第16話 悪夢の連環

「なるほどな、やはりそういうことか」


 ベッドに出現した俺の前で、メイガスが興味深そうにしていた。

 髭を指先で伸ばして、相好を崩す。


「ここが生き返る場所ということだな。

 情報通り、ベッドや椅子のような人が寛ぐ場所で生き返る。

 そしてその場所は己で定められる。そういうことだな?」


 こいつやはり知ってやがる。

 誤魔化す言葉も思い浮かばず、俺は沈黙を守った。


「くく、まあいい。じっくり調べるからな」


 身震いしそうになるのを必死で堪えた。

 どうせこの場所で生き返るんだ。

 殺すなら、むしろ殺して欲しい。

 いつでも脱出できるのだから。

 そう甘く見ていた俺の目の前で、兵士達が動いた。

 『ベッドを抱えて外に運び出した』のだ。


「な……!?」


 奴らは俺の能力に気づいている。

 ならば対処方法も明確だった。

 これでは逃れられない。

 失態だらけの中、どうやって抜け出すかという思いが強くなる。

 しかし、どうしようもなく、されるがままになるしかなかった。

 兵士達は俺を拘束した後、部屋から移動させた。


「くっ、どこに連れて行く気だ!」

「黙って歩け」


 断続的に悲鳴が響き渡る。

 炎が燃え盛る音がした。

 人の焼ける激臭が鼻腔に届いた。

 赤。

 村中が赤で染められている。

 血だまりと火炎の渦。

 死体だらけの中、兵士達は無残にも逃げようとする村人を殺している。

 子供だろうが容赦はない。

 老人でも追いかけて殺している。


「トラちゃん!」


 聞き覚えのある声が聞こえた。

 これは。

 リンネおばちゃんだ。

 おばちゃんは、俺の姿を見つけると、駆け寄ってきた。

 危険だとわかっているのに。

 俺を案じていた。


「に、逃げて!」


 おばちゃんは俺の言葉を聞かない。

 近寄れば危険だ。

 早く逃げなければどうなるか誰にでもわかる。

 だが、リンネおばちゃんは自身よりも、俺を案じている

 その証拠に、おばちゃんは必死で走り寄って来ている。

 俺の顔が悲痛に歪む。


「やめろ!」

「邪魔だ」


 メイガスがおばちゃんに迫った。


「や、やめろ、やめてくれ」


 おばちゃんはそれでも逃げない。

 俺に向かって走る。

 止まらない。

 顔は恐怖を浮かべていた。

 それでも逃げなかった。


「や、やめろ、手を出すな!」


 俺が叫ぶも、兵士達は反応しない。

 嘘だろ。

 こんなのが許されていいはずがない。

 こんな非道なことが行われていいはずがない。

 メイガスが剣を抜いた。

 腕を引いた。

 おばちゃんが俺に手を伸ばす。

 俺の肩に手が触れようとした。

 止まった。


「あ、が」


 リンネおばちゃんは目を見開いていた。

 あんぐりと口腔を開けて、俺を見ていた。

 そんな。

 なぜ、なぜこんなことに。


「あ、お、おばちゃ」


 俺は震える手をおばちゃんに向けて伸ばした。

 言葉が出ない。

 できることならば代わってあげたかった。

 俺ならば、死んでも生き返ったのに。

 なのに、善人であるおばちゃんが……。

 どうして、どうして!

 俺達のせいか、俺達の……。


 痛いだろう。

 苦しいだろう。

 なのに、おばちゃんは小さく笑った。


「ご、ごめ、んねぇ、お、おばちゃ……た、助けら、れな……く、て」


 そう一言残し、ガクッと腕を落とす。


「お、おば、ちゃ、おばちゃん……?」


 メイガスの剣がおばちゃんの腹部に屹立していた。

 メイガスは、自分にもたれかかるおばちゃんの身体を邪魔臭そうに押した。

 人をまるで物のように。


「加齢臭が移る。女は年老いたら終わりだな」


 地面に倒れ込むおばちゃんを見て、俺の中で何かがキレた。


「貴様ァァァァァァッ!」


 拘束されているのも忘れて、俺はメイガスに向けて猛然と走った。

 だが、縄は頑丈で移動を阻害する。

 頭が沸騰している。

 こんな人間が存在する事が許せなかった。

 殺してやる!

 何があっても!

 こいつは絶対殺してやる!


「なんだ、貴様、熟女趣味か? それとも異世界の母を思い出したか?

 乳離れできてなかったのだな。それはすまなかったなぁ。

 だが、この程度の女ならばどこにでもいるだろう。

 売春宿ででも探せばいい。そういう趣味の女もいるぞ?」

「その人を侮辱するなァッ!!!」


 歯を食いしばり、歩み続ける。

 俺には力がない。

 こんな細い縄を引きちぎる力さえない。

 それが許せなかった。

 俺を見て嘲笑を浮かべるメイガス。

 俺は感情的になりながら、地面に倒れたおばちゃんを見た。

 もう動かない。

 これが当たり前なのだ。

 これが死なのだ。


 涙が出た。

 身体中が熱を持っている。

 獣のような叫びは俺の口から出ている。

 自分の不甲斐なさと、あまりに理不尽な所業に。

 俺は絶叫した。

 他の村人も生きてはいないだろう。

 俺達のせいで死んだ。

 殺されたんだ。

 むごい。

 なぜこんなことを……!

 村長が欲を出したことが決定的だったことは間違いない。

 それでも俺達がこの村、エインツェルを訪問しなければ平和なままだったかもしれない。

 リンネおばちゃんの最後の顔が浮かんだ。

 俺は頭を振る。

 じゃあ、どうすればよかったんだ。

 どうすれば正解だったんだ。


「歩け!」


 後ろから小突かれた。


「殺す、殺してやる!」

「弱い奴ほどよく吠える。さっさと連れて行け」


 二人がかりで羽交い絞めされて、強引に移動させられた。

 暴れたが、俺の膂力では大した抵抗はできなかった。

 そして何かに乗せられた後、目隠しをされ、何かを嗅がされた。

 甘い香りに、再び意識が遠のく。

 一体どこに連れて行かれるのか。

 一体俺はこれからどうなるのか。

 不安に駆られながらも、莉依ちゃんと結城さんの二人が無事に逃げ切れることを祈った。


   ●□●□


 視界は塞がれたまま。

 睡眠と食事の回数を計算すると、大体一週間は経過しているはずだ。

 ずっと、乗り物に乗ったまま、しかも目隠しされていた。

 拘束され、逃げる隙もない。

 視界を覆われたままで、精神的な負荷が著しかった。

 終着点には、まだ着かないらしい。

 どこに行くんだ?

 何度も聞いたが、黙れと言われるだけだった。

 喚いていると猿ぐつわをされた。

 結局、叫ぶのも疲れ、次第に無言を貫くと外された。


 ストレスが凄まじい。

 しかし、生きるために必要なことには配慮されている。

 体調も気遣われているようだった。

 勘違いしてはいけない。

 俺を慮ってのことじゃない。

 俺が死ねば、リスポーンするからだろう。

 リスポーンポイントであるベッドは一緒に運ばれているはず。

 だが、俺が別の場所をリスポーンポイントを設定しているかもしれない。

 だから念のために、死なないようにしているのだ。


 臀部に伝わる硬い感触にはもう慣れた。

 恐らく、俺は馬車に乗っている。

 馬の闊歩する足音、車輪の音が聞こえるのだ。

 真っ暗闇の中、ステータス画面だけが視界を彩る。

 変化はほとんどない。

 餓死して逃げようかと思ったが、ベッドに移動しても捕縛されるだろうと思い、止めた。

 馬車が停止した。

 そして、会話が聞こえ始めた。


 なんだ?

 到着したのか?

 しばらくすると、重低音が響く。

 扉が開くような音だ。それも巨大な。

 再び、馬車が動き出す。

 喧噪?

 人の声が、そこかしこで聞こえた。

 街中を走っているのか?

 ある程度、走った後、馬車が止まった。

 俺は耳を澄まし、少しでも情報を得ようと必死になっていた。


「降りろ」


 端的ながら有無を言わさない声音が聞こえる。

 俺は背中を押されながら、ゆっくりと馬車を降りる。

 腕を掴まれ、徒歩を促された。

 地面の感触と物音くらいしか得られるものはない。

 小さな水音が聞こえたが、すぐに遠のく。

 足元は舗装されているが、ごつごつとしている。

 階段を上がり、歩いて、傾斜を登り、歩いて、階段を上る。

 平坦な道を進んでいたと持ったら、今度は下った。

 ギィとホラーさながらの不快な音が聞こえた。

 扉を開いたのだろうか。


 急な階段が始まった。

 空気が張り詰め、冷たく感じる。

 臭う。

 なんだ、この臭いは。

 不穏な雰囲気を受け、俺の心臓が早鐘を打った。

 カツカツ。

 ガシャガシャ。

 足音と鎧の擦過音だけが木霊している。

 空気が徐々に重くなっているような感覚がした。

 臭いが強くなる。

 なんだこれ。

 鼻をつく、異臭に俺は顔をしかめた。


 数十分は歩いたかもしれない。

 下り続けていたが、ようやく終わりを迎えた。

 そのまま、道を歩く、と立ち止まった。

 再び、扉が開く音が聞こえた。

 中に入るように背中を押される。

 と、強引に何かに座らされる。

 同時に、拘束を解かれた。

 だが、すぐに両手足を伸ばした状態で別の何かに拘束される。

 冷たい。鉄? 鉄枷か?

 粗雑に目隠しが外された。


「ぐっ……!」


 眩しい。

 一週間、闇の中にいた双眸は、突然の刺激に濡れた。

 転移直後のように、目がまともに働いていない。

 薄目のまま、徐々に明るさに慣れさせた。

 思ったより、すぐに視界は明瞭になっていく。

 眩いほどの明るさはなかった。

 その空間はむしろ薄暗いらしい。

 燭台とランプが幾つかあり、火を灯している。

 すえた臭いが嫌悪感を抱かせた。

 兵士達は俺を置いて、入口の扉を閉めると、さっさと出ていった。

 俺は頑丈そうな椅子から動けないようにされている。


「こ、ここは」


 牢屋だ。

 鉄格子には扉が一つあるだけ。

 しかし比較的広い。

 囚人一人を収容する場所としては分不相応だ。

 だが、その理由はすぐにわかった。

 視界が微睡んでいる中、俺の視線は一か所に固定された。


「な、なんだ、あ、あれ」


 刃物や工具が机に煩雑に置かれている。

 それ以外にも、何に使うのか想像したくもない道具が並んでいる。

 よくよく見ると、壁や床、テーブルには血が滲んでいる。

 恐らく掃除はしたんだろうが、拭き取れなかったらしい。

 つまりそれほど出血したということだ。

 ぞくっと背筋が凍る。

 何をされるか、ようやくわかった。


 冗談じゃない。

 イカれてる。何を考えているんだ。

 最悪だ。

 連想してしまった。

 なぜこうなったのかも、何となく想像してしまった。

 邪神と同じだ。

 俺が死なないということに興味を持つ存在はどんな奴だ。

 違う、違う!


「う、うそだろ、違うよな? こ、ここにいるのは何かの間違いだよな?」


 ガチガチと歯が鳴っている。

 死ぬのを恐れてはいなかった。

 それは日常的な、些事であるかのように思っていた。

 だが、死とは本来、そこに至る経緯を恐れている人間が多いはずだ。

 年を取り死ぬ時は、いつの間にか死んでいたい。

 痛みもなく、眠るように逝きたい。

 そう考える老人は、苦しみたくないという思いがあるのだ。


 そう。

 人間は痛みを忌避する。

 俺が死を恐れていなかったのは、痛みがほとんどなかったからだ。

 内からこみ上げる痛みには何とか耐えることができた。

 だが、他者に与えられる苦痛はどうだ。

 望まぬ痛み。

 悪意を伴う痛み。

 想像した。

 どっと汗が溢れだした。


 牢の隣には手狭な牢屋があった。

 そこには見慣れたものがある。

 俺が寝ていたベッドだ。

 先に運んでいたらしい。

 試しにベッドを視界中央に移動させた。

 リスポーンセーブという項目に補足があった。


 『現在、このポイントに設定しています』


 これはつまりリスポーンポイントになっているということだ。

 逃げられない、ということだ。

 コツコツと足音が遠くで聞こえる。

 俺は声を出すことさえできず、じっと耳を澄ませる。

 牢屋の前に通る細道は暗い。

 闇が少しずつ橙色に侵食されていく。

 誰かが来ている。


 舌を噛みきって死ぬか?

 いや、早計だ。

 そもそも舌を噛んで死ぬ場合、窒息死であると聞いたことがある。

 出血は意外に早く止まるのだとか。

 短くなった舌が喉の奥に詰まって息ができなくなるらしい。

 そんな死はごめんだ。

 レベルが上がってしまったことで、俺はマイナス時より死に難くなっている。

 どの程度で死ぬのか、自分でもよくわからないが。

 廃材を運搬している時『釘が腕に刺さっても』『転倒しても』死ななかった。

 数分で痛みが引く程度の怪我ならば死なないのは確実だ。

 撤去作業時は助かっていたが、今となっては、レベルを上げるべきじゃなかったと思う。

 足音が大きくなる。

 明光が視界にちらつく。


 そして見えた。

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