弓兵と怪物

 夜の海から這い出たナーガが、浜辺に頭を垂れる。その頭上から、意思もなにもないように規則正しく浜辺に降り立つのは、幾人もの武装した男達。

 炎と剣の紋章の入った甲冑に身を包んだ兵士―スキュラに魅せられ、操られているらしい、この街の男達だ。


 少し離れた防壁の上に身を潜めつつその様子を眺めて、アイシャは悪態をついた。


「うわ~。やだな~。めんどくさいな~」

 

 ふざけたような口調とは裏腹に、その胸中には迷いがあった。

 知らんぷりして逃げ出すか、あるいは戦うか。


 戦う―なら、最大の好機はもう逃してしまっている。上陸前に叩く。それが一番楽な勝ち方で、アイシャにはそれをしてしまえるだけの技量があるのだ。ただしそれは、兵士が死んでも構わない、と言う前提の話。直接矢を当てないにしろ、洗脳された上甲冑を着込んだ兵士が海に落ちたらどうなるか―その危惧から、アイシャは手出しが出来なかったのだ。


 かと言って、兵士達を直接相手にしても状況は同じ。ナーガもいるのだ。そちらを狙った矢が当たって、深手を負わせてしまうかもしれない。


 ならばもう、逃げてしまうか。


 キルケーは、嫌いだ。だから、別に見捨ててしまってもアイシャの心は痛まない……。


「訳ないんだよね……。あ~あ、」


 そもそも、逃げる気ならもう逃げている。

 こうして観察しているのは、アイシャ自身に戦う気があるからである。

 何を意図した軍勢かはわからないが、まあ、良い目的では無いのだろう。


 そして、軍勢は軍勢。洗脳されていようといまいと、あるいは人であろうと無かろうと、その御し方を、弓兵であるアイシャは知っている。


「ボスを潰せば、烏合の衆だよね……」


 その呟きと共に、アイシャは弓を引き絞る。

 視線は軍勢の一角―ただ一人だけ甲冑を着ていない、鱗の生えたシーピショップ。


 ―ただ、怪物を生むだけ。そんな言葉が脳裏をよぎる―


「……ラピッド・ブロウ」


 その呟きと共に、アイシャは矢を放った。不可視の矢は、アイシャの存在にすら気付かず軍勢へと声を投げているシーピショップへと吸い込まれていき―。


 直後、シーピショップの肩がはじけた。

 けれどその事に、兵士達は声を上げない。ナーガ達もまた、身じろぎ一つしない。


 アイシャが期待した混乱はまるで起こらず、どころか、矢を受けたシーピショップは、倒れこむ事すら無く、アイシャを見上げた。


「やば……頭にしとくべきだったかな……」


 言いながら、アイシャは防壁の影に隠れつつ、その場から移動する。


 肩を狙ったのは、ビビッて退いてくれることを期待したからだ。

 夜間、音の無い弓撃で最も効率よく軍勢に恐怖を与えるのは、指揮官の死より寧ろ負傷―。


 用の戦術である。だがそれが、魔物にそのまま通用すると言う見通しが甘かった……。


「昼間の娘か……」


 その声と共に、アイシャの正面に不意に、何者かが着地する。


 破れた礼装―吹き飛んだ肩の辺りに蛇が生え、丸まり、元の形へと戻って行く。

 太刀を持ったシーピショップ―その怪物の目は、油断なくアイシャを睨んでいた。


「邪魔をする気か。なぜ、邪魔をする。魔女に頼まれたか?」


 舌打ち一つ、臨戦態勢を取りながら、アイシャは尋ね返した。


「魔女ってキルケーの事?知り合いなの?怪物と魔女が?あ~、そう言う関係?」


 その言葉を聞いた途端、シーピショップは地を蹴った。その手の太刀が、夜闇に閃く―。

 だが、アイシャは軽やかに身を交わす。その顔には余裕の笑み、口は挑発を紡ぎ出す。


「今、どの部分に怒ったの?怪物って辺り?それとも、別の方?」


 シーピショップはアイシャへと技も無く遮二無二太刀を振り続ける。だが、ただの一発すら掠めることも許さず、アイシャは軽やかに身を交わし続けた。


「口があるなら、お喋りしようよ。……怪物さん」

「黙れ!」


 咆哮一つ、振り切った刃が防壁の一部を砕く。

 しかし、その場にアイシャはいない―一足早く距離を取っていたのだ。


 駆け足で十歩分―自身の間合いに敵を捉えたアイシャは、弓を引きながらなおも尋ねた。


「怪物が嫌なの?……実は、元々人間だったとか言っちゃう?」

「……そうだと頷けば、手出しを止めるか?」


 嘘とも真実とも取れる口調で、シーピショップは応えた。


「目的次第で、考えるかな~」


 弓を下ろすことはなく、だが放つ事も無く、アイシャはそう言った。

 そんなアイシャを眺めながら、シーピショップは自嘲し、言った。


「彼女は国を望んでいる。民が欲しいんだろう。男は皆彼女に惑うが……女は違った。だから、迎えに来た。女王の国を……女王の民を」

「民ねえ……。それが嫌だから、み~んな引きこもったんじゃないの?穴倉にさ」

「力づくで連れ去る……誰かのおかげ(・・・・・・)で、居場所が知れたからな」

「私たちのせいって事?それ言わないで欲しかったな……知らんぷりしにくいじゃん!」


 その言葉と共に、アイシャは矢を放った。


 シーピショップが動こうとしたからだ。機先を制し、一瞬速く放たれた不可視の矢。

 それが跳ね飛ばしたのは、シーピショップの腕だ。


 武装解除……手荒にだが、相手を無力化する為に、剣を持つ敵の腕を吹き飛ばす……。


 アイシャはまた、頭を狙わなかった。外した訳ではない。ただ、相手が元々人と知って……あるいは、その可能性があると脳裏をよぎったが為に、合理性に逃げたのだ。


 吹き飛んだシーピショップの腕は、その手の太刀ごと、海へと落ちていく……。


「……あれ?ていうか、今の……お兄さんの剣じゃなかったっけ?あ~、やっちゃった……」


 そんな分かり易い後悔に逃げたのも、あるいは状況を深く考えないためか。


「余裕だな……」


 シーピショップは呟く。吹き飛んだその腕、傷口から、蛇が生えてくる……。

 しかしそれは、元の形を取ろうとはしない。

 膨れ上がるように、蛇はその数を増やして、うねりながらも生え続ける。

 元々人だったにせよ、今のその姿は完全に怪物以外の何者でも無い。


 そう。怪物だと、単純に割り切ってしまえば良いだけの話だ。


「うわ~めんどくさそう。……お兄さんに期待、かな」


 油断なくシーピショップを睨みながら、アイシャはそう呟いた。宵虎が先にスキャラを倒してしまえば、このシーピショップは目的を失うはずだ。

 そうすれば……アイシャは手を汚さずに済む。

 未だ覚悟を決めきれないアイシャへと、蛇は襲い掛かる―。

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