グリフォン。それは鳥のような、獣のような…


 カフス山は、谷に囲まれた幾つかの山の連なる連峰である。

 荒野の延長として大地が盛り上がったかのように、木々が実る事もなく岩肌が続く巨大な山。


 そこに、今はいくつもの竜巻が舞っている―。


「………む?」


 宵虎が足を止めたのは、そのカフス山の手前、谷に掛かった石造りの橋の上だ。


 一体、どうやってかけたのか、底がかすむ程の深い谷に、頑丈な橋が掛かっている。


 一旦立ち止まった宵虎の背に依然しがみついたまま、アイシャは宵虎に問い掛けた。


「どうしたの、お兄さん?疲れちゃった?」

「……何か、来るな」

「何かって、何かにゃ?」


 ネロの問いに答えないまま、宵虎は睨み上げる。


 眼前の連峰――竜巻の連なり。

 宵虎達の元へと段々と近付いて来るその内の一つを―。


「……下りろ」

「にゃ、わかったにゃ。アイシャ。だんにゃが下りろって言ってるにゃ」

「え?うん……休憩?」


 そう言いながら宵虎の背中から下りたアイシャに、同じく下りたネロは言った。


「なんかが来るらしいにゃ?」

「え?…………確かに、竜巻来てるね」


 アイシャが呟くのと、竜巻の内の一つが、宵虎達の進もうとしていた橋の上に到達するのは同時だった。


 豪―暴風は音となり、地響きとなり、周囲を震わせる。


 橋の中ほどで止まった竜巻を前に、柄に手を掛けた宵虎はひとり、躊躇なく歩み出した。

 その顔にあるのは警戒――目の前にあるものがただの竜巻ではないと、宵虎にはわかっているのだ。


 気配―そうとしか言えないような圧力が、その渦巻く嵐の中心から漂ってきている。

 ひどく強力な何かの気配。


 スラリ―宵虎は太刀を引き抜く。

 同時に、風が凪ぐ。


 眼前の竜巻が不意に四散し、それまでの豪風が嘘のように辺りは静まり返る―。


 そこに居たのは、巨大な獣だった。いや、獣と、何かが混じったような異形。

 四肢には爪、獣、獅子のそれ。白い毛並みの獅子の背には、巨大で優雅な翼が翻る。

 頭は鳥――鷲のように勇猛で精悍な金色の猛禽。


「グリフォン?……そんなの、棲んでたんだ」


 アイシャの呟きに振り向くことなく、宵虎もまた、グリフォンを睨み付ける。


「鳥のような、獣の様な……。鳥なのか?獣なのか?」


 そうして軽く首を傾げた宵虎に、ネロは呆れ半分に声を上げた。


「だんにゃ!どっちもだにゃ!あんまり気にしないで良いと思うにゃ!」

「どちらかのはずだ……」

「…………もしかして味の話してるのかにゃ?」

「どっちなんだ……」


 尚も気掛かりな宵虎は――やがて、獰猛な笑みを口元に。


「……己で確かめれば良いだけの話か」

「だんにゃ!だから、完全に悪役だにゃ!だんにゃは本当にそれで良いのかにゃ?」


 そう茶々を入れたネロの横で、支援に徹しようと橋には踏み込まず、弓を構え始めながら、アイシャは呟く。


「別に、良いんじゃない?………やりたい放題やるんでしょ?あっちも、やる気っぽいし」


 そのアイシャの言葉の通り、グリフォンは油断なく宵虎を睨み、その四肢に力を込め、威嚇でもするように翼を広げる。


 臨戦態勢――そうとしか見えない殺気を漂わせ出したグリフォンを前に、けれど宵虎は気負いも躊躇もなく、ゆるりと歩み寄っていく。


「……一応、聞こう。鳥の様な獣の様な奴。刃を交える事なく、通す気はないか?」


 魔物であればあるいは、言葉が通じるか――

 ――僅かなその思惑を、グリフォンの咆哮が引き裂いた。


 金の色を帯びたかのような甲高い咆哮が大気を揺るがし、グリフォンは飛びかかりでもするように、後ろ足で立ち上がり、その翼を大きく拡げる―。


「……わかった」


 やる気らしい―そう判断した直後の宵虎の動きは速かった。


 だらりと下段に太刀を垂らし、橋を擦らんばかりに刀身を下ろしたままに、鋭い足取りでグリフォンへと駆けて行く―。


 グリフォンが羽ばたく―空を飛ばれては流石に面倒と、飛び立つ前に手傷を負わせようと歯牙に掛けず突き進んだ宵虎。


 しかし、その羽ばたきは飛び立つ意図を持った行動では無かった。


「ぬ―」


 僅かに声を上げた宵虎―その身を、緩く風が打ち付ける。

 羽ばたきから生まれたそのそよ風は、しかし、予兆に過ぎない。


 歴戦の勘、気配、怖気。背中を走ったそれに従い、宵虎は進む足を止めて、躊躇なく背後へと跳んだ。


 直後――宵虎の目の前で風が立ち昇る―。


 渦巻く豪風。あらゆる角度から吹きすさびえぐり引き千切る風の暴力――。

 躱さなければ、宵虎はその最中でズタズタに裂かれていたであろう。


「ほう……」


 鳥のようで、獅子のようで……獣が混じったような姿でありながら確かに魔物。

 感嘆の呟きと共に眼前に生まれた竜巻を眺めた宵虎―。


 直後、その竜巻が大きく割れる。


 暴風から現れるは巨影―猛禽の頭部、獅子の爪。

 竜巻を生んでから間を置くことなく、グリフォンは宵虎へと飛びかかったのだ。


「……ッ、」


 声を上げる間はない――自身へと落ちた影、ふり降ろされようとする爪を前に、宵虎は退かず太刀を振り上げる。


 斬線は見えている―鋭く巨大な爪の奥、獅子の前脚。

 爪を掻い潜り逆に足を落としてやろう―。

 その思惑のまま、宵虎は一歩を踏み出し、太刀を振り上げ―。


 ―けれど、その太刀筋は思う通りに奔らない。


 グリフォンに近付けば近付くほど、一閃は見えずとも確かに存在する何かに阻まれでもするように、その鋭さを失って行く。


 風の防壁とも言うべきか。グリフォンの爪は、前脚は、暴風を纏っていた―。


「……ッ、」


 歯噛みした宵虎の太刀は、グリフォンには届かず……逆にグリフォンの爪は、宵虎の身を捉え掛ける。


 寸での所で意識を切り替え、半身を引く―袖が僅かに爪に裂かれる。

 紙一重で躱した宵虎――だが、次に聞いたのは轟音だった。


 ダン―それは、爪が橋を叩いた音。

 そして、グリフォンの前足にまとわれていた風壁が弾けた音。


 間近での風の炸裂に、砕けた礫が四方に飛散し――その爆発の間近に居た宵虎の身を飲み込んだ。


「く……、」


 飛びのいたのか、吹き飛ばされたのか――自身でもわからないままに飛び行く宵虎の手から、風に呑まれた太刀が離れ、飛び去っていく。


 飛ばされながら地に手を突き、足を踏ん張り、どうにか体勢を立て直そうとする宵虎――。

 ――その間にもグリフォンは追撃に移っている。


 四肢に力を込め、再び飛びかかり掛けたグリフォン。

 それを眺めた宵虎は、歯を食いしばった。


 僅かの差だが、宵虎は体勢を整えきれない。甘んじて食らうしかない。あるいは深手を負うか――。


 宵虎が、一人だったのであれば。


「ラピット・ブロウ」


 声と共に飛来したのは、不可視の矢。


 凝縮された風の矢が、とびかかろうとしかけたグリフォンの頭部を殴り付けた。


 僅かに、グリフォンはひるんだか。頭部が揺らぎ、四肢に込められた力は抜け、…けれど、グリフォンの身に傷を負わせるには至らない。

 あるいは、風の防壁が常にあるのか――。


「うわ、……これ、私相性最悪じゃん………」


 不満気な呟きをアイシャが漏らす――何を言ったかは宵虎にはわからないが、少なくとも宵虎が体勢を整える間は作れた。


(流石だな……)


 胸中で呟き、宵虎は体勢を整え終え、油断なくグリフォンを睨んだ。


 グリフォンは、今度はすぐには飛びかかっては来ない――アイシャの方も警戒しだしたのだろう。

 様子を見るように、グリフォンは宵虎を―アイシャを睨む。


 初手では、圧倒された。宵虎とて侮っていた訳ではないが、知識がなくては対処が完全では無いのだ。

 だが、その知識はもう得た。


 竜巻を生み、風を纏う魔物――そうと弁えた上で立ち回れば良いだけの話。


 次は、手傷の一つ位負わせる事が出来よう。あるいは、神下ろしを使うか。

 太刀はあるのだ。出し渋る意味は無い。


 ならば、まずは太刀を拾うが先決―

 そう決めた宵虎は、太刀を吹き飛んで行った方向に視線を向けた。


 その先にあったのは、………谷。

 宵虎は、深い谷の橋の上で戦っていた。

 そこから、太刀が吹き飛ばされた。

 吹き飛ばされた太刀が今あるのは…………深い深い谷の底。


「………………またなのか……」

「だんにゃ!完全に言ってる場合じゃないにゃ!」


 ネロのヤジにグリフォンを見る――その影は目前、爪は振り下ろされる寸前。


 太刀を拾いに行く前にその一撃を躱す必要がある。

 けれど、一度見た技をそう何度も食らう宵虎ではない。


 見た目よりも攻撃範囲が広い――そうわきまえて派手に躱せばそれで済む。


 真横へと大きく、宵虎は飛び立ち、グリフォンの一撃を躱した。

 もはや掠めもしないと、宙の宵虎には笑う余裕すらもあった。


「……ふん。既に見切った。その程度―」


 その声が遠ざかって行く――下に下に。

 大きく躱した宵虎の下にあったのは谷。躱す事に気が行ったがために、宵虎は橋の上から出てしまったのだ。


「食らうとでも―」


 笑いながら、言いながら、宵虎は落ちて行った。深い、深い谷の底へと。


「お兄さん!?」


 慌てて声を上げたアイシャは、すぐに谷へと駆け寄り、底を覗き込む。

 いくら宵虎が頑丈と言えど、この高さから落ちれば、無事では済まないのでは……。


 ボチャーン。


 谷の底から、何かが水に落ちる音が反響して来た。

 どうやら、谷の底に川でも流れていたらしい。音からして、かなり深い川が。


「……大丈夫そうだにゃ」


 呆れた様子で呟くネロに、アイシャは一安心してから、こう呟く。


「良かった~。わかってて、……剣を拾いに行ったのかな?」

「いや。あれ、素で落ちただけだと思うにゃ……。なんで、だんにゃは一々ボケちゃうのかにゃ……」

「とにかく、探しに行かなきゃ」


 アイシャはそう呟き――すぐさま、弓を構えた。


 宵虎を拾いに行く前に、まずは目の前の魔物―グリフォンをどうにかしなくてはならない。


 ブロウ―風の矢はグリフォンにはじかれた。同系統の魔術を使う魔物である以上、アイシャの攻撃は余り有効ではないのだろう。

 だが、だとしても、まるで効かない訳でもない。


 威力の問題なら、アイシャにはまだがある。詠唱を重ね、風を集め、渾身で放てばまるで効かない事も無いはずだ。

 問題は、それをするだけの猶予をグリフォンが与えてくれるか―。


 油断なく、アイシャはグリフォンを観察する。

 グリフォンもまたアイシャを睨んだままに、警戒したままに動きを止めている。


 ……襲って来ないようだ。


「……?通らなければ良いって事?」


 思いつきのように、アイシャは呟いた。

 グリフォンは尚も襲っては来ない……アイシャが橋に踏み入っていないからだろうか。


 アイシャにとっては、今はグリフォンを倒すよりも、宵虎を探す方が重要だ。

 恐らく無事だろうが、怪我をしていないとも限らないのである。

 戦わずに済むならその方が良い……。


 試しに、アイシャは数歩、後ろに……橋から遠ざかってみる。

 グリフォンは追って来る気配を見せない。


 橋を通ろうとする場合は襲って来るが、そうでないなら危害を加えては来ないらしい。


「……ネロ。一回、下がろっか」

「にゃ?だんにゃはどうするにゃ?」

「どっか別の場所から、下りれるところ探そう?多分、グリフォン追って来ないと思うから」

「わかったにゃ」


 頷いて、ネロはさっさと後退して行く。

 その足音を背後に、アイシャはグリフォンから視線を切らないままに、その橋、谷から遠ざかって行った。


 グリフォンは追って来ない。

 橋を守っているのか、山を守っているのか……。


 とにかく、あの魔物は、ただ暴れている訳ではないようだ。

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