………どうしよう

 鱗を断つ。肉を切る。牙を砕く。

 幾度も幾度も幾度も……宵虎は蛇を切り続ける。だが……。


「面倒な……」


 いつになっても、宵虎はスキュラの元へと到達出来なかった。


 ただの蛇は問題にならない。問題はナーガ……切っても切っても再生するスキュラの一部だ。


 全部で八匹―一匹切れば次が来て、そちらの相手をしている間にまた一匹。そうしている内に、切ったはずのナーガはまた元通りになり、まったくもって終わりが見えないのである。


「ほらほら、油断すると死んじゃうわよ?」

「チッ……」


 舌打ち一つ、飛びのいた宵虎の影を、ナーガは噛み砕く。切り続ければその内息絶えるかとも思ったが、この調子ではどうも終わりなく再生しそうだ。


 スキュラ―強力な魔物の一部である以上、やはり、殺し方では無駄か。

 それを悟った宵虎は、飛びのいた勢いのまま更に後退し、スキュラから、ナーガから距離を取る。


「あら?……ダンスはもう終わりなの?滑稽で面白かったのに……」

「だんす?……何かは知らんが、終わりにはしよう」


 そう答えた宵虎は、ブロードソードを眺め、正眼に構えた。


 未だ慣れない、異国の剣だ。切れ味も悪く、形も宵虎の知るそれとは違う。だが…


「刃は刃……ただのそれだけ……」


 そう呟いた宵虎は、剣を翻す。

「破邪たるあかり、業をみ、残灰ざんかいは清く……」

 何もないくうへと向けた一閃。――いや、それは、一閃だけでは留まらない。


 幾度も、幾度も……澱む事なく閃く切っ先は、まるで空中に紋様を形作るかのよう―。


「……なに?……それは……」


 スキュラは目を見開いた。


 宵虎の剣閃―それが、空に残っていたからだ。


 流麗に描き出された輝く閃―。

 それは、確かに意味のある形―立体的に描かれた紋章魔術。

 光の中、陽炎のように宵虎の身が揺らめく。

 宵虎の動き一つ一つから熱が放たれ、大気を振るわせる―


おののけけ。おそれれよ。敬いの果てに無為むい)をれ……」


 不意に、宵虎の動きがやむ。


 その構えは正眼―紋章の始点と完全に一致したその切っ先で、不意に、炎が上がる。

 燃えて行く―空に描かれた輝きが炎と化けて散っていく……。


「神下ろし……演武・迦具土かぐつち


 散らばる炎、陽炎を生む業火の最中、宵虎の手には焔を放つ一振りの剣。

 長き修練の果てに宵虎が会得した刀技。天主の剣とまで謳われたその所以たる必勝の武術、神下ろし。


「……こけ脅しよ!」


 その焔は危険だ……直感からそう恐れたスキュラは、宵虎へと向けてナーガを放った。


 ナーガは迫る……だが、その動きに怯えを見て取った宵虎は、余裕の笑みと共に呟く。


「その身で、試してみるが良い……」


 そして、焔を纏った刃は、残光をたなびかせながらナーガを迎え討ち―。


 ジュッ。


 不意に聞こえたのは、何かが燃え尽きたような音だ。蝋燭が最後にちょっと頑張ったような、そんな音。宵虎は、その音の方向を見てみた。

 そこにあるブロードソード………いや、ブロードソードだったものを。


 そこには、刀身が無い。鍔と柄があるだけである。

 溶けたのだ。熱に耐えかね、刀身が溶け、なくなっていたのである。


 神下ろしは、技。剣技では無い。


「「え~……」」


 心の底からの声は二つ。一つは、宵虎の声。そしてもう一つは、なんか普通にカッコ良いと無駄な口を挟まずに見ていたネロのものである。


 ダダダン!

 何匹ものナーガが地面を砕く―寸での所で逃れた宵虎は、一度恨めしそうにブロードソードだったモノを睨んだ後、それをポイと捨て、次の刃、脇差しを引き抜いた。


 と、そこでその場に、安堵にも似た笑い声が響く。


「フフ……アハハハハ!なに、それ。結局、こけ脅しじゃない……」


 笑っているのはスキュラである。派手な技だった割に、結局は自滅。それが可笑しくて仕方ないのだ。


「フフ……それで、今度は何を見せてくれるの?そんなナイフで何をしようと?」


 宵虎を馬鹿にしきり、スキュラはそう嘲る。

 だが、そんなスキュラに対して、宵虎もまた笑って見せた。


「……フ、」


 その笑みは一見、凄みを帯びた余裕の笑みにも見える。


 だが、違う。それは自嘲の笑みである。神下ろしが使えない上に、剣までなくなったとなれば万策尽きた。これはまさしく絶体絶命……。


「……どうしよう」


「だんにゃ~!無理そうなら逃げても良いと思うにゃ!ていうか、あたしは逃げるにゃ!」


 そう声を上げるが早いか、ネロは猫の姿になってさっさと逃げ出していく。

 遠ざかっていく背中に、宵虎は呟いた、


「……冷たくないかにゃ……む!?」


 不意に飛びのく宵虎―その身すれすれをナーガが通過する。

 すれ違いざまに一応、脇差しを振るってみた宵虎だったが、しかしそれは僅かにナーガの鱗を引っ掻いただけ。ブロードソードを使っていた時のように、切り裂く事は出来ない。


 やはり、脇差しでは無理だ。それを悟った宵虎は、スキュラを睨みつけてこう言った。


「すきゅらとやら。……命拾いしたな」


 そして、言うが早いか宵虎は逃げ出していく。その逃げ足、まさに脱兎のごとく。


「……なに、今の。負け惜しみ?……でも、逃がす訳無いじゃない」


 スキュラの声と共に、ナーガは宵虎達を追い出した。


 *


 神殿を走る猫―


「にゃにゃにゃ、やばいにゃやばいにゃ!やっぱり、ついてくるじゃなかったにゃ!」


 の、横を駆け抜けて行く宵虎―


「先に行くぞ」

「にゃ!?酷いにゃ!」


 の声と共に、宵虎の背中にしがみついたネロは、恐る恐る後ろを振り返って見て―。


 ―洞穴の様な大口が迫る光景にまた後悔した。


「夢にゃ。これは夢にゃ。目が覚めればきっと……」

「……蛇の腹の中だな」

「にゃあああああ!?ふざけんにゃ!だいたい、だんにゃが悪いにゃ!カッコつけて出来もしない事しようとするから……」

「ああ、そうだ。良い事を思い付いた」


 と、逃げ続けながら宵虎は声を上げた。


「一応、聞くだけ聞いてあげるにゃ。なにかにゃ?」

「お前、人間に化けていたな。……俺の姿にも化けられるだろう?」

「だからどうしたにゃ?」


 もしかして二手に別れて~、とか言い出すのかと白い目を向けたネロだったが、しかし宵虎はその想像の下を行った。


「俺に化けて、代わりに食われてはくれないだろうか?」

「何言いだしてるにゃ!それでも男かにゃ!?さっきから全然カッコ良くないにゃ!にゃああああ!?今噛まれた!?尻尾の先噛まれた!?」

「……ところで、常々気になっていたのだが、尻尾とは何のためにあるんだ?」

「なんで今その話するにゃああああああ!?」


 涙目で悲鳴を上げるネロを背に、宵虎は器用にナーガの噛みつきを交わしながら神殿を駆け抜けて行き―やがて、どうにか無傷で外に辿り着いた。


 夜空の下、神殿の入り口から、一匹を背負った一人が駆け出し―。

 その後を、入り口を粉砕しながらナーガが飛び出てくる。

 そこで、ネロは声を上げた。


「あ、だんにゃ!橋が見えたにゃ!橋にさえ、橋にさえ辿り着けば……」


 言われるまでもなく、宵虎は唯一の脱出先である橋に向かって駆け抜けている。


 そして、橋の前まで宵虎達が辿り着いたその瞬間。


 バーン。不意に海から飛び出たナーガが、そのまま橋へと倒れこむ―。

 散らばる破片―巨体を叩きつけられた橋は、見るも無残に粉々に砕け散った。


 通れなくなった橋を前に、一応、宵虎はネロに尋ねてみた。


「辿り着けばどうなる?」

「もうどうにもならなくなったにゃ……」


 これ以上進めなくなった宵虎達の前にはナーガ。背後にもナーガ。

 どちらに行こうとも、迫る大口が待っていることに違いは無い。


「……流れた地で贄となるか。似合いの末路だな。……仕方ない」

「にゃ、諦めちゃうのかにゃ?……にゃ?なんで持ち上げるにゃ?何をする気……にゃ!だんにゃ!食われる!蛇来てる!蛇来てるにゃ!にゃああああ!?」


 悲鳴を上げるネロの身は宙にあった。そんなネロへと、前方のナーガは大口を開け―だが、飲み込むことなく真横を素通りしていく。


 ナーガの狙いは宵虎だった。宵虎は、ギリギリの所でネロを投げ、逃がしたのだ。


「だんにゃ?」


 空中で声を上げるネロに、どこか達観した風情で宵虎は笑う。


「逃げろ、猫。これ以上俺に付き合う必要はない。…………どうだ、男らしいだ―」


 その言葉は最後まで続かず、ナーガの大口に呑まれていく。


 崩れた個所の先―向こう岸へと続く、まだ無事な橋へと降り立ったネロは、さっきまで宵虎のいた場所―ナーガの噛みついたその場所を呆然と眺める。


「だんにゃ……」


 その呼びかけに、返事はない。

 やがて、ネロは涙ながらにその光景に背を向けて、向こう岸へと駆け出した。


「だんにゃの事……忘れないにゃ!惜しい人をなくしたって……全体的になんか惜しい人をなくしたって、絶対忘れないにゃ!」


 多分、悲しいんだと思う。でもなんかこう……悲しみに浸り切れない。


 とりあえず墓前でカッコ良かったと言ってあげよう。

 ネロはそう心に誓い、振り向かず逃げて行くのであった。


 背後でずしんとナーガが倒れる音にも振り向かず、ただ一目散に。


 *


「……芸がないな。俺も蛇も……」


 そんな呟きと共に、宵虎は倒れたナーガの口から這い出した。


 毎度の事と、口の中から一匹倒したのである。

 どうやら海から出てきたナーガは、再生するモノではなかったらしい。


「どうだ、猫。格好良……」


 言い掛けた宵虎だったが、しかし当のネロの姿はもう、かなり遠くにあった。


「フ………まあ良い」


 その呟きと共に、宵虎は飛びのく。神殿から追って来ていたナーガが、宵虎へと噛みついて来たのだ。そして、敵はその一体だけではない―。


 水柱が立つ―何本も、何本も。その全てがナーガ……宵虎一人を狙っている。


(やはり逃げるか……いや、)


 ここで宵虎が逃げれば、このナーガ達が獲物をネロに変えかねない。

 寧ろ、宵虎を狙っているのは好都合。これで、ネロは逃げ伸びるだろう。


 尾が迫る―流石のナーガも学習したのか、もう宵虎へと噛みついて来ようとはしない。


「……どうしたものか、」


 迫る尾を交わしながら、宵虎は呟いた。到底、脇差し一本で御しきれる状況ではないのだ。


 だが、浮かべるのは言葉とは裏腹の笑み。


 流れに流れ、辿り着いた異国の地。しかし思えばこの命、海の藻屑と消えるはずだったものだ。それが、捨て石とは言え、意味のある最後を迎えようとしている。


 喜びこそすれ、嘆く道理がどこにあるのか。


(もっとも……)


 宵虎は跳んだ。ナーガの背を駆け、跳ね、その頭部へと飛びかかる。

 突き出す脇差し、狙うは目。

 痛みに震えるナーガを足蹴に、その眼玉をくりぬいて、宵虎は獰猛に嗤う。


「……せっかく、拾った命だ。楽に喰えると思うなよ……」

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