりと地面に擦り続け――ヒルデは駆け回っていた。


 渓谷の民の住処。

 階段の多いその場所を、キャッキャと笑い、楽しそうに。あるいは、鬼ごっこでもしているつもりなのかもしれない。


 だが、追っている宵虎に笑う余裕は無かった。


「何者だこの娘……また達人なのか……」


 追っても追っても捕まえきれないのである。


 ヒルデが異様に素早いのだ。地の利もあるのだろう、今日初めてこの場所にやって来た宵虎と違い、ヒルデはこの場所で暮している。道を良く知っているのだ。


 その上、当然の事ながら、ヒルデの動きに殺気も邪気もありはしない。

 命懸けの状況ならば、宵虎はある程度相手の動きを予測して行動する。当人で意図せずも、勘や悪寒という形で、宵虎の身体は勝手に動くのだ。

 逆に言えばそれらがなくただ単純にからかわれると宵虎は完全にお手上げなのである。


 予想できないタイミングでヒルデは曲がり、飛び跳ね、いくら追っても一切手が届かない………。


 そんな宵虎とヒルデを、渓谷の民達は微笑ましく見ていた。


 あの異国の人、遊んであげてるのか~と。

 実際は遊ばれているのである。


 だが、そうして30分辺り…………流石の宵虎も道を覚え始めていた。


 いくら素早かろうと、袋小路に追い込んでしまえばこちらのもの…………キャッキャと逃げ回るヒルデを追い回し、追ってる途中で逃げる方向を誘導し、誘導されていると気付かないヒルデは、気付くと袋小路に立っていた。


 目の前には壁。左右は壁と、川へと落ちる崖……。

 逃げ場を失った少女へと、大男が迫る。


「ふ、フフフ……逃げ場はないぞ小娘」


 ほくそ笑み、逃がさないようにと両手を広げ、じりじりと少女へと迫る宵虎……その顔に浮かんでいるのはもう完全に悪人面だ。


 流石に怯えたヒルデは、太刀を胸に抱き、宵虎を見上げた。


「なんか、悪い人っぽい……ヤダ!」


 駄々を捏ねるように、ヒルデは声を上げ……次の瞬間、宵虎へと正面から突っ込んで行く。


「む……」


 宵虎の動きは一瞬止まった。ヒルデの声に若干ひるんだ様に。


 ――その目前で、不意にヒルデは鞘に納まった太刀を地面へと突き立てる。

 そして、恐ろしい身軽さでその太刀を支点に高く飛び上がり、宙でくるりと身を回す。


 棒高跳びの要領で、ヒルデは宵虎の頭上を飛び越えて行った。


「なんだ、その身軽さがぁ!?」


 ヒルデが意図したものか、あるいは偶然か。


 宙返りをした拍子に、鞘が宵虎の後頭部をしたたかに打ち付け、流石の宵虎も頭を抑えてうずくまった。


 そんな宵虎の背後に見事しなやかに着地したヒルデは、宵虎へと振り返り、舌を出す。


「べ~」


 そして、また逃げ出して行った。

 宵虎は、その背中を睨み付ける…………涙目で。


「小娘…………ただで済むと思うな!」


 宵虎は、その後もしばらく遊ばれていた。



 *



「痛……」


 壁に手を付き、くじいた足をかばいながら、アイシャは来た道を戻って居た。


 本当はすぐにでもネロと宵虎を探しに進みたいのだが…………足の痛みがそれを許さなかったのだ。


 進む先で、またヒッポグリフが現れる可能性もある。出来れば万全の状態でいたいし、怪我を押して探すよりも治してからの方が効率は良いはずだ。


 思い出したのは、オーランドの言葉。

 どうやら、アンジェリカはヒール……回復魔術を使えるらしい。


 紋章魔術とは別系統の、それこそ、キルケーが使っていた”魔術”に近い系統のもので、使える人間が限られる技術だ。


 少なくとも、アイシャには無理だった。前に、便利だから覚えようとしたのだが、全くできる気配がなかったのだ。もしかしたらキルケーなら使えるのかもしれないが、あの魔女はついてこなかった。


 ネロを連れていけば一緒に来るか……なんて、姦計を巡らせず、普通に誘えば良かったかな……。


 などと今更思うのは、寂しいからである。


 元々、一人でいる事が多かったし、別にそれを苦に思ったりもしなかった、寧ろ一人の方が気楽だったのだが……宵虎とあってからは、少し騒がしすぎたのかもしれない。


 うるさかったのは主にネロだが……名誉欲がない割にプライドが高いアイシャにとって、臆面なく甘えられる相手と言うのは貴重だったのだ。


「はあ……お兄さん。どこ行っちゃったのかな……」


 ため息を付きながら、アイシャは進んでいく。


 向かう先はキャンプ…お金を払うだろうことはもうしょうがないとして、オーランドがわざわざ忠告してきたのが気になる。


 何かしら企んでいるのだろう……オーランドがヒッポグリフを演じているのかどうかはわからないが、怪しいことは確か。


 だが、逆に言えば、企てて演じているからこそ……あのキャンプでは滅多な事はしないだろう。

 手荒な真似をされたらされたで………一切手加減

 一つタガを外せば、どうとでもなるだろう。


 打算を巡らせつつも半ば自棄になりながら、アイシャは進んでいく。

 足を怪我している分、進みは遅い。見上げる切り取られた空は、僅かに朱色に染まり始めた。


 そんな空を見上げて、アイシャは深く溜息をついた。


「はあ…………。お兄さん、何してるのかな…」



 *



 宵虎はしょげ返って階段に座り込んでいた。


 空は朱色を通り越して暗くなりかけている。方々の家で明かりが灯り始めるような時間。


 そんな時間になるまでヒルデを追いかけ続けても一向に捕まえられなかったのである。

 追い詰めるまでは出来る。が、追い詰めた先、どうにも捕らえきれない。

 ヤダだのダメだのヘンタイだの……意味がわからないが必死なヒルデの声を聞くたびに、宵虎はどうも一瞬動けなくなってしまうのである。


「…………俺は、何をしているんだ……」


 子供に遊ばれているのである。

 と、そうして肩を落とす宵虎の前に、ヒルデは現れた。


「タチオカ?疲れた?……ねえ、タチオカ」


 宵虎にはわからない言葉を口にしながら、ヒルデは太刀でツンツンと宵虎を小突いた。


「止めろ……つつくな。ふん!」


 声と共に宵虎は太刀を掴もうとしたが、やはり寸前にヒルデにかわされてしまう。


「…………なぜ、捕らえられん」


 宵虎はまた肩を落とした。


「カカカ、遊ばれおって。だから言うたであろう、手に負えんと」


 不意に、どこか快活な笑い声が届き、ヒルデと宵虎はそちらに視線を向けた。


「爺か………」

「長老?」

「もう、遊びはしまいじゃ、ヒルデ。日が暮れる」

「うん……」


 長老の言葉に、ヒルデは素直に頷き、それから様子を伺うように視線を宵虎に向けた。


 どうもヒルデは、多少なりとも宵虎を気に入ったらしい。まあ、それも当然の事、この集落にヒルデと年が近い子供は他におらず、また大人の方は誰もヒルデのすばしっこさについて行けないのだ。


 一人ふらふらと散歩しているのは遊び相手がいないためであり、その散歩の末に遊び相手を見つけて来たのだ気に入りもするだろう。


「武人よ、宛もなかろう。泊まるか?」

「何を言っているかわからんぞ爺。……もう、放っておけ」


 何やら言葉を投げて来た長老を前に、宵虎はただしゅんとうなだれ続けた。


「うむ……デカいのは図体だけかのう。まあ、腹がすけば訪ねてこよう。行くぞ、ヒルデ」

「うん。……またね、タチオカ」


 そんな言葉と共に、ヒルデは宵虎に手を振って、長老の後を追って家へと引き上げていった。


 ざりざりと、依然、太刀を引きずりながら。


「太刀を置いて行ってはくれないのか……」


 そう、力なく唸った末に、宵虎は溜息をついた。


 まったく、いつになったら太刀を取り返せるのか。落とした宵虎が悪い、見つかっただけ上々と言えばその通りだが…………どうも、いよいよ取り返せる気がしなくなって来た。


「恥を忍んでアイシャに頼むか……」


 あの天才ならば、酷くあっさり取り返してしまいそうな気もする。まあ、頼む前に合流しなければ話にならないのだが。


 一旦太刀を諦めてアイシャを探しに行くか。ネロがいれば通訳も出来る、齟齬があるなら解消出来よう。


 いや、………探しに行ったら入れ違いになりかねない。あちらも探しているならば、いずれこの集落にも辿り着くだろう。


 それに、ヒルデが明らかに遊んでいるにせよ……宵虎にとってこれはもはや勝負、矜持の問題。

 子供に負けたまま食い下がり挙句女に頼るなど……流石の宵虎であれ、そうやすやすと出来はしない。


 だから、……それは最後の手段。


 とにもかくにも、もう日は落ちている。子供相手に寝込みを襲うなど恥の上塗り、あの調子ならどうせまた明日もからかわれるだろう。


「明日こそは……」


 宵虎は一人闘志を燃やし、立ち上がった。

 まずは地の利を得よう……集落の地形を覚えるのだ。


「覚悟しておけ小娘………」


 唸り声を上げながら、宵虎は一人、日暮れの集落を徘徊した。

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