第93話 ミルヒアの真意 2
「ふ、二つほど」
「申せ。ただしあまりに長引くと思えば打ち切るぞ」
「はい。それはもちろん。では……一つ目は、怠惰病治療の期間についてです。
どうして二週間だったのでしょう? 状況を見れば、もう少し余裕があったと思いますが」
昨日、今日と僕は休息に使っている。
つまり最低でも14日じゃなく、16日は余裕があったということだ。
もしも最初からそう言われていれば、少しくらいは睡眠時間を取れたはずなのに。
「まず一つ。治療にどれだけの時間を割けるかわからなかったからじゃ。
他国から怠惰病患者治療の要請がどれほど来るのか、どの時期に来るか、それは明確に決まっておらん。
数に制限はあるが、基本的に時期は研修会の一週間前からと決まっておる。
ただし選ばれし者達の中に入っている場合はその限りではない。
あのアドンの貴族の父親はその選ばれし者達の中に入っていたからこそ、一週間前よりも前に治療を受ける許可を与えた。
ちなみに治療の順番は申請順じゃ。ここでは詳しく話さん。色々と制限がある故な。
誰でもとはいかんのじゃ。故にこの場合だけは公平性を保っている、というわけじゃ。
各国平等に期間と数を定めておるのでな。
以上のことから、研修会の一週間前、つまりそなたが到着して約二週間までを自国民の治療期間とした。
悪いとは思ったが、色々と込み合っておってな、先んじて話すことができんかった。
そのようなことがあったからこそ、今回のような話をする機会を作った、というわけじゃ」
なるほど、この説明だけでもある程度は納得できる。
しかし実際、この二日間僕は他国の人間の治療をしていない。
それについてはどうなんだろうか。
「そして二つ。バルフ公爵からそなたが、イストリアで怠惰病治療に当たってどのような方法を取っていたからを聞いていたからじゃ。
そなた、最初は体力の限界まで治療をしようとしていたらしいな。
深夜治療も考慮し、その上で睡眠時間を削って治療しようとしたところ、周りの人間に止められたと聞いた」
「え、ええ。まあ、そうですが」
あの時は時間に制限がなかったから、医師や看護師や友人達に説得されて、きちんと睡眠時間をとったことを思い出した。
かなり強く止められたなぁ。
「イストリアでの治療人数と期間は知っておる。一週間で約3000人。
そう考えると王都の1万人の治療には二週間では足らん。
命に関わりはせぬが、長年苦労している民もいる。
できれば治療してやって欲しかった。そこで妾は考えた。
二週間という期間を先に言い、それ以上の延長はないと話しておけば、もしかするとそなたならば全員を治療する何かしらの方法を導き出すやもしれんと思ったのじゃ。
まさか二週間みっちり治療して、しかも全員を治療してしまうとは思わんかったが」
女王は、もっと他の方法を探すかと思ったんだけど、僕は睡眠時間や休憩時間を削るというごり押しをしてしまったということか。
「あ、あの、ですがすでにその一週間前から二日経っていますが。
他国の貴族達の治療はいいんでしょうか?」
「ああ。あれは『念のため』という意味合いも強かった。
実際はアドンの貴族以外に、事前申請してきた人数は二十人。
しかも到着は明後日以降じゃった。じゃからそなたは気にせずともよい。
結果的にはこうなったが、相手は国そのもの。慎重を期すことは必須であった。
そのためにそなたに無理を強いたが……」
「い、いえ、自分でやったことなので」
悔いも恨みもない。
女王にどのような目論見があったとしても、決めたのは僕だからだ。
行動するのも選択するのも自分ならば、誰かのせいにするのはお門違いだろう。
まあ、状況にもよるけど、今回に関しては問題はない。
思い出すと、王都もイストリアでも貴族の怠惰病患者はなぜか少なかった。
それが理由で他国の貴族達からの治療申請の数が少なかったのだろうか。
いや、それにしても少なすぎる。
国内でも数百人はいたのに。
なぜなのか知りたい欲求はあったけど、僕は我慢した。
二つ目の質問の方が重要だからだ。
「では二つ目の質問をしてもいいでしょうか?」
「うむ。なんじゃ?」
女王と話し始めてから今までずっと抱いていた疑問だ。
どうしても聞いておかなければならない。
僕は意を決して口を開いた。
「あの――どうして僕に話したんですか?」
彼女はその問いを予想していたのか、僅かに目を伏せるだけだった。
「さっきの話もそうですが、僕にわざわざ話さなくとも命令をするだけでいいでしょう。
僕は脅されなくとも、報酬がなくとも、王都への招へいには応じたと思います。
あまりに身勝手な内容でなければ従ったでしょう。
今話さなくも、今後、僕が反発した時に話しても遅くはないと思います。
さっきの話は、かなり踏み込んだ内容も多々ありました。
それを僕のような貴族でもなかった子供に話したのはなぜです?
危険だとは思わなかったのですか? 吹聴するのではと考えなかったのですか?」
女王という立場の人間が軽はずみに内情を話すなんてことはしないはず。
彼女がもしもそんな人間なら国はすぐに破たんしているだろう。
だが彼女がそういう人間という印象は僕にはなかった。
真摯な姿勢、誠意のある謝罪も好印象ではあったが違和感があった。
そんなことをするような一般的に見ればまともな人間が、王としてやっていけるものだろうか。
大なり小なり組織のトップは清濁併せ持つものだし、清廉潔白ではいられない。
誠実な統治者は民の理想ではあるが、そんなものは不可能だ。
正しく、清いままで人を率いることなどできはしない。
学校や会社、あらゆる組織に属したことがある人間ならば、理解できるはずだ。
必ずそういう一面はどこかにあるということを。
ではなぜ彼女は僕に話したのだろうか?
そういう風に考えて当然だろう。
すぐに返答はなかった。
予想はしていたが、話したい内容ではないということなのだろうか。
僕はじっと女王の言葉を待った。
そして、ミルヒア女王は小さく嘆息し、言葉を紡いだ。
「そうじゃな……負い目と打算かもしれんな」
「負い目と打算……?」
「我が国の行く末を一人の子供に背負わせてしまうことの負い目。
この世界を救うことを義務付けることへの負い目。
そして、それらを知りながらも、微塵も別の選択をしようとも考えない自分への負い目。
そなたには多大な負担を強いてしまい、すまないとは思っておる。
じゃが……それほどに我が国は疲弊しておる。
魔族への対抗手段が魔法しかないかどうかは、まだわからん。
じゃが、イストリアの報告を聞けば、恐らくはそなたがいなければ何もできずに、国は亡ぶ。
わが国だけでなく他国もじゃ。
そして今後の協力を願うにはどうしても説明する必要もあった。
一方的に命を下すだけでは今後に支障をきたすからじゃ」
国を背負う人間の言葉だからこそ、重く響く。
彼女の葛藤や心境は僕には理解できない。
想像できるだけだ。
だからわかった振りはしない。
彼女は誠実な人なのだろう。
しかしそれを覆い隠さなければ王としては生きていけないはず。
それを僕に見せた理由は一体なんだ?
僕が特別だから?
いいや、そうだとしても弱みを与えるようなことをするはずがない。
「負い目の方がわかりました。では打算とは?」
「そうすればそなたは断れないと思ったからじゃ。
命令で行動する時と、自分の意志で行動する時とでは発揮する力は大きく違う。
それが好んでか嫌ってかに関わらず、自分がそうするという強い意志が伴えば、力となるのじゃ。
それに今後、何か問題が発生した場合、事前に説明を受けていたならばそなたは恐らくその問題を解決するために最大限の努力をするだろう。
しかし説明をしていなければそなたは条件に応じて妥協する。
そしてその妥協点は事情を知らない人間の感覚で定められている。
実際、それが正しいかどうかは本人はわからないままにな。
我が国と世界を救う人間が何も知らずに、危機的状況での的確な判断できるはずもなかろう」
「……だから話してくれた、ということですか」
女王は鷹揚に頷く。
「実感させるためにもな。バルフ公爵からの報告で、そなたの人となりもある程度はわかった。
話せば吹聴するような人間ではないじゃろう。すでにそなたは多くの事情を知ってもおるしな」
あまりに流れるような会話だったから、僕はすぐには内容を理解できなかった。
しかし、数秒後に気づいてしまう。
ああ、そうか。
だから打算だったのだ。
これは、すべて女王の計算の内だったのだ。
わかってしまった。
そういうことなのだ。
つまりこの日、この時、この場所から、僕と女王は協力者であり共犯者であり一蓮托生の存在となったということだ。
世界を救うという点においては他国も目的は同じ。
だから協力をすればいいなんて単純な話ではない。
リスティアという国として考えれば、まず自国を救わなければ、世界が救われても意味はない。
女王の行動はそのためのものだったのだ。
僕を完全に巻き込み、女王自身が巻き込まれるために。
「さてとりあえずの質問は以上じゃな?」
「……はい」
僕は頭を抱えて俯いた。
ああ、なんてことだ。
なんてことだ!
僕は世界を救うなんて壮大な話、あまり実感がなかったけど、世界を救うというよりはやや身近な、国を救うという問題を抱えてしまった。
正直に言えば、世界を救うといっても、怠惰病治療と、魔族が来たら倒せばいいんだろうくらいに考えていた。
でも実態はそんな簡単なものじゃなかったわけだ。
そもそもエインツヴェルフがイストリアに現れた理由もわからない。
偶然なのか、それとも必然なのか。
どっちにしても次に魔族が現れる場所が遠い場所、他国であった場合、僕は魔族を倒せない。
そんな問題もあるわけで。
話が脱線してしまった。
とにかく。
ミルヒア女王の目論見は正しかった。
『内情を女王の口から聞いてしまったことで、僕は女王に協力しなければならないという心情に陥ってしまっていたからだ』。
元々、女王の命に従うつもりだったけど、さっきまでと今の『従う』の意味合いは違う。
よほどのことがない限り、女王の命令に背くことはないだろう。
女王にとってはそれこそがこの話の狙いだったと言える。
彼女は僕の性格や行動をバルフ公爵から聞いて『最も、僕が協力する気になるだろう方法を選んだ』ということだ。
僕が聞くまでもなく、最後に話すつもりだったことは間違いない。
ミルヒア女王は負い目などと言いながら、今は余裕ある態度で笑っていたからだ。
彼女の内心はわからないけど、まんまと手のひらの上で弄ばれていた。
元々、怠惰病治療と魔族討伐に関しては手を貸すつもりだったけど。
自国と他国の状態を見ると思ったよりも、難航するのは間違いない。
やはり彼女は女王。
すべては計算の上のことだった、というわけか。
そしてその計算は、見事に正解を導き出した。
「質問は終わりだな。それでは妾の番だ」
ミルヒア女王は立ち上がると右手を差し出した。
「当然、支援や協力は可能な限りさせてもらう。
ある程度の要求も飲む。報酬もできるだけ望むものをやろう。
妾の力になってくれるか? シオン・オーンスタイン」
彼女は謁見の間で見たような厳かな空気を纏い、凛々しさを残したままの笑みを顔に乗せた。
正解を確信している余裕のある笑みを。
僕も立ち上がり、そして女王の右手を見る。
ああ、なんだ、そういうことだったのか。
僕は『この瞬間まで』が彼女の計画なのだと理解してしまった。
僕は右手を差し出し『協力の意味を持つ握手』をした。
それは僕の意志で差し出したということ。
ここまでされては何も言えないし、むしろあっぱれだ。
女王は満足そうに笑う。
優しく上下に揺さぶられる僕の右手には、片翼のマントがいつまでも垂れ下がっていた。
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