附――トアル作家ノ戯言――

注釈:四

 もし涼子と一緒に生きることができたのならば。


 仮に小生の時代に涼子がいたのならば。


 小生は彼女に恋をしていただろう。


 ありがとう涼子。




・審理の世界

 審理の世界は成人となるその過程の、最大の回帰点を軸に繰り広げられる世界だ。

 涼子であれば、男を刺した時になるのだろう。

 敵は言わば自分自身なのだ。もうひとりの、ドロリとした人間性に忠実な自分自身が語りかけてくる。これでよかったのかと。これでいいのかと。こうすればいいのかと惑わすように声をかけてくるのだ。

 審理とはその回答で決まる。仮に涼子があの言葉に――男を殺せという言葉に耳を傾けていたのならば。判決は地獄行きと決まり、また最初のホームへ戻されたことだろう。

 別に全否定すればいいというわけではない。影法師は時に善行を促すことも在る。ただその時はたいてい、それを否としたい時に現れるのだ。

 審理とはその過程を越えて人間がどう在るかと見定める審判だ。それが人として成熟した時、魂に備わっているのならば真に大人になるのだろう。

 逆に。いつまでたっても判決が否となるならば。それはいわゆるアダルトチルドレンとして、陰鬱な世界を堂々巡りするだけなのだ。

 故に、この世界に踏み込んだ途端、冒険の書のいままでの道筋は全て忘れてしまうのだ。

 涼子の言うげぇむで言うなら――そうだな。失敗すればセーブデータが全て消えるというのが正しいのかもしれない。



・己の影法師

 この世界の敵だ。

 そして明確に『敵』と言ったのは理由がある。

 人生の子供の時とは、言わば敵を正確に認識できるように訓練する時代であるといっても過言ではない。規範のある学校という中で、あるいはアルバイトのような世間に触れるその中で、真の善と悪を見定めることに在る。

 ただし、だからといって「この人は全て悪だ、敵だ」と認識するのは大抵の場合は誤りがある。

 何故ならば人には、良いところも悪いところもあるからだ。無論、自分自身にもそういうものがあるのだろう。


 ソレを踏まえて。


 己の影法師を敵と言うのは、常に人生は自分との戦いであり、生ぬるいことを言う自分自身と、それに寄り添うような言葉を曰い寄り添う人間はすべからく悪の側面を持つからである。

 そういう人間が周囲にいないだろうか。

 ねずみ講やキャッチセールのよう……とまではいかないが。時にそれは宗教勧誘であったり。時にそれは、伸び悩んだ時に無償で手を伸ばしてくるような輩のように。聞いてもいないのにタダでやってやると言って、あとでおしつけた見返りを求めるような下衆野郎。

 そういう連中は仮面の裏にある獣の表情と臭いをひた隠しにして、まるで苔が岩に這うように得物を支配しようとする。


 それは悪人なのだ。


 いい側面もあるだろう。


 だがそれは悪人なのだ。


 大抵の場合、真なる悪人は自分の情けない部分のソレに似て、認めたくないと思ってしまう場所にうまく隠れている。

 これを看破できないようでは、大人になったとてただの餌。当時の小生の厳しい心で言うならば――そう。、なのだろう。

 世間の餌になるくらいならば、この本を出てゆく価値もなく。

 せめてもの慈悲で、小生が潰してやろう。

 多分、書いていた小生はそう思っていたのだろうな。

 度し難いが、なんとなしに理解は出来る。



・小生について

 タダの書生であり、作家の残骸だ。

 小生が読破したことで、ようやく『冒険の書』の役割を終えることができる。

 生まれいでて百十あまり。本の中では、その十倍のような時の流れを感じたような気がする。

 やってくる人間の悪意も善意もすべて取り込み、そうやって世界を構築し続けていた。羨望を纏う人間もあれば、ゲス以下の悪党もいた。

 だが、涼子だけは何者でもない強さを持っていた。


 ああ、体が浄化されてゆく。


 こうやって文字を綴るのも最後になるのだろう。


 もう少し書いていたいという気持ちもあるのだが。


 今は、天に登り、一つだったものに戻りたいと、そう思える。


 願わくば、彼女の側にいたかった。


 彼女の幸せを見届けたかった。


 だから――


 願いが叶うならば――















 ―――――彼女の物語に刻まれたい―――――










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