第四章ー2:蝶華の宝物

「華羊妃さま」

「はいっそれはわたしの事ですねっ?」


 光蘭帝さまは貴妃に華の字をつける事が多い。それにヒツジ頭で華羊妃。それは間違いなく、自分の新しい名前だ。それも光蘭帝さまがつけてくれた。何度も呼ばれるうちに気が付いたから。「明琳」と呼ぶより、「華羊妃」と呼ぶときの光蘭帝さまの方が、ずっと綺麗で素敵だと。


 御饅頭娘より、貴妃が素敵なのは当り前だ。だから、ここでは貴妃でいる。


 しっかり返事して、明琳は星翅の抱えている箱を覗き、入っていたものに目をくぎ付けにした。純白の棍棒、色鮮やかに色墨を刺し込まれて焼かれた陶器、銀に鈍く光る小さな壺に、小脇に抱えた打ち板。


「光蘭帝さまからの贈り物です」

「これ……製菓のお道具ですよね」


 星翅はすっきりとした大人の頬を緩め、優しげな眦を更に下げて見せた。



「後宮の規則を失くしたから、いつでもお饅頭を作って欲しいそうですが」

「本当ですか!」


「ええ。光蘭帝さまは日に日に元気になっておいでです。いずれ跡継ぎも授かろうものでしょう。蝶華がきっと美しい皇子を生むでしょうね」


 跡継ぎ。



 明琳は静かに俯いた。もう遥媛公主から聞いて知っている。貴妃の役割。それは跡継ぎをしっかりと遺すことにある。

 そして、光蘭帝が毎晩蝶華を召している事も。朝の拝列を拒む明琳に声がかかるはずもなく。


 あの夜以来、光蘭帝は姿を見せようとしない。


「わたしは御饅頭を届けるだけでは嫌です」


「貴方は一度は幽玄に落ちた身。そうそうお召しは出来ないのですよ。お願いですから、蝶華に譲ってやってくれませんか?」


「わ、わたしに謝っては駄目ですぅ!」


 だが星翅は床に手をつき、深々と頭を下げて見せた。


「蝶華が子を産むことで、白龍公主の勝ちとなる。そして白龍公主たちは天に還る。蝶華が悪魔から逃れるには、それしかない。さすれば遥媛公主もいずこかに消え、後宮は元の平和な場所に戻るでしょう。蝶華は幸せになれるはずです」


「違うと思うけど」


 明琳は口ごもった。


 子供の自分にも分かってしまったのに、兄の星翅太子には解らないのだろうか。蝶華は光蘭帝さまなど好きではない。白龍公主さまが好きなのだ。それを光蘭帝さまは知らず、愛そうとしている。子を産ませるってそういうことだと遥媛公主さまが言っていた。


 なんて哀しい。


 ――好きだよって、誰もが言う事すら出来ないなんて…。何より蝶華が哀しい。


 だけど、蝶華が堪えているのに、自分がしゃしゃり出るのは変だ。明琳は長い袖口をすりすりと合わせて、天女のように衣装を揺らした。


「お似合いですね。その着物は蝶華が光蘭帝、ああ、飛翔さまをお見初めした時に着ていたものだ。蝶華は貴女を気に入っているのですかね?」


「…そうだと嬉しいです……でも、要らないものだからって」


「それは蝶華の宝物ですよ。小さいころに、不遇な私たちに光蘭帝がまずしたことは、服を贈る事でした。東后妃さまの反対も押し切って、私たち二人を宮殿に入れ、妹を貴妃として下さった! わたしはあの日より、どんなことがあろうと! 光蘭帝さまのおそばに…華羊妃? ここからが素晴らしいところなのですが」





――飽きちゃった。星翅さまのお話はおじいちゃんの昔語りとおんなじなんだもん。明琳は(ごめんなさい)と思いつつ、その場からそろりと逃げた。


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