その姿、まさしく八又大蛇
足の下にある畳の感触が懐かしい―。
宵虎は、和室に座していた。そこがどこか―襖は覚えのある絢爛さ。
「宵虎。なぜ、見逃した」
目の前―幌の向こうの影が問う。
高貴なるお方―天主その方ではないが、その御血縁なる天上人に、応える宵虎は不遜。
「邪気は払った。もはや害なす事もない。一度呑まれたからと、諸共全て殺す気にはならん」
その文言に覚えがある―かつて宵虎はまったく同じことを言った。
それは、流れる更に前。罪科を言い渡されるその前―牢につながれるまた前の話。
「俺に、善意を振りかざす気はない。退かぬならば討ち果たそう。その命は我が糧となる。しかし、意をくじき、邪を払い、それで退くなら追う故もない」
「……天主からの命であってもか」
「凶刃振るうは、あくまで俺だ」
「…………そうか」
天上人はそうとだけ呟く。どこか悲しげに、惜しむように。
宵虎の記憶の通りなら、この問答はこれで終いである。この後、牢へと引かれ罰を待ち、やがて国を追われた……。
だが、幌の向こうの人影は、更に問いを投げて来た。
「再び、同じ目に合えばどうする」
その問いに、宵虎は迷いなく応える。
「同じ事をする」
「その末に、また咎人と呼ばれるとしてもか?」
「構いはしない」
「その生き方……永くはないぞ」
最後のその言葉に、宵虎は笑った。
「……誰であろうと、いずれ死ぬ。ならば……胸を張って死にたいだろう?」
「ふふふ……」
宵虎の答えに、幌の向こうの人影は笑う。漏らす笑みは、やがて大口を上げて。
「ハハハハハッ!」
豪と風が吹く。幌は吹き飛び、その向こう―白い光が宵虎を照らす。
―影の様で、光の様で。捉えどころも形も無く、ただ確かにそこに居る何か。
それは、宵虎を嗤った。
「だから、拾ったのだ。せいぜい滑稽に生きよ、異人!」
嘲笑の最中、光の最中。宵虎は笑み、目を閉じる―
*
―開いた眼の先には、太刀があった。
見渡す限りの瓦礫の最中、波打ち際に流れ着いたらしい、宵虎の落し物。
「……フ。へそ曲がりが……」
笑みと共にそう呟き、宵虎は太刀を拾い上げる。
覚えのある重さ―酷く手に馴染む愛刀。
銘も飾りも無くただただ武骨なその太刀を、宵虎は正眼に構えた。
見上げる先には怪物―スキュラとやらの慣れの果てだろうか。
その姿―まさしく
ザ―宵虎の一閃が空を断つ。懐かしい型、懐かしい重さ。
偏に積み重ねた末に、会得した演舞。
「破邪たる
宵虎は太刀を振るう。
寸分の狂いなく再現され、空中に浮かび上がる剣閃模様―。
形を成しえるその前から、宙の紋様は炎を帯びる―。
剣が悪かったのではない―宵虎はそう知った。
悪かったのは宵虎の腕。慣れぬ武器でと、完全な演武を描かなかったからこそ、あの刃は溶け、失われたのだ。
「
八又大蛇が宵虎を見る―破邪の炎に怯えたか。
業火、立ち昇り、陽炎は周囲を溶かす―。
不意に、宵虎の動きが止んだ。その構えは、また正眼―紋章の始点と完全に一致したその切っ先から、周囲の焔が太刀へと伝い、燃え上がる―。
宵虎は、横凪ぎに太刀を振るった。
その一閃に焔は散り、だが、散った傍からまた燃え上がる―。
「神下ろし……演武・
散らばる炎、陽炎を生む業火の最中、宵虎の手には焔を放つ一振りの太刀。
火神の力をその身に宿し、宵虎は踏み出す。
ただの一歩―僅かな動きに熱波が散る。
不意に、八又大蛇が咆哮する―。
その咆哮は威嚇。そして、怯えの色。それを見て取った宵虎は、獰猛な笑みを口元に。
「恐れるな。……ただ、楽になるだけだ」
地を蹴り、熱波を巻き散らし、八又大蛇へ疾走する―。
*
不意に、ヒュドラの注意がアイシャ達から外れる―。
そちらに視線を向けたキルケーは、ただ戸惑いの声を上げた。
「……なんですか?あれは……」
業火があった。火炎が渦巻き、熱を放ち、ヒュドラへと駆けている。
けれど、同じ様子を見ているネロに驚きはない。
「今度は溶けないと良いけどにゃ~」
ただ、どこか呆れた様にそんな事を呟くだけ。
そしてアイシャは、何だか急に湧いてきたやる気に自嘲しながら、ただ、こう呟いた。
「そう言う凄そうなことできるならさ。早くやってよ……お兄さん」
それからアイシャは弓を引き、戦場を俯瞰し―言霊を紡ぐ。
「集え。抗わず我が元に……」
*
八又大蛇の首が、宵虎を噛み砕こうと迫る。
これまでのナーガとは比較にならないその巨大さ、重さは、さながら月が落ちてきた様―
―だが、蛇は蛇だ。
「
言霊と共に、宵虎は刃を振るう。その刀身に帯びる焔が、不意に大きく燃え上がる。
―それは、焔で出来た巨大な刃。宵虎の身の丈をはるかに越え、ただただ長大に伸びる刀身。
だが、閃く速度に衰えは無い。
瞬く刹那、振るう一太刀。
八又大蛇の首が一つ、地響きと共に落ち、熱に焼かれて塵となる―。
その行く末を見守る事もなく、宵虎は駆け抜ける。
目の前に大口―その暗がりに紫炎が灯る。
「焔重―
紫炎は放たれ、宵虎の身が光の渦中―。
ただし、その光は真っ赤な業火。宵虎自身の操る焔がその身を包み、
業火瞬く巨大な一閃―紫炎を吐いた首は、正面から左右に別れ、また塵に。
その中心を宵虎は駆け抜ける。
だが、なおも八又大蛇は攻め手を緩めようとしない。
頭上に影―宵虎を叩き伏せようと掲げ上げられた首は三つ。
紫炎を灯し、宵虎の身を焼こうとする首は二つ。
五つの方向から同時に迫る脅威を前に、宵虎は立ち止まった。
幾ら来ようと蛇は蛇。切ろうが焼こうが防ごうが、遂に太刀を手にした宵虎にしてみれば、どうとでも対処できるただの雑魚に過ぎない。
……一つずつなら。
「……どうしよう」
*
「黙し嘆け……従い怨め……その矛先を我が意に委ねよ」
弓を引くアイシャ―その視線の先には、宵虎の姿がある。
だが、アイシャが見ているのは宵虎だけでは無い。
残った首の全て。
戦場に巻き起こる全て。
あるいは、見えるはずの無い風の調べまでも、その青い瞳に捉え、瞬間を記憶し、重ね合わせ、数秒先、数十秒先の未来を鮮明に予測する―。
「……ラメント・バーストレイン」
呟きと共に放たれた矢は、すぐさま拡散―バラバラに、だが確かに意味のある個所へ飛ぶ。
「……楽で良いでしょ?」
着弾前にサポートの成功を悟って、アイシャは得意げにそう笑った。
*
「ぬお!?」
不意の衝撃が宵虎の足元を砕く―どうも、足元に何かが当たったらしい。
それを悟った直後、宵虎は吹き飛ばされた。
炸裂した暴風によって、宵虎の身は宙に。
そしてそんな宵虎の背で、また風が爆ぜ、宵虎の身を高く上げる。
(……これは、……そうか)
自身の身に何が起きたか悟り、宵虎は笑った。
自分自身をも自在に吹き飛ばし、空を舞って見せる達人だ。
他人を弄ぶ事ぐらい、訳ないのだろう。
宙に浮かぶ宵虎へ、八又大蛇の大口が迫り―しかし、その口は宵虎の身を飲み込む寸前に、殴られた様に、逸れていく。
目の前を紫炎が走る―しかし、それが放たれる前には既に、宵虎は
ただ運ぶだけでは無く、その障害となる悉くを達人は見抜き、予測し、交わし、排除する。
「やはり、楽で良いな……」
無茶苦茶に吹き飛ばされ続けながら―的確に、そして強制的に八又大蛇の攻撃を交わし続けながら、宵虎は飛んでいく。
未だ元の大きさを保ったままの、胴に生えた女の身体、スキュラの元へ―。
その視界を、最後の大口が覆い隠した。
目の前で閃く紫炎―しかし、それが放たれる瞬間、蛇の下顎が殴られた様に跳ね上がり、無理矢理その口が閉じられる。
放てなかった紫炎―破壊の閃光は、蛇の首それ自体を焼き、爆ぜた。
蛇の肉塊、爆散する紫炎―そのただ中を赤炎纏い突っ切って、宵虎は遂に、八又大蛇の胴体に着地する。
――僅かに、歌声が聞こえた。
酷く悲しげな歌―スキュラはその腕にグラウを抱き―グラウと混じりあいながら、意思もなくただ、悲しげな調べを奏でる。
開くスキュラの口―そこに閃光を見た途端、宵虎は僅かに身を逸らす。
放たれる、細くも威力ある
かわして見せた宵虎の身に届いたのは、共に放たれた、ただただ悲しい歌声だけだ。
「悪いが、その旋律は聞き飽きた……」
呟きと共に、宵虎は太刀を構える―居合にも似たそれは、腰の横に鍔を置く脇構え。
その刃が紅く輝く。
刀匠に打たれる最中のように、熱を、―破邪の力を帯びる刃。
不意に、宵虎の姿が熱気の中に揺らめき、消えた。
「焔重――
呟く宵虎はスキュラの背後。
残心の最中、燃える刀身は夕陽の色―。
スキュラは、刹那の間に、真一文字に裂かれていた。
刀傷が紅く輝く―破邪の炎が立ち昇り、スキュラの身を、グラウの身を、その身体を蝕み続ける蛇毒を、業火の元に灰と散らす―。
それを肩越しに眺め、太刀を肩に、宵虎は呟いた。
「―次は、甘い歌にしてくれ」
業火が、
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