3章
覗いた先に
魔物と一概に言っても、そこには様々な生い立ちの者がいる。
生まれた時から魔物で、ちょっと強い野生動物と言った風情のもの。元が人間で、何かしらの呪いや魔術で魔物に変わってしまったもの。地獄やら天国やら魔界やら何やら、元々違う世界に居ながら召喚されたりなんなりでこの世界に来てしまったもの。
そして、立場も様々だ。場所を守る者、しがらみなく暴れまわる者、ずっと寝てて良い暢気で羨ましい立場の者。さらには、人間の味方になってしまったせいでやたらとこき使われてなんかもうとりあえず毎日が大変な魔物……。
「は~。憂鬱だにゃ。様子見て来いって、危ない予感しかしないにゃ~。ナーガに遭ったらどうするんだにゃ~。……あっちで死んでたけど…」
メナリアの街を歩き、そんな泣き言を漏らす猫が一匹。捻りも何もなくネロ―黒という意味だ―と名付けられたその黒猫も、そんな毎日が大変な魔物の内の一匹である。
マスターの命令ならば、たとえ火の中水の中蛇のお腹の中(強制的に)。
「理不尽だにゃ~。でも、命令されちゃったしにゃ~」
泣き言を漏らしつつとぼとぼ歩くネロ。今回、その黒猫が承った言いつけは単純である。
監視だ。どうやらこの街にやって来たらしい何者かの監視。
人気のない町を蛇がいないかとびくびくしつつさ迷う事どれ程か……漸く見つけたその何者か達は、どうやら空き家の一つに勝手に上がり込んでいるらしい。ネロは言われた通り監視をするため、その家の窓枠に爪を立て、カーテンの隙間から中を覗き込んだ。
「そ、こ、か、にゃ~?」
*
家屋の中心に、びしょ濡れの和装の男が憮然と座り込んでいた
『お兄さんも着替えたら?風邪ひいちゃうよ?……ほら。これ、着て』
そう言って、アイシャが家の中から勝手に借りた服を宵虎に渡し。
『じゃあ、覗かないでね』
その言葉を残して奥の部屋に消えていったのは数分前の事。
一人居間らしき場所に残された宵虎にはわからない事があった。
渡されたこの布は一体なんなのか……。いや、布が何かについてはおおよそ推測出来る。
服だろう。恐らく服だ。多分、服である。問題は……
「……これは……どうやって着るのだ?」
その服の形状は、宵虎の慣れ親しんだそれとは掛け離れているのだ。一体何がどれなのか……どこにどれを装着するのが正解なのか……宵虎には見当もつかない。
それでも宵虎は頑張って自分なりの答えをみつけだそうと奮闘したが数分で飽き、諦め、どうしたものかと悩んでいるのである。
着方を尋ねるか。だが、説明された所で何を言っているかわからないし、そもそも着方がわからないと伝える術が無い。あるいは、着つけて貰うか……だが、それもまた、どうやって伝えれば良いというのか。色々と思い悩み、やがて宵虎は一つの正解へと辿り着いた。
「……見稽古か」
そう。奇天烈かつ口の悪い師匠は、昔こう言っていた。
『教わろうとすんな。見て盗め、カス。使わねえなら、その眼えぐるぞ』
恐怖と罵倒の日々の末に得たその教訓―今こそ活かすべき時では無いか。
確か、アイシャは似た服を持っていったはず。ならば、宵虎のすべき事はただ一つ…。
*
濡れた服を脱いで、乾いた布で身体を拭きながら、アイシャは物思いに耽っていた。
とりあえず、あの神殿に行った結果わかった事がある。
一部だか全員だかはわからないが、街の住人は洗脳され、あの神殿に居る。
街に居たナーガも、あの神殿に潜んでいる魔物の配下と考えて間違いは無いだろう。
あの神殿に居るのは、シーピショップ―と呼んで良いのかわからないが、とにかく蛇と人間が混じったような魔物。
そして、未だ見ぬ女王。そちらについても、恐らく蛇の系統なのだろうが……。
「でも、呪歌で洗脳でしょ?ローレライとかそんな感じっぽいんだけどな~」
一人、そんな事を呟いたアイシャ。と、不意に、その眼付が険しくなる。
「……どっかから見てる?今度は覗き?はあ……」
呆れ半分苛立ち半分、アイシャは布で胸元を隠しながら、視線の位置を探り掛け……しかし、探す必要も無くそれは見つかった。
宵虎が部屋の中に居たのである。普通に、当然のような顔で。
「堂々とし過ぎだって……。一応、聞いてみるけどさ。お兄さん。何してるの?」
声を掛けられた宵虎は、不思議そうに首を傾げていた。
「いや、それこっちのジェスチャーだから……とにかく、出て行って。外!」
少し語気を強めながら、アイシャはそう言うと共に部屋の外を指さす。
「…何を言っている?とにかく、頷いておくか……」
宵虎は、一つ頷いた。けれど、その場から動こうとしない。
「なんで今頷いたの…出てけって言ったの!外!……あ~もう!」
羞恥から苛立ちが募ってきたアイシャは、足取り荒く宵虎へと歩み寄った。
言葉が通じず、ジェスチャーでもダメ。ならばもう、残っているのは実力行使しかない。
宵虎の目の前に立ったアイシャは、宵虎を部屋の外へと押し出そうと手を伸ばす。だが、
ひょい。そんな音がしそうな軽い調子で、宵虎は身を交わした。
(む。…交わせた。フ、いくら達人だろうと、そう何度も遅れを取る俺では無い…)
間合いに入られ、お肉を取られ、弄ばれ…だが漸く、交わすことが出来た。
達成感から宵虎は笑う。だが、今の状況を鑑みれば、その笑みは完全に別の意味に見えるのだ。少なくともアイシャから見れば、その笑みの意味合いは全く変わってくる。
「チッ……よけんな変態!」
苛立ちがピークに達したアイシャの動きは恐ろしく速かった。
気付くと、宵虎は天井を見ていた。遅れて顎への衝撃を認識する―掌底か何かで顎を跳ね上げられたらしい。
そして、それを理解した時には既に、アイシャからの追撃は終了していた。
天井がねじれ、飛んでいく―いや、飛んでいるのは宵虎の方だ。
きりもみである。身体がくるくると回ったまま、宵虎は元いた部屋へと吹き飛ばされていく。いったいどれほどの打撃をくわえられればこうなるのか―体中が痛むせいで当の宵虎にも打撃箇所が判別できない。
結局、宵虎に判別できた衝撃は二つだけだ。最初に、顎をかちあげられた一発。
そして、吹き飛んだ末にしたたかに床に打った顔面。
「…拳法まで使えるとは……底が知れん」
したたかに打った鼻を抑え、宵虎はよろよろと起き上がった。
布が舞っている。アイシャの体を隠していた布が、ひらひらと。
ドアの影に体を隠し、頭だけを出したアイシャは、その布を掴んだ。
そしてそのまま、アイシャは完全な侮蔑の視線を宵虎に向けた。
「…鼻血まで出して。変態」
その言葉が通じていたならば、宵虎は弁明しただろうか。鼻血はそちらのせいだ、と。
いや、そんな事はしない。しないしできない。……怖いから。
鬼のようなモノが見えるような気がする。多分気のせいだろう。だが、気のせいじゃないかもしれない。とにかく、その鬼のようなモノは明瞭にこう告げていた。
『次は殺す』
バタン。荒々しい音と共に、戸が閉まる。
鼻を抑える手を自身の血で染めながら、宵虎は一つ決め、よろよろと外へ向かった。
「……着替えは諦めよう」
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