第49話 強襲

 夕方に差し掛かると、シュルテンの声が後方まで届いた。


「今日はここまでだ。野営の準備を始めてくれ。

 食事はバルバトスの方で用意するから安心してほしい。

 それと一部、周辺の哨戒をするが、一応魔物の襲来は警戒しておいてくれ。以上だ」


 団長の言葉に、思い思いに準備を始める。

 現在地は中腹前といったところか。

 わずかに斜面ではあるが、広い空間だ。

 全員が野営しても問題ないスペースがある。

 食事は、ということは寝床は自分達でどうにかするしかない。

 本来、馬車のような運搬車両が使えれば、テントなりがあるはずだ。

 流石に、馬車なしの状態でテントの持ち歩きは非効率になる。

 なので、ほとんどの人間が毛布程度しか持って来ていない。

 事前にニースとか朱夏に、必要なものを聞いていたから俺達も所持している。


「疲れましたね」

「山登りなんて小学生以来かも」

「俺もだよ」


 他愛無い話をしながら空いている場所を探して座った。

 岩場なので座り心地は最悪だ。

 討伐隊のメンバー達は、ぽつぽつと会話している。

 出発時に比べれば気持ちは落ち着いたのだろうか。

 ドラゴンを倒そう、という意気込みは感じられないが。

 俺は嘆息し、二人との会話に勤しんでいた。


「おい」


 またか。

 振り返るとハゲ、ツンツン、モヒカンが偉そうに腕を組んで立っていた。

 なぜか全員同じ体勢だ。

 いい加減、辟易としていた。


「何か?」


 このやり取りも飽きた。

 それに面倒だ。


「何か、じゃねぇ、俺は帰れって言ったよな? てめぇ耳が聞こえないのか?」

「あんたよりは聞こえるよ」


 俺は座ったまま、呆れたように言葉を吐く。


「あんだとコラ……ッ!」


 俺の態度が気に入らなかったのか、ディッツは俺の胸ぐらをつかんで強引に立ち上がらせた。


「おい、調子に乗んなよ、てめぇ。ガキは目障りなんだよ」

「じゃあ、見なければいいだろ」

「てめぇが消えろ」

「ごめんだな」


 煽りに対する煽り。

 その数回のやり取りで、ディッツの怒りは頂点に達したらしい。


「おい、いい加減に」


 お節介なロルフが口を挟もうとした瞬間、ディッツの拳が俺に向かってきた。

 視界の端で、莉依ちゃんと結城さんが何かしようとしている姿が見える。

 俺は流れるように、右足だけ風を発生させる。

 転瞬、俺の右足が勝手に持ち上がる。

 眼にも見えない速度で、俺の身体は僅かに浮かんだ。


「あ、がっ!?」


 膝蹴りがディッツの鳩尾に決まる。

 手加減はしたが、急所への攻撃でディッツは悶絶している。

 膝を折り、腹部に両手を添え、苦悶の表情を浮かべていた。


「な……にを」


 相当な痛みと、呼吸困難の状態であるのに、ディッツの怒りの炎はまだ消えていない。

 だがしばらくは動けないだろう。


「て、てめぇ、ふざけんじゃねぇぞ!」


 仲間のツンツンとモヒカンが俺に迫る。

 俺は一歩だけ前に進む。

 両手を左右に伸ばし、二人の攻撃が当たる瞬間、ブースト。

 身体が少しだけ動くように、風力を調整しているため回転しつつ回避している。

 傍目からは舞うように見えたかもしれない。

 最小限の動きで避け、二人の背後に移動する。


「ぐあ!」

「おぶぅっ!」


 ツンツンとモヒカンはハゲのディッツと同じように呻きながら膝をついた。

 回避の瞬間、軽く腹を殴打しておいた。

 もちろん、かなり手心を加えてはいたが。


「ちょ、調子乗んなよ、コラァッ!」

「まだやるのか」


 ディッツは俺を睥睨し、立ち上がる。

 力加減を間違ったらしい。

 それとも打たれ強いのか。

 俺は構えて、ディッツの攻撃に備える。


 その時、

「魔物だ!」

 誰かの声が響く。


 強襲だ。

 俺は莉依ちゃん達に視線を送る。

 瞬時に、声の方向に駆けだした。


「お、おい、待てや!」


 待つわけがない。


「先に行く」

「はい!」


 一声かけて、風圧を調整し、声の場所まで走る。

 見えた。


「ギャアアッ!」

「リカントベアーだ!」 


 それは大柄の熊だった。

 実際に見たのは初めてだが、一般的な熊よりは一回り大きい。

 口元や爪から血を滴らせている。

 周囲には傭兵達が無残な姿で倒れていた。

 阿鼻叫喚の図がそこにあった。

 戦う者も中にはいたが、歯が立っていない。

 俺はアナライズを使用する。



・名前:リカントベアー


・LV:17,754

・HP:3,332,123/3,401,875

・MP:99,800/99,800

・ST:1,322,784/1,445,901


・STR:133,099

・VIT:110,022

・DEX:88,681

・AGI:98,001

・MND:5,520

・INT:9,569

・LUC:3,887


●特性

 怒りで我を忘れると攻撃力が上がる。



 強敵だ。

 こんな魔物がこんな場所にいるなんて。

 それとも事前にわかっていたのか。

 これほどのレベルの敵が出現すると。

 とにかく、他の傭兵が立ち向かうのは無謀だ。


「と、虎次さん!」

「日下部君!」


 俺は、到着した二人に向き直り声を発する。


「莉依ちゃんは怪我人の治療と支援、俺と結城さんはあいつを!」

「わかりました!」

「了解!」


 即答、そして即座に行動。

 俺と結城さんは迷いなく疾走した。

 身体に仄かな暖かみと、淡い光が生まれる。

 莉依ちゃんのプロテクションだ。


「アクセル・ワン!」


 結城さんの身体が赤く発光する。

 同時に彼女の身体能力は強化され、速度が上がった。

 そしてロッドを伸ばし、遠距離からリカントベアーを攻撃する。


「きゃっ!」


 だが、直撃した瞬間、吹き飛んだのは結城さんの方だった。

 体重差とレベル差のせいで、結城さんの攻撃は大して効いていない。

 俺はブーストで加速、そのままの勢いで熊の顔面を殴りつける。

 魔物の動きは然程早くない。

 そのため俺の攻撃は見事に当たったが、魔物に大したダメージを与えない。

 しかし衝撃が伝わる瞬間、拳から風圧を生み出す。

 破裂する圧縮された大気は、熊の顔面を弾いた。

 大きくのけ反る魔物だったが、転倒することはなかった。


「グアアアアアアァァァッ!」


 咆哮と共に、魔物は体勢を整える。

 横から迫る凶爪。


「くっ!」


 咄嗟に脚部から風を発生させようとしたが避けきれず、腹部に深く突き刺さる。

 激痛と共に、俺は吐血する。


「ぐはっ!」

「日下部君!」


 結城さんの悲痛な叫びが聞こえた。

 幸いまだ死んではいない。

 吹き飛ばされ、着地と同時に俺は膝を折る。

 倍近くレベル差があるのだ。

 一撃で死ななかったのは幸運だった。


「虎次さん! 回復します!」


 莉依ちゃんが俺の近くに駆けより、回復スキルを使ってくれた。

 あっという間に裂傷は跡形もなく消える。


「こんのぉぉっ!」


 俺が治癒を受けている間、結城さんは再び走る。

 今度はロッドを短くしたまま、魔物の攻撃に合わせ、回避をしている。

 一瞬の隙を見逃さず、結城さんは相手の懐に飛び込んだ。

 渾身の突き。

 しかし、魔物は意に介さない。

 だが、結城さんの狙いは物理攻撃ではなかった。

 電流が魔物に走る。

 全身から白煙が生まれた。

 そしてぐらっと体躯が揺らいだ。

 効いている。


「いける!」


 僅かな心の隙が生まれてしまう。

 魔物が殺意を込めた瞳を結城さんに向けた。

 俺は無意識に地を蹴り、結城さんに向かって跳躍する。


「あ」


 抗いようがない死の系譜。

 目の前に向かう、大爪に対して、結城さんは何もできない。

 間に合え!

 全開のブーストで俺の身体は風と一体化する。

 最早、視界も不明瞭だった。

 感覚的に、結城さんの近くまで来た瞬間、俺は手を伸ばし彼女を庇う。


 左手が吹き飛んだ。


 飛び散る鮮血の中、俺は結城さんを抱きかかえ、高速で回転しながら地面を滑る。

 庭に設置された、回転式のホースのように血を撒き、砂塵がそれを覆う。


「く、くさか、べ君、う、腕が」

「……大丈夫。大したことじゃない」


 内側で沸騰するような熱と、強力な電気が身を焦がすような痛み。

 問題ない。

 何度も経験している痛みだ。

 それにスキルのおかげもあって、耐えられなくもない。

 気を抜くと失神しそうなくらい、その程度だ。

 俺の手は魔物の足元に転がっている。

 回復はどこまで作用するか。

 今死ねば、俺の腕は戻るのか。

 博打だな……。

 その前に、腕を食われてはたまらない。

 結城さんは、俺の腕を見て、恐慌状態寸前だ。

 今の彼女に声をかけても、まともに聞きはしないだろう。

 できるだけ端的に伝えるしかない。


「下がって」


 精神状態が安定していない彼女が戦闘に参加するのは危険だ。

 俺は結城さんをやんわりと後方へ行くように促し、逡巡なく魔物へと迫る。

 多段式のブーストによる、急激な加速。

 それにより、リカントベアーは俺の姿を一瞬だけ見失う。

 地面に触れるギリギリを飛び、腕を拾うと、無様に転がりながら反対方向に抜けた。

 離れる寸前で大気を圧縮した球を魔物に向けて蹴った。

 ダメージはさほどないかもしれないが、注意はこちらへ向けられるはずだ。

 俺の目論み通り、憤怒の表情の魔物は俺に振り返る。

 これで結城さんからは注意を逸らせることができた。


「か、回復します!」


 すぐさま、莉依ちゃんが駆け寄って来てくれた。

 俺の状況を見て、即座にすべきことをしてくれる。

 ありがたい。

 ここで動揺されてしまっては、時間を費やしてしまう。

 莉依ちゃんは血だらけの状態でも、迷いなく俺の腕を受け取った。

 気持ち悪がるでもなく、寸断面に腕をくっつけながら回復してくれる。

 さすがだ。

 みるみる内に、傷跡が消えていく。

 どうやら、莉依ちゃんの力は四肢を斬り落とされても、治癒が可能らしい。

 しかしさすがに数秒で完治はしない。

 時間がかかる。


「グルウゥ」


 魔物はゆっくりと俺へと迫る。

 幸いにも警戒しているのか、疾走する気配はない。

 だが、あいつが本気になれば猛攻が始まる。

 そうなれば、どうなるか……。

 他の傭兵達は何をしているんだ。

 俺は一瞬だけ周囲に視線を移す。


「む、無理だ、に、逃げようぜ」

「俺は、傭兵団に入れば、食いっばぐれないって聞いて入ったんだ!

 こ、こんなのやってらんねぇよ!」

「なんでリカントベアーがこんなところにいんだよ……」

「あいつら、戦ってるぞ、こ、子供が!」

「すげぇ……なんだよ、あいつら」

「お、おい俺達も戦わなくていいのか?」

「で、でもよ、あんなのと戦えってのか?」


 戦々恐々とし、離れ、逃げる者。

 距離をとり状況を恐れながらも見守る者。

 駆けつけ、状況を見るに臆してしまう者。

 戦意を持っている人間は少ない。

 ハゲ、ツンツン、モヒカン三人組も同じだ。

 散々偉そうにしていたくせに、事が起きると臆病風に吹かれるとは……。

 これが傭兵達なのか。

 命を賭して戦う人間なのか。

 俺の期待に反して、傭兵達には勇猛さの欠片もなかった。

 だが、その中で気勢を吐く者がいた。


「彼らに加勢しろ! 逃げるな! 全員でかかれば問題なく倒せる相手だ!

 包囲しろ! 距離をとって、攻撃するんだ! 正面は俺がとる。急げ!」


 シュルテンが指示を飛ばしていた。

 団長の言葉に我に返った傭兵達は命令に従い、それぞれの武器を手にとった。

 魔物を囲む傭兵達、恐れながらも表情は先ほどと一変している。

 団長たる男の言葉で勇気を奮い立たせた、ということなのか。


「くっ、なんてことだリカントベアーじゃないか! 僕も行くよ!」


 恐らく哨戒に行っていた副団長のロルフが戻ってきたようだ。

 そのまま魔物討伐に加わる。

 莉依ちゃんの回復のおかげで、俺の腕は見事に完治した。

 痛みはもうない。


「ありがと、助かったよ」

「いえ……あんまり無茶しないでください」

「ごめん」


 泣き出しそうな顔をしているのに、莉依ちゃんは決して泣かない。

 それが彼女の強さなのか、それとも……。

 俺は立ち上がり、結城さんの姿を探す。

 彼女はロッドを伸ばして、棒高跳びの要領で魔物を飛び越えた。

 落下しながらロッドを伸縮し、衝撃を和らげながら、俺達の近場に着地する。


「だ、大丈夫だった!?」

「ああ、莉依ちゃんのおかげでなんとかね」

「そ、そう……ごめん、あたしのせいで」

「大丈夫さ。それに、ほら、どうやら戦いも決着しそうだ」


 魔物を取り囲み、背後から攻撃、振り向いた魔物の更に背後から、という具合に徐々にダメージを与えていた。

 多勢に無勢で、魔物は次第に動きを緩慢にさせる。

 中でも、シュルテンの活躍は凄まじい。

 大剣を放り投げ、魔物の身体に突き刺すと、鎖を引いて手元に戻していた。

 あの鎖、普通の金属ではなさそうだ。

 技巧武器に近い構造をしているのかもしれない。

 遠距離では投擲、近くでは通常の剣として扱い戦っている。

 やがて魔物は事切れて、地に伏した。

 勝利の雄たけびが響く中、俺達は安堵した。


「もう! 遅いよ」


 そう愚痴る結城さんの気持ちは痛い程に理解できた。

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