第85話 再びケデロシオへ
平和は長くは続かなかった。たった五日だった。
そう、再びケデロシオに単身赴任しなければならないときがやってきたのだ。
当たり前だということはわかっている。ケデロシオでの新事業、あるいはネアンデルタール人たちとの通訳など、俺でなければできないことが山盛りなのだから。
俺一人に強く依存している状況を打破しなければと思い立って、もう何年になるのか。いい加減なんとかならないものだろうか。
……いまだに打破できていない理由は、まあ、わかってはいるんだ。大体の場合、俺が新しい事業を矢継ぎ早に始めるのがいけない。
でも仕方ないじゃないか。俺は健康で文化的な、最低限度の生活をしたいんだ……。
「……行きたくない」
「そういうわけにはいかんじゃろー」
「そですよ、お仕事やないですか」
見送りに来てくれたメメとテシュミが、「仕方ないなぁこいつぅ」みたいな顔で言う。
そうは言うがな。
「メメの身体が心配なんだよ……。せめて生まれるところを見てからがいい……」
「んんん、その気持ちはようわかりますけど……」
「うん……気持ちは嬉しいんじゃが……」
ああ、照れるメメがかわいい。この顔をまた一ヶ月近く見られないのか。地獄だ。
いや、俺のほうはどうだっていいんだ。
そんなことより、メメは大丈夫だろうか。俺がいない間、彼女に万が一のことがあったらどうしよう。
妊娠自体はもうこれで四回目なので、いつもだったら俺もこれほど心配しないのだが……どうも今回は様子が違うからいけない。
先日チハルとソラルが指摘したのを聞いて以来、メメを気にして見ていると確かに二人の指摘は正しかった。どうも最近のメメは、歩くのに難儀していることが多かったのだ。
今まではこんなことはなかったのだが……。
「ギーロ……」
とそこに、やはり見送りに来てくれたバンパ兄貴が俺の肩に手を置いた。
「お前のことだから、子供が生まれてからもなんだかんだと渋るんじゃないのか?」
「うッ」
「そして子供が成長してからも、なんだかんだと渋りそうでもある」
「うぐぅッ!」
会心の一撃が俺の心に突き刺さった。
そのままがっくりと肩を落とす俺。
「だから面倒事は早いうちに終わらせておいたほうがいいと思うぞ」
「……その通りでございます……」
ぐぅの音も出ないほどの正論である。
わかってはいる。
いるのだが……人間、必ずしも道理や正論で動こうと思うわけではない、の典型みたいな状況なんだよなぁ……。
「大丈夫だ、ギーロ。お前の留守は俺に任せておけ」
「……兄貴」
うなだれたままの俺に、兄貴が胸を叩く。
……はあ、兄貴にそこまで言わせてしまったら、俺も頷くしかないよな。
それに、やはり兄貴の「任せておけ」は安心感がすごい。俺はきっと、いつまでもこの兄貴には敵わないままなんだろうな……。
「せやで、たまには俺らも頼らんかい」
「ガッタマ」
声のしたほうに顔を向けると、手を振りながらこちらに歩いてくるガッタマの姿が。
「お前はなんちゅーか、自分一人でなんでもかんでもやろうとするとこがあるんやなぁ。そらお前の頭ん中にある知識は、俺らなんかとは比べ物にならんやろうけど……言うてお前、一人で全部できるわけあらへんやろ」
「お、おう……」
どうした、ガッタマ。今日はやけにいいことを言うじゃないか。死亡フラグでも立てに来たのか? それとも最終回なのか?
「……なんでそんな疑いの目を向けられなあかんねん?」
「いや、普段との落差というか……あ、うん、すまん。そうだな、お前の言う通りだ」
昔、そのようなことを自分でも考えたことがある。自分しか知らないことばかりだから、どうしても自分で全部やってしまいたくなるんだよな。
でも……そうだな。今回に関しては俺の知識でどうにかできることでもない。何も起きないように、兄貴がなんとかしてくれるだろう。
あ、一応ガッタマも。
「じゃあ兄貴、悪いが任せる」
「ああ、任せておけ」
「あれギーロ、俺は?」
「あ、うん、ガッタマも頼む」
「軽ない!? まあええけど。お前に今さら畏まられても気持ち悪いだけやしな」
的確なツッコミのあと、あっさりと受け入れてしまえるガッタマは、なんだかんだで頼りになる義兄だよ?
ただ年上の威厳という点では、兄貴が完全上位互換すぎてガッタマからは感じられないだけで……。年子というか、そんな感じの……バカ話のできる関係なだけで……。
「父さん、気をつけてね!」
「なるべく早く帰ってきてほしいですよ」
「ああ、もちろんだ」
今まで呆れ顔だったチハルとソラルが口々に言うが、俺だって最速で帰る気満々だ。メメだけでなく、子供たちがいないというのも大概地獄だからな。
それはそれとして、ソラルの実験がどうなるのか気になる、ということもある。昨日やった最初の実験は見事に失敗だったからなぁ……。
「……それじゃ、行ってくる」
「うん、行ってらっしゃいなのじゃよ!」
「お気をつけて」
「行ってらっしゃーい!」
「行ってらっしゃいです」
かくして俺は、家族に見送られて再びケデロシオへ旅立った。
数人の男を引き連れて……って、この状況、自分で言っていて悲しくなってくるな。早速帰りたくなってきた……。
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というわけで、ケデロシオ。いつも通り、五日ほどかけてやってきた。
今回ルィルバンプと往復したのは予定になかったことなので、目立って持ち込んだものはない。それでもせっかく往復するのならと、多少の物資を持っての来訪だ。
そんなの多少の物資の中に、蜂蜜がある。今年の初物の一部だ。
と言っても、うちで飼っているスズメバチはミツバチではないので、その量は決して多くはないのだが……この時代には珍しい甘味だ。ケデロシオでも珍重されているので、これくらいでも持ち込むとだいぶ喜ばれるのだ。
こいつをケデロシオに着いた日の夜の宴で、みんなに振舞う。
「ウマイ!?」
「ナニ、コレ!?」
「ホアァァ!?」
そんな蜂蜜を初めて口にしたネアンデルタール人たちが、目を白黒させている。させながらも、随分とはしゃいでいる様子だ。
生き残っているネアンデルタール人は子供が多いからか、こういうときのリアクションはかなり素直だ。用意した側としても、これだけストレートに受け取ってくれると嬉しくなる。
まあ、アルブスに初めて与えたときのリアクションが薄かったのは、先にチョコの実を食べたことのある人間が多かったからだろう。
ミツバチが作った生粋の蜂蜜ではないから、甘みや味の深みなどは、どうあがいてもチョコの実には勝てないんだよなぁ。チョコの実、完全に二十一世紀のミルクチョコレートだから。
しかしそれを考えると、ネアンデルタール人たちにチョコの実を与えるとどうなることやら。
「だべ? これもギーロさんの作ったアレの一つってワケ」
「ギィロ、スゴイ!」
アインがハナ相手に、俺のちやほやをしている。
おかげでハナから熱いまなざしを向けられたが、俺は苦笑して応じるに留めた。
ここでうっかりキメ顔を返して、性的な意味で襲われたりしたら困る。色んな意味でそれはないとは思うが、その可能性は極力減らしておきたい。
「モット、ホシイ!」
「ホシイ!」
「ねーわたしもー!」
と、そこで人種を問わず子供たちに取り囲まれてしまった。そんなに量は持ち込んでいないのだが……。
……ま、いいか。どうせ配る量を制限したところで、すぐなくなるのは目に見えている。ならば今、宴という特別な環境下で全部振舞ってしまったほうが後腐れもないだろう。
「はいはい、順番だぞ。人のものを取ったらダメだからな」
というわけで、一応一言釘を刺しておきつつ、蜂蜜を再配布する。
すると、すぐに子供たちの歓声が響き渡った。
だが残念、これで完全に打ち止めだ。
それを告げたら、大ブーイングが返ってきた。
何を言ってもダメなものはダメだ。無い袖は振れないのである。
「いやー、マジパネェいい反応するスねぇ」
「子供はこれくらい素直なほうがいいさ」
「そッスねぇー」
……子供の話題でアインにそう言われると、なんだか違う意味に聞こえてくるな。他意はないと信じたい。
「けど、蜂蜜でこれだけってなると、チョコだとヤバいんじゃねスか?」
「お前もそう思うか」
「そりゃぁ? アレはこう……とにかく色んなモンがダンチって言うか?」
「だよなぁ……」
さっきも触れたが、チョコの実の味わいはただの果物の枠を超えている。ある種のオーパーツなので、しばらくは持ち込まないほうがいいかもしれない。
まあ、幸いというかなんというか、チョコの実は誰にでも配布できるくらいの量を収穫できる段階には至っていない。当分はケデロシオまで持ち込む余裕は一切ないだろう。
「ギィロ、モット!」
「もっとー!」
「もうないと言っただろう……って、こら、服を引っ張るんじゃありません!」
俺はその後も、子供たちにたかられ続けた。ないと言っても聞きやしない。
……というよりは、わかった上でじゃれている感じだったので、別に目くじらを立てるほどでもなかったが。
それでも無邪気な子供たちとのやり取りは、ルィルバンプに残してきた子供たちとのふれあいを思い起こさせて、どうにも切ないものがあったことも事実だ。
そして俺は固く誓った。
一刻も早く単身赴任を終わらせるため、やはりできるだけ早くネアンデルタール人たちに言葉を覚えさせねばなるまい、と……!
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