第94話 多重城郭都市

 建国から数日が経過した。

 俺は執務室で業務に勤しんでいる。

 視界には羊皮紙が多くを占めていた。

 文字の羅列は見飽きたが、そうも言ってはいられない。

 内容は、国民からの要望や、各局からの報告、意見などだ。

 やれ亜人達と別の場所で働きたい。

 やれ人間の臭いに耐えられないので香水を止めさせてほしい。

 やれ食事に偏りがあるのでもっとおいしいものが食べたい。

 やれ交通の便が悪すぎる。

 やれ娯楽がないので何か考えて欲しい。

 等々。

 大概は取るに足らない内容だが、亜人との関係は無視ができない。

 日々、亜人と人間の軋轢は一層深まるばかりで距離を縮める様子は一切ない。

 自国は亜人との共存を謳ってはいるが、快く受け入れている人は少ないわけだ。

 頭が痛いが、強硬手段をとるわけにもいかない。

 こればっかりはゆっくり解決するしかないだろう。


「……終わった」


 半分は。

 まだ半分、机に山積みになっている羊皮紙がある。

 この世界の製紙技術はまだ発展途上で、羊皮紙が基本だ。

 綺麗な紙なんて存在しないし、羊皮紙だけでも結構な値段になる、らしい。

 ただ、ハイアス和国はそういう雑貨は異常に余っているため然程問題にはなっていない。

 今後を考えれば、この状況はよろしいとは言えないが……。

 それはさておき。

 一先ずの報告書や要望書に目を通した俺は、目頭を押さえて背中を伸ばした。

 不思議なことだが、どれだけ鍛えても、どうやら事務作業には関係ないようで、疲れる。

 一定時間座ると、お尻が痛くなり立ち上がって動きたくなるのだ。

 なんだろうな、これ。

 人間だからなのかね。

 強くなろうとも睡眠や食事が必要なことと同じようなことか。


 ハイアス和国は著しい人材不足だ。

 人自体が少ない。

 国民がいない。

 子供から老人まで仕事を与えてようとはしているが、全員が働けるわけではない。

 それに、働き盛りの若者の数が少ない。

 そのため、必然的に『一部での業務には』手が足りない。

 ブラック企業真っ青の実情、というわけだ。

 もちろん休日や休息は与えるし、食事も十分な量を配布している。

 要望にはできるだけ応えるし、意見陳述には目を通している。

 ただ、人口が増えればまた状況も変わりそうだが。

 俺は机に突っ伏して目を閉じた。

 二日間寝てない。

 いくら鍛えても寝ないといけない身体なのが不便だ。

 ……贅沢は言えない、か。


『和王様ともあろう人が、なんともだらしない格好だね』


 頭の中に響いた声に、俺は一瞬だけ意識を奪われる。

 動揺はない。

 聞き慣れた声だったし、何より、脳内で声が聞こえることは知っていたからだ。


「誰も見てないし、いいだろ」

『そりゃそうだね。でも、オレは見てるよ』

「……そんなこと言われたら、俺は一生休めないだろ、リーシュ」


 姿は見えないのに、肩を竦めた姿が浮かんだ気がした。


『で? どうだい? 王様になった気分は』

「……正直に言っていいか?」

『どうぞ?』


 俺は長く深くため息を漏らし、気だるげに答えた。


「楽しい」


 間髪入れずに、くすっと笑い声が聞こえた。


『楽しそうには見えないね』

「寝てない分、身体は怠いけど、頭は結構働いているんだ。

 今までは戦うばかりだったからな、こういう経営的な感じは嫌いじゃない。

 まあ、失敗が国民に影響を及ぼすから、重責もあるけどな」

『それは結構なことだね。

 自分で決めたのに逃げたいとか言ったら、さすがのオレも怒ってたよ』

「……ちょっとそれは思ったけどな」


 だって休みがないんだもの。


『やれやれ、国民が聞いたらどう思うかな。

 君の考えに賛同し、着いてきてくれたのに』

「内密に頼むぞ」

『オレはここから離れられない、そこには行けないし、誰とも会えない。

 内密にするもなにも話せないよ。異世界人以外には接することを許されてもいない』

「弊害か」

『必要になったら呼んでよ。ただし忘れないで。

 オレの力は仮初めのものだってことをね』

「……わかってるさ」

『ならいい。それじゃそろそろ行くよ。

 君の小姑が現れたようだからね』


 リーシュの気配が離れていく。

 もう話しかけても彼女に俺の声は届かないだろう。

 それにしても、小姑とは……言い得て妙だな。

 最後の言葉を脳内で反芻していると、扉が叩かれた。


「入れ」

「失礼いたします」


 入って来たのはハミルだった。

 ここ数日でハミルがこの部屋を訪問した回数は十や二十ではすまない。

 仕方がないことなのだが、もうちょっと回数を減らして欲しいところだ。

 ハミルは机前まで近づくと、一礼する。

 そして、携えていた羊皮紙の束を机に置く。


「現在においての、各局の詳細な報告です」

「ごくろうさん」


 事前に頼んでおいた報告書だ。

 各局からの要望や意見とは別に、総合事務局の監査を担当させた人間からの報告になる。

 つまり、外部の人間による、客観的な各局の状況報告書だ。

 俺は中に目を通した。


「…………物資は十分、か。

 やはり問題は人員だな。ただ、現状を鑑みれば一応は回る感じか」

「はい。人員もですが、問題は他にもあります」

「……緊急性の欠如だろ?」

「その通りです。我が国は、不幸中の幸いにも現段階では『生活に不自由がありません』。

 そのため、何をしていいのか、どのように生活すべきかの指針が不明瞭です。

 街が瓦解していれば修繕し、食料が足らなければ狩猟や農耕をしますが……。

 結局、一部の国民はいつも通りの生活をしつつあります。

 一応、警備局や医療局への手伝いをするように指示してもいますが、反応は芳しくありません。働き盛りの人は少ないですからね」

「……仕事の数が少ない、ってことか」


 オーガス軍の侵攻を止めたのは俺や莉依ちゃん達だ。

 参加していた人間はそう多くはないし、その中でも敵の姿さえ見ていない人も多い。

 そのため、戦争をしていた、殺される直前だったという意識が薄いのだ。

 だから危機感も足りない。

 結局、自分達で国を栄えさせようという人間ばかりではないということだ。

 残念なことだが、誰しも気力を十分に満たしながら生きることは困難であることは知っている。

 時間が空けば興奮は治まるからだ。

 そのため管理が必要になり、多少の強制力がいる。

 現状、無料で食料を配布しているし、住居もある。

 堕落しやすい環境にあるのは間違いない。

 それにしてもさすがに早すぎる気はするが……元々、そういう腹づもりだった人間だったのだろうか。

 そうは思いたくはないが。

 建国に際し、俺達の決めることが多すぎて、指示が的確にできていないのが問題だ。

 はっきりいって、今は仕事をする場所が少ない。

 基本的に総合事務局、医療局、警備局、開発局、障害局の五局に人を分散させているが、それでも仕事自体はまだ多くはない。

 指示系統のトップである俺が、何をするのか、という指示を明確にできていないせいだ。

 もちろん、狩猟採集や、ネコネ族の連れて来てくれたカシウという牛のような動物の乳を搾ったりもしている。

 時期を見て屠殺もするだろう。

 だから少量ながらも食料の補充はしているわけだ。

 ネコネ族と一部の人間によって狩猟採集は行われているが、専門的な分野だ。

 素人がこなせる役割ではないので人員を増やすのは難しい。

 漁師達は外部の新人を入れたくはないと言っている。

 無人の家屋に残っている物資の回収は総合事務局の人間に任せている。

 国民に任せるには些か、危険性を孕んでいると判断したからだ。

 悪い言い方をすれば盗みを働く可能性を考えているということ。

 ただし、事務局の人間に対しても全幅の信頼を置いているわけではない。

 一応、所在を明確にし、責任を持って業務に当たっているという体裁を保っているから、という程度の理由に過ぎない。

 物資回収、食料の確保、住居の管理、各種書類作成、商人ギルド内の物資管理、開発局開発業務などなど、仕事はいくらでもあるが、どれも専門性が強いか、一部の組織的な責任を伴うものばかりだ。

 つまり、現状で仕事を割り振れていない国民は、それ以外の人間ということ。

 専門的な知識や技術がないか、経験がない、あるいは幼いか年老いている人達だ。

 前述の仕事は素質や経験が必要なものもあれば、先んじて組織に属していることが条件なものもある。

 それは人員的に偏りを防ぐためでもある。

 現状、五局においては警備局以外では人が足りているのだ。

 だから他の仕事を作らなければならないのだが。

 すべての仕事に総合事務局が噛んでいる。

 そうしたのは俺なのだが……それでいいのだろうか。

 俺は、数日前に亜人達や漁師達から、情報ギルド連中の杜撰な対応を聞いた。

 ハミルに、担当した人間への懲罰を指示したところ、すでにその連中は街からいなくなったことを聞いたのだ。

 ……粛清したのか、それとも単純に邪魔になったのか。

 軋轢を生むのが目的なんだろうか。

 それにしてはあっさり解決したが。

 それとも別の……例えば俺の評価を上げるため、とか?

 いや、まさかな。そんなことのために、一部の人間を使い捨てるなんてするはずがない。

 俺はちらっとハミルを見た。

 機械的な冷たさを双眸から感じた。


「同盟文書の返答までには、ある程度の方向性は決定しておかなければならないでしょう。

 ケセルに対しても、国家の方針を示す方が将来性を主張できます」

「……今のままじゃ、ただの烏合の衆だからな。

 オーガス軍を退けた異世界人がいる、というだけでは説得力に欠けるし。

 色々考えた結果、やっぱりこれしかないと思うんだけど」

「どのような内容で?」

「ハイアス和国は、現状商業都市の延長線にある。

 その方向性は維持するつもりだ。

 トリドル族の移送能力と港の存在からして人の流入は他の街よりはしやすいからな。

 ただし、エシュト皇国の領地内であることから、安易に領地を広げられない。

 でも、ここら辺は発展した都市がないから諍いは生まれにくいし、エシュトが動かない限りはある程度は勝手に領地を広げられる。

 そこら辺は、動向を見てって感じだな。

 ちょっと盗人っぽくて気は引けるけど……勝手に都市国家を設立した時点で今更か。

 俺達は弱小国だ。現状、領地はこの都市だけ。

 離れた場所に村や町を作っても人が足りないし、防衛する軍力もない。

 兵力の大半を担う俺は一人しかいないからだ。

 つまり、住居を分散されたら攻撃してくれと言ってるみたいなもんだ。

 となるとハイアス和国が進む道は一つしかない」


 答えを言うでもなく、相槌をするでもなくハミルは黙して俺の話を聞いている。

 真剣な表情で、一言一句聞き逃さまいとしているようだった。

 俺は一拍置くと、再び口を開く。


「多重城郭都市を目指す」

「……それは一体?」

「そのままの意味さ。

 現在、ハイアス和国以外の都市でも城郭を以って、都市を囲い防衛に対応しているだろう?

 それを連ならせる。何十も外殻を作り、その中に都市を作るわけだ」

「……それですと相当な労力がかかりますが。

 それに資材が相当に必要です」

「資材ならあるじゃないか、大量に。それも不必要なものが」

「まさか、都市内にある無人家屋を解体するおつもりで?」

「その通り。都市内の大半の家屋は放置されている。

 住人が帰ってくる可能性も……まずないだろう。

 移住者が来るまで放置するのはもったいないし、邪魔だ。

 だったら最大限に利用するべきだろう。

 幸い、石材と木材は城郭に活用できるからな。

 解体した後、現在の城郭を補強し、その後、二重の城郭を作る。

 もちろんかなりの時間がかかるだろう。

 しかし手持無沙汰の人間はいなくなるだろうし、今後の方針も決まる。

 すべての城郭作成を家屋の解体資材だけでは補えないから、その内、資材調達班を設立して遠征させる必要はあるだろうな。

 ただ、どちらにしてもいずれ石材、鉱石、材木とかで色々必要になるからな。

 それと、家屋を解体した後の土地には畑を作る」

「……なるほど、なるほど。そうですか、つまり和王はこう言っているのですね。

 生活に必要なすべてを都市内で補う、と」

「ああ、多重城郭都市というのは何もただ壁で何重も覆うというだけじゃない。

 各エリアで農耕をしたり、放牧をしたり、漁をしたり、開発をしたり、と分ける。

 そうすることで各業務に適した環境を作り、都市内だけで全てを補うわけだ。

 海岸だと塩害が多くて畑を作れなかったりもするわけだから、多少離れた場所に位置させる、とかな。

 城郭を強固にすれば防衛力の向上が望める。

 ある程度時間が稼げれば『俺や警備局の連中が到着するまでの時間も稼げる』だろうからな」


 俺の言葉を聞き、ハミルは何度も自問自答するように頷いていた。

 そして不意に顔を上げる。

 その表情はどこか子供っぽく見えた。


「さすがは和王。そのような発想は聞いたこともありません」

「普通はしないだろうな。

 豊富な土地や資源があるなら、一所に住居を築く意味はない。

 輸出入国家とかなら、別だろうけど……。

 まずはそうだな、港から遠い西方区画の家屋の解体から始めてくれ。

 土地が空き次第、ネコネ族達が連れて来たカシウの飼育小屋を作成。

 その後、ここら一帯で作成可能な農作物を調べて欲しい。

 ネコネ族なら知ってるかもな。

 あと位置関係による、動物や畑の『臭い』には気を付けるようにな」

「かしこまりました、そのように」


 ハミルは僅かに興奮した様子で部屋を出て行った。

 音がなくなると、俺は椅子にもたれかかる。

 これも以前から考えていた内容だ。

 リーシュの神域で建国を考え付いた時から、この方向の発展しかあり得ないと思っていた。

 ゆったりとしていたら、また声が響いた。


『中々面白い発想をしているね。この世界にはない国になりそうだ』

「……おまえ、気配もなくいきなり現れたり消えたりするのやめてくれないか?」

『いいじゃないか。オレは暇なんだ。ただ待ってるだけってのも辛いもんだよ。

 で? 上手くいきそうかい?』

「同盟のことか? 国の繁栄のことか? それとも聖神のことか?」

『全部、かな』


 曖昧な言い方に俺は逡巡する。

 けれど、答えは決まっている。


「上手くやるさ」


 上手くいくかなんてわからない。

 だから、上手くやるために全力を尽くすだけだ。

 俺は目を閉じて、少しだけ睡魔に身を委ねた。


『信じてるよ』


 意識が遠のきそうになった時、囁くようにそう聞こえた気がした。

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