第五章ー2:白龍公主の羽衣の在処

 ―――蝶華が死して後、一週間。


泣き暮らす明琳に、遥媛公主が珍しい食べ物などを運んでくる。光蘭帝からの贈り物も届く。しかし、それらを全部断って、一人で部屋に引き上げたところで、星翅が現れた。



「華羊妃、光蘭帝さまがお召しです。一緒に来て戴けますか」


 明琳は首を振ったが、優しい星翅の笑顔に、もっと涙を溢れさせる。蝶華に似た顔立ちで、兄はゆっくりと言った。


「こういう時は独りにするものではないと光蘭帝さまはお言葉を発されました。…僕は蝶華の埋葬…と言っても、40日はあのままですが」


 死者は40日は未練のために、魂が諦められず、死んだことを把握出来ないのだと言う。だから死したものの弔いは、40日の間、保留される。そうしてあの祥明殿にはたくさんの死者が放置されたままなのだと、星翅太子は涙ながらに語ったが、明琳の頭には何一つ入って来なかった。


 ―――――あの貴妃よ。


 ―――――あの貴妃が、華仙人さまを使って蝶華を殺してウマーな思いをしたんだわ。正妃になりかけたばかりだもの。



黄鶯殿。皇帝の間に向かう回廊には、貴妃を失くした皇帝へ形だけの葬儀物が山となっている。歩く度に女官にひそひそやられながら、明琳は泣きじゃくって光蘭帝の元に辿りついた。仕来りに則り、光蘭帝は金襴緞子に黒の天冠を付けており、赤は忌み嫌われるとして、すべて撤廃されていた。


「明琳……」

「光蘭帝さまあっ………」


 怖い思いをさせたな…と光蘭帝の手が明琳を撫で、腕が小柄な体躯をきつく抱きしめた。



「済まぬ。穢れが出た場合、私は仕来りにより、10日ほど外へは出られなかった。その間に、何度も、何度も蝶華の夢を見ては正気に戻る。その度にそなたに逢いたくて、だが、蝶華はそれすらも許さず」


「光蘭帝さま?ねえ、どうして武器を握っているのですか?」


 光蘭帝の手にはしっかりとあの、大型の青龍偃月刀が握られていた。眼が怯えている。その綺麗な頬をそっと触ると、すぐに骨があるのが解った。恐る恐る首に触れて、息を呑む。激減。元々細かった皇帝の手や身体は痩せ衰えていた。


しかも寝台はズタズタに切り裂かれ、高級さは見当たらない。襤褸になっている。

 異様さを感じた明琳が光蘭帝の膝によじ登った。


「蝶華の怨霊に悩まされてるんだってよ」


 ふと冷たい声が響き、明琳が目を瞠る。


「白龍公主さま…………」


 何重にもかけられた緞帳の向こうで、忍び笑いがし、優雅な赤い装束を纏った華仙人が顔を覗かせる。呆れたことに、その近くには別の女性の影も見えた。


「白龍公主さま……蝶華さまが…あんな事になったのに……どうして…」


「俺には関係がない。ただ、俺にもまだチャンスはある。蝶華以上の魔を保てる女を見つけた。これで遊戯は続行だ。こいつが光蘭帝の子を孕めば問題はない」


 言うと白龍公主はがばりと女性に覆いかぶさり、またその場所が光蘭帝の寝所であることに気が付いた。


「……信じられない……っ」


 蝶華は一生懸命こんな男を追って、死んだのだと思うと、腸が煮えくり返る。明琳の手が窓際に置いてあった水差しに伸びた。


「明琳!」

「止めないで下さい!あの人は、わたしのお友達を死なせたんです!」

「駄目だ! 白龍公主相手では!」


 ばしゃ。


「あ!」


 ずぶ濡れになった光蘭帝がぶるると犬のように頭を振る。


「靑蘭殿には居たくないと言うのだ。私は白龍公主と遥媛公主に逆らえないし、逃げられない。何故だか教えてやろう。今の私なら語れる」


 光蘭帝は感情を封じ込めたまま。明琳に視線を向けた。


 微笑んでいた光蘭帝はもうどこにもいない。冷たい鳶色の瞳は、鉱石のように硬い耀を反射させている。



「母と私はね、正妃と子でありながら、父や祖父に雪国に追放されていたんだ。たまたま、そこに天人が降りた。それが公主たちだ。彼らは私の母と、私を皇帝にする代わりに天帝に導く契約をした。そして、邪魔な父や一族をすべて殺し、私を皇位に導いた。……私を人から華仙人に変え、未来永劫の栄華を掴ませること。その暁に彼らは天帝となり、また永遠の栄華の元生きるのだろう。私たちは共犯者だ。今更、破棄は出来ないんだよ」


 ふるふると小羊の頭が揺れた。


「それでは私が彼らに言いように使われると思った母は、羽衣を取り上げた。羽衣は不思議なものでね、死体は朽ちない。蝶華は未来永劫、あの美しい姿のままでいられるだろう……あれは私が授けたものだから」


白龍公主が姿を見せた。ぶん!と明琳の投げた水差しを避けて、足置きに頭を打たれ、それを投げ返して来た。


「俺、蘇芳蓮華か、遥媛公主こと銀月季か……光蘭帝も日に日に天人に近づいている。後は、その為の魔を追い出すだけだ。いよいよ予定通り、俺が天帝になれる」


 何かが狂っている。


 蝶華が死んだのに………白龍公主はそれが予定通りだとすら言った。明琳は悔しさで、唇を噛みしめ、うなりを上げた。眼球が熱い。


「……阻止してやるから」

「ほう?」


 どうやって?…と白龍公主がにじり寄った。うーうー…と唸る明琳の後ろで忍び笑いがする。



「簡単だ、明琳。きみが光蘭帝の子を産めばいいんだ」



 遥媛公主だ。


「さすれば僕の勝ちだ。どんなに貴妃を作ろうと、明琳には適わない。…愛する貴妃を喪ったお前に負ける気はしない。もうお前には打つ手がないんだよ、白龍。永い戦いだったが…諦めて、地上でその寿命を終わらせるのだな」


「まだ負けてはいない!」


 光蘭帝は静かにそのやり取りを見つめている。だが、ふと明琳は気が付いた。



 白龍公主は羽衣が欲しいと言った。そして、蝶華がそれを持っていると言う。それなら、氷を溶かして、奪ってしまえば白龍公主は天に戻れる。


 いや、今までの白龍公主なら、そうしたはずだ。簡単に、奪い去って、蝶華さまを塵芥に返すはず。


「白龍公主さま………わたし、知ってます。さっき光蘭帝さまが言ったから。貴女の羽衣は蝶華さまが持っています」


 皇帝がけだるそうに続けた。その声音は嘲笑いに近く、人の醜悪さに満ちていた。


「大層綺麗にしていたからな。後は奪うなりすればいいさ。今の公主に出来るのなら、の話」


 白龍公主の眼の色が変わった。遥媛公主を突き飛ばすようにして、公主は姿を消した。


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