第148話 第六感

 それから数日。

 街に戻って生徒たちに手紙を送ったりもして、基本的には妖精語の分析に時間をかけた。

 結果はこんな感じになった。


 赤     感情…憤怒、腹立たしい、イライラ、著しい感情

       意味…火、熱、太陽など

 橙     感情…楽観、楽しい、わくわく、期待、素直な感情

       意味…日差し、温かいなど

 黄     感情…歓喜、嬉しい、興奮、高揚、好反応

       意味…大地、旅、親交など

 黄緑    感情…幸福、愛しい、前向き、愛情、共感

       意味…家族、友人、夢、理想、食事、愛など

 緑     感情…平静、心地いい、穏やか

       意味…植物、自然、治癒、再生、日常など

 青緑    感情…厳格、慎ましい、冷静、無感情

       意味…ベッド、寝具、王、国家、集団、金属など

 青     感情…冷徹、冷たい、理屈っぽい

       意味…思想、理論、氷、彫刻、刃物、武器など

 紺     感情…悲哀、悲しい、苦悶、落ち着かない

       意味…慟哭、復讐、涙など

 紫     感情…混沌、わからない、不明、情緒不安定

       意味…不条理、謎、無理解、無価値など

 ピンク   感情…劣情、欲しい、欲情、ムラムラ、性愛

       意味…好意、性欲、性理解、卑猥など

 黒(灰色) 感情…残虐、妬ましい、邪悪、破壊願望

       意味…闇、消滅、殺意、悪意、罪など

 白(透明) 感情…無垢、知りたい、好奇心、純粋、興味

       意味…神、透明、許す、許容など


 僕と伯爵は顔を見合わせる。


「……これだけだとダメですね」

「ええ、ダメですな……あまりに意味が幅広いですからな」


 色の種類は少ない。しかし言葉の幅は広すぎる。

 しかし恐らくはこの内容はかなり近いところをいっている気がする。

 問題は『意味の曖昧さ』と『複雑さ』と『理解することの難解さ』だ。

 表現する色味が少なく、前後の文脈――これもかなり予測の範囲を出ない――から察することしかできず、理解するまでに時間が異常にかかる。

 こういってはなんだが、これほどの難解で単純な言語を妖精が使っているとは思えない。


「魔力色の内容は間違っていないとも思うのですが、まだ何か足りない気がしますな」

「魔力色以外の部分ですか……表情や所作、とは違いますよね」

「恐らくはそうでしょうな。もちろんそれらは意思疎通においては重要ですが、見ずとも理解できるという要素ではありますまい。

 人間でいう声と口の動きのような重要な要素が欠けていますな」


 前者が聴覚、後者は視覚。

 片方があれば相手の意図は伝わる。後者は難しいが、理解することは可能だ。

 しかし現時点での妖精語に関して、僕たちが分かっている要素だけでは言語としてはかなり未熟だ。

 きっと別の、相手の意図を知る要素がある。

 通常であれば五感に強く作用する要素だ。

 視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚。

 それらのどれかによって理解できることが必要になる。


「五感の一つ一つ試してみますか」

「思えば、試してはいませんでしたな」


 魔力色という目に見えた変化に気を取られて、原点を忘れていた。

 エッテントラウトの魔力を見つけた時、僕は色々な方法を試したものだ。

 忘れてはいけない。僕の原点はあそこだ。

 できることを一つ一つやることで多くを知り、そして学んだのだ。

 最近は会話が少なくなったからか、メルフィは暇そうにしていた。

 彼女は時折、構ってほしそうにしているが、僕たちの邪魔をすることはない。

 ……正直、利用しているだけの気がして申し訳ない気がする。

 もちろん話しかけたり、一緒に遊んだりすることもあるけど、最初期に比べると時間は減っているからな。

 もっと感謝しないといけないし、何かできることをしてあげるべきだろう。

 敷物の上に座っていたメルフィは嬉しそうにしながら、僕たちに向き直った。


「やあ、メルフィ。ちょっと話したいんだけどいいかな?」


 メルフィは笑顔で魔力の玉を生み出した。


 視覚。

 大小の魔力玉。それがふわふわと浮かび上がって、虚空で消える。

 見える。視覚では『魔力色』を認識できる。


 聴覚。

 音は聞こえない。メルフィの口から、あるいは身体から生み出される音はない。

 細かな音はもちろんあるが、それは僕に伝えるために生み出されているものではない。

 つまり聴覚は妖精語の要素としては『ない』と言えるだろう。


 味覚。

 ちょっと抵抗はあったけど、魔力玉を口に含んだ。

 味はしないけど、触感はある。

 当たり前だけど味覚で言語を理解するというのはさすがに無理がある。

 でも一応試しと言うことでやってみた。

 メルフィはさすがに僕の行動に驚き、そしてちょっとだけ困惑していた。

 なんか、ごめんなさい……。


 嗅覚。

 無臭だ。ニオイはない。少なくとも僕には感じられない。


 触覚。

 触る。魔力の独特な温かみがある。そしてほんの少しの触感が手に伝わった。

 通常の魔力と同じような感覚だ。

 魔力は手に触れると消えていく。

 ただ、何か気になった。いつも通りのように思えて、そうでないように思えた。

 僕は意識を集中して、魔力の玉を触った。

 同じだ。同じだけど……違う気もする。

 なんだろうこの感覚。過去にも感じたことがあるような。

 赫夜の時。

 通常の魔力とは違う、あの赤い魔力。

 あれは恐らく魔族であるエインツヴェルフが生み出したものだろう。

 異質なあの魔力は、メルフィが生み出す『赤い魔力』とは違うように思える。

 そして僕やマリーが生み出す魔力ともまた違う。

 当然だが、魔力色があることは、つまり魔力は一種類ではないということ。

 つまり、魔力は……同じように思えて、実はすべて違うということになる。

 それが妖精語を知るための鍵になることはわかっている。

 言葉とは違いだ。

 異なる種類の言葉を介して、相手と意思を疎通する。

 違うからこそ、異なる意思や感情を伝える。

 五感の中で視覚以外に可能性がありそうなのは触覚だけだ。


 もう一度触れた。

 様々な色に触れ、その変化を僕は必死で探した。

 わからない。わからないけど、違いがあるような気がする。

 なんだ、このもどかしい感じは。

 そこにあるのにないように感じる。

 わかっているのにわからない。

 相手の顔は浮かんでいるのに名前がわからない時のようなもどかしさ。

 喉まで出かかっているのに、詰まってしまっているような。

 僕は無意識の内に目を閉じた。

 メルフィの魔力が手のひらに触れる。

 暖かく、小さな感触。

 不意に僕は手をわずかに引いた。

 その瞬間。

 指先に何かが触れた気がした。

 それは今までにない感触だった。

 触れたのに、触れていない。

 物質ではなく、何かの現象。

 静電気を感じた時のような柔らかな感触。

 僕は目を開けた。

 魔力は消えていなかった。

 虚空に消えていく姿を明確に目にした。


「あれ? 今、僕の手に魔力の玉が当たってませんでした?」

「え、ええ。触れていなかったように見えましたが」


 おかしい。確かに指先に感触があったような。

 僕は再びメルフィに話しかけて、魔力の玉を出してもらう。

 魔力の玉から少し手を離して、指先に意識を集中した。

 指先にかすかな感触がしたが、魔力からは数センチほど離れたままだった。


「……?」


 何が起こっているかわからず、僕は同じ挙動を繰り返す。

 するとさっきよりも強い感触が指先に生まれた。

 数度繰り返すとその感触は明瞭になっていく。

 もちろん直接触れた時に比べるとかなり小さい感触だった。

 しかし、触れたという『実感』は確かにあった。

 僕は徐々に距離をとった。

 十センチほど離れても、その感触は生まれた。

 いや、そこからは感触とは違う。別の何か、そこにあるという『感覚』だった。

 あれ?

 これって……。

 ま、まさか!


「あ、ああ! こ、これ、これは!? そ、そうか!?

 な、なんてことだ。僕はこんな初歩的なことに気づかなかったのか!?

 そうだ! そうだよ! 基本じゃないか! 

 魔力を『感じる』ことができるなんてこと!」


 僕はエッテントラウトの魔力を『見る』ことで知った。

 そして魔力に触れて温かみを感じた。

 視覚と触覚には作用すると理解したが、それ以外で感知できないと思い込んでいた。

 しかし、そうじゃなかったのだ。

 創作の世界では当たり前の『感じるという、第六感的な感覚』があるとは思っていなかった。

 遠くの魔力、気配、力などを察知するという能力は、マンガや小説の世界では当たり前のように描かれる。

 僕も前の世界ではそれが当たり前のように思えていた。もちろん創作の世界の中だけではあるが。

 しかしこっちに来て、現実になった途端、そんな簡単なことさえ忘れていた。

 非現実が現実になったことで、創作の世界に存在することが現実ではないと思い、僕は足元をすくわれていたのだ。

 つまりいわゆる『第六感』。

 魔力は『感じられる』のだ。

 距離を離しても、見ずとも、魔力はそこにあると感じられる。

 それが間違いなく、目の前で実証できている。

 体が感動で打ち震えていた。

 魔力を感じるという簡単なことが、こうも僕に衝撃を与えてくるものか。

 魔法は確かに幻想的で非現実的ですごい力だ。

 でも僕はその魔法を一から作り出した。

 だからその魔法を使うということに関して、少しばかり現実感を強く感じていた。


 だけど。

 遠くの魔力を感じることができる、なんて非現実的で非科学的で超常的なことが起こりえると知り、僕は異常なほどに感動していた。

 正真正銘の魔法使いだ。

 僕は……まだまだ先に行ける。

 まだまだ魔法について知れるのだと。

 そう思ったら全身に鳥肌が生まれた。


「シオン先生……? ど、どうかなさいましたか?」

「う……うへ」

「シオン先生!?」


 僕が顔を上げると、伯爵はぎょっとして後ずさりした。


「うへへへ、えっへっへへっ! えへへへへへっ! 

 魔法最高! 魔法、えへへっ、ほんとう、最高だよぉっ!」

「マ、マリー殿ぉっ! 先生が! シオン先生の様子がおかしいですぞぉぉぉ!!」


 驚愕しながら姉さんを探し始めた伯爵を放っておいて、僕はただただ感嘆した。

 ああ、魔力を感知できるなんて。

 こんな、こんなことがあるなんて。

 なんで僕はこんな初歩的なことを試してみなかったのか。

 実際に起きたことに固執して、地球での知識を蔑ろにしすぎていた。

 ありえるのだ。僕が妄想していた夢の世界は現実となる可能性があるのだ。

 これからはもっと視野を広げていこう。

 もっと、もっと広い世界が、夢の世界がその先にあるのだ。


「へへへっ! もっとすごい魔法が使えるかも……もっとすごい魔法を見つけられるかも!」


 僕は気持ち悪い笑みを浮かべる。

 目の前にいるメルフィは最初は戸惑っていたけれど、なぜか嬉しそうに僕を見ていた。

 僕はそんな彼女の反応を見て、なぜか余計に嬉しくなって、余計に笑みがこみあげる。

 数分後、必死の形相な伯爵は姉さんを引き連れてきた。

 姉さんは苦笑しながら伯爵に説明していた。その間も、僕は喜びを抑えきれず笑っていた。

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