第81話 ソラルの新魔術
「お父、お父」
「ん? どうした?」
「ソラも新しい魔術作ったです」
「ほほう」
「こっちはソラが一人で作ったです。バリアとは別です」
「そうなのか」
バリアはチハルが発端で、途中からソラルを加えて共同開発した魔術。
だが今度のものは、正真正銘ソラル一人で開発したものということか。
「あ、そういえば何か作ってたよね」
「私は初耳ですわ」
「黙ってたですから」
なぜか胸を張って、ソラルが言う。
……秘匿していた新技術、か。
なぜだろうな。嫌な予感しかしない。
というか、これほど嫌な予感しかしない言葉というのも、珍しいのではないか。それくらい、全方位フラグめいた発言だ。
「まだ使ってはいない……というか、大っぴらにはしていないのか?」
「はいです。いつも何かあるから、お父に具合を見てほしくて……」
「おお、そうか」
思わず大仰に頷いてしまった。
嫌な予感が当たったとか、そういうことではない。驚いたは驚いたのだが、今回はいいほうで驚いたのだ。
今まで何度も惨事を起こしている事実を、さすがに認識したのだろう。まずは俺に確認してもらうことで、それを極力避けようというのだから、これを成長と言わずして何と言おう。
俺は今、子供の成長を目の当たりにしている。感動だ。
「いい子だな。そうそう、何事も想定外のことが起きてもおかしくないんだ。手間かもしれないが、そういう報告は大事だ」
「えへへぇ」
わしわしと頭をなでると、ソラルがでれっと笑った。
「ねぇねぇ、ボクは? ボクは?」
「お前はいきなりダイチに殴らせてえらい目に遭ったばかりだろう……」
「……だよねー」
さすがに身につまされるものがあったのか、珍しくあっさり引き下がるチハル。
……あとでバンパ兄貴とダイチにも謝りにいかないとなぁ。
まあでも、それは今は置いといて。
「……それで? ソラルはどんな魔術を作ったんだ?」
「味噌作りの魔術です」
「……本当に味噌限定か? 単純に発酵を促すものではなく?」
「たぶん、味噌以外にも使えると思うです。発酵の仕組みを聞いてから作ったですから……」
「ふむ……」
本当にそれが可能になっていたとしたら、これまたとてつもない魔術だ。バリアとはまったく方向性が違うので比べる意味はないが、とはいえ生活を豊かにすることは間違いない。
……使い方を変えれば、敵の兵站を破壊する、といったほうへも向けられそうであるが、それはともかく。
「うーむ、発酵か……」
「? どうかしたですか?」
「いや……発酵って、言い方が違うだけで要は腐敗だからさ。安全性の確認をどうしたものかと思って」
「え、なんで?」
「チハル、お前もそうだが俺たちは基本的に病気にかからないだろう?」
「あ、そっか」
そうなのだ。
俺と、俺の子供たちはチート級の超健康を誇る。これが怪我だけでなく、病気にもかからないレベルのとんでもなさであることは、既に何度も述べてきた。
だからこそ、一歩間違えればとんでもないことになる発酵物の安全確認は、正直難しい。腐ったものを食べても、俺たちは恐らくまずいと思う程度でおしまいだからだ。
発酵過程なら、微生物の悪影響を受けないことはメリットになる。それは以前(第七十八話参照)語った通りだ。
しかし完成すると、そのメリットは一転デメリットになるんだよなぁ……。
前々からこの点は密かに気にしていたのだが、味噌作りが難航していたから棚上げにしていた。どうせまだ先だと思っていたからな。
しかしここに来て、いよいよ避けられなくなってきた。……が、だからと言って解決策はすぐに見つかるはずもない。どうしたものかな。
と思っていると、そこにテシュミが小首を傾げながら立候補した。
「それやったら、私が引き受けましょか?」
「え、いやでも、万が一のときを考えると……」
「そこは、ギーロさんの血があれば治りますやろ?」
「え……っ」
何気ないテシュミの発言に、俺は絶句した。そのまま、彼女の顔を凝視する。
「初めて儀式したときもそうでしたし……チハルを産んだあとの産後の肥立ちが悪かったときも、そういうことでしょう?」
「……気づいてたのか」
「なんとなく、ですけどね」
テシュミはそう言うと、にこりと笑って見せた。
そうか。バレていたのか。
あのとき、テシュミを治すために血を与えたことがバレたのは長老にだけだったと思っていたが、当事者のテシュミも全部とは言わずとも、察していたと……。
……いやまあ、わかるか。そもそも、彼女たちがうちに来て初めての儀式(第五十話参照)で治癒力の恩恵を受けていたし、産後の話などは、直前まで絶不調だったのが一時間経たずに治ったわけだし。
長老にバレたときも思ったが、やはり原液を使ったのはまずかったようだ。
いや、普段村の人間を治すときは、血を薄めて劇的な効果が出ないようにしているのだ。色々とあとで面倒になることは想像できるからな。
しかしあのときはテシュミはおろか、我が家でも初めての出産だった。しかもほぼ同時にメメも出産に至ったこともあって、俺自身深く考えている余裕がなかったのだ。何より、死にそうな顔をしていたテシュミを前にして、あれこれと考えるなんて不可能だったのだ。
……まあ、今それについて考えたところで仕方がない。あれは既に十年も前のことで覆しようがないし、そんな昔のことを悔やむより、先のことを考えるべきだろう。
「……すまない。頼めるか?」
「うふふ、任しといてください」
「無理しなくていいんだぞ?」
「ええんですよ。少しは私もギーロさんのお役に立ちたいんです」
「……ありがとう」
実験台なら自分がなりたいところだが、今回のように「影響が出なければ成功」という条件の場合、俺は実験台にはなれない。
心苦しいが、本人が快諾してくれたのだ。俺に寄せてくれる彼女の信頼に応えるためにも、何があってもいいよう万全の態勢を敷くことが、今俺のなすべきことだろう。
「よし……それじゃあソラル……って、どうした?」
テシュミと話をつけて振り返ると、ソラルがチハルに何やら耳打ちしていた。
チハルはと言えば、何やら目からうろこが落ちたかのように晴れやかに頷いているが……。
「なんでもないよっ」
「そうです。ちょっと、実験道具を持ってくるのを手伝ってもらうようお願いしただけです」
「ああ、なるほど」
家の中でメメたちが寝ているわけだし、全員がここから離れるわけにもいかない。それよりここにものを持ってこられるなら、そのほうが楽だ。
何やらチハルが目を丸くしていたが、お願いされただけで承諾はしていなかったのかな。
そのままソラルに引きずられるようにして研究所のほうへ連れて行かれたが、それでも付き合う様子だったのは長女のサガだろうか。
「ただいまです」
ほどなくして戻ってきた二人は、小型の壺を二つと、木枠を宙に浮かべていた。
……念動力、便利だなぁ。
というか、こうやって運ぶのなら二人もいらなかったのでは……いや、まあ、それは無粋なツッコミか。
「はい父さん」
そのうち木枠をチハルが差し出してきた。
以前麹作りの器として使っていたやつとは別で、新品のようだ。
「壺の中は実験用に分けてもらった小麦です」
「ちゃっかりしてるなぁ」
「古くなったのだけ分けてもらったです。新しいのはダメって」
「そりゃそうだ」
壺の中身を軽くすくってみる。
俺に鑑定眼などないので、これが具体的にいつのものかはわからないが……とりあえず腐っているわけではないようだ。
ただ、ところどころ発芽してしまっているものがあるな。一部で乾燥が不十分だったのかもしれない。それも現状では乾燥しているようだが……発芽してしまったものは味噌には使えないだろうな。
ちなみにもう一つの壺は小麦の入っていたものよりさらに小さく、中身は見るまでもなく種麹だとわかる。俺が作って保管していたものだし。
「まずは麹作りから、ということだな」
「はいです」
ということで、麹作りが始ま……らなかった。
いや、麹作りはまず麦(あるいは米)を水に浸したり蒸かしたり、いろいろやることがあるだろう? だから種麹を与えて発酵させる段階に至るまでに、そこそこ時間と労力がかかる。
そこまでやると本気で味噌を作るのと変わらないので、魔術が失敗だった場合のコストが重い。
ソラルにけちをつけるわけではないが、チハルがそうだったように、新しい魔術が失敗だったときは何が起きてもおかしくない。その場合の被害も考えると、味噌まで踏み込むことはためらわれたのだ。
幸い、ソラルは今回の発酵魔術を味噌以外でも使えると思う、と言った。それが本当かどうかを確かめる意味でも、味噌ではなく、別のものを作ってみることになった。
「じゃあ、やってみるです」
「ああ」
壺を前に座って宣言したソラルに対して、俺たちは少し遠巻きに返事する。
あの壺の中身は、煮た以外はそのままの小麦だ。発芽したものも含めてである。
最初は取り除こうと思ったが、意外と発芽済みのものが多かったので、そのまま使うことにした。
発芽した麦……つまりは麦芽だ。これを発酵させるとどうなるか……わかる人にはわかるだろう。
「んんんんー……っ」
壺に向かって、ソラルが何やら念じ始める。瞬間、彼女の周辺がかすかに青く光ったような気がした。
しばらくはそのまま特に変化はなかったが……次第に奇妙な音が聞こえ始める。粘度の高い泡が生じては割れるような……そんな音だ。
音の出どころは壺の中。成否はともかく、魔術がなにがしかの効果を発揮していることは間違いないだろう。
「……ふぅ。たぶん、できた……と思う、です」
その壺を、やけに遠慮がちに差し出してくるソラル。今回はそんなに自信がないのだろうか。
とりあえず受け取って中身をのぞいてみるが……。
「……できてるんじゃないかなぁ」
泡だった水分がたまっていた。
どうせ俺は死にやしないので、その水分を指につけてなめてみる。
……うむ。
味、香り、風味、アルコール分、すべてにおいて二十一世紀のものとは比べるべくもないが、確かにビールだ。俺としては炭酸の抜けた上に甘みのあるホ○ピーという感覚だが……。
これなら一応、成功……ということでいいのではないだろうか。
「たぶん成功じゃないかと思うが……」
「本当です!?」
「あ、ああ、たぶん。……ただ、こういうのは一回の成功で完成と見ないほうがいいだろう。試行数を増やして、一定以上の水準で成功することを確認できて、初めて完成かな」
「なるほどです……」
発酵はすべて、生き物が関わる現象だ。よほどしっかり前提を整えないと、同じ結果を得ることは難しい。だからこそ、今回の成功だけで手放しに喜ばないほうがいいだろう。
「麹、味噌、ヨーグルト……他にも色々、発酵を活用して作れるものは多い。あれこれ試して、多くの情報を集めたいところだな」
「ううん……先は長いですね……」
「バカ言え、本当なら発酵はものすごい時間がかかるんだぞ。普通にやっていたら、あらかたのデータを採れるようになるまで百年や二百年でも足りない。それをこれだけ短縮できるんだから、相当楽なもんだ」
「……お父」
「そのきっかけを作ったんだ。すごいぞソラル、これは歴史の転換点になるかもしれない」
どこか不安げな目を向けてきたソラルに、そう返して頭をなでてやる。
そう、すごい発明であることには変わりがないのだ。褒めこそすれ、怒る理由などどこにもない。
するとたちまち、彼女は顔をほころばせた。そして上機嫌に、俺の腕にからみつく。
「えへへぇー、褒められたです」
と、ご機嫌だ。すっかり普段通りのソラルである。
それをどこか羨ましそうにチハルが眺めていたが、俺は気づかないふりをしておいた。俺は信賞必罰を貫く父親なのだ。
「ところでギーロさん、それ、口にしてもええんです?」
そこでテシュミが口を挟んだ。彼女は俺が手にしていた壺を指差している。
「ああ、テシュミには実験台になってもらうって話をしていたな」
麻で結構な酩酊ぶりを見せるテシュミなので、元祖ビールを与えるのは嫌な予感がするのだが……アルコール以外に問題がある可能性は否定できない。
元々予定には入れていたのだ。ここは試してみてもらおう。
「どうだろう……たぶん大丈夫だと思うんだが」
「ふんふん……香りは悪ぅないですねぇ」
壺の口に鼻を近づけて、テシュミが言う。
次いで中に手を入れて、元祖ビールを指でからめ取った。
「味は……、……うーん? なんだか甘いような……」
ホップがないので、日本人がビールと言われて考える苦みはほぼないだろう。むしろ麦の糖分が発酵する過程でアルコールが生成されたと思われるので、甘みが感じられるのは当然かもしれない。
そこまでの感想がテシュミから出るということは、成功と見ていいのではないだろうか。
「……うん。私、結構好きかもわかりません」
「そうか。そりゃよかった……が、大丈夫か?」
「? 何がです?」
「いやその……予定通りうまくいっていたら、こいつには麻酔いに似た症状を起こす成分があるはずなんだ」
「えっ」
俺の答えに、テシュミの顔色がさっと変わった。酔うということに対して、思うところがあるのだろう。
というか、彼女はアサモリ一族で現役かつ唯一の巫女であり、儀式のために麻を摂取する機会が多い。今でも節目節目にハイになるのだが、そのとき痴態をさらしてしまうのであまり麻の酩酊作用にはいい感情がないらしいのだ。
「ああいや、麻ほど強力なものではないから、よっぽど大量に飲まない限りは大丈夫だと思うが」
「あ、さ、さいですか……よかった……」
「けどテシュミの懸念はわからなくはないな……」
実はここ十年の間に、儀式で使う麻の量はだいぶ減っている。というか俺が減らしているのだが。
それでもガッタマを始め、一部のアルブスはどうも麻に弱いようで、少量でもすぐに酩酊してえらいことになる。ならば、アルコールでもえらいことになる可能性は十分あるだろう。
麻とアルコールの酩酊作用は厳密には同じものではないのだが……楽観視できるほどでもないだろうから。
そしてその懸念は的中した。
「うへはぁん」
「テシュミィィィー!」
何度か元祖ビールをなめたテシュミに、酔いの兆候が出始めたのだ。
俺は慌てて唇をかんで血を出し、口移しで与えて治療したが……やはり普通のアルブスにとって、アルコールの類はあまりよろしくないもののようだ。
「……うん。ビールは封印しよう。というか、酒造全般禁止だ」
さわらぬ神に祟りなし、とはけだし名言である。
ということで、せっかく開発された発酵魔術ではあったが、アルコールの醸造は禁止だ。味噌と醤油に注力しよう。
まあ、実験を重ねる過程で偶然できてしまうことはあるかもしれないが……そのときはそのときだな……。
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