第106話 先の計画

「――こちらになります」


 エゴンさんに案内された僕とウィノナは呆気にとられてしまう。

 目の前に見えるものは僕の想像していたものとは大きくかけ離れていたからだ。


「あ、あのここですか?」

「はい。ここです」


 エゴンさんは表情を崩さず淡々と答えた。

 僕とウィノナは顔を見合わせ、再び正面に視線を戻す。

 屋敷に戻った僕とウィノナは、迎えに来てくれたエゴンさんの案内の下、魔導具開発の施設へと向かった――のだけど。

 ここは王都の端っこにある区画だ。

 区画入口には守衛達が厳めしい顔つきで立っている。

 エゴンさんが話すと、守衛達が中へと促してくれた。

 どうやら区画は一般人は立ち入り禁止になっているようだ。

 中に入ると目の前にあるのは廃墟だった。

 ボロボロになった大きな建物が幾つも並んでいる。

 何かの災害に見舞われたわけではなく、単純に年月が経過したせいで老朽化しているようだった。

 他の建物に比べると、粗雑な造りだ。

 レンガに触れればパラパラと崩れるし、地面は木屑だらけ。

 ふとした時にギシギシと木が軋む音がそこかしこから聞こえる。

 ゴーストタウンと言われたら信じてしまうくらいには閑散としている。


「ここは前時代に建てられた家屋の密集地帯です。

 王都は修繕修復を後回しにして、新しく建築して発展してきたため、一部ではこのように古くなった建物が立ち並んでいます。

 この地は特に昔の建物で構成された地区です。

 少し前まで危険ということで放棄され、浮浪者や荒くれ者達の棲み処となっておりました」

「スラム街、ってことですか」

「ええ。ですが王都内には他にも貧民街はありますし、ここよりも幾分かは良い環境です。

 そのようなことから余程のことがない限りはこの場に人は寄り付きません。

 一部の人目に触れたくない連中は例外ですが。

 最近では整備され、巡回兵が頻繁に通るようになっているため安全です」


 エゴンさんが視線を向けた先には兵の姿があった。

 なるほど確かに、警備に精を出しているようだ。


「最近までリスティアは魔物の数が多く、一部紛争地帯となっておりました。

 その折にアドンに領地を実効支配されてしまい、ひと悶着ありまして。

 リスティアは技術的、文化的、経済的にも発展途上国であり、王都の発展に力を入れておりましたが、最近になりようやく地に足がつき、国内の整備に踏み切ったという形です」

「なるほど。それで人がいないんですか」

「ええ。ですが今は、倉庫として扱っている施設も幾つかあります。

 そちらは修繕した一部の施設だけですので、他の施設にはあまり入らない方がいいかと」

「わかりました。それで僕達が行くのは、その修繕された施設なんですね?」

「そうなります。まずはお見せしたい施設がありますのでそちらから参りましょう」


 エゴンさんがスタスタと歩き出すと、僕とウィノナは彼に続いた。

 しかし本当に人がいない。

 不気味だけど、何となくワクワクする。

 人が住むはずの建物に人がまったくいない。

 何となく興奮するシチュエーションだ。


「聞きたいんですが、どうしてわざわざこんなところを開発場所に選んだんでしょう?」

「私が聞いた限りですと、開発の邪魔をされたくないから、ということでした。

 商人ギルドはこういうことに耳聡いので、介入されると厄介なことになる、と」


 バルフ公爵も商人ギルドに関しては色々と手を焼いていた様子だった。

 グラストさんも雷光灯と発雷石開発時には、商人ギルドの人に交渉を持ちかけられていたし。

 商売人っていうのはどこでもいるからなぁ。

 彼等はがめつく賢く狡く、そして耳が良い。

 味方ならば頼もしいけど、敵に回すと厄介だ。


「他にも開発しながら老朽化した施設の修繕を並行して行い、修繕後そのまま生産施設として活用するという意図もあるかと思います。

 開発期間はどれほどになるか見当もつきませんので、生産場所を事前に確保しておくことで、早い段階で生産に入り、他国へ輸出するというお考えかと」

「そこまで考えているんですね」

「ミルヒア女王は聡明な方ですので」


 この区画、仮に開発区画と命名するとして、正確な広さはわからないけど、大きな建物が幾つもある。

 一つの施設が一辺30メートルくらいあるとして、それが見える範囲だけでも五つある。

 半壊している施設もあるので立て直すのは時間がかかるだろうけど、すべて直し終えたら、ちょっとした街くらいの規模になりそうだ。


「この区画の管理はシオン様にお任せするとのことです」

「へ? こ、この区画全部ですか?」

「はい。領地を与えることはできませんが、王都内の区画を管理させようとのことでした。

 こちらには領民はいませんし、税収はありません。

 そのため収入は一切ありませんが、区画内の開発は好きにしていいと」

「……つまりこの区画は僕の街、みたいなものですか」

「そうですね。王都内の独立した街、と考えて頂ければいいかと。

 ただしすべてを好きにしていいわけではありません。

 申請し許可が降りたものに関しては、自由が利くということですので。

 それと、一つの施設はすでにシオン様用に改築が進められているとのことです」

「それってアレですか」


 魔法研究所兼魔法鍛錬所のことである。


「アレです。王都内で最も広い土地がありまして、そちらを改築しております。

 丁度見えてきました。あちらですね」


 エゴンさんの指差す先には巨大な庭があった。

 しかし周囲は高い壁で覆われている。

 まるで要塞のようだった。

 敵の攻撃に備えて建造されたのだろうか。

 門や壁の修繕を行っている職人たちが何人もいた。

 門は格子ではなく重厚な鉄製。

 今は開いているので中が見えた。

 防壁内には広大な庭があり、中央には巨大な施設跡があった。

 施設の大半は崩壊しており、見るも無残な姿だ。


「な、中はボロボロですね」


 ウィノナがおずおずと呟いた。

 彼女は物珍しそうに周囲を見回している。


「ここは一体?」

「前時代の遺物ですね。魔物の侵攻を抑えるために作っていた、王都付近にあった要塞です。

 今は王都内に位置していますが、最初に建造された際には、王都から離れた場所にあったようですね。

 王都が改築、増築で広がり、自然に要塞は王都内に飲み込まれたようで。

 当時は技術の粋を集め造られた堅牢な施設と防壁でしたから重宝したのでしょう。

 この要塞を最終防衛地点としたとのことです」

「前時代の功労者、ってことか」


 長い年月耐え抜いてきたのだろう。

 壁や施設は決して自然にはできない傷跡が無数にあった。


「防壁は修繕して外部から見えないようにする予定のようです。

 庭を広めに保ち、施設はやや小規模な状態で建て直すので多少は暴れても問題ないかと。

 さすがに施設自体を大規模にはできないようです」

「爆発しても?」

「ええ、地面が抉れても支障はないでしょう。壁さえ壊れなければ。

 音は漏れますが、ここは僻地ですから、余程のことでなければ問題ないかと」


 これは思った以上に、女王は僕の要求を正確に読み取ってくれていたらしい。

 この場所ならば僕の望みも叶いそうだ。

 僕の屋敷の土地の何倍もの広さがある。

 ただ中央にある施設は小規模の家屋になるみたいだな。

 それだけでもかなりのお金がかかっていそうだけど。

 女王は、僕を相当に優遇してくれる予定のようだ。


「しかし、大掛かりですね……僕が言うのもなんですが、相当なお金がかかっているでしょう?」

「全区画整備を考えると、中規模の村を買い取れるくらいでしょうか。

 こちらのシオン様専用の土地はその一部ですが、お屋敷一つ分ほどはかかっているかと」


 そうだよね、となぜか普通に納得してしまった。

 その大半は僕のために女王が用意してくれているのだ。

 なんか金銭感覚が狂ってきた。

 日本で生まれた時はお金でそれなりに苦労したのに、こっちに来てからお金に困ったことがないもんだから、執着心がない。

 お給金も貰えるし、お金があっても欲しいものもあまりないし。

 自分で買い物もあまりしないんだよね。

 家では母さんや父さんが買ってきてくれるし。

 自分で買ったのは紙と馬、くらいかな。

 どっちもこの世界では高級品だ。

 安い買い物をほとんど……いやまったくしたことがないんじゃないだろうか。

 これはいけない。

 このままだとダメな大人になる。

 自分に釘を刺しておこう。

 いやしかし、女王のこの羽振りのよさ、やはり僕に対する期待は大きいようだ。

 この調子なら、僕の目的も叶う日が来るかもしれない。

 それはもう少し先になるだろうけど。


「シオン様の功績を考えますと、これくらいは妥当かと愚考します。

 これからのことも考え、先行投資という面もあるのでしょう」

「女王は先に餌を与えて逃がさないタイプか」

「釣った魚に餌を与えると、その場から離れられなくなりますので」


 手に入れたものに贅沢をさせると、その贅沢が当たり前になる。

 一見、甘やかしているように思えるが、その実、その生活にのめり込ませる手法でもある。

 まあ僕は別に魔法があれば他の何かに執着することはあまりない。

 だからこの前提は僕には当てはまらないけど、先に報酬を与えることで、断りにくくする、やる気にさせるという効果はある。

 多分そっちの意味で、事前に色々としてくれてるんだろうなぁ。

 そこまでしなくとも与えられた任務は遂行するつもりだ。

 怠惰病治療の研修と魔導具の開発、作成に関しては。


「僕に内情を話してもいいんですか?」

「これは許可をいただいた内容ですので問題ございません」


 なるほど。エゴンさんが妙に饒舌だと感じていたけど、これはすでに女王から許可された話のようだ。

 それはつまり話せない部分もあるということでもある。

 すべてを知るつもりはないし、別段問題はないけれど。

 今のところは。

 しかしこの区画、かなり広い。


「あの、ここはどれくらいで完成するんでしょう?」

「見込みでは、施設の解体、壁の修復、土地内の整備で三ヶ月ほどかかるかと」

「なるほど。三ヶ月……丁度いいな」

「何か問題がございましたか?」

「いえ、何でもないです。あの、できれば施設を建築する準備は待ってもらますか?

 設計に関して、少し考えがあるので」

「かしこまりました。ではミルヒア女王に報告させていただきます。

 あくまでシオン様のための施設ですので、問題ないかと思います」

「ありがとうございます。よろしくおねがいします」


 さて、これで一応は大丈夫、か。

 まさかこれほどおあつらえ向きの場所があるとは。

 色々と下準備も必要だ。

 まだその時ではないけど、もうすぐ目的は達成できるはずだし。


「わわっ! シオン様、とっても広いですよ、ここ!」


 広大な庭。そこには生い茂った草花があるだけだ。

 生えっぱなしなので見た目は綺麗ではない。

 だけど自然的な美しさはあるかもしれない。

 その中をウィノナは嬉しそうに歩いていた。

 そんなに珍しいものだろうか。


「オロフ嬢は家から出ることは少なく、王都から外に出たこともないようです」

 オロフとはウィノナの苗字だ。

「ああ、なるほど、それで……」


 狭い籠から出た鳥はやはり羽を伸ばし飛び回るのだろう。

 以前森で助けた妖精も同じような行動をとっていたな。

 ウィノナは数日前よりも、笑うようになった。

 少しずつ前向きになり、自分と向き合うようになっているんじゃないだろうか。

 いつか彼女は父親の下から去るのだろうか。

 籠を出て、大空へと飛び立つ日が来るのだろうか。

 彼女がどんな選択をしたとしても、僕は味方であろう。


「シオン様、そろそろ参りましょう。担当の者を待たせておりますので」

「ええ。ウィノナー! そろそろ行くよ!」

「も、もも、申し訳ありません、シオン様! す、すぐに戻りますっ!」


 笑顔だった彼女は、いつも通りのおどおどした顔を見せた。

 しかし、慌てて戻ってくるウィノナの顔はどこか清々しく、好奇心で輝いていた。

 こうやって自分の好きと嫌いを見つければいい。

 そうやって人生を楽しめる何かを見つければいい。

 何度も頭を下げて謝罪する彼女に、僕は何度も大丈夫だと答える。

 いつものこと。

 だけど心地よく感じる瞬間でもあった。

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