第30話 事故車起こし

 病院前の停留所からバスに乗り、小熊は後藤と共に旧武川村地域へと向かった。

 韮崎の駅近くにある病院からの距離は短く、これなら礼子や椎が時々顔を出すのも頷ける。もし小熊もカブに乗るようになれば、三十分とかからず行き来出来るだろう。カブのシリンダーヘッドが熱くなるまでもない時間と距離。

 後藤は短いバス移動の時間にもノートPCを開き、ネットのあちこちを見て回っては、文字を打ち込んでいる。車に酔うのではなかと心配したが、元々顔色が悪いので見た目は変わらない。

 バスは牧原の交差点を小熊の家とは逆方向の左へと曲がり、別荘地帯の入り口である横手へと向かう。小熊の通う高校を通り過ぎて少し走った先で、小熊は降車ボタンを押してバスを降りた。

 半ば強引に連れてきたという理由もあって、小熊は後藤の分まで払おうとしたが、後藤は自分のPASMOを出した。手で制する小熊に対し、後藤は言う。

「わたしはもう社会人だから」

 他人に対し、根拠なき優位性を以ってマウンティングが行われることの多いネット界隈に耽溺した後藤は、小熊を上位から見下す方法を見つけ出したらしい。

 相手が誰であろうと自分の流儀を守るようにしている小熊も、大人しく後藤が支払うに任せた。社会的立場といった点では、まだ奨学金の貸与で暮らしているバイト高校生の小熊より後藤のほうが高いヒエラルキーに存在するんだろう。

 

 小熊はバス停のすぐ近くにある青い鉄筋の建物に近づいていった。病院前でバスに乗ってからここで降りるまで、松葉杖をついた小柄な女子高生の小熊に、周りの人たちは親切だった。小熊が軒先に中古バイクが並べられた建物の引き戸を開け、中に入ると、建物の主が顔を上げた。

「よう」

 小熊がここでカブを買って以来ずっと世話になっている中古バイク屋の店長、シノさんは短い挨拶をしただけで、テーブルに古本屋のビニール袋に入ったまま積まれている昭和時代の漫画を読む作業に戻った。

 シノさんは後ろから恐る恐る入ってきて、中に満たされた機械油の匂いをクンクン嗅いでいる後藤に興味を抱き、幾らか丁寧な挨拶をしようという顔をしたが、小熊が発した言葉に遮られる。

「今から始めます」

 シノさんは再び漫画を読み進める作業を再開させながら言った。

「裏に揃ってるよ」


 言葉にも態度にも、重傷の骨折を気遣う様子が微塵も感じられない。事実バイクに乗っている人間が出入りしている場では、それくらい風邪か何かと変わらない。シノさんが普段事務仕事をしている。今は子供みたいに漫画に出てくるバイクのミニカーを置いているデスクのペン立てには、ボールペンや石刷りに使う鉛筆と共に、鎖骨を折った時に入っていたピンが数本放り込まれていた。

 小熊はシノさんに軽く頭を下げ、勝手知った店内を通り抜けて店の裏手に出た。

 店裏はコンクリート敷きの屋外スペース。普段は冷暖房の効いた店内で整備作業を行っているシノさんが、塗装や研磨の時に使う屋外作業場で、小熊と礼子がしばしば占拠している。

 周囲に部品や工具の箱が積まれた吹きっ晒しの作業場。その端に小熊のスーパーカブが停まっていた。

 

 小熊は松葉杖をつきながら、半ば駆け寄るようにスーパーカブへと近づいた。車体のあちこちが破損、欠品したカブのスタンドを上げる。松葉杖を前カゴに放り込み、片足だけを使って作業スペースの中央へと転がしていった。

 後藤が見知らぬ場所で居心地悪そうな様子なので、礼子と作業する時に椅子として使っているビールケースを持ってきて薦める。自分のためにもう一つのビールケースをカブの横に置いた小熊は、座り込んで各部の損傷を確認した。

 カブは巨大な怪獣が噛んで吐き出したような姿だった。

 ミラー、灯火、外装の樹脂部品、割れそうなとこは全て割れ、外れそうなところは全て外れている。

 後藤が小熊の後ろから話しかけてきた。

「直るの?」


 他人の不幸が大好きな後藤にとって、カブが修復不可能になって小熊が悲嘆に暮れるのは、この上なく愉しく悦ばしい出来事らしい。中古バイク屋に来てずっと退屈そうだった後藤の目が輝いている。

 小熊は右側に自分の膝がつけた大穴が開き、左側はほぼ無くなったレッグシールドを引っ張りながら答える。

「え? 別に壊れてないけど」

 小熊が見る限り、交換が必要なのは外装部品のみ。いずれも劣化したら、あるいはお気に入りの新色が見つかったらよく替える部品で、車体の交換、即ち廃車に繋がるような基幹部分はほぼ無傷。整備に長時間を要するような部分は見当たらない。

 このカブを元の姿に戻すには、事故時の衝撃を吸収して用を果たした部品を換えるだけ。オイルや電球の交換と変わりない。


 興味を無くしてノートPCを開いている後藤の肩越しに、作業場の隅を見た小熊は顔を綻ばせた。

 松葉杖を使って立ち上がった小熊は、目当ての物へと歩み寄る。純正部品の地味なダンボール箱の間に置かれた。赤と緑の派手な包装紙の目立つ大きな箱。

 包みを破り箱を開けると、中身はカブの中古部品だった。外装パーツが一通り入っていて、小熊が歪みを憂慮していたフロントフォークもある。いずれも中古部品とは思えないほど綺麗に磨かれ、個別に袋詰めされている。

 部品と一緒に入っていた納品書には、小熊が懇意にしている勝沼フルーツラインの解体屋の名が記されていた。小熊はあの蒸気を発する音にしか聞こえないような声を発する、機械の部品を組み合わせて作った棒人間のような店主を思い出してくすくすと笑う。


 小熊が以前あの解体屋に部品を買いに行った時は、風雨と油で汚れた部品をそのまま売っていた。棒人間と何度か会話らしき事を重ねた小熊が冗談の積もりで「ここはギフトラッピングのサービスが無いことを除けばいい店です」と言った時は何も答えなかった棒人間も、思うところがあったらしい。

 きっと最近あの解体屋に押しかけて暮らし始めた、棒人間の恋人と自称するマルーンの女のせいだろう。

 当初、民俗学の優秀な研究者だったという棒人間が勝沼で解体屋を営む事を認めていなかったマルーンの女も、この仕事が彼の山梨でかつて猛威を振るった風土病を徹底的に調べるというフィールドワークの一環であることを知ってから、彼の生活を受け入れるようになった。


 そこで話が終わればよかったんだろうが、マルーンの女は店構えと部品は汚くとも品質と希少部品の在庫数はプロの人間が揃って認めている彼の解体屋を、バイク好きな恋人たちがデート気分でリユースパーツをショッピング出来る店に作り変えたいという愚行を思いつき、棒人間もそんな彼女を特に止めようとはしていないらしい。何年も前に彼女を捨てて姿を消し、その件に対し何の感情も抱かなかった彼が今更になって示した、微かな気持ち。

 必要な部品が過不足なく揃い、新品並みの見た目に加え取り付け用のネジまで付属しているのを見た小熊は、悪い予感がして納品書の数字を確認した。

 かつてはkg幾らで部品を売っていた解体屋の請求額を見た小熊は「あの野郎」と呟きながら納品書を握りつぶす。

 部品のクオリティは落ちていないが、この単価については後でじっくりと値切る必要があるだろう。


 職人の世界で昔から伝わる、段取り八分仕事二分という言葉にある通り、必要な部品が揃っていて、自宅には無いエアツール等の工具を使えたこともあって、小熊のカブの修復は順調に進む。

 部品を外し、新しい部品を取り付けるだけ。幸い実走による調整が必要なパーツは無い。事故の時にクラッシャブルゾーンとなって乗り手を守った前カゴは、小熊が手と足とお尻と、自動車用の油圧ジャッキで歪みを修正した。

 午後の時間を一杯に使って、暗くなるまでに出来るところまで進める積もりだったが、修復はおやつの時間までに終わりそうな勢い。桜井と何か約束をしていた気がしたが忘れた。

 小熊が片足の不自由にも係わらず作業を進め、カブが見る間に元の姿へと戻っていく姿には無関心で、手伝う様子すら無くずっとノートPCに向かっていた後藤が口を開く。

「凄いね、小熊ちゃんは」

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る