第126話 夢と真実と序章と策略

『虎……次さ……ん』


 腕の中で冷たくなる莉依ちゃんの頬を撫でた。

 一筋の涙を拭い、まだ温かい顔に縋るように触れた。


『死なないでくれ……ッ……莉依ちゃん、死ぬな……』

『ごめん、なさい……私、は……知って……いた……』

『莉依ちゃん!? な、何を、言って……ああ、だめだ、だめだ! 死ぬな!』


 莉依ちゃんの震える手を、俺はしっかと握りしめる。

 小さい手だ。

 こんな小さな身体で、ずっと俺を支えてくれた。

 共に歩いてくれた。

 信じてくれた。

 笑って、泣いて、怒って、悲しんで、抱きしめてくれた。

 なのに、俺は何も、何も彼女にしてやれなかった。


『あ……あい……あいして……います……ずっと、あなたを、あいし……て……』


 目に光がなくなる。

 目の焦点が合わず、俺の姿を見ていない。

 莉依ちゃんは空を見上げ。

 小さく笑い。

 そして、腕を落とした。


『莉依ちゃん……?』


 動かなくなった。


『莉依ちゃん、お、起きてくれ……な、なあ、寝てるだけだよな……なあ……。

 起きてくれよ、なあ、なあ……頼む、お願いだ、お願い……だから……ッ!』


 動かない。

 徐々に、体温も失われて行った。

 時間の流れがわからない。

 俺はずっと莉依ちゃんを見つめていた。

 もう動かないのだ。

 この世に、彼女の魂は存在しない。

 ずっと一緒だったのに。

 死んでしまった。

 死んで、しまった。

 彼女は幸せだったのか。

 まだ幼く、小さい女の子。

 不安の中、不安を口にせず、不安と戦った。

 俺と共に生き、好きだと言ってくれた。

 強い、けれどだからこそ不安になった。

 大丈夫なのかと、そう思いながらも、俺は彼女に何かできたのだろうか。

 莉依ちゃんが、力がないと、俺の力になれないと悩んでいたことは知っていた。

 だけど、俺はそれでよかったんだ。

 だって、それ以外に、彼女に報いる方法が浮かばなかったから。


 どれほど、助けられたかわからない。

 どれほど、救われたのかわからない。

 どれほど、愛していたかわからない。

 莉依ちゃんがいてくれたから、俺は生きている。

 なのに、その彼女が死んでしまった。

 喪失感が、俺の中にいつまでも残っている。

 莉依ちゃんが死んだ時から、今に至るまで、その喪失感は微塵も薄まってはいない。

 冷たく、人形のようになってしまった莉依ちゃんを抱きしめた。

 亡骸であることは知っているのに、離れられない。

 助けられなかった。

 その事実はもう揺るぎない。

 だから、せめて。


『俺は戦うよ』


 仇討ちじゃない。

 これは復讐じゃない。

 ただ、せめて俺が望んだ夢に、ついてきてくれた莉依ちゃんやみんなのために。

 最後までその想いを貫こうと思っているだけだ。

 ハイアス和国を作ったのは、この狂った世界からみんなを救いたかっただけだ。

 だったら、そのみんながいなくなったとしても。

 この世界を変革しよう。

 それが俺の願いだったのだから。

 その願いをみんなが信じてくれたのだから。


『俺は進むよ』


 俺は莉依ちゃんの墓の前にいた。

 最後に、莉依ちゃんに挨拶をして、俺はその場を立ち去った。

 ふと脳裏に莉依ちゃんの顔が浮かんだ気がした。

 その時の莉依ちゃんは優しく笑っていたような気がした。


   ●□●□


 ――目を覚ます。


 微睡んでいる中、天井が無言で俺に訴えかけてくる。

 睡魔がまだ俺に囁き続けている。

 それでも今日は起きなければならない。

 調子は悪くない。

 寝覚めはまあまあ。

 緊張はしているが、大丈夫。

 やるしかない。

 なぜならば。


「決行日だ」


 今日は、世界総力戦の日。

 最後の機会、世界が終焉するか、世界が救済されるか。

 その転機の日なのだからだ。

 俺は半身を起こして手のひらを見つめた。

 僅かに、震えている。

 今まで、これほどに恐怖したことはない。

 どれほどの死を乗り越えても、世界が滅ぶか否かの瞬間を恐れずにいることは不可能だったらしい。

 大丈夫、やれる。

 自信はないが、やるしかないのだ。

 俺は深く息を吐き、そして吸った。

 何度か深呼吸をすると、少しだけ気が軽くなる。

 よし。

 起きるぞ。


 と、

「……なんだ?」

 外から喧噪が響いていた。


 まだ朝のはずだ、なのに宿の前にある通りには人の気配が無数にあった。

 俺は窓を開けて外の様子を窺う。


「これは……」


 街中には無数の兵達が列をなして通りを進んでいる。

 一縷の乱れなく、行進していく兵達を国民達は不安そうに見つめ、あるいは興奮したように応援し、泣きじゃくり、狂信的な行動をとっている。

 まだ早朝。

 だが、総力戦の日なのだ。

 その光景は当然だった。、

 この世界は、もう狂って戻れない。

 神を殺さない限りは。

 喧噪は地鳴りとなりつつあった。

 鼓膜が酷く震え、気持ち悪くなってくる。


「殺せ! 殺せ! 敵軍を全員殺せ!」

「うおお! やってくれ! 聖神様の名の下に!」

「俺達が、エシュト国こそが最高の民族だ!」


 一部の国民は熱狂的だった。

 だが目は血走り、常軌を逸している様子だった。

 まともではなかった。


「ああ、どうして、こんなことに……」

「お、お母さん、怖いよぉ」

「大丈夫、大丈夫だからね……きっと、きっと」


 咽び泣き、悲嘆に暮れている国民もいた。

 泣き崩れ、身も世もないとばかりに慟哭している。

 人目もはばからず、彼等は、あるいは彼女達は世界を呪い、境遇を憂いた。


「い、今からでもどこかに逃げるしか」

「逃げるって、どこへだよ……ハイアス和国みたいに、滅ぼされるんじゃねぇのか。

 いい国だって聞いてたから、移住しようと思ってた矢先に……」

「オーガス軍……ううっ、僻地に逃げてもだめなのか……?」

「国から逃げた人間は見つけ次第殺されっぞ……。

 エシュトが滅ぼされても勝っても俺たちゃ地獄だ」

「世界中に平和な国はねぇのかよ!」

「あったら、こんなとこにいねぇよ。魔物もいるのによ……」


 未来を思い描くことができなくなっていた。

 世界は混沌とし、人々は絶望していた。

 これもすべて、神の思し召し。

 ――何が、神だ。

 神なんて、神話を見れば身勝手で、利己的で、欲望に忠実な最低な奴らばかりだ。

 聖神などと、自らを聖なるものだと称し、その実、やりたい放題しているだけ。

 子らのことを道具のように扱い。

 殺し。

 操り。

 そして……飽きたら、滅ぼす。

 まるでゲームだ。

 だが、この世界は現実だ。

 みんな生きている、必死で毎日を生きているのだ。

 命がある。無機物じゃない。

 奴は、俺達を取るに足らない存在だと思っている。

 だが俺や沼田が生きていることには気づいていない。

 なら、一矢報いる。

 いや。

 殺してやる。


 神を滅ぼし、この世界を救わなければ。

 それが死んでしまった人達への手向けとする。

 それが俺の願い。俺の責務。俺の宿願なのだ。

 死んだように生きるつもりはない。

 生きるために死ぬのだ。

 もう逃げない。

 神を殺すために。

 俺はそのためならば、すべてを捨て去る。

 前日に用意していたものをすべて携えた。

 荷物はほとんどない。

 いつも通り。この世界で一般的な衣服。

 絹や高級な魔物の素材を用いた服ではない。

 簡素で安価。

 だが着心地は悪くなく、動きやすい。

 ここ一年、ずっと着ていたような服装だ。

 鎧のような防具はつけていない。

 なぜなら無駄だからだ。

 神相手に、人間の作った防具など意味を成さない。

 それは武器も同じだ。

 だが、機動力を向上させるシルフィードは有用だろう。

 他にも……幾つか、用意しているが、奴に効くかどうか。

 小さな鞄を腰に装着して俺は部屋を出た。

 武器はない。素手だ。

 外に出ると、沼田が壁に体重を預け、腕を組んでいた。

 どうやら俺が出てくるまで待っていたらしい。

 いや、喧噪で目が覚めたのかもしれない

 沼田は顔右半分を布で覆っている。

 服は一般的な平民服。その上に簡易的な鎧を着けているが、神相手では意味を成さないだろう。

 外套を羽織り、腰には俺と同じように鞄を携えている。

 食料や着替えは必要ない。

 総力戦の地はドラゴンに乗ればそう遠くはないからだ。


「よう」

「ああ」


 短い挨拶を終えると、共に階下へと降りた。

 宿の主人はいない。 

 店を放って外に出て行ったらしい。

 同様に他の客も一階の休憩所にはいなかった。

 がらんとしている。

 まるで……世界の終りのようだ。

 俺は懐から、硬貨を出して受付に置いておいた。


「律儀な奴だな」

「別にいいだろ。ほっとけよ」


 やれやれと肩を竦めた沼田も、円貨を受付に置いた。

 二人して外に出ると、行進は続いている。

 人だかりの中、俺達は縫うように裏通りに進んだ。


「ったく暑苦しい。こんなことしてる暇があるんなら、他にやることあんじゃねぇのか」

「……色々と事情があるんだろ」

「事情、ね。俺には奴らが他人任せにしているだけにしか見えねぇがな」


 元も子もない。

 実際、全国の総力戦となれば、もっと国民全員が何かできることがあるのではないかと思う。

 だが、残念ながら国の方針に逆らうには強い意志が必要だ。

 彼等にはそれがないだろう。そうやって生きて来たのだ。

 なぜなら、この世界は聖神の神託を受け、神託に沿って国主導で行動し、それが当たり前の世界だったからだ。

 だから誰も疑問を持たない。

 疑問を持てば、聖神教の信徒や国を敵に回すのだ。

 世界規模の勢力に勝てるはずはないのだから。

 仕方がない。

 だが、その仕方がないという思いと洗脳じみた環境が、世界を終焉へと向かわせている。

 俺達は通りを進み、東門へと向かっていた。

 正門、つまり北門へ軍が進んでいるため、人が集約している。

 だから別の出口を利用しようとしているためだ。

 早めに出立するという考えもあったが、先んじて行動すると目立つ。

 それに、総力戦を隠れ蓑に、神に戦いを挑むつもりなのだ。

 もし、戦争なく、俺達が先陣を切れば、早い段階で気づかれる可能性が高いからだ。

 理想としては、総力戦が始まると同時に、神の不意を突き攻撃を仕掛けること。

 虚を突けば、勝機はある。

 そのための作戦だ。

 しかし、俺には大きな疑問が残ってもいた。

 やはり、おかしいのだ。

 この二週間、その疑問は拡大するばかりだった。


「……どう思う?」

「あ? 何のことだ?」

「だから、何度も言っただろ。神の意図だ。世界を滅亡させる手段に関して」


 先頭を走る沼田は肩口に振り返り答えた。


「戦争が終われば多大な犠牲が出る。世界中で内乱が起きる。

 世紀末の世界になりゃ、その内、人間も死滅するって感じだろ。

 前にも言ったけどよ、聖神は直接人間を滅ぼせねぇはずだ。

 おまえに関わった人間は殺したけど、あくまで特別扱いだろ。

 特異点だった。だから自ら排除した。

 それは神とは別の意思が働いたことによる弊害だから、淘汰したわけだ。

 そうしなければ、神達が築いた、この世界の均衡を崩すから。

 実際、奴はそう言ってたんだろうが」

「……だけど、ここは現代じゃない。人が生きていれば、また世界は発展する」

「そうするのが再創造ってことなんじゃねぇのか?」


 確かに、そういう発想もなくはない。

 だが、奴等は間違いなくこう言ったのだ。

 『世界を滅ぼす』と。


「それが滅ぼすってことになるとは思えないんだ。他に、何か、別の何かが」

「……仮にそうだとしても、俺達に知る手段は、今のところはねぇ。

 だったらやるしかねぇんじゃねぇのか?」

「そう、だな」


 沼田の言う通りだ。

 だが、どうしても引っかかる。

 もし、何か別の手段で、人間を滅ぼすつもりならば。

 直接手を下さないまでも、人類を滅ぼし得る方法があるのならば。

 例え、神を殺せても、その何かを止めることが俺達にできるのか。


「おい、急げ。ジーンが見つからないとも限らねぇ。

 大した問題じゃねぇが、騒ぎは避けたいからよ」

「ああ、わかってる」


 ジーンは、確かあのグリーンドラゴンの名前か。

 討伐隊として遠征した時には、こんな風に関わるとは夢にも思っていなかったな。

 奇縁なのだろう。沼田も、他の人間とも。

 しばらく走り、東門から外に出た。

 衛兵が一人もいない。

 ここまで素直に神託に従うなんて。

 まさか自国を守るための兵さえ、いなくなるとは。

 若者も、戦える人間も全員徴兵された。

 兵達がいなくなった国は、守りは存在しない。

 悪事に手を染める人間が暴虐の限りを尽くすことは、誰でも想定できる。

 それでも、どこの国もすべての兵を総力戦に投入しているに違いない。

 五国の統治者、王達がいなくなり、残ったのは聖神に陶酔している信徒達だけになったのだから。

 皇都から出て、しばらく走ると森に入る。

 丘陵付近にある、洞窟前に到着すると、沼田が口笛を吹いた。

 すると中から、ジーンがノシノシと歩き現れた。

 相変わらず見事な緑色の鱗で、安易に触れると痛そうだ。

 背中部分の鱗はやや柔らかく、人間が乗れるようになっているが。


「よしよし、いい子で待っていたみたいだな」

「ギュッ」


 妙な泣き声で答えたジーンだったが、俺を一瞥すると、フンッと鼻を鳴らした。

 こいつは沼田とナディア以外にはなつかないらしい。

 最初に出会った時よりは、人間っぽく見えた。


「さっさと行くぞ」

「ああ、時間がないからな」


 沼田と共に、ジーンの背中に乗る。

 間髪入れずジーンは空へと飛びあがった。

 強風が頬を打つ。

 風圧でのけ反りそうになりながら、必死で鱗や羽毛に捕まった。

 高高度に達すると、視界が広がる。

 地上は無数の点で埋まっていた。

 各地から集まる人間達が、中央の名もなき高山へと集結している。

 もちろん、高度を上げれば人の姿は見えない。

 そのため、かなり遠くの国までは視認できない。

 エシュト皇国から点の集合体はまっすぐ大陸中央へ向かっていた。


「まるでアリだな」


 沼田の感想はやや不謹慎だと思うが、実際、俺もそういう風に見えた。

 これから彼等は殺し合う。

 何のために戦うのか、その意思は自分の物なのか。

 それは彼等にしかわからないが、わかってもいないかもしれない。


「このままでいいんだな!?」

「ああ、このままでいい」


 俺は即座に答える。

 間違いない。

 この方向で合っている。

 飛翔から一時間。

 雲を翼で流し、ジーンは空を駆ける。


「見えてきたぜ!」


 正面に細長い山が見えた。

 印象的には、マッターホルンのような形状をしている。

 とがった山々の周辺には開けた空間があった。

 なるほど、あそこならば全兵が集まっても問題はないかもしれない。

 高みの見物、か。正におあつらえ向きの場所だった。

 沼田はジーンを更に上昇させ雲間に隠れながら近づいて行った。

 その時、俺は肌に麻痺するような感覚に襲われた。

 痛みとは違う。

 以前、何度も感じていたような。

 あの、感覚。

 これは『死と隣り合う者』のスキル。

 つまり、虫の知らせと同じ感覚。

 だが、俺にはそのスキルはないはずだ。

 ならばこの感覚は、スキルの残り火なのか。

 それよりも、俺は直感的に周囲を見回した。

 急激に温度が下がり始める。

 周辺の雲が晴れ始める。

 そして。


「お、おい、どうなってんだ?」


 沼田も異常に気付いたらしい。

 俺達の周りにあった雲が突如と消え、代わりに現れたもの。

 視界が異常な程に澄み、空は快晴。

 だがそれは俺達の頭上だけの話だった。

 周囲、大陸を囲うように曇天が迫っている。

 四方、八方、黒い雲、暗雲が立ち込めている。

 それが外界から内海、そして徐々に内陸へと達している。

 まるで。

 この日を、曇天たちが待ち受けていたかのように。

 黒い雲は青い閃光を時折、生み出していた。

 雷雲。

 それも隙間ない程の量の雲。

 空を覆う、その厚い雲がやがて大陸中を覆っていった。

 深更のように、暗い。

 煌めく雷が俺達の横顔を照らす。

 雷鳴が轟き、大陸中を貫いた。


「そう、か、これが」


 俺はようやく理解した。

 沼田が言っていた言葉。

 『自然大災害、大地震が不自然に収まったらしい』という言葉。

 それはつまり『神には災害を抑える力がある』ということ。

 裏を返せば『自然災害を起こせる力もある』ということではないか?

 そして、この世界はこのグリュシュナ大陸だけではない。

 外海、そこには陸があるはずだ。

 なぜならば『渡り竜の存在がある』からだ。

 だが俺達は、そして神でさえも、世界をこの大陸だけだと認識している。

 でなければ世界を滅ぼすという言葉のあと、言葉通り五国を戦わせようとしないからだ。

 つまり、この大陸にしか人間は存在せず、聖神自身もこの大陸が世界だと認識している。

 外海の大陸には、世界と呼べる文明も何もないのだとしたら。

 小さな疑問はあった。

 『なぜ竜は外海からわざわざグリュシュナ大陸に渡って来るのか』と。

 現在のグリュシュナ内の船舶技術では外海へ到達できない。

 それほどに距離があるのだ。

 なのに、渡り竜達はわざわざこの大陸にやってきているのだ。

 それはなぜか。

 この状況。

 外海から迫る曇天。

 空を覆う、雷雲。

 もしかすると。

 いや、これは。

 雨が降り始める。

 突如のどしゃ降りに、沼田が叫んだ。


「どうなってやがんだ!?」

「……抑えていたんだ」


 俺は思わず零した。

 沼田はなぜか憤りながら、振り返る。


「ああ!? なんだって!?」

「だから、抑えてたんだよ! おかしいだろ、おかしかったんだ。

 大地震を聖神が抑えたということが事実なら、他に大きな災害はなかったんだろ?

 それだけの災害は他になかった。いや、もしかしたら災害自体がほとんどなかった。

 違うか!?」


 一年前、山賊達が襲ってきた時、大雨になった。

 だが津波までは発展せず、災害自体の被害はなかったに等しい。

 それに僅かに引っかかってはいた。

 『ハイアス和国の港区画の造り』に関してだ。

 桟橋近くに漁師達の家があった。

 堤防はおざなり。

 大雨なのに、海賊達は簡単に港に停泊した。

 おかしい。

 水害が起きるならば、多少の対策はするものだ。

 漁村でも、多少は海から距離をとって造るし、堤防なり土嚢なりを作る。

 だが、ハイアス和国の港にはそれがなかった。

 オーガス軍の侵攻時にも、朱夏や莉依ちゃんの指示で土嚢をわざわざ作らせたはずだ。

 つまり、災害対策がほとんどされていない。


「そういや……大災害関連で色々と調べた感じだと、台風も津波も規模は小さかったな。

 地震は、むしろ大地震以外にはなかったかもしれねぇ」


 やはり。

 そういう過去の例がなかったからだ。

 だから対策も簡易的なもので終わっていたのだ。

 それはなぜか。

 聖神が災害を抑えていたからだ。

 だが、消し去ることはできなかった、あるいはしなかったのではないか。

 その煽りを外海にある大陸が受けた。

 その影響で渡り竜をグリュシュナ大陸で散見するようになった。

 災害の多い外海から逃げるように、グリュシュナ大陸へと逃げてきたのではないか。

 そして。

 もしも俺の仮説が正しければ。

 『聖神は、神は、もう災害を抑える必要がなくなった』のではないか。

 なぜならば俺達を滅ぼすつもりだからだ。

 あくまで試練、鍛練、成長のために俺達を生かしておいたのだ。

 駒がなければゲームは成り立たない。

 だが、もうその必要もないとしたら。

 そうなった場合。

 もし、戦争で勝利し、生き残った人達がいても。

 自国の民たちがいても。

 自然災害で、この災害で。

 全員が滅亡する、のではないか。


「おい、なんだよ、どうしたんだ!?」


 俺は神の無慈悲な考えを想定してしまった。

 そして、その考えは的外れでもないように思えた。

 過去の例、情報、俺の仮説を含めてみれば……。

 俺は沼田に仮説を話した。

 すると沼田は歯噛みし、顔を顰める。


「……辻褄は合ってる。もう奴は人間に試練を与えるつもりはねぇんだ。

 だから直接関わらないという条件さえ満たせればそれでいいのかもしれねぇ。

 自然災害は世界を創造した時にできた、文字通り自然なものだ。

 神には関係ない。直接手を下したことにはならない。

 間接的な……未必の故意ってわけか」


 神の怒り、神鳴り、雷。

 神の激昂が生み出した雷に伴い、雨は続き、水害を伴い、大陸は沈む。

 津波に流され、自身の引き裂かれ、雷に打たれる、嵐に飛ばされる。

 そうなれば。

 人類は。


「二段構えだった……わけか。くそ! おまえの言う通りだったってのかよ!

 神は、自分で勝手に造って置いて、こんな勝手な終わり方をさせんのか!」


 沼田は叫んだ。

 その姿は純粋な叫びのようにも思えた。


「これじゃ、あいつを倒しても、神を殺しても世界は滅んじまう。

 それじゃあ、あいつが生きられない……」


 沼田の頭にはナディアのことしかないようだった。

 しかしその言葉通り、神を殺してもこの災害は収まらない。

 神が抑えていたのだ。

 その影響がなくなれば、自然が猛威を振るう。

 だが、どうすることもできない。

 ならば。


「倒そう」

「……クサカベ?」


 沼田は困惑したように俺を見た。


「倒すしかない。その後、どうなっても、そうするしか手はないんだ。

 そのために、おまえはずっと耐えてきたんだろ? 俺もそのためにここにいる。

 だったら倒そう。奴を、神を殺そう。その後のことは……今は、考えない」


 沼田は苦虫を潰したような顔をした。

 だが、やがて嘆息し、無理やりに自分を納得させたようだった。


「そうするしかねぇ、か」

「ああ、それしかない。今は」


 どうしようとも。

 神は殺さなければならない。

 そうしなければ、この世界も、俺達も前に進めないのだから。

 生きるために、神を排除する。

 それが、俺達人間の、異世界人がすべき使命なのだと、俺は確信していた。

 何の因果かは知らない。

 だが、そんなことは関係ないのだ。

 ただ俺がそう望んだ。

 それだけのことなのだから。

 俺達は名もなき高山へと向かった。

 そびえ立つ山々はもう目の前にあった。


   ●□●□


 エシュト皇国。人口六百万程。兵数十四万。内、魔兵数四万。

 オーガス勇国。人口一千二百万程。兵数十五万。

 ケセル王国。人口九百万程。兵数十一万。

 トッテルミシュア合国。人口一千万程。兵数十二万。

 レイラシャ帝国。人口千三百万程。兵数十八万。

 総勢七十万もの兵がグリュシュナ大陸中央、名もなき高山周辺、平原へと集まっていた。

 荒涼とした土地を取り囲む鬱蒼とした樹林まで及び、なおも後方へと伸びる隊列。

 空から望めば、地上は無数の人影で覆われ、闇夜の中、松明がそこかしこで掲げられている。

 日程の変更はない。決行時間も決まっている。

 まもなく、歴史に類を見ない、大規模戦争が始める。

 否、これは戦争ではない。

 ただの策を弄せぬ愚行に他ならない。

 神は空から見下ろす。

 高山の頂上に座り、優雅に周辺を傍観している。

 地上の子等は神のことを知らない。

 己の執心している神がこの世にいないことも。

 すでに創造神へと戻り、一体となっていることも。

 この神託はただの戯れであり、己で定めた不安定な規範に則っていることも。

 だが、己が定めた規範だ。

 神を律することができるのは、また神しかいない。

 神は唯一の存在。ゆえに、神を律することができるのは神である己のみである。

 神は憂いた。愚かな子等を見下ろし、なぜこうも愚かなのかと嘆いた。

 神託に従わなければこんな未来にはならなかったのかもしれない。

 だが、神の啓示を一身に受け、従わせるようにしたのも神自身だ。

 もしかしたら、己の意思に逆らう存在が現れることを望んでいたのだろうか。

 だが実際、そのような存在が現れた時、神は排除した。

 やはり神以外に、この世に強い影響を及ぼす存在がいてはならないのだ。

 神が神たる所以は一つ。

 神の意思が全てを決める。

 すべては神により、神のためにあり、神が行い、神が認める。

 始まりは神により、終わりもまた神による。

 そうでなければ、許されない。それがこの世界の掟なのだから。

 そうやって造ったのだ。ならば次もそのように創造しよう。

 まずはこの世界を滅ぼし、この世界をなかったことにしなければならない。

 失敗作は汚点以外の何者でもないのだから。

 すでに外海部に置いての災害の緩和処置は停止した。

 これで大災害による被害は甚大。間違いなく、人類は滅亡するほどの規模だ。

 それを止められるとすれば、神のみ。


『馬鹿な』


 一瞬だけちらついた存在に、神は自嘲した。

 あり得ない。

 ただの人間に、そんな力があるなどと。

 あの男は殺した。その影響を受けた存在も全て。

 ならば憂いはない。

 神たる、完璧たる、創造神がたかが人間を気にする必要もない。

 神は地上を見下ろす。

 神託通り『人間達』は時が来るまで素直に待っている様子だった。

 規範は守るためにある。

 神託も従うためにある。

 そう、それでいい。

 神の言葉だ。

 従っていればいいのだ。

 結果、死に絶えても、満足だろう?

 神の言葉を受けられたのだから。

 だから神託に従っているのだろう?

 盲目的に従えたのだ。

 これ以上の幸福はあるまい。

 知らないということほど、幸せなことはないのだから。

 さて、どの国が勝つか。

 どれくらいの人間が生き残るか。

 見物だ。

 停滞していた日々の中、異世界人という不確定な存在を許した。

 それは間違いだったが、瞬間的に興味をそそられたこともあった。

 平穏で退屈な日々よりはマシだったが、あれは失敗だった。

 次は、もっと、そう、自分の裁量内で収められる、ある程度の刺激でいい。

 あんな、奇妙な輩はもう必要ない。


『さて、始まるか』


 もうすぐだ。

 もう、始まる。

 開戦し、その後、世界を滅亡させるべく、自然が襲ってくる。

 終末の時だ。

 だが経緯は神にもわからない。

 だがら面白いのだ。

 リーシュという名の僅かな良心はもうすぐ消えうせる。

 アスラガという名の変革を望む異端な思考も消失目前だ。

 まさか分離したことで、突然変異が起こるとは思いもしなかった。

 やはり神は己のみでいい。

 別れては不都合が多すぎる。

 次からは、同じ轍は踏むまい。

 神は地上の人間達を見下ろしていた。

 そして僅かに高揚していた。

 自分で築き上げた世界を壊す瞬間なのだ。

 喪失感と得体のしれない快感を促している。

 完成させたものを壊す悦楽。

 これまでそうやって創造と破壊を繰り返したのだ。

 これからもそれは変わらない。

 また世界を作り、また壊す。

 それでいい。

 それが、神の唯一の楽しみだった。

 悠久の時を生きる神にとっても、世界の創造から破壊までの年月は短くはない。

 この時を待ち望んでいたのだ。

 そう、神はそれだけのために世界を造っている。

 滅亡を目前にし、神は状況に酔っていた。

 楽しみにしていたおもちゃをようやく手に入れた子供のように。

 表情には出さないが、酷く興奮していた。

 だから。

 背後に迫る存在に気づくには時間を要した。

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