第5話 迫り来る捕食者 (4)
■
無言のままの赤月さんが、私を引っ張っていく。
私をどこへ連れて行こうとしているのか問いたかったけど、
何も言わず強引に私の手を引く赤月さんの後ろ姿が怒っているように見えて、
私はその背中に、どう声を掛けていいか分からなかった。
私達がたどり着いた先は屋上だった。
赤月さんは私から手を離すと、屋上の際へと歩み寄り、
フェンスの向こう側に見えるグラウンドをジッと見つめた。
その顔は無表情で、感情が見えない。
彼女が何を考えてるのか、想像もつかない。
私はしばらく、物憂げにフェンスの外を見つめている赤月さんの顔色を窺っていた。
相変わらず、綺麗な横顔だ。
この光景を題材にして絵を描いたら、きっと素敵な作品になる。
そんな場違いなことを思ってしまった。元美術部だからだろうか?
赤月さんに見惚れているうちに、ついさっきまで怖くて悲しくて泣いていたことを、
私はすっかり忘れてしまえていた。
赤月さんが、その手に提げていたビニール袋の中を探り始める。
中に入っているものをガサゴソと掻き分け、
目当ての物を見つけて、袋から取り出す。
そして握りこぶしを差し出すと、
私にそれを受け取るよう、赤月さんは目で催促をした。
「これは……スクールリング?」
私の手に乗り移ってきた小さな指輪を見て、私は尋ねた。
指輪を渡した赤月さんは、再び私に背を向け、背中越しに語りかけてくる。
「購買部で買えるアクセサリーなんて、そのくらいしかなかったから」
……せっかくならもっと可愛いものにしてあげたかったけど」と言いながら、赤月さんは言葉を続ける。
私と目を合わせたがらないその振る舞いが、なんだか照れているように見える。
そこで私はようやく、赤月さんは別に怒ってなど居ないんだと気づいた。
「貴女には私の能力が通用しないと話したでしょう?ニオイを全く探れないから、貴女がこの学校の、どの教室に通ってるかを知るのだってちょっと手間がかかった。
……その指輪には私の『
短時間だけなら、身を守るための『結界』を張ることだって可能よ。
それ、離さずに持っていなさいよ。
……そしたら、私が貴女を『鬼』から守ってあげる」
「え……?守って……くれるの?」
恐る恐る聞いた私に、赤月さんは向き直る。
赤月さんは気恥ずかしそうに頬を指で掻くと、視線を微妙に逸らしたまま、
「今朝は……その……ごめんなさい。
私は嘘ばかりつくけど、貴女のことを"お友達"だと思っているのは本心だし、
『大好き』だって言うのも、100%嘘というわけではないから……」
「……赤月、さん」
口ごもりながらそう語る赤月さんを見て、私は笑みを堪えきれなくなった。
この人は、私が今まで思っていたよりも可愛い人なのかもしれない。
笑っている私を見て、赤月さんも緊張が解れたのか、釣られ笑いを浮かべた。
「お昼に、と思っていくつか菓子パンを買ってきたのだけど、
貴女も食べるかしら?」
差し出されたビニール袋を見ると、チョコレート系の甘いパンばかりが入っている。
「その……ももかは甘いの好きかなと思って」
「うん、ありがとう。大好きだよ」
私がそう返すと、赤月さん―――美桜ちゃんは、とても嬉しそうな顔をした。
■
「ねえ美桜ちゃん、この指輪、つけてみていいかな?」
「ええ、どうぞ。……あっ、待って!この指輪なのだけど、
つけるときは必ず左手の薬指につけて欲しいの」
「左手の薬指……て、え?嘘だー!だってそれじゃ、結婚指輪みたいじゃない!
恥ずかしいよ。人に見られでもしたら」
「それは、その、分かってるわよ。でもお願い。左手の薬指に付けるのが、この指輪のもっとも効率的な使い方なの」
「えっ、ど、どうして?」
「左手の薬指はね?古代ギリシャの時代から心臓に繋がる太い血管があると信じられていて、『命に一番近い指』とまで称されている霊験あらたかな指なのよ。
つまりこの指輪を左手の薬指に付けることで、私の『妖力』が貴女の魂に力を与えて、私の『嗅覚』に強く反応するようになるのよ。
恥ずかしいかもしれないけど、我慢して頂戴?
これは貴女を『鬼』から守るため、仕方なく!仕方なくなんだから!」
「そ、そうなんだ……って、美桜ちゃん、またウソついてるでしょ?チュパカブラの時みたいに」
「嘘じゃないわ。酷いのねももかったら。お友達の言うことを疑うだなんて、私、悲しくて泣いてしまいそうよ……」
「それ絶対嘘泣きだー!……ってわわわわ!
分かったよごめん!ごめんってば!付けるから!私、左の薬指に付けるから!
髪の毛クシャクシャにしないで!」
「うふふ。分かればいいのよ」
「じゃ、じゃあ付けるからね?左の薬指に付けるからね?」
「ええ。そうして頂戴」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……ねえこれ、サイズあってないよね?」
「そういえば私、ももかの指のサイズなんて知らなかったわね」
「……ブカブカだね」
「……ブカブカよね」
「……」
「……」
■
その店の中には、引き立てのコーヒーの香りが充満していた。
「何名様ですか?」と尋ねる店員さんに、「2人です」と告げた私達は、店員さんに誘導されるまま席へと座った。
席に付くなり美桜ちゃんは、手に持っていた雑貨屋のショッパーからリング用のペンダントを取り出す。
「ももか、スクールリングを貸して頂戴?」
そう言われた私がスクールリングを手渡すと、
美桜ちゃんは器用な手つきでペンダントをリングに通した。
「ほら、出来たわ。……せっかくだし掛けてみてよ」
「う、うん……」
ペンダントと貸したスクールリングを、私は首から掛けて見た。
こうして見ると、普通のペンダントと何も変わらないように見えるけど、
ちゃんとご利益……じゃなくて効力はあるんだよね?
左手の薬指とは違うけど、こうして胸元の辺りに提げておけば
一応心臓からは近いわけだし。
「ねえ美桜ちゃん、私のニオイ、感じ取れる?これでどこに居るか分かるかな?」
「ええ。とてもよく感じるわ。私のチカラの気配を。
……これなら、ももかがどこに居ても助けに行ってあげられる」
そう言って微笑む美桜ちゃんは、とても穏やかな表情をしていた。
放課後、ブカブカのスクールリングをなんとか使えるようにするため、
私達は雑貨屋に立ち寄ってリング用のペンダントを探した。
「どうせ買うなら全く新しい指輪を買って、その中にまた『
「ううん。このリングが良い。これを使いたい」と言って私が憚らなかった。
だってこのスクールリングは、美桜ちゃんが初めてプレゼントしてくれた大事な物だ。
……私達の、仲直りの印だ。
美桜ちゃんがこれをくれて「守ってあげる」と言ってくれたことが、私はとても嬉しかった。
だからその気持ちを忘れずに取っておきたい。
これでもない、あれでもない、このデザインがいい。いやこっちのほうが私は好き。
そんな風に二人で笑いあいながらペンダントを選んでいる最中にふと、とても懐かしい気持ちが私の中に込み上げてきた。
昔はこうして、深紅ちゃんと一緒に放課後に買い物に行ったりして遊んだっけ。
中学時代のあの日から―――先生に襲われて、根も葉もない風聞に傷つけられて、
一人ぼっちになってしまったあの日から。
こんな風に、放課後に友達と遊ぶことなんてなかった。
私が最後に深紅ちゃんと買い物に行ったのは、私が先生に襲われる少し前で―――。
その頃にはもう、深紅ちゃんの外見は大分派手になってて、私と深紅ちゃんの『住む世界』みたいなものが段々食い違って行ってるのが目に見えて分かって、何だか寂しかった。
「美桜ちゃん。……お昼休みのときは、ありがとね。
蘇芳村さんから私を助けてくれて」
向かい合ってコーヒーを啜っている美桜ちゃんに、私はお礼を述べた。
目を細めてコーヒーの香りを楽しんでいた美桜ちゃんは、少しだけ目を見開いて、コーヒーカップをソーサーの上に置く。
「あの子に随分と好かれているようだけど、二人の間で何かあったの?
……あの子でしょう?貴女に関する妙な噂を流しているのは」
……鋭いなぁ。敵わないや。美桜ちゃんには。
深紅ちゃんとのことは、
美桜ちゃんにはきちんと話しておかなきゃいけないんだと思う。
深紅ちゃんから庇ってくれて、『鬼』から守ってくれる美桜ちゃんは、
私のお友達で私の味方だ。
「私ね……中学のとき……」
一度口を開いたら、もう止まらなかった。
真剣な眼差しで私の話を聞いてくれる美桜ちゃんに私は、
私と深紅ちゃんの間にあった全ての出来事を語った。
深紅ちゃんと私が家の近い幼馴染同士で、元々はとても仲のいい友達だったこと。
お互いがお互いのことを親友だと思っていたこと。
中学時代のある時期を境に深紅ちゃんの雰囲気が変わって、
段々と疎遠になっていったこと。
副担任だった前原先生に私が襲われかけたこと。
そのときに助けてくれたのが深紅ちゃんだったこと。
その事件の後、学校中の皆は私と前原先生がずっと前から付き合っていたと噂するようになっていたこと。
気づいたときにはなぜか私が、友達の彼氏を奪うような女だと噂されていたこと。
そのことで深紅ちゃんに助けを求めたら拒絶されてしまったこと。根も葉もない噂を流した張本人が、……私の推測だけど、恐らくは深紅ちゃんだということ。
高校生になった今でも、深紅ちゃん経由で噂が流れ続けているということ。
そして……深紅ちゃんと仲の良かった新田くんと私がデートする事になって、
美桜ちゃんの家に忍び込んだこと。
新田くんたちに玩具にされそうになったときに、美桜ちゃんが助けてくれたこと。
全部全部、洗いざらい。
全部を美桜ちゃんに語った。
途中、当時の気持ちを思い出して涙ぐんだりしてしまって、
何度も何度も言葉に詰まった。
だけど美桜ちゃんはそれに苛立つことも急かす事もなく、優しい眼差しでずっと、私の言うことを聞いてくれていた。
この2年間、ずっと誰にも相談できなくて一人で悩むことしか出来なかったはずなのに。美桜ちゃん相手にここまで自分の悩みを打ち明けられるのが、
私は自分でも不思議だった。
全部喋り終わった後、私は冷め切ったカフェラテを一口飲んで、まるで、大きな仕事を終えたかのように、そっと深く息を吐いた。
かつての親友を悪く言ってしまった反動で、胸がキリキリと痛んでくる。
思い返せば返すほど、深紅ちゃんには酷いことばかりされてきていると言うのに、
私はまだ、彼女を憎めずに居る。
辛かった。
彼女に傷つけられ続けて辛かったけど、
いつからか私は、傷つけられることに安堵を覚え始めても居た。
それこそが、
私が深紅ちゃんにしてあげられる唯一の償いなのだと思うようになっていた。
「深紅ちゃんはたぶん、前原先生のことが好きだったんだと思う。
……疎遠になる少し前、深紅ちゃんは前原先生の話ばかりしてた。
前原先生も深紅ちゃんと接するとき、他の生徒より距離感が近いような気がした。
……私の想像通りなら、私が友達の彼氏を奪うような女の子だって言うのもあながち間違いじゃないかもしれない」
「考えすぎよ。もしそうだとしても貴女は何も悪くない」
冷め切ったコーヒーを飲みながら、美桜ちゃんが答えた。
「今までよく一人で耐えてきたわね。
……でも、もう安心していいわよ。これからは一人じゃない。……私がそばに居る。
貴女が私に不味い血を提供して、ストイックな食生活に協力してくれる限りは、ね」
「……途中まですっごくかっこよかったのになぁ。
なんで美桜ちゃんはそう一言多いのかなぁ……ふふ。あははは」
不味い血がどうとか言わなければもの凄く良いこと言ってくれてた。
だけど美桜ちゃんのその一言に、私は何だか救われた気分になれた。
今、やっと分かった気がする。
私がここまで自分のことを美桜ちゃんに曝け出せる理由が。
人に頼るのが苦手な私が、美桜ちゃんになら頼れた理由が。
一方的に与えられる関係じゃないからだ。私も彼女に与える立場だからだ。
彼女も私を頼ってくれてる。みだりに人を襲わないで済むように、
私の血をダイエット食品として求めている。
ヒトの細胞は3ヶ月ほどで全て入れ替わるという。
3ヶ月間摂取した食物によって、ヒトの細胞は作られる。
美桜ちゃんと出会ってから、私は毎日のように血を吸われてきた。
今、美桜ちゃんの細胞の何%かはきっと、私の血によって作られている。
そう思うと、なんだか不思議な感じがした。
……ヒトではなく『鬼』である美桜ちゃんに、
その方程式が当てはめられるかどうかはちょっとよく分かんない。
■
ガラス張りの喫茶店の中を、ジッと外から見つめている人影があった。
その人影―――蘇芳村深紅の瞳に映るのは、窓辺の席に座ったまま楽しそうに会話をしている二人の女子高生の姿だ。
―――ねえももちー、なんでそんなに楽しそうな顔してるの?
その女と一緒に居るのが、そんなに楽しい?
深紅の胸のうちには今日の昼からずっと、激しく燃え盛り決して消えることのない嫉妬の炎が渦巻いている。
―――なんであんな女がももちーの隣に居座ってるの?
ももちーは一人ぼっちにならなきゃダメだ。
アタシに虐められて、一人ぼっちで辛くて苦しくて、それでもかつての友達であるアタシのことを本気で憎めないで居る優しい優しいももちー。
それが、ももちーが一番美しく居られる姿なんだ。
苦しんでやつれているももちーが一番綺麗なももちーなんだ。
アタシが一番、愛おしいと思える聖なるももちーなんだ。
許せない……。許せない許せない許せない!!!!!
アタシの聖なるももちーをしょうもない優しさで穢すな!安い幸せで壊すな!
ももちーを穢す者が居たとしたら、アタシが壊してあげなければいけない……。
次の獲物はお前だ赤月。赤月美桜。綺麗な女。
お前のその顔にアタシが最高のメイクをしてやる。
苦痛という名の極上のメイクを!
アンタさえ居なければももちーはまた一人ぼっちになる。
アタシだけのモノになるんだ――。
美桜を失った後のももかの姿を想像して、深紅は熱っぽい吐息を発した。
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