第四章-4:語られる過去
「お茶ですわ!」
がたがたと震える明琳に蝶華が冷水をがん!と置く音が響く。しかもご丁寧に氷入りだ。極寒の冬に出される飲み物ではない。それでも明琳は黙ってそれを流し込んで、寒さに震えた。
(光蘭帝さまよりはずっとあったかいですぅ)
ああ、思い出したくないと目を瞑った。白龍公主に光蘭帝は斬りかかり、明琳を睨み、腕を引いた。それでも蝶華に用があった明琳はその腕を振り払ってしまい……
「馬鹿な子羊。皇帝怒らせてどうするのよ」
「全くです……。あんな冷たい眼、初めて見ました」
「男は女が絡むとあんな顔をするもんよ。良かったわね、光蘭帝さまがああいわなければ、あたしがあんたを刺していたわよ!」
――皇帝の貴妃でありながら、早速浮気か。
(浮気?!)と焦った明琳の前で、皇帝は少ししょんぼりとして、去ったのだ。その後蝶華に追い回されて、息も絶え絶えに蝶華に逢いに来たと伝えた明琳である。
「あたしに?」
蝶華は唇を噛み、「ついていらっしゃい!貴妃のあたしへの訪問であるなら、無碍には出来ませんわ!」と明琳の頭を掴んで、自分の局に押しこめたのだった。
「それで? 出ていくの? 荷物はまとめておいてやるわよ。何度も皇帝さまの手を叩く貴妃なんて地球上どこ探してもあんただけよ。お子様ね」
「だ、だって怖かったから…っ」
「あんた白龍公主さまに対しては平気じゃない」
蝶華はしれっと言い、吐息をついた。
「まあ……あたしと逆って事ね。勘違いするんじゃないよ? 白龍公主さまが「明琳に手を出すな」って言うからさ、だから引っ込めただけで、あんたへの恨みは」
「わ、わたしは白龍公主さまとは」
「キスしたわよね」
蝶華の手がわなわなと震えているのを見て、明琳は項垂れてしまった。今度はしょぼくれた明琳にため息が振り、蝶華はぽつりと言った。
「まあね……どうせ白龍公主さまは女性の生気で生きている方だもの。あんたのぷりっぷりの生気が欲しかったのはわかるけど! ちょっと失礼。肌が痛むので、温石を取りに行って来るわ」
そう言って蝶華は庭に出て言ってしまった。
しかし、なかなか戻ってこない。首をひねったところで気が付いた。
変だ。冬の外に温石など有るわけがない。
「蝶華さま! お外は雪が吹雪いていて特にこのお宮は凍っています!」
「来ないで!来たら舌を噛んで死んでやるから」
凍りついた蓮の前に蝶華はいた。それも、ロープを張られた前に。
「明琳? 消えた?」
「いえ、ここにいます。見えますか?」
しゃがむと、更に小さくなる小羊に蝶華の眼が僅かに緩んだ。
「ほんと、あんた、ちっちゃいわね」
「白龍公主さまがお好きなんですか?」
ぐす…と鼻を啜って蝶華は、頬を赤くし、目を瞑って頷いた。
「わたしはあの人キライですよ?意地悪するんですよ。趣味悪い」
「わるかったわね」と口にして、答えをもぎ取った小羊の嬉しそうな笑みに、蝶華は頬をさらに赤らめた。
「あんたは貴妃より人をすぐに騙す宮廷灸点師の方が向いていてよ。意地悪でも!悪魔でも好きなの。もう、どうしようもないの」
蝶華妃の本音だった。
真っ赤になった顔を押さえ、蝶華は涙目で明琳を見る。美しい化粧は涙で流れ落ち、頬の涙すらも凍りそうな冬風に舞い散っている。白い色すら見える風は二人の貴妃を冷やしてゆく。
「どうしてお子が授からないの?」
蝶華の手が明琳を強く掴んで揺さぶった。
「あ、あたしが皇帝の子供を産まなきゃ! どうして邪魔をするの? あんたが呪いかなんかをかけているんでしょ! そうに決まっているわ! 白龍公主さまも、光蘭帝もあんたは全部奪ってゆくのよねぇぇぇぇっ!」
がっくんがっくんと揺すられ、明琳はふら~と更に揺れた。ぽす、と蝶華の上げた胸に顔を押し付けて動かなくなった。
「違います~~~~~……あー目が回った…」
こき、と首を動かした明琳の縛った髪がほつれてゆく。適当に巻き上げただけの髪型は持たなかったらしい。ため息をついた蝶華が丁寧に髪を掴み、「こうしてやるわ!」とぐちゃぐちゃにした。
「あたしは皇帝の子を産むの! 何よ、変な髪型!」
ぼさぼさになった頭に更に苛立ちを隠せない蝶華の前で、明琳は目を瞬かせた。ずっと聞きたい本音がそのまま口を次いで出た。
「本当にそう思ってますか? 子供を産むって大変な事ですよ? あたし、弟が生まれた時の母を見てました。泣いて、苦しんで、死ぬほど力を込めて…愛する人とのシルシを生むんですよね」
「何が言いたいの?」
「遥媛公主から教えて貰ったので、知ってます。気持ちいい事の後、身体の中で、卵と種が出逢うんだそうです。物凄い確率で、出逢うんですって。華仙人さんには、その流れがないそうですが…」
「貴妃を馬鹿にしているの?知ってるわよ。だからわたしは全部受け止めて…」
「あたし、思うんですよ。本当に望んでないから、きっと蝶華さまの心がイヤイヤしてるんじゃないかって。全部光蘭帝さまの種をしっしっと払ってるんじゃないかって」
「そんなわけないじゃない!」
蝶華は頬を押さえて、頭を振った。その目の前で、明琳はしっかりと言った。
「わたしのお話、聞いてくれますか?」
「あんたの話?…………勝手に喋ってればいいじゃない」
明琳はペコと頭を下げると、しゃがんだまま話し出す。
「わたしは御饅頭が嫌いでした。でも、おばあちゃんがせっせと作らせるんです。粉っぽくなったわたしに誰も好きなんて言ってくれない中で、ちょっとだけ恋したんです。お洒落を覚えて、ウキウキでした」
蝶華が微笑んだ。
「ある日、両親が言いました。「手が足りないから、お前も手伝ってくれ。何としても宮殿に御饅頭を奉納しなければ…宮殿に行ってくれ」と。わたし、頷きました。大嫌いな御饅頭を預かりました」
蝶華が静かになった。
不思議だ。
蝶華妃程、自分を嫌っている相手はいないはずなのに、何故か一番伝えたくなる。明琳は後悔を胸にしたまま、鼻を啜った。
「それで?」
「わたしはその御饅頭を持って、逃げたんです。一つずつ、河に投げ込みました。それで、終わると思ってた。そうして御饅頭を納められなくなった父と母と祖母は光蘭帝さまの小父様にあたるのかな? 処刑されました。これは光蘭帝さまには言えません。悲しむだろうから」
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