第53話 逆襲のグリーンドラゴン

 洞穴への入口は幾つもある。

 深さはさほどないが、隘路となっており、ドラゴンが住む空間で集束している。

 俺達は幾つかの入口付近に竜燈草を積み重ねた。

 水気は飛んでおり、着火しやすそうだった。

 見た目はただの茶褐色の葉だ。

 これが本当にドラゴンの嫌う煙を出すのか。

 そして追い払うほどの効力を発揮するのだろうか。

 俺達はあまり音を鳴らさないように作業をしていた。

 隣には莉依ちゃんと結城さん。

 近くにディッツとロルフがいる。


 ドクンと心臓が高鳴る。

 鼓動は徐々に早くなり、留まることはなかった。

 何かが俺の中で膨らむ。

 その違和感は収まることを知らない。

 ネコネ族の集落付近で一度感じた違和。

 虫の知らせにも似た感覚は時折感じ、そしてここに来てさらに大きくなっている。


「どうかしたんですか?」


 莉依ちゃんが可愛らしく小首を傾げた。

 その所作に、僅かな安らぎを得た俺は、平静を取り戻す。


「いや、何でもない、と思う」

「何か、気になることでも?」

「……わからない。わからないけど、何かが気になってる」

「気になってる……?」


 原因を突き止めたくても、形が不明瞭なままだ。

 いつから、どこから、何を、どんな場面で俺は最初にこの違和感を抱いたのだろうか。

 何かが変わった、何かが変わらなかった。

 その岐路を思い出そうとして思い出せない。


「どこか……いや、何だろう。何か、強い違和感が」


 転移してからのことを思い出す。

 今までの経緯。

 その中で、俺はどういう風に思い続けていたのか。

 そこにヒントが隠されている気がした。

 俺はなんとなくロルフに話しかける。


「なあ、竜燈草って、本当にドラゴンに効くのか?」

「うん? もちろんさ、有名な話だからね」

「俺も聞いたことがあるぜ。

 傭兵だけじゃなくて、物語の中でも登場するくらい一般的だからな」


 ロルフもディッツも同意見らしい。

 他の傭兵も反論はなかったし、竜燈草の効能自体に問題はないようだ。

 しかし俺の中で焦燥感は強くなる。


「……これが竜燈草っていうのは間違いないんだな?」

「そりゃそうさ。だって団長が手に入れて来たんだよ?」

「シュルテンが?」

「懇意にしている商人がたまたま持っていたんだってさ。

 ドラゴンの噂が出始めた時から、団長は竜燈草の入手しようとしていたらしい」

「それでたまたま知り合いの商人が持っていた、と?」

「そう聞いているよ」

「……じゃあ、実際に竜燈草を見たことがある奴はいるのか? これ以外で」

「いないと思うけど」


 鼓動が早くなる。

 ロルフの言葉通りなら、目の前のこの植物が竜燈草である証拠はない。

 根拠は商人であり、団長がそうであると判断しただけだ。

 逆説的に言えば、どんな植物でもこれが竜燈草だと言われれば信じてしまう可能性がある。

 植物に詳しい人間がいる可能性もあるが、そう多くはないだろうし、竜燈草以外の珍しい植物で、ある程度入手が容易なものを揃えればいい。

 いやいや、何を考えているんだ。

 まるでシュルテンが謀っているかのように考えている。

 そんなことをする理由がない。


「よし、それじゃ、火をつけよう」


 自問自答の中、号令が聞こえる。


「さっさと終わらせようぜ」

「これで家に帰れる」

「ドラゴンもいなくなって万々歳だな!」

「途中までどうなるかと思ったけどよ、無事終わりそうでよかったぜ」


 緊張感はほぼなかった。

 シュルテンへの信頼を窺わせる。

 誰一人疑っていない。

 俺もそうだった。

 しかし、俺だけはそう思うべきじゃなかった。

 突然の転移、死にかけ、何度も死に、最悪の状況の中、生き続けた。

 魔物に三百に及ぶ回数殺され、拷問され、人質をとられ、最低の条件の中、生き延びた。

 そして朱夏に助けられた。

 それからのことを俺は素直に受け入れてはいけなかった。

 俺は不幸なのだ。

 どれに作用しているのか、関連はどこまでなのかは判断がつかない。

 だが、俺の特性は忘れてはならなかった。

 ここ二ヶ月充実し、順風満帆だった。

 それは真実だったのか疑い続けるべきだった。

 ここまで。

 今まで。

 何から何まで。


 『都合が良すぎた』


 どこからどこまでなのか、判然とはしない。

 真贋を見極めるには複雑すぎる。

 だが、すべてを鵜呑みにすべきではなかった。

 Cランクになった当日にドラゴン討伐の説明を聞いた。

 街の危機を救えるギリギリの状況だった。

 翌日に出立し、脱落者は多数、その中でなぜか俺達が傭兵団に入団を促された。

 理由は確かにあった。だが、今思えばあまりに突飛だったように思える。

 まるで俺達を逃さないように、取り繕うように。

 内密な話をし、内をさらけ出すことで信頼を得ようとしているように。

 最初から竜燈草を使うつもりだった?

 希少なものなのに『ドラゴンに遭遇することも稀有なのに』事前に用意できるか?

 討伐は困難であると判断していたから用意していた?

 最初から傭兵団だけで竜燈草を使い、追っ払えばよかったのだ。

 彼等にはそれだけの人数がいたはず。

 最初から討伐を視野に入れなければ、参加者は十分確保できていたはず。

 失敗した時の保険のためかもしれないが、それならば余計に最初から言うべきだ。

 俺達外部の人間の参加を必要としていたんじゃないか?

 なぜ?

 そこから繋がるのは、俺達が異世界人であるということがバレているのではという考え。

 懐疑的になれば疑問は生まれ続ける。

 すべての発端は誰だ?

 すべての情報は誰から流れている?


「虎次さん?」

「ど、どうしたの?」


 莉依ちゃん達が俺の顔を覗いている。

 彼女達の表情には俺への気遣いが浮かんでいる。

 それだけで、俺がどんな顔をしているのか想像できた。


「……ダメだ」

「え?」


 危険だ。

 何が危険かはわからない。

 確たる証拠はない。

 けれど、このまま進んではいけないという警鐘が鳴った。


「止めないと。燃やしたらダメだ!」

「と、虎次さん!」


 俺は衝動的に火打ち石で着火しようとしている人間を突き飛ばす。


「な、何するんだ!」


 突然の出来事に憤慨している男を一睨みする。

 怒りから一転、男は青ざめながら口をつぐんだ。


「中止させるんだ!」

「え、ど、どういうこと?」

「とにかく止めてくれ! 結城さんはここに残って! 莉依ちゃんは反対側に!」


 俺は岩壁を右方から回り込むことにして、莉依ちゃんには左方向を頼んだ。

 しかし、あまりに突発的で二人は動けない。

 杞憂ならそれでいい。

 勘違いなら、俺が恥をかくだけで済む。

 後で全員に責め立てられても構いはしない。

 もし、俺が感じている不安が的中したら。

 取り返しがつかないことになる。

 信じろ、自分の直感を。

 これは曖昧なものじゃない。

 


●パッシブスキル 

 ・死と隣り合う者

   …死を熟知した者の証。危機感知能力が向上する。いわば虫の知らせ。



 このスキルが『死に直結する出来事以外にも反応するスキル』だったとしたら。

 単純な危険に反応するスキルだったとしたら。

 今まで、小さな違和感を抱いたことはあった。

 しかしそれは小さく、慎重にならなければ気づかない程度のものだった。

 それが、今はこんなにも大きな反応をしている。

 俺は不幸で、俺は偶然の女神に愛されない。

 最悪を想定し続けなければならなかった。

 都合が良ければ、裏があるのではないかと考えるべきだった。


 裏切り。

 不幸。

 その顛末。

 俺は経験したはずだ。

 愚鈍になっていた。

 一度起きても、二度は起きない。

 自分だけは大丈夫などという、根拠ない自信を抱くような愚かな人間に陥っていた。

 洞穴への道は離れており、各班が着火と風送りを担当している。

 全力で走れば間に合うかもしれない。

 せめて俺だけでも止めなければ。

 騒然としている中、俺は走り出す。

 だが、行く手を遮る人間がいた。


「待ちたまえ、トーラ君。君は何をしている?」


 ロルフは不愉快そうに顔を歪ませていた。

 今まではどこか愛嬌があったが、今は完全に機嫌を損なっており、敵意さえ漂わせている。


「……どいてくれ」

「悪いが、君が何をしようとしているのか理解ができない。

 何が不服なんだ? 今まで上手くやってきたと思うんだけどね」

「説明している暇はない」


 避けて進もうとしたが、ロルフはそれを許さない。

 横に移動し、道を塞ぐ。


「どけ」

「君とは仲良くなれそうだと思っていたけれど、どうやら僕の見込み違いだったらしい。

 ただの傭兵か旅の人間にしてはおかしいと思っていたけど、どこの回し者だい?

 まさか……隣国の人間かな?

 そこのドラゴン、渡り竜かと思っていたけど、君が差し向けたわけじゃないよね?」

「何を言っている」


 力ずくでどうにかしてもいいが、事の重要さに気づいた他の傭兵達もロルフに加勢し始めた。

 俺を取り囲むようにして、中には剣を抜いている人間もいる。

 殺さずに無力化するのは難しい。

 空中へ逃げようかと思ったが、距離が近い。

 俺の戦いぶりは全員が知っている。

 掴まれたら逃げられない。

 どうする……?

 莉依ちゃんと結城さんは状況が飲み込めていない様子だった。

 時間がなかったからといって、説明を省くべきではなかったかもしれない。


「知らないのかい? それともとぼけているのかな?

 各国で開戦準備をしているという噂があるんだよ。

 リーンガムはオーガス勇国との国境から最も近い街だからね、開戦すれば最初に戦火に巻き込まれる。あるいは裏で既に、占有しようと動き始めているかもしれない。

 ドラゴンの出現はオーガスの人間の仕業じゃないか、という噂もあった。

 まさかとは思っていたけど、ドラゴンを追い払われると困るのかい?

 作戦実行の直前で止めようとしている君を見て、疑いが濃くなってきたよ」

「……俺はそんなんじゃない。ただ、あまりに事が上手くいきすぎている気がしただけだ。

 竜燈草の入手とドラゴンの出現。あまりにタイミングが良すぎる」

「……君は団長を疑っているのかい? まさか彼が他国の人間であると?

 これは大きく出たものだ。今の発言、もう飲み込めないよ?」


 ざわつきが大きくなると共に、敵愾心が明らかに強くなった。

 失言だった。

 討伐隊は傭兵団バルバトスの人間がほとんどで、その団長たるシュルテンを疑うような発言をすればどうなるか。

 今更否定しても、理解して貰えそうにない。

 これは、赤っ恥をかくだけじゃ済みそうにない。

 楽観視していた自分に舌打ちをして、俺はその場から跳躍した。


「捕まえろ!」


 ロルフの指示前に、俺は傭兵達に掴まれ、地面に引き倒される。

 レベル差があると言っても、三十人近くの人間を相手に力比べしても勝てない。


「くっ、離せ!」

「残念だ。団長もきっと悲しむよ。君を高く買っていたからね」


 ロルフは落胆を隠しもせず肩を落として大きくため息を漏らした。

 隣でディッツも同じような顔をしている。


「喧嘩吹っかけてた俺が言うのもなんだけどよ。

 俺ぁよ、おまえが悪い人間とは思わねぇのよ。

 何か理由があるんだろ? ただ……やり方がまずかったな」


 あまり乱暴に扱われることはなかったが、縄で拘束され、五、六人の男に抑えつけられた。

 強引にシルフィードの風力で逃げようとしたが、さすがに大男達の体重までは支えられないらしい。

 風を巻き起こすだけで、俺はその場から逃れられなかった。


「ちょっと待ってください! とら……トーラさんの言葉も聞いてから」

「その必要はないよ。作戦は予定通り実行するからね。

 彼をどうするかは、終わってから決める。

 実際何かしたわけじゃないから事情を聞く感じになるけど」

「そ、そんな……彼に、ら、乱暴にしないで!」


 莉依ちゃんは俺を抑えつける男達に向けて叫んだ。

 必死の形相に、男達も戸惑いながら、拘束の力を緩める。


「ふ、副団長! 他のところではもう着火が終わっています!」


 男の言葉通り、薄い煙が漂ってきた。

 他の入口で竜燈草を燃やし始めたらしい。

 間に合わなかった。

 あとは、俺の勘違いであることを祈るだけだ。


「まずいな、誰かさんのせいで遅れてしまったみたいだ。こっちも着けよう」


 ロルフの指示と同時に、飛び上がる巨大な影があった。

 巨大な翼をはためかせて、宙を舞った。


「ウルゥゥゥゥゴオォォ!」


 耳をつんざくような咆哮に全員が顔をしかめた。

 羽ばたきによって生まれる暴風。

 強大な魔物を目の前にして、俺達はただ見上げることしかできない。

 ドラゴンはその場で飛翔していたが、やがて煙から逃れるように飛び去ってしまった。


「き、効いたぞ!」

「やった! これで街も安全だ!」

「はっ! 二度と来るんじゃねぇぞ! 蜥蜴野郎が!」


 危機が去ったとわかり、全員が笑い合って肩を叩きあっていた。

 俺の、勘違い、だったのか?


「は、はは、なんだ、大丈夫だったんだな」

「虎次さん……」


 馬鹿みたいだ。

 一人で思い違いをして、みんなに迷惑をかけてしまった。

 後で謝らないといけない。

 特に、莉依ちゃんと結城さんには。

 そう思い、俺は口を開こうとした。


「お、おい」


 一人の男が震える声音を発した。


「戻って来る」


 喧噪に掻き消えるが、俺には確かに聞こえた。

 俺は空を見上げる。

 莉依ちゃんも結城さんも俺に釣られて視線を上げた。

 緑の化け物。

 双眸は赤く血走り、激昂しているのが目に見えて伝わる。

 口腔からは緑色の炎を迸らせている。

 両翼を激しく羽ばたかせ。


 グリーンドラゴンは舞い戻って来ていた。

 

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