第98話 おはようございます
「――それで、結果は?」
女王の専用図書室。
二度目だけど、すでに見慣れた女王の普段の姿が目の前にあった。
彼女は椅子に座り、机の腕で肘をついたまま本を眺めていた。
だらしない格好だが、僕としてはそれくらいフランクな方がとっつきやすい。
これも、僕が心を許しやすいようにという彼女の策の一つだったのかもしれないけれど。
「合計で120人まで絞られましたよ」
「ふむ、120か……」
女王は思考を巡らせている様子だったが驚きはないようだった。
「想定していた人数でしたか?」
「さてな。じゃが、各国で治療に当たるには何とかなる数ではあるのじゃろう?」
「……都心部に集中させて、患者達が移動すれば可能でしょう。
時間はかかるでしょうが、命の危険がある病ではないので」
ただし遠方であれば移動に時間や資金がかかる。
各地へ遠征するわけにもいかないだろうし、患者達への負担は大きくなる。
しかし十分な数の医者がいても、全員を治すことなんて簡単にはできないだろう。
むしろ治療費をふんだくられる可能性が増える。
民間の医師に独占的な技術があれば、価格設定も自由になり、治療費は高騰するものだ。
僕は治療費を求めないし、公的な治療なわけだから、膨大なお金を要求したりはしないけど。
それは他国でも同じだろうし、ある意味では治療が可能な丁度いい人数が各国の理想なのかもしれない。
それに恐らくだが、自国の民が怠惰病治療ができるようになり、それが事実だと理解すれば、自然とその技術を広めるために尽力するはずだ。
つまり僕が教えた生徒達が、治療方法を別の人間に教え、人手を増やすということ。
そうすれば自然と、一日に治療できる人数も増える。
魔力供給は自分の魔力を分け与えることだ。
相当な総魔力量がなければ数人から十数人程度を治療すれば魔力が枯渇する。
僕ほどの魔力を持っている人はいないから、大量な治療者が必要になるというわけだ。
「わが国でもシオン以外で、治療できる医師を教育しなければならぬからな。
王都やイストリアの患者はほぼ治療済みじゃが、また少しずつ増えてもいる。
早急に手を打たなければ経済的な打撃は避けられん」
「……その割には他国の危機感はあまり見られませんが」
「患者の大半は平民じゃからな。
王ともなれば民の重要さは大なり小なりわかっておるじゃろうが、貴族は平民を人として見ておらん者も少なくない。
病に罹っているのが平民ならば焦る必要はないし、そこまで必死になる必要もない。
貴族達の内心はそんなところじゃろう。参加者のやる気には著しい差があるじゃろうな。
そなたには苦労かけるが……」
「いえ。覚悟はしていたので。ただ、僕の要求も呑んで貰いますよ」
「うむ。ウィノナのことじゃな。本人が決心した際には、こちらで折り合いを着けさせよう。
他にも何かあれば遠慮なく言うがよい。そなたは国の宝なのじゃからな」
国の宝、ね。
何ともむず痒い言葉だ。
僕は王都に着いてから自分の裁量で判断して行動している部分は多い。
今は護衛もいないし、むしろフリッツは護衛の役割を担えてもいなかったけれど。
ただ、時折気配は感じる。
恐らくだけど、僕に監視を着けてるんだろう。
まあ、護衛の意味もあるだろうけど。
女王には敢えて、言っていない。
余計なことを言えば対策されてしまうだろうし、僕の立場を考えればそれくらいのことはされるだろうなと思っていたからだ。
仮初の自由って奴だ。
……まっ、今だけなんだけどね。
「では遠慮なく。魔法を使いたいんですが」
「ならん。どこでだれが見ているかわかったものではない。
そなたの不可思議な力を確実なものとしてしまうことは、今は得策ではない。
今のまま、噂レベルで放っておくことが肝要じゃ」
予想通りの反応だったから、僕はすぐに用意していた答えを口にする。
「では人目につかない場所を用意してくれませんか?
ある程度の防音ができていて、且つ誰にも見られない場所。
できれば広い方がいいですね。魔法の鍛錬はかなり動きますし、危険ですので」
「…………しばし、考える。答えはしばらく待て」
拒否はしない、か。
これは一応考えたというポーズを見せるためか、それとも本当に考えてくれるのか。
女王が誠実な人であると信じたいから、できれば後者であってほしいけど。
彼女との付き合いは短い。
心の底から信じてはいないし、鵜呑みにもしない。
以前、コールにちょっと怒られたし、人を疑うことも必要だ。
今はこれで十分だろう。
最悪、別案はある。
「わかりました。ご検討お願いします」
「うむ。では他にはないか?」
「ええ、今のところは。研修会が始まれば色々とあるかもしれませんが」
「頭が痛いな。何事もなければいいが、そうもいかんだろう。
事前に受け取った魔法書の写しは済んでおる。
もちろん怠惰病に関する部分だけじゃが。教科書、とやらじゃったか。
そちらはすでに会場へ運んでいる。そなたは直接、研修会の会場へ向かうといい。
今日は説明をし、明日からは授業を始めるように」
「わかりました。それでは失礼します」
「うむ。よきに計らえ」
僕は一礼すると女王に背を向けた。
緊張感はほとんどない。
なんでだろうか。
彼女を信用しているわけではないのに。
その理由がわからず、もやもやとした気持ちのままに僕は部屋を出た。
●○●○
僕とウィノナ、エゴンさんは城を出て、会場へ向かった。
怠惰病治療施設とは違い、会場はかなり広かった。
比較的に広い庭の中央には噴水があった。
草花の手入れは出来ており、清涼さを感じる情景だった。
建物は僕の屋敷の二、三倍くらいはあった。
話によると施設内には広めの部屋が幾つもあり、研修や会議に使ったりしているらしい。
ホールや体育館のように広い場所もあるため、室内での催しにも重宝しているとか。
見た目はレトロな学校、みたいな感じだ。
ただし手入れが行き届いているため古めかしいだけ。
この世界において平民が足を踏み入れることができないほどには豪奢な建築物だ。
研修会場と呼ぶのは何となく違和感があったため、僕はここを学校と呼ぶことにした。
「……思ったよりも大きいな」
「……すごい、ですね」
僕とウィノナが感嘆の声を上げてきょろきょろと見回しながら学校へと入った。
玄関ホールは二階への吹き抜け。
左右に階段が備え付けられており、二階の廊下へと続いている。
ちょっとした城のような造りだった。
ただし小物や家具の類は質素なものがほとんどだった。
まあ、この施設自体は誰かが住むものではないし、無駄にお金をかける必要もないからだろう。
驚きだったのはそれだけではなかった。
「「「「「おはようございます、シオン様!」」」」」」
建物に足を踏み入れた途端『全員』が僕に向かって頭を下げる。
玄関口から真っ直ぐ伸びる絨毯、その脇にズラッと並ぶメイド達。
100人は超えているだろう。
多分、参加者一人一人についているんだろうな。
メイド達は一糸乱れぬ動きで頭を垂れ、そして再び背筋を伸ばす。
かなり訓練されていることは明白だった。
僕は何事かとエゴンさんに振り返る。
「この者達は研修会において、シオン様の手伝いをさせていただきます。
特に『研修会に参加する方々』のお世話をすることになるかと」
「ああ、そういうこと……」
僕の授業自体、人手はあまりいらない。
すでに教科書の作成はできているわけだし、後はちょっとした手伝いがいるくらいだ。
僕にはウィノナがいるし、彼女はすでに怠惰病治療に関しての知識をそれなりに得ている。
僕の助手として治療の補助もしていたから、殆どの場面では彼女一人で十分だろう。
100人もの世話役が必要なのは、高貴な参加者たちのため、ということ。
予想以上に面倒なことになりそうだ。
僕は正面に向き直り、メイド達を見渡す。
よくよく見ると、かなり表情が硬い。
緊張してる、みたい。
まあ、僕のことを知らない人からしたら、僕はかなり異質な存在だ。
一応貴族でもあるし、女王の勅命を受けて怠惰病治療の研修を開くこととなったわけだし。
失礼があってはいけない、そんなところか。
なんか僕も緊張してきた。
けどそんなことも言ってられない。
僕はできるだけ柔らかい表情を浮かべる。
「おはよう、僕はシオン・オーンスタイン。
話は聞いていると思うけど、今日から三ヶ月間、研修会を開くことになった。
色々と大変なこともあるかもしれないけど、何かあれば気軽に僕に報告して欲しい。
この三ヶ月、僕達はチームだ。協力しないといけない場面もあると思う。
何か問題が発生した場合は黙って自分で解決しようとしないこと。
何かあったら僕か、話しかけづらいならこっちのウィノナ、それかエゴンさ……そちらの彼に話すようにしてね」
メイド達に動揺が走っていることは見て取れた。
さすがにざわついたりはしないが、表情に戸惑いが見える。
昔ならなぜかと思っていたけど、今の僕からすればその反応は当然のことだ。
少しは自分の立場を理解してはいる。
だからといって偉そうにはしたくないし、できないけど。
「君達も色々と聞いてるだろうけど、僕達の目的は同じはずだよ。
僕は怠惰病の患者さん達を治したいから、この研修会に臨んでるんだ。
だから、君達もそういう風に働いてほしい。大事なのは僕への気遣いじゃないってこと」
一部のメイド達の表情が険しくなる。
それは緊張ではなく、ある種の決意のように見えた。
「じゃあ、そういうことで。今日からよろしくお願いします」
僕がぺこりと軽く頭を下げると、メイド達も慌てて一斉に頭を下げた。
「「「「「よろしくお願いいたします!」」」」」
最初の挨拶に比べて、バラバラだった。
けれどその声には彼女達の感情が滲んでいる気がした。
僕はその変化に少しだけ笑みを浮かべて、エゴンさんに振り返る。
「じゃあ、行きましょう」
「はい。それではこちらへ」
エゴンさんは何事もなかったように僕を案内してくれた。
歩むと共にメイド達の視線が僕へと向けられている。
最初の緊張は少しだけ薄れているようだった。
その代わりに、様々な色の感情が僕へと向けられていた。
それがどんなものなのかはわからないけど、心地悪くはなかった。
ふとエゴンさんが僕を一瞥していたことに気づく。
「どうかしました?」
「いえ、失礼いたしました。何もございません」
「そうですか?」
僕が首を傾げると、エゴンさんはすぐに正面に向き直った。
彼の背中は先程までと同じように硬い印象しか受けない。
僕の後ろから続いて歩いてくる、ウィノナと他のメイド達。
これだけのメイドさんがいると壮観だな、なんてのんきなことを考えながら僕は先を進んだ。
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