第58話 竜の世界

 バンパニアの最北端に連なる高山は、深い霧に包まれていた。サーチライトを照らしてもすぐ先までしか目視できず、ドラクリアンの超音波レーダーを頼りに進むしかない。

 錆びついた巨大な柵を押し開け、閉鎖区画を抜ける。ここから先には、ネマトーダに惹き寄せられた有象無象の竜が住み着いているらしい。

「正邪を問わず、強きモノの周りには惹かれたナニかが集う……ここから先に安全地帯は一ヶ所しかありません。日が暮れるまでにそこへ向かいます」

 むしろ安全地帯があったことに驚きである。

「こんなところに安全な場所なんてあるのか」

「ありますの。自然の奇跡ですわ」

 言うと、マリエッタは鋼の指で中空に円を描く。

「ネマトーダは巣に入るものにはなんであれ牙を剥きますが、その外側であれば大概のことに気を揉みません。他の竜もそれを知っているので、巣には決して踏み込まないのです」

 つまりここから先の危険地帯はネマトーダの巣と竜の密集地帯の二重構造になっている。

「竜はネマトーダの魔力を敏感に感じ取り、巣に立ち入らない絶妙な範囲を縄張りとしています。しかし一ヶ所だけ、巣と縄張りの境が開いた場所があるのです」

「そこには何かあるのか?」

 竜が近寄らないナニか。それは一体なんなのか。

「いえ、具体的な理屈は判明していません。ただ一説によると、そにはかつてネマトーダが外敵との戦いで流した血が染み込んでいるのだといいます」

 ネマトーダの血痕は、未だにその力を失っていないということだろう。災魔の名に相応しい逸話に、ガリアは息を飲む。

 これからそんなバケモノとやりあうのだ。考えただけで気が滅入る。

 そんなガリアの感情をVM越しに読み取ったらしい。苦笑するような声で彼女は言う。

「あなたとドラクリアンの力があるとはいえ、深入りはしません。水晶の採掘には先人が築いたノウハウがあるのです。あくまで安全が第一の作戦ですのよ」

 命拾いしたガリアは安堵の息をつく。とはいえ無数の竜もいる。油断は禁物だ。

 上空を飛び交う竜の群れは、こちらの出方を窺うように何度も上空を旋回している。どうやらあまり好戦的な種ではないようで、しばらくするとどこかへ飛び去っていった。

「ドラゴンクラスは竜の力。大概のドラゴンであれば、このクラスの吸血甲冑を相手に闘いを挑むことはありません」

 作戦部隊が歩兵団ではなくVMで更生されている理由は、恐らくそれであろう。量と質のどちらを取るかは状況次第なのだ。じゃあ最初から教えてくれよ。

「では行きましょう」

 竜が人里に姿を表すことは少ない。霧で狭まった視界の中を大小様々な竜が飛び交うこの光景は、ガリアにとって異質ですらあった。

 絵物語に出てくるようなオーソドックスな竜だけではない。翼の大きなもの、首が長いもの、翼を持たないのに空を舞うもの――それらは全て竜でありながら、様々な種類の動物を眺めているような気分にさせられる。

 ドラゴンクラスはこれを元にしているのだから、個性的な外見が多いのも必然だろう。

 見とれながら歩いていると、立ち止まったスカルモールドに激突した。

「うわっ、なんだよ突然」

 マリエッタが恨めしそうに言う。

「あなたがぶつかったから起きてしまったではありませんか」

 眼の前に居たのは、今まで見た中で一番巨大な竜だ。先程まで寝ていたらしく、身体を地面に投げ出している。しかし鋭い眼光で二機を眺めると、立ち上がりながら低く唸った。

 刹那、わずかに霧が晴れる。次いで炎の渦が二機を襲う。咄嗟に回避した敵の姿に、巨竜は射殺すような視線を向けていた。

「怒らせてしまいましたわね……申し訳ないですが、戦うしかありません」

 金属特有の高い音。彼女が拳を握り込んだ音だ。二足で立ち上がった巨大な竜に、高鉄の拳を突きつける。

「眠りを妨げてしまったことは謝罪しましょう……ですが、立ちはだかるのでしたら容赦は致しません」

 関節から赤い光が漏れ出す。バーンインパクトモードだ! 完全に観戦モードに入ったガリアは、他人事のようにその姿を眺めた。

 巨竜の咆哮が大地を揺らす。それは地鳴りが起きたのかと錯覚させるほどに激しい。しかしマリエッタは一歩も退かなかった。――炎を纏った拳を振りかぶる。

「アッターック!!」

 雄叫びとともに赤い閃光が地を駆けた。目にも留まらぬ速さで巨竜の胴を打ち付ける拳は、まるで弾丸のような鋭さを以て分厚い皮膚を穿つ。溢れ出す高音の血液を回避するように、スカルモールドは高く飛び上がった。

 それはまるで、大空を舞う白銀しろがねの翼。研ぎ澄まされていながらも猛々しいその姿は、小振りな白竜を思わせる。

 姿を追う巨竜は、しかし濃い霧に身を隠したスカルモールドを見つけることができない。あっこれチャンスじゃん。

「おらおらこっちだぞ!!」

 マリエッタのように拳を構える。しかしこんな巨体を殴りに行くほどガリアの肝は太くないのだ。真っ直ぐに伸ばされた腕は発射口となる。

「バレットスマッシャーナックル!」

 ガリアに代わって飛び出した拳は、巨竜の顔面を強打し爆発四散。同時に空からマリエッタの声が降り注ぐ。

「よくやりましたわガリア!」

 声に遅れて降り注ぐ赤い光。マリエッタの技の冴えに限界にまで高められた出力が上乗せされ、炎を纏った流星のような一撃を巨竜に叩き込む。

「一閃!!」

 地面までをも穿った拳。断末魔の咆哮は大地を割り、絶命の壮絶さを墓標に刻み込む。

「……ふう。それでは先に進みましょうか」

 一仕事終えたマリエッタは、休むことなくそう言った。

「一休みしても良いんじゃねえのか」

 ガリアの提案を彼女はあっさりと否定する。

「ここに心休まる場所などありませんから。少しでも早く進んでしまったほうが良いでしょう」

 ここが戦地のど真ん中であることを忘れていた。だからこうして一戦交えたわけだし。

「遅れるようなら置いていく……と言いたいところですが、今回ばかりはあなたが居ないと心許ないところがあります。どうしても疲れたとおっしゃるのでしたら、わたくしが護衛致しますが……」

 彼女の語調は柔らかい。頼めば本当に休ませてくれるのだろう。

 しかし先程の戦いで、ガリアはほとんどなにもしていなかった。これで疲れたと言っていては騎士の名が廃るというものだ。

「いや、問題ない。早く行こうぜ」

 ガリアの答えに、マリエッタは満足げに言った。

「ええ。男の子はそうでなければいけませんわね」

 褒められたぞ、やったあ。

 それから先は順調だった。好戦的な個体はいくつか居たものの、ガリア達の敵ではない。即席とは思えないコンビネーションで並み居る個体をぶちのめし、竜の縄張りを悠々と突破していく。

「騒ぎすぎたようですわね……大群が来ますわ。十字方向、三、二、一!」

 鬱屈とした霧に阻まれ、竜の姿はおぼろげにしか確認できない。ガリアは超音波レーダーで、マリエッタは気の動きで敵を読む。恐ろしいことに、マリエッタの感覚はレーダーよりも正確だった。

「食らいやがれ! グローズビーム!!」

 霧を掻き分けて進む閃光。――命中。小振りの竜はチリ一つ残さず消滅する。

「タイミングまでバッチリだ。まるで見えてるみたいだな」

 ガリアが言うと、彼女は特に誇るようなこともなく言う。

「演武を嗜んでおりましたので。気の動きには敏感なのです」

 演武――というのは確か、実戦的でない、技の出来栄えを披露するタイプの武術だ。マリエッタは実戦的な技を好む。意外な取り合わせだった。

「そうですね……気になるようでしたら、今晩、少しお話して差し上げましょうか」

 母親の登場もあって、彼女の人生が少しばかり気になってきたところだ。いい機会だとばかりにガリアは頷く。

「ああ。こんなとこには娯楽もないしな」

「わかりました。では、進みましょうか」

 それから程なくして、安全地帯にたどり着く。広く設けられた野営の跡が、今はまた新鮮に映るのだった。

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