第25話 クマさん骨肉店へ

 クマを迎え撃つために用意した布陣は、ごくごくシンプルなものだ。

 俺がメメを肩車しているところを本陣とするなら、その前にディテレバ爺さんたち四人が立っている形である。上から見るとちょうど丁字に見えるだろう。


 一番先頭に、ディテレバ爺さんが丸太を持って待機。その両脇を、セムとモイが槍でもって固めている。

 三人の後方には、俺が貸した投石器を構えるアインがいる。まずは彼に口火を切ってもらう予定だ。


 俺? 俺はアインのさらに後ろだ。本陣にたとえた通り、基本的にはここで腰を据えてメメの護衛だな。

 そして本陣と言いつつ、指示まではしない。俺に狩りの経験などろくにないから、そもそもできる気がしないし。そういうことは、最前線にいる爺さんに任せてある。

 さすがに万が一のことがあれば俺も前に出るが……そうなったとき俺がどれだけ動けるかわからない。だからそうならないことを祈るだけだ。


 あ、ついでに地の利を生かすため、小高い丘の上に陣取っている。高低差による有利不利が人間とクマの間でどれほど働くかはわからないが、やらないよりはやったほうがいいだろう。勝率は少しでも上げたほうがいい。

 さらに言えば、本陣から一定距離のところに一つ、そこからさらに離れたところに一つ。計二つのバツ印が目印として描いてある。クマがそれを越えて接近して来たら、作戦段階が進むという算段だ。


「ギーロよ、見えたぞ。そろそろじゃな」


 そうして準備を整えて、しばし。遂に俺たちの視界にクマが現れた。

 実際の距離はまだかなりあるので、それが昨日遭遇した個体かどうかはわからないのだが……少なくとも、体毛の色は一緒だな。


「やっとか。結構かかったな」


 まあ、違う個体だったとしてもやることは変わらない。

 だから俺は、爺さんに返事をしながら前へ籠をまわした。


 中に燻製肉が入った籠だ。もう見たまんま餌だな。囮とも言う。近づいてきているクマが昨日の個体なら、これで間違いなく釣れるはずだ。


 本当なら他にも落とし穴なりなんなり、トラップも用意しておきたかったのだが……道具なしは時間が足らなかった。

 まあ、トラップ自体まだ概念として存在しないから、今ここでやると後が面倒というのもなくはない。


「うーい、やっとスかぁー? 待ちくたびれたスよー」

「遂に出番だな! お嬢、見ていてください!」

「俺たちにかかりゃぁクマなんて大したことないッスよ!」


 お前ら、この間不意打ち食らったときは結構ビビッてた気がするんだが?

 まあ、それは言わないであげたほうがいいんだろうな……。


「それはええんじゃが、あまり肉を傷つけすぎんようにな」

「「ウィーッス!」」


 そして爺さんは相変わらずというか。本当にクマを食べ物としか認識していないのな……。

 元サピエンスとしては、どうかと思うよ。色々な意味で。


「う、うん……がんばっておくれー」


 対してメメは少し引き気味だ。さすがに女の身では感じ方も違うのだろう。

 昨日の遭遇でも人一番恐怖を感じていたようだし、無理もない……というか、よく考えるまでもなくメメの反応が普通だと思う。


 いやマジで、クマはサピエンスじゃ一人でどうこうできる生き物じゃないんだからな! 成体ともなると、並みの銃程度では殺しきれなかったりするんだからな!

 皆も森や山に出向くときは気をつけてくれよ!


「おいお前ら聞いたか!?」

「お嬢が応援してくれている!」

「これでもう勝ちは決まったもんだぜー!」


 三人組が呑気で羨ましい!


「これ、お前さんたち静かにせんか。獣は騒いでおると近づきにくくなるんじゃ」

「「「ウィッス……」」」


 怒られてやんの。


 とはいえ、爺さんの言っていることは実際正しい。三人組が騒ぎ始めたあたりから、クマは様子を窺うように足を止めていた。

 他の動物と比べればさほど聴力が発達しているわけではないクマだが、この辺りはあまり遮るものがないからなぁ。


 だが俺たちが静かになると、再びこちらに向かって動き出す。

 あれは確実に狙って来ているな……。爺さんに渡して、爺さんが前に出した肉入り籠の効果もあるだろうが、それにしても完全にロックオンされているよ、これは。


「……逆にロックオンされているとは夢にも思っていないだろうがなぁ……」


 俺の前に立つ四人の顔が、さっきの爺さんの言葉以降完全に狩人なんだよ。殺気とはまた違う、独特のオーラを感じる。……気がする。

 なんというか、これを見ていると本当にクマが大したことのない存在に思えてくるから不思議だよ。


 とまあ、そんな感じでさらに待つことしばし。


 クマがいよいよ近づき、目測だが百メートルほどにまで近づいた。そこには一つ目の目印がある。

 あれは作戦開始の目印だ。いよいよだな。


 爺さんがちらりとアインに目線を送った。

 アインはそれに一つ頷くと、投石器を振り回し始める。


 セットされた石……もとい、岩は、動き出しこそゆるゆるしていてどこか危なっかしい様子だったが、遠心力が増すに従って安定した軌道を描き始める。次第にぶおんぶおんという重苦しい風切り音が鳴り始め、一気に不穏な雰囲気を放つようになった。


 クマはそれを見て、ぴたりと足を止めた。そうして二本足で立ちあがると、興味深そうにこちらの様子をうかがってくる。得体のしれないものが現れたから、警戒しているといったところか。


 だが、アインは投石器のスタンバイを解除しない。このままクマが問題なしを判断して、さらに近づいて来るまで待機だ。

 そうして待つこと数分。同じことを延々と続けるアインに危険はないと判断したのか、再びクマがこちらに向かって歩き出した。


 その判断が、クマの結末を決定づけた。


「そーれェイッ!」


 クマがおよそ五十メートル地点を越え、二つ目の目印からさらに踏み込んできたその瞬間。

 アインがずっと振り回していた投石器を解き放った。彼の掛け声とともに、岩がまるで砲弾のような速度で飛んでいく。


「いくぞォ!!」

「「ウィー!!」」


 と同時に、爺さんたちが前へ駆け出す。岩がクマに着弾したその瞬間に攻撃を仕掛ける算段だ。


 彼らの掛け声は、アインのそれより大きい。そんな大声を張り上げながら、さらには武器を持って突っ込んでくる三人組を見たクマが足を止めたのは、仕方がないだろう。

 元来野生の動物というものは、大きな音などには敏感だ。そうでなければ、過酷な自然の中で生き残っていくことはできないわけだから、当たり前と言えば当たり前の話ではあるのだが。


 しかし今この状況においては、その警戒心は完全に逆効果だ。


「ぷギ!?」


 立ち止まり、様子をうかがおうとしたクマの顔面に、アインが放った岩が直撃した。

 頬とか首とかではない。正真正銘顔面のど真ん中、ダーツなら文句なしのブルズアイだ。これを直撃と言わずして何と言おう。


 その衝撃はクマとしても相当のものだったらしい。軽い脳震盪を起こしたのか、少しのけぞった体勢のままふらふらと立ちっぱなしになる。

 そうなってしまったら、もはや一巻の終わりだ。クマの眼前には、既に野太い丸太が迫っていた。


 ただの丸太ではない。硬いクルミの木を、石斧で手間暇かけて先端を尖らせたものだ。おまけに天然アスファルトが全体に塗布されているため、衝撃はもちろん熱や湿気にもすこぶる強いという逸品。

 そんな丸太の、ギンギンに尖った先端がやはりクマの顔面に叩きこまれた。


 瞬間、なんとも形容しがたい音がした。たとえるなら、爆発音が一番近いか。

 他の音はなかった。クマの悲鳴もだ。ただ一つ、インパクト音だけが原野に響き渡った。


 クマの身体が、丘を転げ落ちていく。傾斜がほぼなくなったところでそれは止まったが、追撃は止まらなかった。


「うわぁ」


 既にトドメは刺したと思うのだが、爺さんと来たらさらに飛びかかったのだ。

 丘の上からジャンプして、万有引力を味方につけての全力振りおろし。それが再びクマの顔を襲った。


 くどいようだが得物は丸太だ。結果は言うまでもないだろう。

 お察しの通り、完全なるオーバーキルだ。


「あ」


 もう一発入った。念を入れるのはいいが、入れすぎではないだろうか。


 ……あ、もう一発。


 ……もう一発。


 いやいやいやいや、やめてあげて! クマのライフはとっくにゼロよ!


「これくらいにしておいてやるかの」

「さすがディテレバさんス!」

「圧倒的すぎる力!」

「バンパさん並みだぜ!」


 いや、バンパ兄貴はこういう執拗なことはしないと思う。


 ……じゃなくて。


「爺さん……いくらなんでもやりすぎだったんじゃねーか?」

「何を言うか! こやつはメメコをあれだけ怖がらせたんじゃぞ!」


 万死に値する、とでも言いたげに吐き捨てながら、爺さんはもはや顔を無くしたクマを睨んだ。


 親バカ通り越したバカ親だな、このじじい……。正直ドン引きなんだけど……。


「お、お父……何もそこまでせんでもよかったじゃろ……」


 ほら見ろ、メメが怯えているじゃないか!

 こういうシーンが女子供に禁物なのは、サピエンスもアルブスも一緒だな!


「そ、そうじゃなー! お父、ちょっとやりすぎてしまったかのー!?」


 そしてこの熱い手のひら返しである。


 だがそう思うなら、まずは血まみれの丸太ごと川で水浴びしてこい。絵面、マジでやばいから。クマの返り血でジェイソンめいているから。

 月九のホームドラマみたいに笑っている場合かッ!



▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽



 で。


 特に何事もなく、本当に三人組くらいの呑気加減で問題なかったわけだが。


 いやいやいや、おかしいだろ。

 クマって陸上動物の中でも結構上位に来るデンジャラスアニマルだと思うよ!? こんなあっさり倒しちゃっていいのか!?

 いや、何も苦戦がしたかったわけではないけども! カバとかサイとかと戦うのはもっと嫌だし!

 にしても、あまりにも楽に狩り成功しすぎじゃないか!?


 ……そういえば、うちの群れでも「獲物が見つからなかった」ことはあっても「狩りに失敗した」という話はほとんど聞かない。大体は出撃イコール飯確保だ。

 アルブスの男って、本当に優秀な狩人かつ戦士なんだな……今回間近で見て本当に改めて実感したよ。

 彼らの恵まれた体格があってこそだが、同じ体格のサピエンスよりヤバい存在に思えるのは爺さんのせいだよな?


 あ、クマの肉は案外おいしかったです。

 初めて塩を使った料理の栄えある材料一号になったわけだが、全員に好評だった。

 これで今回同行した五人全員が、口をそろえて塩の必要性を説いてくれるだろう。塩の入手にもめどがついたと見ていい。


 次は何を作ろうかなぁ。いい加減麻が欲しいのだけれども……なぜか見つからないんだよなぁ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る