第84話 穏やかなひととき

 午後。約束通りソラルに付き合うべく、俺は彼女があれこれやっているところに顔を出した。


「何あれ……こわ……」


 そのソラル。大量の縫い針を同時に振るって、空中で革をつなぎ合わせていた。

 何を言っているかわからないと思うが、俺もわからなかった。目を疑ったよ。


 けれども、何回目をこすっても景色は変わらない。


 ソラルは地面にあぐらをかき、両手を広げて目を閉じて。無数の縫い針を見えない力で操って、空中で複数の革を縫い合わせている。

 傍から見ると……その、なんだ。どこぞのカルト教団か何かに見える。


「あー、あれ。ソラはああいうの得意なんだよねぇ。器用っていうか」


 同行していたチハルが、屈託なく言う。

 得意なのか。ああいうの。


「ソラはね、念動力で一度にたくさんのものを同時に動かせるんだよ」

「へ、へえ……」


 そういうところにも個人差があるんだなぁ。


「ボクはあんなにたくさんは動かせないんだけど、重いのとか大きいのを動かすのはボクのほうが得意なんだ」

「マジか」

「手で剣持って、それと一緒に丸太も動かせるのはボクだけなんだよ!」

「マジか……」


 どんな二刀流だよ、それ。怖すぎるわ。


 というか、自慢げに言うがなチハルよ。そこまで戦闘力を高めて、お前は一体何と戦っているんだ?


 男だけでも化け物のアルブスが、女まで化け物になろうとしているのか。俺はもしや、とんでもないことをしでかしてしまったのでは……。


「ソラー! 父さん来たよー!」

「ほんとですか!」


 俺が現実から逃げようとしているところで、容赦なく回り込んでくるスタイルの娘二人。

 彼女たちに「おう」と手を上げて見せ、俺はこっそりとため息をついた。


「とりあえず来たけど……その、なんだ。俺、この状況で手伝うことってあるか?」


 複数同時進行しているソラルの縫い仕事、かなり出来がいいように見える。

 編むのはともかく縫うのはさほど得意ではないぞ、俺。できないとは言わないが……。


 そもそも、今ソラルが求めているものは気嚢だ。中に詰めた軽い物質が漏れないよう、気密性を高める必要がある。そんなところで大した腕のないやつが参加しても、足手まといにしかならないと思うが……。


「えっとですね、お父の魔術を使ってほしいです」

「……んん?」

「もっと魔術の精度を上げたいです。だから……」

「あー」


 ぽん、と手を叩く。なるほど。

 俺の持つ二つ目の魔術……他者の能力強化を使いたいということか。


「いいぞ。魔術の制御技術みたいな感じで考えればいいか?」

「はいです」

「わかった。それじゃおいで」

「はーいです!」


 すぐ近くに腰を下ろすやいなや、膝の上にソラルが飛び乗ってきた。


「あーっ、ソラずるいよ! ボクもボクも!」

「えー、だってこれ、ちぃにはできないですよ?」

「う……っ、そ、それはそうかもしんないけど……」


 悔しそうに表情を歪めるチハルに対して、ソラルはドヤ顔である。


 こいつ……これを狙っていたな? いや、俺の手助けがほしいという点も間違ってはいないのだろうが……。


 他者の能力強化は、存在を明かしたとき(第六十一話参照)は詳しく説明しなかったが、相手に触れていなければならないという発動条件がある。だからこそ、今回ソラルの能力を強化するに当たっても、何かしらの形で触れている必要がある。

 ただ、常時手を触れているのは意外としんどかったりする。同じ姿勢でなければならないわけだから、当然ではあるのだが。だからこそ、俺の膝の上に座るというのは間違いではないんだよなぁ……。


「うー、じゃ、じゃあ、ボクも何かする! 手伝う!」

「えー……」


 負けてなるものかと宣言するチハルだが、ソラルの反応は冷たい。その顔には、「お前何言ってんだ」と書いてあるかのようだ。

 実際その通りで、チハルは手先の器用さが求められることは基本苦手だ。剣の細かい取り回しはあんなに上手なのに、世の中不思議である。


 まあでも、この状況で仲間外れにするのはさすがにどうかと思う。


「じゃあ。チハルには糸を紡いでもらおう」

「いいの!?」

「お父……」


 俺の言葉に、顔をほころばせるチハル。一方、ソラルは今にも「正気ですか」と言いたげだ。

 そんなソラルを敢えて無視して、俺は思うところを述べる。


「これだけ同時に縫合していたら、糸がどれだけあっても足りないだろう?」

「そ、それは……そうですけど……」

「チハルは糸紡ぎはそんなに得意じゃないだろうが、そこは俺が魔術で手を貸すから。これで平等だろう?」

「うう……はい……」

「やったー! 父さん大好きー!」

「はははは……チハル、嬉しいのはわかったから念動力つきで抱きつくのはやめなさい……死ぬ……」

「あっ、ご、ごめん!?」


 飛びついてきたかと思えば、大急ぎで離れるチハル。痛くはあったが、こういう喜怒哀楽がはっきりしているところは彼女の美点でもあるので、何も言うまい。


「構わないよ。……ほらチハル、ガッタマのところから糸をもらってくるといい。このままだとソラルがずっと俺を独占するぞ」

「はうっ!? そ、そうだね! 行ってきます!」


 そしてチハルは、嵐のようにこの場から去っていった。


「……ちえ」


 彼女を見送って、ソラルが唇を尖らせる。やはり、俺を独占するつもりだったな? 悪い子だ。


 とはいえ、その間にもソラルは魔術を止めていない。俺の能力で強化された魔術(この場合は念動力だが)の制御は冴え渡っており、先ほどまでに比べて明らかに早く、また正確な動きで革が縫い付けられていっている。


 その様子を眺めながら、改めて思う。

 長年ずっと謎だった現象は、全部これが原因だったんだなぁ、と。


 たとえばメメの超視力。俺と組んだときのみ、地平線という制限を大幅に超えて、はるか遠くまで見通せる。

 たとえばテシュミの謎品質糸。俺と組んだときのみ、テシュミが紡ぐ糸はただの麻糸とは異なる高品質なものとなる。


 まあ、テシュミの場合は当初、なぜそうなるかはわかっていなかった。二人で一緒に糸を紡いでいるのを見た子供たちに指摘されて、初めて気づけたのだが。


 なお、これに気づいて以降、俺は強化する能力をある程度任意で指定できるようになった。結果的に便利どころか、チートすれすれのトンデモ魔術と化したが……そこはご愛嬌だろう。


 ただしこのトンデモ魔術、実は触れる以外にも一つ条件がある。

 それは、俺と一定以上親しい関係にある人間に限る、というものだ。ついでに言えば、俺と親しければ親しいほど、効果は増す。


 その辺りの線引きがどうなっているかはわからないが、少なくともロリコン三人組には適用できなかった。表面的には彼らともかなり親しいはずなのだが……俺が無意識下で警戒しているからだろうか。


 逆にバンパ兄貴には、メメ並みの効果を発揮した。そのときは兄貴の筋力を強化したのだが、アトラトルのような道具なしで丸太を百メートル以上投げてくれた。しかも相当な余裕を持ってである。

 もちろん、相手(マンモス)は死んだ。胴体に風穴が空いたのだ。即死だった。ちびるかと思ったよ。二度とやるもんかとも思ったさ……。


「ただいまー!」


 おっと、チハルが戻ってきた。


 ……って、おい。


「また随分とたくさん持ってきたな……」

「父さんの助けがあるなら、これくらいボクでもできるかなって思って!」


 そう言って笑うチハルだが、手にした籠は大きく、紡績前の糸がてんこ盛りになっている。妙なところでソラルに対抗心を燃やしているのかもしれない。


 ……それと、念動力で運ばれている土器は一体なんなんだ?


「あと……父さん、はいこれ。おやつ」

「んんん?」


 土器の中には、干しブドウが。

 これはあれか、保存食用の土器か。


「魔術ずっと使ってるとお腹減るでしょ。父さんの分と、ソラの分」

「ああ、なるほど。ありがとうな」

「へへへー」

「……ありがとです」


 確かに、魔術を連続稼働していると腹が減る。俺の場合、子供たちほどカロリー消費が激しいわけではないのだが、二人同時に長時間となると、やはり結構消耗するだろう。この差し入れはありがたい。


「じゃーソラ、交代!」

「まだ全然です、ダメです」

「えーっ、ずるいよー!」

「ダメなものはダメです」

「むー、ソラのバカ!」

「ふわう!? ちょ、ちぃ! ソラに直接念動力はダメです!」

「二人ともやめなさい」

「「はーい」」


 まったくもう。そんなことでケンカしてどうするんだ。

 何より、俺の膝の上でどったんばったん大騒ぎするのはやめてほしい。俺は頑丈だが、それとこれとは話が別だ。


「ソラル、ちょっとだけずれてくれ」

「……はぁい」

「ほらチハル。こっち側、空いたぞ」

「わぁい! ありがと父さん、大好き!」


 ということで、二人同時に膝の上に乗せることになった。

 まあ、アルブスの女の中でもまだ子供の二人だ。体重は苦にはならない。かわいいものだ。


 これがサピエンスなら足がしびれたりするのだろうが、なんと俺の身体はそれも起こらない。超治癒力さまさまだ。

 まあ問題になのは、俺自身がまったく動かないことに耐えきれるかどうかだが……。


「糸紡ぎって久しぶりだなぁ……」

「……できるだけいい糸を作るですよ」

「んー? どーかなー、やってみるけどさー」

「やってみるじゃなくて、やるかやらないかですよ」

「……また父さんの受け売り使うー」

「事実です」

「そうだけどさー」


 ……さっきまでケンカしかけていたのに、二人並んだ途端にこれだ。この二人、やっぱり仲がいいんだなぁ。

 ただ、俺が会話に入る隙がないのはなんとかならないか。この状態でただ黙って見ているだけって、なかなか精神的につらいぞ……。



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 それからどれだけの時間が経っただろうか。二人ととりとめのないことをだべりながら、作業を見守っていたらいつの間にやら夕暮れだ。


「おーい三人とも―」


 そこに、メメがやってきた。


「お母」

「ホントだ、メメ母さんだ」

「おう。どうした?」

「そろそろご飯の時間じゃよー」

「……それもそうだな」


 改めて周りに目を向けると、あちこちから炊事の煙が上がっていた。今日も一日が終わるんだなぁ。


「みんなで一緒に帰るのじゃよー」

「ああ、そうしよう」

「「はーい」」


 メメが言うと同時に、娘二人は即座に道具を仕舞い始めた。我が家の最高権力者はメメなので、正しい判断である。


 俺も二人の片づけを手伝おう。早く帰れるに越したことはないだろうし。


「……まだちょっとかかりそうじゃな。わしも手伝うのじゃよ!」

「気持ちはありがたいが……あまり無理はしないほうが」

「これくらい大丈夫じゃよ! もう安定期じゃし、少しくらいは動いたほうが……ひゃあっ!?」

「メメ!」


 俺が心配するや否や、まるで一級フラグ建築士のごとくフラグを立て、即座に回収にかかるメメ。

 これがギャグなら見上げた才能だが、ここは現実だ。何より、妊婦が転倒なんて危なすぎる!


 慌てて手を伸ばすが、ダメだ。ぎりぎりで届かない……!


「「危ない!」」


 が。メメがまさに地面にダイレクトアタックしそうになった瞬間だ。

 チハルとソラルの声が重なり、すんでのところでメメの身体は空中にふわりと浮きあがる。


「ほわ……お、おおう、おーう……」


 そのまま宙に浮いた形になったメメは、きょどきょどと周りに目を向けていた。


 しばらくそうしていた彼女だったが、チハルとソラルがさらに力を働かせたのだろう。ふわふわと俺のほうに漂ってくる。

 なのでしかとメメの身体を抱き留める。


「……大丈夫か?」

「う、うん、大丈夫なのじゃ。ちょっと油断しただけじゃよ」

「気をつけてくれよ……心臓が止まるかと思ったじゃないか」

「うう、ごめんなのじゃ……」


 バツが悪そうに縮こまるメメ。この辺りの仕草は、本当にいつまで経っても変わらないな。


「かわいいので、俺は許します」

「わーい、許されたのじゃー!」

「だが娘二人が許すかな?」

「お、おう……」


 抱いたまま振り返れば、そこには腰に手を当ててジト目を向けるチハルとソラルが。

 片付けは終わっているようで、その視線はまっすぐメメに注がれている。


「えっとじゃな、その……二人とも」

「もう! メメ母さんってば、気をつけてよね!」

「です……お母一人の身体じゃないですから……」

「わ、わかっとるよ! もう……わしだって反省しとるわい!」

「ホントかなぁ……」

「ですです」

「あうう……」


 完全にフルボッコである。それだけ二人も心配したのだろう。


 まあ、メメも反省しているのだし、これ以上はやめさせておこう。俺はいつなんどきでもメメの味方なのだ。


「はいはい、二人ともそれくらいでな」

「「はーいー」」


 と言いつつも、二人は唇をとがらせている。


 うーん、気持ちはわかるだけに、俺もこれ以上は強く言えないな。


「……とりあえず、飯にしようぜ? ここであれこれ話しても仕方ないだろう」

「そ、そうそう、その通りなのじゃ。うん、さすがギーロ、いいこと言ったのじゃ!」

「それもそうだけどさー……ねえ、ソラ?」

「です。ここ一週間くらい、お母ってば一日に一回はコケてるですよ? 明らかに普通じゃないです」

「……なんだって?」


 それは聞き捨てならない。

 思わずメメの顔を見ると、さっと逸らされてしまった。


「……メメ」

「う、うん……なんていうか、最近ちょっと、身体のバランスがとりづらいのじゃよ」

「ガチじゃないか!」


 妊娠の影響か? 何か得体の知れない病気でなければいいが……。


 ……とりあえず、俺の血を飲ませておくか。大体の病気はそれで治るし……それで様子見だ。


 ただ、今は……。


「はあ……それも含めてあとだな。まずは飯にして、腹ごしらえだ」


 ということで、俺はメメを肩車した。いつものスタイルである。

 ただし、お腹にもう一人いるからか、いつもよりちょっと重く感じる。


「う、うん……。黙っててごめんなのじゃよ……」

「そういうのもあとだ、あと。……あ、でも配膳とか片付けは俺がやるからな?」

「……うん。ありがとなのじゃ」


 こつん、と俺の頭にメメの顎が乗った。

 痛みはない。ただ、そこからじんわりと愛おしさが伝わってくる。


「それじゃ、帰ろうか」

「うん」

「「はーい」」


 両隣にはチハルとソラルが並び、それぞれの肯定が返ってきた。


 夕日を背負っての家路。願わくば、この平和がいつまでも続きますように。

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