第24話 もしかして?

 それからしばらく、俺たちは湖畔で塩集めに従事した。

 食料を消費したことで空いていた籠に塩を納めたのだが、波打ち際に積層してた塩は岩塩になっておらず、目が詰まっていない籠の隙間から零れ落ちる量がわりとバカにならなさそうだったので、今回は諦めた。

 ひとまず岩塩だけを持ち帰るということで決着したが、その分思ったより収集は早く終わった。

 やはり完全に手つかずということが良かったのだろう。ただ、今後同じように楽々集められるかと言えば答えは否だろうな。


 ここで一端休憩をはさんで、あとは帰るだけだ……と、言ったところで、新たな発見があった。

 発見者は、もはやお約束かも知れないがメメだ。

 休憩中に「湖の向こうはどうなっているのか?」という疑問が出たので、じゃあとばかりに超視力を使ってもらったのだが……。


「ギーロ、ギーロ、大変じゃ!」

「なんだどうした」

「あっちのほうに、人がいる!」

「なんだって!?」


 ということなのである。


 対岸までは普通にしていたら見えない距離があるので、俺が肩車しての確認だ。当然メメ以外にあちらは見えないのだが、誰もがどよめいてメメが指差した方角……東南東(たぶん)を凝視した。


「メメコよ、まさかとは思うがそれはあの丸耳どもではないだろうな?」


 爺さんが珍しく重苦しい声でそう言ったが、彼らは丸耳相手に仲間を多く失っているので無理もない。

 だが、メメの返答は違った。


「んーん、わしらと同じで耳が尖っておる」


 それはつまり、この湖の近くにアルブスの別の群れが暮らしていることか?

 と思ったのだが……メメの言葉はそれで終わりではなかった。


「でも、なんか……変なのじゃ。肌が土みたいな色じゃし、髪の毛も真っ黒なのじゃよ」


 これには全員が眉根を寄せて首をひねった。


 俺も同様だったが、ほどなくしてある推測に辿り着く。

 身体の特徴は同じだが、肌や髪の色が土色(たぶん褐色のことだろう)と黒。俺たちアルブスと比べると、なんだかダークエルフみたいだと思ってしまったのだが、もしかしてその通りかもしれないと。


「人種が違う……ということか? コーカソイドとネグロイドのような……?」


 コーカソイド、いわゆる白人とネグロイド、いわゆる黒人。肌の色をはじめとして、色々と異なる特徴を持つ両者ではあるが、どちらも同じ人間だ。同じホモ・サピエンスだ。

 彼らの違いは確か、それぞれが生息した地域に適応するために育まれたものだったはず。日光に含まれる紫外線がどうとか、こうとか……。

 細かいことはわからないが、ともあれ長く住んでいた地域の環境差が肌の色などの違いとなったことは間違いないはずだ。


 そういう差異がサピエンスに生じるのであれば、恐らくは同じ猿から進化したと思われる俺たちアルブスに同じ差異が生じてもおかしくはないだろう。

 サピエンスの例に倣うのならば、白い肌は北方で、黒い肌は南方(と言うよりは赤道周辺か)で暮らしていると生じる変化。

 そう考えると、俺たちが白いのも納得がいく。何せ俺たちの群れは、寒さに追われる形で南下してきた群れなのだから。俺自身はあまり記憶にないが、今まではもっと寒い地域にいたことは間違いない。


 一方で対岸にいるという連中は、この辺り……か、もう少しだけ南に長らく住んでいた群れのような気がする。

 赤道直下と推測しなかった理由は、彼らの肌の色だ。褐色だということだが、赤道直下に住んでいたのであれば、それこそネグロイドみたいにもう少し色が濃くなると思う。

 だからせいぜいこの辺りか、もう少し南だろうと考えた。前世の番組とかで出てくるインドやアラブの人たちが、ちょうどそんな感じの肌をしていたなぁと思ってな。


 しかしそうなってくると、俺が命名したホモ・アルブスというネーミングは変えたほうがいいかもしれない。白いアルブスって、完全に俺たちの群れにのみ通用するネーミングだもんな。


 ……いや、その判断は対岸にいるらしい人々が種として同じかどうかがわかってからでいいか。

 どのみち俺たちと彼らの生息域の距離を考えると、今後の接触はほぼないだろうしな。


「……ということだと思うんだが」


 などということをつらつらと語ってしまったのだが、仲間からの反応は薄い。

 なんというか、「さよか」という感じだ。どうやら語りすぎてしまったらしい。


「で……結局その人たちは、俺たちに何か影響あるんスかね?」


 生存が難しい原始時代だ、アインの問いがすべてだろうな。


 影響……影響か。それはもちろんあるだろうが……。


「俺たちの群れとの距離は相当あるからなぁ……すぐにはどうこうということはないかなぁ」


 何せ、ほぼカスピ海を挟んで反対側の位置だ。道中の障害はここまでとは比べ物にならないだろう。

 まあ、湖畔は森も林も少ないうえに、砂浜だから移動自体はそこまで辛くないかもしれないが……飲み水を確保できる保証がどこにもない。カスピ海南部は元々カスピ海にそそぐ川がほとんどないから、余計だ。


 船があれば、陸路よりは早く行けるかもしれないが……そこまでして他の群れと接触する意義がない。せいぜいが、群れに新しい血を呼び込むくらいか?

 もっと時代が下っていれば、湖を介して何らかの交易とかが成り立ったかもしれないが、原始時代だからな……。


「少なくとも、俺たちの世代が生きている間は何もないんじゃないかな。それ以降となるとちょっとわからん。せいぜい、食料を追ってこっちに来るかもしれないという程度かな」


 その時一体どういう接触になるのか……それは誰にもわからない。


 ということで、


「今は静観でいいんじゃないか。遠すぎてどうこうするのは無理だ」

「じゃろうの」

「「「ウィーッス」」」

「ま、帰ったら族長たちには報告しておくか。知っておいたら何かとやれることはあるかもしれないし」


 日本人らしく、棚に上げることにした。

 とはいえ、現状でどうにかすることはほぼ不可能だからしょうがないじゃないか。


 と、そこでぺちぺちと上から頭を軽く叩かれた。メメが呼んでいる。


「のーギーロ」

「どうした?」

「あっちの人たちも、何もないところで火を使っておる」

「……原油を使っているのか」


 そりゃあ、現代でも油田が多く集まるカスピ海近隣だ。あの場所以外にも原油が自然湧出していても、何もおかしくはない。

 湧いているなら、俺たち以外でこの辺りに留まっている群れがいる可能性は十分すぎるほどにある。ずっとそこに火が存在し続けてくれることのありがたさは、今回の旅で痛感したしな。


 もしかしたら、対岸にいるという人々以外にも、案外近いところに他の群れがあるかもしれない。一応野菜探しで見て回ったが、一日で群れまで戻ってこられる範囲しか見てないからな。

 今はいなくても、今後暖かさを求めた別の群れ、あるいは種族がこの周辺に住みつく可能性は十分ありそうだ。


「……そうなると、火を巡って争いになる可能性も十分にあるよな……」


 原油の使用権を巡って争いが起きたりして?


 人類史においては、水利権を巡る争いが古今東西問わず起きていたことは有名な話だが、それは主に農耕以来のものだ。農耕のために水が大量に必要になったからこその争いなのだ。

 しかし氷河期の今、いかに暖を取るかは人類全員の死活問題と言っていい。つまりこの時代の人類にとって、火はどうしても確保しておきたいもの。

 そして是が非でも必要なものとなれば、人間は比較的容易に争いができる生き物だ。おまけに、この時代に倫理とか道徳という概念は影も形もないわけで……まして言葉が違う群れと遭遇したとなれば、そのままなし崩し的に争いになる可能性は、十分どころかかなり高いのではないだろうか。


 ……そう考えると、今後の為に何かしらの防波堤は用意しておいた方がいいかもしれない。

 今までは建築となるとどうしても家を優先せざるを得なかったが、そろそろ櫓なども作っておくか。メメ一人に周辺の監視を頼るわけにはいかないもんな。

 あとはそうだな、柵とかもあったほうがいいだろうか?


「……ま、それも含めて帰ってからだな」


 この場には、使える道具も人手もない。そもそも住んでいる場所でもない。そういう話は、群れに帰ってからすべきだ。


「じゃあ改めて、帰るとしよう」

「うむ、わかった」

「おー」

「「「ウィーッス!」」」


 と、まあそんな感じで、俺たちの塩湖探しの旅はこうして終わりを迎えたのだった。



▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽



「あ」

「どうした、メメ?」

「クマ、見つけたのじゃ」

「マジか」

「し、しかも、なんか、こっちに向かってきておるのじゃ……」


 終わっていなかった。


「こっちに向かってきている? 本当か?」

「本当じゃ! ゆっくりだけど、地面に鼻を当てながら……真っ直ぐに」

「……マジか」


 地面に鼻を当てている、ということは要するに、匂いを嗅いで進む方向を決めていると言うことだろう。

 そういえば、見た目からは想像しづらいけどクマの嗅覚は犬以上だったっけか。昨日の匂いを辿って追跡するなんて、恐らく朝飯前なんだろう。


 それで俺たちのほうに向かってきているということは……まあ、そういうことなんだろう。食料をもっとよこせ、ってな。


「やっぱり味を占めやがったか。なるべく考えないようにしてたけど……」


 思わずため息が出たが、正直この可能性を考えていなかったわけではなかったりする。

 というのも、知力、学習能力に優れているクマは、人間が持つ食料の味を覚えて襲うようになることがあるのだ。そしてそんな事件が、かつての日本において発生したこともあった。

 詳細は結構グロテスクというか、下手なスプラッタホラーよりよっぽどスプラッタホラーなので省くが……気になった人は、三毛別ヒグマ事件で調べてみてくれ。


 それはともかくとして、それを知っていたからこそ、再度あのクマと遭遇する可能性はあると思っていた。

 とはいえ、クマへの対策はあまり考えていなかったりする。ただしこの場合の「考えていない」は、無策というよりは考える必要性が薄い、と言ったほうが正しい。


 なぜなら、俺たちはサピエンスではないのだから。


「ふむ……どうするのかの、ギーロよ?」


 早速という感じで爺さんが言うが、慌てた様子は皆無だ。そちらに顔を向ければ、やはり動揺がない。ごつい丸太を肩に担いでいるので、殺る気満々にしか見えない。


 そう、爺さんはクマと遭遇したときに言った。もう少し距離があれば返り討ちにできた、と。

 それは要するに、奇襲さえされなければ、クマ相手にも普通に勝てるというわけで。迎え撃つ態勢さえ整えば、問題ないはずなのだ。


「そんじゃ……そうだな、爺さん、一旦メメを乗せてやってくれ」

「えっ」

「ふむ?」

「爺さんの上からメメが見て、クマが見えなかった場合はかなり遠くにいることになる。逆に爺さんの上から見てもクマが見えるなら、接触は近い。まずはそれを見極めたい」

「あ、そういうことじゃな……」

「なるほど。わかった、やってみるとしようかの」


 メメがなぜほっとしているのかについては、今は気にしないことにする。


 爺さんと、丸太とメメを交換。そのまま爺さんはメメを肩車した。


「……どうだ?」

「……クマ、見えるのじゃ」

「近いわけか」


 少なくとも、五キロ以内にいることになる。俺たちとクマの移動速度にもよるが、短ければ一時間程度でかち合うかもしれないな。

 迎撃ポイントを選定する時間はあまりなさそうだ。なるべく迅速に探し出さないとまずいかもしれない。


「ま、それも仕方ないか。できるだけ早く迎え撃つ場所を決めよう」


 その宣言に、全員がおう、と声を上げた。


「そうこなくっちゃなー!」

「お嬢は絶対守るぞ!」

「不意打ちじゃなきゃ、クマなんて怖くないぜ!」

「今夜はクマ肉じゃな。早速この塩とやらが活躍しそうじゃの」


 みんな殺る気勢かよ。爺さんなんて食う気満々じゃないか。相変わらず物騒な爺さんだな。さすが原始人と言っていいのか、これは。

 頼もしいと言えば頼もしいんだが、中身がサピエンスの俺としてはどうにも無謀に思えて仕方がない。フラグじゃなければいいが……。

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