第76話 実地調査

 調査は足でするに限る。

 昼前に制圧を終えてしまった三人は、エリスが新たに怪しい家屋のリストを作成している間に観光がてら街を一周することにした。

 厚着の人々が往来する街並みは、確かに不審な人物が居ても見逃してしまいそうだ。刺さるような寒気を凌ぐよう、口元まですっぽり覆われた人相。そこにニット帽でも被ってしまえば、周囲に与える情報は目出し帽と何ら変わりないものとなる。

 この状況で人探しは無理でしょ。

 不審者探しを早々に諦めたガリアは、物件に目を向けることにした。第一、観光地で観光客を眺めていたところで面白くもなんともない。しかし建物はどうだ。この地ならではの特色が出ていて、眺めているだけでもいい気分になる。

 いい気分にはなるのだが……しかし、街全体にほんのり漂う独特の臭いにはいかんともしがたいものがあった。

「慣れてはきたが……やっぱり臭いな」

 入浴中は気にならなかったので完全に適応したものだと思いこんでいたが、違ったらしい。散策を始めて数時間、遂にガリアは音を上げる。

「つーか、なんか変な臭いが混ざってねえか? 鼻がもげそうなんだが」

 硫黄の臭いだけならもう克服したのだが、成分が違うのかまた違った臭いが鼻腔を貫く。深呼吸したら咳き込んでしまいそうな空気の中で、ガリアは不平を漏らした。

 しかし、メライアとキルビスは首をかしげる。

「そうか?」

「変わらなくない?」

 思いを共有できなくて辛い。

「いや、するだろ。なんか、こう……人が死んだような臭いが……」

 ほんのわずかだが、この腐臭にも通じる臭いがガリアの脳髄を揺さぶるのだ。早くここから逃げ出したいと本能が訴えかけてくる。

「急に物騒なこと言い出すな……」

 臭いものは臭いのだ。ガリアが眉をハの字に捻じ曲げていると、キルビスがやれやれとばかりに腕を振る。先日購入したばかりのモコモコしたスヌードを脱ぐと、スッとガリアに差し出した。

「貸してあげるから、これで我慢しなね」

 ガリアはそれを受け取り、すぐに頭から被る。顔の下半分がすっぽりと覆い隠され、不審者さながらの容貌となった。しかし防臭効果は抜群だ。不快な腐臭も、心安らぐキルビスの匂いにかき消されて気にならない。

 なぜこの女の匂いはここまで心が安らぐのだろうか。乱高下する嗅覚に身体がエラーを起こして立ったまま眠ってしまいそうになる。ふらつく佇まいをピシャリと整え、ガリアは深く息を吸った。

「あー生き返る~」

 ガリアが何度も深呼吸しているのを見て、キルビスは恥ずかしそうに身を捩る。

「お、思ったよりも恥ずかしいかも……」

 キルビスの羞恥心はさておくとして、これでマトモに調査が再開できるというものだ。調子が戻ったガリアは早速街並みを見渡す。不意に、寂れた居酒屋が目に入った。

「あそこ怪しくねえか?」

 ガリアが見つけたのは、こじんまりとした店舗だ。看板には店名だけが書かれていて、それ以上の情報がない。外観から宿屋でないことは見受けられるが、居酒屋なのかスナックのたぐいなのか、あるいはエッチなお店なのか……それすらも判断がつかない。観光客を集めるために周囲の店舗がこれでもかと言うほどに自己主張をしている中で、この情報量の少なさは浮いていた。

 メライアが腕を組む。

「確かに怪しいが……ヴァンパレスとはまた違った怪しさだ。潜るなら私達よりも官憲の方がいいんじゃないか?」

 しかしキルビスは乗り気だった。好奇心に胸を躍らせながら、個人的な興味を隠さずに言う。

「まあまあ。こういうのも旅行の醍醐味って言うじゃん」

「旅行ではないが……」

「いいじゃんいいじゃん」

 怪訝顔のメライアをものともせず、キルビスは二人の手を引いて歩き出す。飾り気のない引き戸を一息に開き、店内に顔を突っ込む。もはや調査のちの字もない。

 内装は、ごくごく普通の食事処だった。席の数はあまり多くなく、装飾も最低限。特徴的なのは、メニュー表の類がどこにもないところだろう。これだけだと、食事処なのか居酒屋なのかよくわからない。

 店の番をしていたのは、陰気な表情で葉巻をくわえた初老の男だ。彼は三人の姿を見ると、つまらなさそうに言う。

「ウチは一見さんお断りだよ」

 観光地とは思えない商売形態。キルビスはまたたく間に興味を失ったらしい。シラけた様子で「そっすか」とだけ言い残し、ピシャリと戸を閉めた。

 少し離れたところで、ガリアは疑問符を浮かべる。

「なあ、一見さんお断りって怪しくねえか?」

 こうして部外者を締め出すにはうってつけの手段だろう。現にガリアたちは半ば門前払いの形で追い出されてしまった。

 しかしキルビスはつまらなさそうに言う。

「ないね。あの陰気なオッサンにそんな甲斐性ないよ」

「甲斐性は関係あるのか……?」

 メライアの呟きなどどこ吹く風。ご機嫌ななめのキルビスに、ガリアは訊ねた。

「そんな気に入らなかったのか? まあ、気分のいいもんじゃないけどさ」

 客商売としてあの対応はいかがなものかと思うが、こちらも怖いもの見たさで訪ねたフシがある。愉快なものではないが、取り立てて気を悪くするような出来事でもなかっただろう。

 すると彼女は、ばつが悪そうに俯いた。上目遣いでガリアを見やり、言いづらそうにぽしょぽしょと口を開く。

「なんかあの店主……父さんに似てたから……」

 身内の話でありながら、ガリアは彼女と両親の間にある確執についてなにも知らない。それは物心付く前の出来事だったこともあるし、今の彼女がそれをおくびにも出さないからだ。たまにこうして感情の一端を垣間見せることはあっても、具体的になにがあったのか、彼女は一切を語ろうとしない。

 家族なのだし、もう少し話してくれてもいいと思うのだが。

 他人の身内事情など知らぬとばかりにメライアがメモを取る。

「あの物件は後で図面を当たってみるか……」

 外観と間取りから鑑みるに、地下室でもない限りあの建物で研究を進めるのは不可能だ。掘削工事は音でバレるので隠れて行うのは難しい。となれば、公式に地下室が存在しなければあの建物はシロ……ということだ。

 結局、その日の実地調査ではヴァンパレスの逃亡先を見つけることが出来なかった。

 翌日にはエリス作成のリストを片手に調査を続けたが、これもまた空振りに終わる。こうなってくると、どこかの物件を流用しているという線は除外したほうが良いだろう。

 であれば、調査の方向性を変えるだけのこと。

 幸いなことに、こちらには心強い証人が居た。

 ここのところ出かけがちだったマリーを待ち伏せし、話を聞く。

「この街に巣食うヴァンパレスについて……知っていることを話してもらおうか」

 尋問モードに入ったメライアに、しかしマリーはあくまでシラを切る。

「なんのことだかわかりませんが……」

「お姉さんにはバレているぞ。これ以上隠すのはためにならない」

 あくまで丁重に。威圧は言葉の端に滲ませるのに留めて、相手の恐怖ではなく諦観を引き出すように……これが尋問のコツだと、メライアは言っていた。

 姉の話を持ち出されると、マリーは露骨に機嫌を損ねる。それはまるで先日のキルビスのように。

「エリスが!? 余計なことばっかり察しがいいのに……」

「話してくれないか? こちらとしても、話を大きくはしたくない」

「……」

 沈黙。

 しばらく強情な姿勢を取っていたマリーだが、やがて根負けしたのか遂に口を開く。

「……わかりました。知っていることで良ければ、話しましょう」

 これで事態は大きく進展する。誰もが、そう確信していた。

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