魔女と、神官だったモノ



「え~っと、こうやって……あ!開いたにゃ!」


 ネロが爪で鍵穴を弄る事数分。

 カシャン―両脇に気絶した兵士が座り込む扉の鍵が音を立てて開き、キルケーはその戸を押し開けた。


 怯えた様子で座り込む女達がその音に視線を上げ―キルケーの姿にほっと息を吐く。


「逃げます。来てください」


 冷静なキルケーの言葉に、女達は口々に喜びの声を上げながら部屋を飛び出て行った。


 この人数をまとめて逃がすとなると、流石にスキュラも勘付きはするだろうが、しかしネロの話が確かなら、スキュラは今キルケーにかかずらっている余裕は無いだろう。


 スキュラにしてみれば、キルケーも街の女も、国や民というお題目も、本当はどうでも良いはずなのだ。


 ちらちらと現れる兵士や蛇を捕縛魔術で無力化しながら、キルケーは女達を引き連れて、神殿を出口へ向けて歩んでいく。


 と、そこで不意に女達が悲鳴を上げた。


 一団の目の前に、怪物がずるりと姿を現したからだ。ほつれた蛇の群れ―人と同じくらいの大きさで、けれどもはや人の姿を保つこともできないほどに憔悴した怪物。

 片腕が、胸が割かれ、その傷跡は溶けた様に、どろりと澱んで塞がろうとしない。


「……グラウ」


 キルケーにそれが誰かわかったのは、まだ、かろうじて顔がついていたからだ。


 悲しげなキルケーの視線。

 しかしそれを気にした様子も無く……いや、そこに気を回す余裕などないのだろうグラウは、ただ苦しげに、蛇を―おそらく手なのだろう蛇の塊をキルケーへと差し出してくる。


「助けてくれ、キルケー……。治らないんだ。お前なら、治せるんだろう……」


 それは、いつかも聞いたような言葉だった。


 人魚を拾って、人魚に心奪われて―それでも、キルケーにすがって来た時と似た言葉。

 蛇毒の話をしたのは、そんなグラウの期待に応えたかったから―。


 …いや。あるいは、スキュラの言う通り、それは嫉妬だったのかもしれない。可能性は確かにあった。だが、同時に、怪物になるかもしれないともキルケーは思っていたのだから。


 予想外だったのは、グラウまで蛇毒を飲んだこと。

 なぜ、そんな事をしたのかキルケーは知らない。知らないし…知りたくもない。


 また、助けを乞おうとするグラウを、キルケーは憐れみと共に眺めた。


「貴方は、いつもそうです。私を過信する。彼女もそう。私は確かに、他人に出来ないことが出来るかもしれない。けれど、何もかもが思い通りになるわけではありません。……私はいつも、貴方の望みを叶えられない」


 助ける方法があったのなら、キルケーは恐らく、助けてしまっていただろう。

 だが、どう見てもグラウは手遅れだ。蛇毒の再生力は、キルケーが知る中で最高の物。それでどうにもならないのなら、後はもう、溶けて崩れるほかにない。


「キルケー!」


 拒絶されたことを知ったか、グラウの目に恨みが籠る。


 キルケーはただ、その眼を悲しく見つめ返すだけだ。恨みの中、死力を振り絞ってキルケーを八つ裂きにする―それでも良いかもしれないとキルケーは思った。

 殺した後になって嘆いて、キルケーの名を呼びながら力尽きていけば良い。

 幸福な末路ではないだろう。だが、それでも……。


 不意に、絶叫が響く。酷く苦し気な、苦悶の叫び。

 その声に、グラウはキルケーへの興味を失ったかのように彼方を見る。


「女王……」


 うなされるようにそう呟いて、それからグラウは、キルケー達に背を向けると、ずるずると歩み去って行った。


「貴方はいつも……最後に私を見ようとしない……」


 ただただ悲しく、キルケーはグラウを見送った。


「治せるものなら……」


 キルケーはただ、悔いるように呟く。

 蛇毒の事を言いさえしなければ……違った結末だったのだろう。

 あるいは、蛇毒に頼らずとも治せていれば……キルケーも、諦められたのかもしれない。


「マスター?」


 心配そうに声を掛けるネロに、キルケーは気丈にふるまい、言った。


「行きましょう」


 そして、キルケーは歩み出す。

 けれど、ネロはそんなキルケーに続こうとはせず、踵を返した。


「マスター…。先に逃げてて欲しいにゃ!」


 その言葉と共に、ネロはどこかへ掛けていく。


「ネロ?……どこへ…」


 そのキルケーの問いにも応えないままに。

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