第59話 それは仮初

 喧騒がうるさい。

 一ヶ月ほど前の出来事を忘れてしまったかのように、住人達はいつも通りの生活を続けている。

 日々に忙殺されて、非日常的な異常を見ようともしない。

 誰もが思っている。

 自分には関係ないと。

 レイスの存在はまだ理解されておらず、雷光灯はすべて撤去されてしまった。

 バルフ公爵に抗議をしたが、彼にできることも限界がある。

 一ヶ月ほど変化がなかった。

 もう安全だろうと思っても不思議はない。

 ラフィーナとブリジッド、それと珍しくコールと四人で街中を歩いていた。


「雷光灯はない、みたいだね」

 僕が落胆と共に呟くと三人は顔をしかめる。

「危険性はないと判断したのだろうな。まったくシオンの言葉を信じないとはな」

「……危険な状況……にならないと人は信じないから……」

「そうだね。しょうがないと思う」


 同じようなことを言われた場合、信じられるかと言われれば首肯できないだろう。

 他人の信用を得るには証拠や信頼が必要だ。

 そのどれも、僕は持っていない。


「そのレイスって魔物が現れるとも限らないだろ。

 それに俺も雷光灯が有効だなんて信じてないからな」

「コール! 貴様シオンが嘘を言っているとでも!?

 今まで何を見てきた! シオンが怠惰病患者のためにどれほど努力したか!

 睡眠時間を削り姉の看病をしつつ、母親の手伝いをし、怠惰病の研究をし、魔物討伐までやって、医師共の圧力を受けつつも折れず挫けず、その上で結果を出したのだ!

 世界中の医者が何もできずにいる中で、シオンだけが怠惰病を治療する糸口を見つけている!

 それは偶然ではない。そこに至るための努力と苦難があったはずだ!

 貴様は、少なくともその一部は近くで見ていたはずだ!」


 ラフィーナは怒りに顔を赤くしながらコールを睨んだ。

 その勢いにコールは渋面を浮かべる。

 そしてブリジッドは何も言わずに隣で何度も頷いていた。

 いやいや、えー……。

 何言ってんの。

 いつの間に、そんなことになってんの?

 美化されてるよね?

 僕はそんな大した人間じゃないのに。


「あ、あの、僕は別にそこまで」

「まともな医者を見下しているわけでも、その努力をなかったこととするわけでもない!

 しかしこの怠惰病に関してはシオンがいたからこそここまで来れた。

 これから治療できるかもしれない。そういうところまで来ている!

 レイスに関してもそうだ。シオンの魔法が、創作した雷光灯があったから、対策を練ることができる。

 その功績を見ても信じられないと!? そう言うのか!?」


 ええ……ま、待ってよ。

 なんでどうして二人が熱くなってるの?

 僕の話をしてるのに、僕は蚊帳の外だった。


「だ、だから僕は気にして」

「ああ! わかってるさ!

 こいつが、シオンがいるから怠惰病の研究も進んでるってな!

 俺達が何をしても患者に反応さえなかったんだ。

 だが魔力反応は確実に患者に影響を与えている。

 『反応をするようになってきている』ことは間違いない!」


 最近、軽度の怠惰病患者に対して魔力供給を始めた。

 もちろん患者の家族に許可を得て。

 バルフ公爵に無理を言って、何とか一人だけ軽度の患者をアルフォンス診療所に転院させることができたのだ。

 もちろん勝手にじゃなく、事前に家族に話を通してのことだ。

 その人を中心に魔力供給をして経過を見ている。

 ローズのおかげで人体に魔力供給をしても問題ないことはわかった。

 ローズ以外の人間に該当するのかはわからないため、油断は禁物だけど。

 彼女に試して問題ないと判断した魔力量と供給時間で、軽度の患者に治療を施している。

 そもそも治るかどうかもわからないが、ほんの少しだけ変化があった。

 ほんの僅か。

 しかし確実に。

 患者は『瞬きをした』のだ。


 怠惰病患者は軽度であっても瞬きをしない。

 目を瞑ったり開けたりはするんだけど、それは寝る時が起きる時だけ。

 そんな状態だから自発的に瞬きをすることなんてない。

 しかし魔力を供給している間、何度も瞬きをした。

 それだけの変化だったが、確実に反応があったという証拠でもあった。

 だからコールは認めてくれている。

 ただしそれは僕を認めてくれたわけじゃなく、単純に魔力が怠惰病患者に影響を与える、という部分だけ認めたということだ。

 瞬きをしたということが、治療に繋がるかどうかはわからない。

 しかし繋がる可能性はある。

 それだけで治療の糸口もない状態からは大きな進歩だと思う。


「ふん! だったらいいがな」


 ラフィーナはとりあえず矛を収めたが、コールは納得いっていないようだ。

 専門家である医師を差し置いて素人の僕が病の治療を行おうとし、しかもその研究に光明が見えたことに複雑な感情を抱いているのだろう。

 医師としては嬉しいだろう。

 しかし医師としてのプライド、師匠の立場などを考えている、って感じかな。

 別に手柄はいらないから渡してもいいんだけど、そう言ったらコールは怒りそうなんだよね。

 しかしラフィーナとコールは反りが合わないらしく、頻繁に喧嘩をしている。

 その原因が僕の場合もあり、何とも申し訳なくなる。

 気まずい雰囲気の中、僕達は歩を進める。

 この空気を何とかしたい。

 そう思い、僕は口を開く。


「ブリジッド。他の国の魔物はどうだった?」

「……レイス以外は同じ……状況、みたい……。

 新しい魔物の目撃証言はない……けど、強い魔物は多い、とか……。

 魔物学協会の情報網だから……魔物に関しては間違いない……」

「そうか。レイスはこの地域だけなのか。なぜなんだろう」

「わからない……でも色々調べたところ……もしかしたらレイスはルグレ戦争以前の……魔物かも。

 千年前にはもっと魔物がいた……らしいから……その中に、似た形態がいた、とか」

「……千年の間、目撃されたことは?」

「ない、と思う……少なくとも……そういう情報は魔物学協会には、ない……」


 どういうことだろうか。

 いくらなんでも千年もの間、目撃されなかった魔物と遭遇するものだろうか。

 可能性はあるだろうけど、にわかに信じがたい。

 それならば昨今、突然生まれたとか、出現したとか、何かの魔物の突然変異だとか言われた方が納得できる。

 あれはどう見ても生物とは思えなかったけど。

 とにかく現状ではわからないようだ。


「うーん、とりあえず保留かな。あれ以来、レイスは現れてないわけだし。

 話は変わるけど、そのルグレ戦争ってなんなの?」

「千年前の戦争……各国が協力して……魔族という種族と戦ったとか……。

 それ以前には、魔物が今より多くいた……。

 ルグレ戦争で魔物と魔族を倒したから……平和になった……らしい」

「らしい?」

「知らんのか? ルグレ戦争は眉唾物なのだ。

 伝説のような扱いをされており、歴史的根拠は薄いらしい。

 故にらしい、とブリジッドは言ったのだろう」

「この話、有名なんだ?」

「絵本にもなるくらいに有名だぞ。平民ならばまだしも貴族がどうして知らないんだ?」


 どうしてと言われても困るんだけど。

 知る機会がなかったからとしか言いようがない。


「それでルグレって意味は何なの?」

「………………知らん」


 ばつが悪そうにラフィーナは視線を逸らした。


「……ラフィーナだけじゃなくて……世界中で、知られてないから……。

 諸説あるけど……ルグレという名前の誰かが……各国を先導した、とか……。

 亡国の名前……とか……言われてる……」


 千年前の歴史の喪失、か。

 考えてみれば日本でも千年前の歴史が明確にわかっているかどうかもわからない。

 別の情報が出て、日本史の内容が変わることだってある。

 しかし世界を巻き込むであろう戦争にも該当するのかな。

 大規模な戦争だったからこそ資料がなく、時間と共に人の記憶から忘れ去られたんだろうか。

 ラフィーナが何とも気まずそうにしている。

 僕は思い付きで言葉を紡いだ。


「無知は恥ではない。無知であることを知らないことが恥なのだ」

「……なんだそれは」

「何か聞いたことがあるような気がする偉人の格言を僕なりにアレンジした言葉。

 今知れたから、それでいいかなって。まあ、今後に役立つかどうかはわからないけど」

「ふん、変な考え方をするなシオンは」


 ラフィーナに言われるとは心外だ。 

 彼女には彼女の騎士としての矜持があり、それに則って行動しているのだろうけど。

 僕達は歩きつつ、街中の様子を確かめた。

 すると声が聞こえてきた。


「やっと雷光灯が撤去されたらしいな」

「ああ。本当に面倒くさかったな。あんな脆いのを使うより、松明でいいっての。

 屋内ならばまだしも、俺達は歩き回るからな」


 二人の巡回兵が話しているようだった。

 こんな人が多い場所で、人目もはばからず内情を話すとは。

 イストリア兵の質の問題なのか、単純に彼等がそういう人格なのか。

 僕達は黙して耳を澄ます。


「見えない魔物、とやらがいるとかバルフ卿から通達があったらしい。

 んなわけねぇだろってのな。いたら、この一ヶ月でもっと報告あるしよ」

「だな。まったく無駄なことさせられたな。

 上はいつも無茶な要求してくるから、今回のはまあ面倒なだけで済んでよかったけどよ」

「……もう勘弁だな。公爵も無茶は言わないで欲しいぜ」


 愚痴を言いつつ兵達は去っていった。

 僕達はまた別の場所へ行き、守衛達の話や噂を集める。

 防壁、大通り、衛兵詰所、巡回兵の巡回路、門回り、裏通り入口など。

 数時間かけて目的のものを確認し終えると道の端に移動した。


「やっぱりどこにも雷光灯はないか。一つもないのはさすがに厳しいね。

 それと浮浪者の数は減ってる。

 魔力を持ってる人はいなかったし、怠惰病っぽい人はいなかったかな」

「となると怠惰病患者は減少傾向にあるってことだな。

 診療所に運ばれる患者も少ないし、間違いないな」


 コールは神妙な顔で視線を落とした。

 一ヶ月を目前にして、怠惰病を発症した患者の数は激減している。

 すでに数千人に及ぶ患者が、増えないのは喜ばしいことだが好転したわけではない。


「市民の中で怠惰病に関して話している連中は結構多かったようだ。

 しかし見えない魔物、レイスに関しての噂や会話はほとんどなかった。

 そして厄介なことに騎士、門衛、哨戒兵、官憲、そして……討伐隊の連中まで『レイスのことを警戒している連中はほぼいない』。

 これは情報屋と騎士隊内の情報通から入手した情報だからほぼ間違いない。

 先程、何度かすれ違った兵の多くもかなり気が抜けていた。

 見えない魔物がいた場合、あんな風にはならんだろうな」


 ラフィーナは僕達よりも兵士達の情報に詳しい。 

 頼んでいた情報と、先ほど街中を歩いて気づいた点を簡潔に教えてくれた。


「……夜に出現した見えない魔物を信じていれば……昼間も警戒する、はず……。

 別の魔物が現れるかも……しれないから……でもそんな様子はない……。

 雷光灯の有無だけじゃなく……兵士達の考えも……危ない……」

「このままだとレイスが現れたら間違いなく対処ができないね」


 バルフ公爵が雷光灯の撤回を止められなかったのなら、僕達にできることは少ない。

 兵士達に直談判しても意味はないだろう。

 交易で稼ぐためかそれとも商人ギルドの機嫌取りか、はたまた純粋な他国や国内への支援かはわからないけど、バルフ公爵は雷光灯の生産を僕に指示した。

 元々、二年以上もの間、僕はグラストさんと共に雷光灯と発雷石を作っていた。

 イストリア内、サノストリアへも輸出され、かなりの数が生産されていた。

 一般市民でも購入できるくらいの値段で販売したためか、屋内で使用している人は少なくない。

 しかし街灯代わりにするには強度が足りないためインテリアのような扱いにされているらしい。

 つまり外で雷光灯を配置してはいないが、家の中は比較的安全だということだ。

 レイスの侵入は防げるだろう。

 しかし外にいる兵士達は雷光灯を所持していないため対抗策がない。

 一方的にやられるだろうし、市民の誰もが雷光灯を持っているわけでもない。

 レイスに侵入された場合、街中は地獄と化すだろう。


「雷光灯は生産して、一定数は倉庫に保管するように頼んでる。

 何かが起こった場合、即座に対応はできないけど、少しは配れるように準備はしてるよ

「何事もなければいいのだがな……」

「そう……だね……魔物を調べることは好き……だけど、魔物は危険……」

「もしも何かあったら、シオンの言う通りなら、いざという時が来た場合……俺も手伝ってやる」


 三者三様の反応を見せる。

 しかし恐らくは誰もが平和を望んでいる。

 今日全員で行動したのはみんなで現状を把握するためだ。

 この三人ならば、何かあった時に行動してくれるのではないかと思ったから。

 容姿も性格も違うけれど、心根は一緒だと思う。

 できることならば、あの夜の出来事は一度きりであってほしい。

 怠惰病の治療を確立し、全員完治できれば。

 大丈夫。きっとそんな未来が待っている。


   ●○●○


 その日の夜。

 僕はあてがわれた自室で目を覚ました。

 疲労で身体が重い。

 ベッドから身体を起こす。

 トイレに行きたい。

 寝ぼけ眼で部屋を出る。

 廊下を進み一階へ降りようとした時、不意に鼓膜が震えた。


「そろそろ代わろう」

「あら、ありがとう。あなた」


 父さんと母さんの声だ。

 今日は数日に一度、父さんが来てくれる日。

 疲れているだろうに母さんを休ませるために、率先して姉さんの世話を診てくれている。

 この両親で、この家族でよかったと心から思う。

 みんなのおかげで、僕は幸せだと感じている。

 こんな変な子供でも愛してくれてることはわかっていた。

 そんな二人のためにも姉さんを治さないといけない。

 そう思い、僕はゆっくりと廊下を進んだ。


「シオンは」


 僕の名が聞こえると、思わず足を止めた。

 無意識の内に聞き耳を立ててしまう。


「シオンは私に呆れているだろうか」

「どうしてそう思うの?」

「……私は父としてシオンに何もしてやれていない。

 私の勝手で辛い思いをさせているはずだ。

 シオンに、魔法の力に頼り、苦労を掛けている。

 シオンはまだ十歳の子供なのに、だ」


 苦しげな声に、僕は顔をしかめた。

 父さんはそんなことを考えていたのか。

 そんなことはないと言いたかった。

 でも、僕の足は動かなかった。


「そうね。確かにシオンちゃんに頼りすぎよね。

 あの子は本当に優しい子。それに人よりも色々なことができるから。

 つい頼ってしまうけれど、まだ子供なのよね。

 ええ、確かに頼りすぎだと思うわ。でもそれはあなただけじゃない。

 わたしも、グラストくんも、バルフ卿も他の人も……そして恐らくはこの『世界』も。

 あの子を頼るしかなくなってるのよ」


 重苦しい沈黙がのしかかってくる。

 世界? 怠惰病のことだろうか。


「いつかシオンは私を恨むだろうか。

 憎まれるだろうか。蔑まれるだろうか。

 私は情けなくも、その時が来ることが怖くてしょうがない……」

「あなた、それはわたしも同じよ。

 わたしも怖い……自分が情けない。

 わたし達にできることは、あの子を愛することだけ。

 だからせめて愛し続けましょう。何があっても、どんな時でも。

 わたし達はシオンとマリーのために生きていきましょう」

「そう、だな。そうだ、そうだな」


 聞いたことがないほどに弱弱しい二人の声に、僕は途端に動揺した。

 聞いてはいけない話だったのかもしれない。

 何に対して話しているのか、それは僕にはわからなかった。

 ただわかったのは、二人ば悲しげにしていたということ。

 もしも僕がその原因なら、僕はどうしたらいいのだろう。

 大好きな両親が悲しむ顔は見たくない。

 僕はそっとその場を離れた。 


 きっと僕も恐れている。

 父さん達がひた隠しにしていること。

 それが何なのか知りたい気持ちよりも、恐れが強い。

 色々な疑問を父さんと母さんにぶつけて、その答えが僕達の関係を崩すものだったとしたら。

 二人を傷つけるものだとしたら。

 そう考えると足が竦む。

 だから僕は何も聞かない。

 そんな弱虫の自分を受け入れてしまっている。

 僕は頭を振った。

 知るべきこと、知らない方がいいことは確かに存在する。

 きっとこれは後者なのだと、自分を言い聞かせた。 

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