審理ノ伍:閻魔

 いい加減にしてほしかった。


 颯馬はたびたび、いろんなところに連れて行ってくれるのだが。手を握って、時々頬にキスをしてくれる意外は本当にピュアな関係を維持していた。


 勢いあまって抱き着いたこともあるし、唇を奪ったこともあった。けれども、あのはにかんだ顔で涼子の頭を撫でては袖にしていた。


 何が目的なのだろうか。こんなにも好意を向けているのに。


 やりすぎなのかなと思って、さも他人の事のように友人たちに相談してみる。



『そりゃ、相手がゲイなんだよ』


 少なくとも颯馬はそうじゃない、と思いたい。



『その子に問題があるとか?』


 涼子にとってその言葉だけは否定をしたいが。完全とは言い難い。体系には気を付けているし、実は走り込みをしていたりもする。肌も爪も、服もしまむらだが色々と研究をしてそれなりに見せていたりする。



『実は遊ばれているとか』

 

 一番、ズキリと来る言葉だった。


 正直、そんな感じは半分くらいある。男がイチモツだけじゃないというのはよくわかったけれども、それ以外の欲求もあるのではないかと疑い始める。


 例えば、支配欲だとか。


 こういう子を侍らせているとか、助けているだとか。そういうのをひっくるめた広義の意味ではあるのだが。なんだか、それに含まれているのではないかと思った。


 では、どうすればいいのか。


 涼子はたしかに、堂々とした態度を除けばその悲惨な家庭っぷりは助けたいという欲求はかなり刺激されるのかもしれない。



 独善的な正義。


 そのための行動。


 つまりは、ヒロイズムに似た何か。



 ――もしかして颯馬は。私の体に欲情しているのではなくて、この不幸に股座をおっ立てているのではなかろうか。



 そんな思いがぐるぐると、ぐるぐると回る。


 いつものように学校に通い、颯馬を眺めて。後輩たちにまとわりつかれながら帰路につき。悶々としてたどり着いた家は荒れていた。


「またか」


 ものが倒されていて、今も見るも無残なことになっている。母親が癇癪を起したようだ。最近は更年期障害かと思えるほどにいう事の意味が解らなくなってきて、泣いたり激昂したり、それを繰り返したりしている。


「帰ったならさっさとそう言えよ!」


 台所から顔を覗かせた母親の顔はぐしゃぐしゃになっていた。酒を飲んだのだろうか、よろよろとおぼつかない感じでいる。


「母さん、あとで片づけるけどガラス割らないでね?」


「うるさい! うるさいうるさいうるさいいいいいいい!」


 もう後半は何を言っているか解らなかった。青筋を立てて、ご近所に聞こえるほどの怒号を涼子にぶつけている。


 多分、職場でうまくいかなかったのか。それとも、何か嫌味を言われたのだろうか。


 涼子の母は美しい女性だった。黙っていればの話だが。


 なので、ひがみを一身に受ける人生を歩んできたという。今のパートでも、女手一つで涼子を育てているのを「男に体を売っている」と陰口を言われるらしい。


 余裕があればそんなのは鼻で笑えることだ。大抵、陰口を言う女はブスだ。取るに足らない石ころとそう変わらない。


 だが、涼子の母は最初から疲弊している。そのプライドから、いつまでたっても離婚したことを引きずり続けている。なまじ真面目な部分もあるからか、頑張っていることをそうやって言われると我を忘れるほどに怒ってしまう。


 嗚呼。


 嗚呼。


 この世界は、傷つけあう事しかできないのだろうか。


 多分、涼子は貧乏くじをひいているのだ。涼子の母親も、また貧乏くじをひいているようだ。


 救い出してくれる人間なんていない。助けてくれる人間は見返りにその女の体を求めてくるに決まっている。誰もがそうだった。誰もがそうだった!


 だが。



「颯馬――」



 急に会いたくなった。颯馬に会いたくなってしまった。


 救ってほしいなどとは言わない。金を無心するなんてことも言わない。ボンボンだから何とかしてくれるだろうなんて絶対に言わない。


 けれども。颯馬だけは、涼子の体を求めずに好意を寄せてくれた。それはあの商店街の皆に通じる、慈愛の心だとそう思えた。


 本当ならば、涼子の母親が持つはずだったそれ。失ったそれ。渇望しているそれを、颯馬なら持っている。



 いてもたってもいられなかった。



 涼子はその足で家を飛び出した。背後から母親のヒステリックな声が聞こえてくるが、それを無視してただ只管に走った。


 商店街を駆け抜けると、驚いた皆が涼子を呼んだ。しかし涼子はもう颯馬の事しか考えられなかった。


 涼子は彼の住んでいる場所を知っている。何度か彼の車で帰りたくないと駄々をこねて、家まで乗っていったのが功を奏した。その時彼は家に入れてくれなかったが――今は。


 町を一つ駆け抜ける。今まで走りこんでいたのがここで役に立つとは。汗まみれになりながらも、涼子は大学生が住んでいるにしては高そうなアパートの階段を駆け上がる。


 その途中、ちらりと下の駐車場を眺めた。あった。颯馬の車だ。今日は早めに帰って提出物をまとめると言っていたから、戻っていることは知っていた。


 駆け上がる。休みなしに駆け上がる。一番上の端の家だという事は知っている。


 インターホンを鳴らすまでもないと、涼子はドアノブを徐に掴んだ。そして引くと――不用心のようだ。ドアが開いている。確か、友人が来れるようにいるときは常に開けていると聞いていた。


 ふと。


 足元を見て、ドキリとした。


 見知らぬパンプスがある。ヒールの低めの可愛い奴だ。


 脱ぎ捨てたように。いつも来慣れていると言うかのようにだ!


 涼子は急に不安に押しつぶされそうになる。勢いよくドアを開けたのに、颯馬が来る様子がない。


 ゆっくりと。狭い廊下を歩いてゆく。


 だんだんと声が聞こえる。女のクスクスと笑う声が聞こえる。颯馬の笑う声が聞こえる。


 そうして。









 颯馬と――その体に絡まっている女は仰天した顔で涼子を見ていた。涼子とはまったく別ベクトルの、ゆるふわボブの似合う女性。すでに上は下着になっていて、颯馬の首に腕を絡めていた。


「涼子!?」


「会いに来た。でも、お邪魔だったようね」



 嗚呼、嗚呼。



 やはり。



 すべてが、どうでもよくなった。



 私はやはり慰みものの運命にあるようだと、涼子はその瞬間、まるっと人生を放り投げた。


 そして、ドロリと胸から浮かび上がる、殺意に似た何かが、涼子の影法師となって彼女に寄り添った。


 颯馬は違うんだと叫んでいたが、涼子は意味が解らなかった。



 ――ね。意味わかんないよね。何が違うんだろう?



 組みついていた女は颯馬に叫んでいた。何よこの女、と。



 ――昼ドラみたいなこと言うんだね、こういう女って。みてよあの頭の軽そうなツラ。ウケるよね。でもこんなのに負けちゃったんだね?



 影法師がケラケラと笑う。口を弓張り月のようにニヤァと開き、その中は真っ赤に染まっていた。


 涼子が帰る、というと腕を掴まれた。拒否反応のように鳥肌が立った。触られたいと思った手が。まさぐられたいと思った手が。腐肉と腐臭に混じったゾンビの手のように感じる。



 ――キモい。キモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいあっはははははははははははははははは! ほんときっも!


 ――アンタ、こんなのが良かったんだ。同じ朽ち果てた同志、お似合いなんじゃあないの?



 黙れ、笑うなと言いたいが。


 涼子も同じように、嘲りの含んだ笑顔を浮かべてしまう。


 颯馬が頼むから話を聞いてくれ、と縋ってきた。だがそれを見て、頭の軽そうな女は頭を掻きむしってさらに金斬り声を上げる。



 ――見てよこの無様な顔! この女、多分ほかの今までの男にもそうだったんだよ。だから遊ばれたんだよこのクズに。見たところ二十歳超えてそうだから? 颯馬に遊ばれたんだろうね体を。成人していれば何されても自己責任とか言われるからさ、颯馬もそれ狙ってたんじゃない?



 涼子もそう思う。涼子に手を出さなかったのは、そういうところだけは怖かったから。未成年を捨てるにも捨てられないし、黙らせようにも涼子は大騒動を巻き起こした前科がある。


 そんなのに手を出したのはつまり。







 あれが颯馬の本心だったのだ。彼はすべての人間を、すべての女をゲームの駒に見立てて遊んでいたのだ。


 そういう人間は一定数いるのは確かだ。人はそれをサイコパスと言うだろうし、後天的ならソシオパスとも言うのだろう。


 彼は金持ちの家に生まれて、すべてを手に入れながら生きてきた。涼子とは真逆の存在なのだ。


 だから、一番のおもちゃが人間になる。融通の利かない、言うことを聞かない、けれどもコツを掴むことができれば面白いように言うことを聞く。


 人を操る。傀儡にする。人形にする。


 その愉悦は、確かに性快感を超えることがあるらしい。


 いつしかそれが自然になると、颯馬のように本物のサイコ野郎が誕生するのだ。


 彼女のカウンセリングを買って出たのも本心だろう。彼女の愚痴を聞き、好意を持ったのもまた本心なのだろう。もしかしたら、人を操ることに抵抗がなさ過ぎてそうとすらも気づいていなかったのかもしれない。


 だが、それに責任というものを感じることが無かったのだ。愛の言葉とは、即ち人を縛る呪でもある。絆を諭す言葉とは、漢字の成り立ちのように羈絆――つまりは、人を縛るものである。


 それを彼は知らず、ただただ言葉で人が動くことの快楽を貪っていたのだ。


 だから「違う」と言えるのだ。愛しているのだと。確かに彼にとってはそうだろう。だが、言葉の意味を真に理解していない。その責任を理解していないからそう言える。


 これは、もう無理だ。


 関わっては、人生を貪られるだけなのだ。




 ――クズってこういうヤツの事を言うよね。


 ――そうね。




 涼子は、ついに心の『黒』に答えてしまった。もう、彼女の体は影法師のソレに似ている。真っ黒の、ドロっとした人間性の悪意に染まり、全てを小馬鹿にする用に睥睨している。




 ――ねえ、あたし。


 ――何、あたし。


 ――復讐をしましょうよ。




 颯馬が事態のキャパオーバーを起こし、半狂乱になった。こういった類の人間は、すぐにこうなる。今までぬくぬくと温室で育っていたのだ、自分を否定されることに全く慣れていない。それどころか、否定を感じ取った時点で事態を力づくで排除しようとする行動に出る。


 台所の当たりで涼子の首が掴まれた。体重をかけられて倒れ込む。背後の女が悲鳴を上げて颯馬を止めようとするが――颯馬はあろうことか、彼女を突き飛ばすようにして払った。


 台所にあった食器棚がひっくり返った。颯馬はもう目を充血させて我を忘れている。


 涼子はじっとその目を見ていた。正直に言えば、男の力などこんなものかと思っていた。やろうと思えば払うことが出来る。伊達に下心をはねのけてきたわけではない。喧嘩だってそれなりに経験はある。このまま膝を上げてタマを潰し、怯んだところに目をひっぱたけば誰でも手を離す。


 けれども。




 ――ねえ、ねえ。あたし。いいこと思いついちゃった。




 目だけで横を見ると、黒い影法師が涼子の横で大づえをついて寝転んでいる。とても楽しそうに、ニヤァと笑う。




 ――それで刺しちゃおうよ。


 涼子が見たのは包丁だった。さっきの食器棚から奇跡的に誰にも当たらずに落ちてきたようだ。




 ――殺すの?


 ――違う違う。そしたらあたし達の負けじゃない。死なない程度にやるのよ。そうすれば騒ぎは大きくなる。


 ――なるほど。またそれをってわけだ。


 ――そうそう。こいつ、こんなんだからどうせ何又もしてるはずだよ。だからさ、それを白日のもとに晒すってわけよ。


 ――いい案だわ。あの馬鹿女の頭に颯馬の精子でも詰まってなけりゃ、颯馬が押し倒して首絞めたになるし。


 ――そうそう。あたし達の勝ちが確定ってワケ。うはは! ウケる。ウケるよ! さあさああたし。




 涼子の精神だけが立ち上がる。覗き込むその顔は、とても穏やかな顔。諦念なのか、それとも勝ちを確信したのか。もう少しで包丁に手が届く。


 ふわりと手を回される。影法師だ。耳元にキスをして、涼子の体をまさぐる。腹を、胸を。颯馬に触ってほしかった股下まで。




 ――濡れてるよ。いいでしょ。男を葬るのは。


 ――……。


 ――さあ。やろうよ。これから殺して回るの。潰して回るの。男達に復讐するの。金をせびってさ、望まれない子を作ってさ。強請ってやるのよ。その第一歩よ? さあ涼子。私達に力をちょうだいな。血の花を咲かせましょうよ。絶望してゆく男。飛び降りる男。修羅場になって刺される男。社会的に殺される男に……ねえ、たまんないよね。




 いつの間にか、手には拳銃を握っていた。


 包丁で刺すまでもない。


 こいつを殺し、全てに復讐をするのだ。


 お前にはそれを是とする理由がある。生い立ちが在る。許される同情がある。


 さあ殺せ。


 人を殺すのだ。


 お前は理解されず、ただただ傀儡と成り果てる運命に在る。


 声が聞こえる。


 胴間声に似たひどい声が。


 暗黒の穴から響くような声が聞こえる。


 とても心地よい。


 力がみなぎってくる。


 そうだ、今までこんなにも虐げられていたのだ。


 運命に裏切られていたのだ。


 人に貪られるためにこの世に生まれ落ちてしまったのだ。


 幼少期はその可能性を親に貪られ。


 思春期には母親に貪られ。


 そして大人になるこの過渡期に、男に貪られている。




 殺せ。


 殺すのだ。


 そうやってお前はようやくスタートラインに立てる。




 殺せ。


 殺せ殺せ殺せ。




 私だけが、お前の味方だ。




 指に力が入る。トリガーに指がかかる。


 あと数ミリでも手前に引けば。この男の生命は散り果てる。


 さあ殺せ。


 殺せ!


 殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ!!!!!!!!!!!!!!!!!!







 


 







 ――涼子!







 ハッとした。


 思い出した。


 何を見ているのだろうか。


 これは過去の出来事だ。


 終わったことの巻き戻しだ。



 そうだ。この本の世界の穴たる存在。涼子に救いを求めた、ちっぽけな命の残骸。さまざまな主人公の凄惨な結末を見届けて、狂うことすら許されずに悠久の時間を生きてきた哀れな黒猫。


 そうだ。


 そうだった。


 この世界で、涼子の味方はたった一人だった。


 あの哀れな黒猫。触り心地が絶妙な黒猫。言葉遣いが古くて言い回しがくどくて、こんな歪な世界を好んで書いたいけ好かないクソ猫。


 あいつは颯馬のように、可哀想というステータスだけ見て涼子を助けたのではない。


 ナビ助は全てを知りながら。こうやってもうひとりの自分の愚を知っても尚。涼子を強い女と言ってくれた。


 味方というのは、酸いも甘いも善も悪もひっくるめて認めてくれた他人のことを言うのだ。


 だとするならば。


 この手を回す、黒い影は何者なのだ?


 たいして涼子の事を知ってるわけでもなし。私そっくりの形で私から出たようなことをして。


 そもそも涼子のいっときの感情に同調して、あまつさえ味方と曰うこのクズ野郎は何者なのだ?


 答えは簡単だ。





 こいつは、だ!





「おい、クソ野郎」





 涼子は腕を払い、振り返って影法師を見る。


 涼子の形を象った影法師は、驚いた様子で口を開けていた。


 躊躇せずに銃を――九四式拳銃をその口元につっこむ。生身の人間だったなら前歯が折れそうな勢いで。




「勝手に人様の人生語ってくれるなよ! 舐めんな!」




 ドカン、と。


 躊躇なく撃発した。


 弾丸は影法師を突き抜けて、世界にすら風穴を開ける。


 膝立ちになって崩れる影法師に、涼子は容赦なく弾丸を見舞った。いつの間にか涙を流して、吠えるようにして叫んでいた。


「ざっけんな! 勝手に同情しやがって! くたばれクソ野郎が!」


 弾丸を撃ち続ける。影法師は穴開きチーズのような有様になるが、涼子の怒りはまだ止まらない。


「同情されるほど大した不幸なんてねえんだよ! クソが! もっといい男作って! もっとキレイになって群がる男フッて選んで! 優しくて金持ちでイケメン捕まえる! 幸せになるんだ! 幸せになるんだ幸せになるんだ!」


 銃撃を繰り返す。最早、人形かどうかもわからなくなったその像は、黒い破片を撒き散らしてどんどんと粉々になってゆく。


「金持ちになって! 私も金かせいで! 母さんと旅行行きまくって! ちくしょう! あたしだってやるんだ! やってやるんだ! 幸せに!」







「なれるさ。必ず」




 不意に、涼子視界が明るくなる。影法師の残骸が光を放ち、足元にいつの間にかできていた穴からピシピシと音が聞こえる。やがてそれはガラスが砕けるような音がしたと思うと、世界が全て崩れ落ちた。


「やったな涼子。判決は下った。君は幸せを掴むために生きているのだと」


 振り替えてみると、暗闇の中に光る猫がいた。


「もしかして、ナビ助?」


「ああ。そうだ。小生だ。涼子、最終章は終わった。君は踏破……いや、読破したのだ」


 にわかに奇妙な感覚。


 フワリと浮かび上がるような、そんな安定を欠いたような不安なもの。


 辺りの景色は再び変化している。


 涼子は天地に伸び上がった白い螺旋状の渦の中にいた。映画のフィルムのようなものが幾重にも螺旋を描いて伸び上がる。赤いLEDのデジタル時計のような羅列がこれも帯となり、まっすぐ空に駆け上がっている。


 周囲を見てみると、ありとあらゆる、時代がグチャグチャの物という物が吹き上がるようにして空に昇っていった。


「な!? 何!?!?」


「終わったのさ。読み終わった。君が全部を終わらせた」


 目の前には金色に輝く猫型の光が変化して人間になる。影法師ならぬ、光法師というべきか。ぼさぼさの髪に、詰め襟シャツと袴。かの時代の書生といった出で立ちだ。


 声から察するにそれはナビ助だった。空中に浮いているはずなのに、何かの上に座っているようだった。


 涼子はというと、吹き上がる風に押し上げられて宙を浮いている。気を抜くとくるくると回転してしまいそうだ。


「え……ナビ助? あんたナビ助なの!?」


「そう。これが小生の姿さ。この形になるのは久方ぶりだ。腕の動かし方がよくわからなくなるが、ふむ、いいな」


「けっこうイケメンじゃないの!」


「なあ涼子、面食いはもうやめたほうがいいぞ? 同じ轍を踏みたくないだろう」


「うっせ! うっせ……うわわ」


 くるりと一回転。まるでスカイダイビングの逆をやっているようだ。なんとかして体重を移動させて落ち着くと、ナビ助は光の中でニカッと笑った。


「ようやく終わった。小生も小生として天に登ることができる。礼を言うぞ涼子。ありがとう」


「あれで終わりなの!?」


「そうとも。涼子、君は取り戻した。そして新たに歩き始める。自分の人生を取り戻して――現実へと戻るだろう」


「ナビ助は!?」


「小生は本だ。読み終えたら役目を終えるだろうさ」


「そんな!」


 涼子が手を伸ばすが、ナビ助は首を振るとその場を立ち去ろうとする。


「お別れだ涼子。君は最高の主人公だった。描いた小生も鼻が高いというものだ」


「待ってよ! 勝手に閉じ込めて! 勝手にほじくって! 勝手にどっかいっちゃうの!?」


「そうさ。それが小生だ。しみったれた性格の、性根の悪い小生なのだ」


 ナビ助はそうやって口だけでシニカルな笑いを浮かべると、カランコロンと下駄を奏でて歩きだした。


「ありがとう。涼子、どうか幸せに。小生は意味のない文字に戻り――だけど、文字の有る場所で君を見守っているよ」


「ダメ、戻ってお願い! 友達でしょ!? 


 そう言うとナビ助はピタリと歩を止めた。


「そうか。なら尚更だ。友との別れは人を強くする。涼子、強く、そして幸せに」


「待ってええええええええ!」


 そして、世界は真っ白に包まれた。




(審理――了――)

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