審理ノ四:五官

 だんだんとフレンチキスを貰うだけでは満足いかなくなってきたのが解った。


 涼子はあまり自分で自分を慰めるという事はしないのだが、ふと颯馬のことを考えると頭がそれでいっぱいになってしまう。顔に出さないようにと常にキッとにらむような顔をしているのだが、それでも――



「おはようございます。今日の授業は僕が担当します」



 教室の女子から黄色い声が上がるその中で、紛れるように涼子も顔がにやけてしまう。


 同時に、とても醜い事を考えてしまうのがとても申し訳ないとも思ってしまう。


「はぁ、颯馬先生かっこいいよね……」


 うっとりとするのは涼子の横のクラスメート。彼女もまた颯馬に惚れているようで、ノートなどは取らずに熱視線を向けてた。


「そうね」


「そうねって涼子。あんた本当に男に興味ないの? もしかして噂通り、ホントにレズなの?」


「人聞きの悪い事言わないでくれる? そういうんじゃないの」


 そういうのではない。


 すでに、あの男は自分に夢中なのだ。


 そういう優越感が涼子にはあった。それはとても醜いことだとは理解できている。もし上から目線で言ったのならば、彼女は私のことをどう思うのだろうか。そんな、信管のない爆弾の横で夢想するようにフッと笑う。


「じゃあどういう事なの? 前からおすまししやがって気に入らねんだよこんにゃろー」


 言葉とは裏腹に、サイドアップにまとめた髪をぺちぺちと当ててくる。引っ張ってやろうかと涼子は思ったが、これ以上騒ぐと彼の気を向けてしまいかねない。


 まるで秘密の恋のようだと苦笑しながら。


「ほら、授業聞かないと」


「なんでグレてるツラしてるのに真面目なの? センコー追い込んだ問題児のくせに」


「それも人聞きが悪いよ」


「言い方が悪かった。問題児どころか英雄だよ英雄。椅子ぶん投げてさ、その手わしづかみにして証拠写真撮ってそのまんま警察に駆け込むとか。その上やたらめったら仲間集めてSNSにセンコーの顔上げたり掲示板に書き込みしまくったとか強すぎ」


 そう。


 涼子は一人の教師を追放している。


 相手になった教師は有名なクソ教師だった。けっこう歳を取っているのであまり誰も文句が言えず、それを傘に強姦まがいのことをしていたらしい。


 そして涼子も指導と名のもとに個室へと誘われ、その歯牙にかかる――


 ――と思いきや。「舐めんな!」と言って椅子を振り回して殴りつけ、窓を割りまくるという大立ち回りを敢行する。


 涼子は前からその教師の被害にあった子たちの相談を受けていたりしていた。このクソッタレな世の中にはよくあることだと、他人事の視点を隠しながら聞いていたのだが、自分に降りかかった途端ここまで爆発するとは涼子自身も思っていなかった。


 幸運にも涼子がその足で駆け込んだ、商店街にある交番の警察官たちは涼子のことをよく知っていた。彼女が援助交際を迫る男たちを突き出したり、その前にも母親と大喧嘩をしてなだめたりと何かと顔を合わせていたからだ。


 いつもは穏やかな、仏のような巡査部長は一転して鬼の形相となり「あとは大人に任せろ」と涼子を保護。涼子はここぞとばかりに被害者の生徒たちに号令をかけると、SNSは変態教師の顔写真一色となった。


 あとは押して図るべく――と言いたいところだが、PTAや保護者含む周囲の大人たちの要望もあり、涼子を含む女子生徒たちにメディアがまとわりつかないようにと能動的な隠ぺいを県教育委員会に要請するに至る。


 本来ならそんなことを取り合わない教育界のクズ中のクズが教育委員会という場所。その件についても知らぬ存ぜぬ、果ては涼子を釣り上げて退学にさせようという声も上がった。それほどまでに、現代の教育界は腐っているのだ。


 だが涼子の放った顔写真攻撃は予想以上の反響があり教育委員会に投石までされる事態に至る。それを嗅ぎつけないメディアなどいるわけがない。県教育委員会のビルには常に、不審な人物が職員に話を聞いて回るような事態となった。


 このままでは大問題に発展する。


 このネット社会に隠し通せることなどそうそうない。


 そう思った教育委員会はついに要請を飲むに至る。


 結果、速やかな手打ちが行われ――世の中には「よくわからないけど下手こいた教育委員会の人間が処罰された」という有耶無耶に終わる。


 ただし、そのエロ教師についてはネット上に顔が割れてしまったため教師を続けることは不可能になる。減給の上に、教育委員会でも一番矢面に立たされる部署に異動となり、ほぼ飼い殺し状態となった。今でもメディアに追い回されて、半狂乱になって逃げまわっているところを目撃されているとか。それでも辞めさせないで、席に座っているだけで金が出るというのも世の腐っている部分ではある。


 涼子の名前は当然のように表には出てこないものの、この学校の中では、涼子はある意味では救世主として。ある意味では教師を合法的に追い込むアウトロー中のアウトローとして名を轟かせることになる。


 翻って見てみれば、涼子の度胸と行動力もそうだが――彼女が構築した人間のつながりが自然とそうしたとも言えるのだが。


 英雄とは、強い人間とは。そういうのをひっくるめて流れを作る人間なのだ。


 そんなことは露とも思わず。


 涼子にとってその事件のことは、「エロ教師がいなくなってせいせいした」くらいにしか思っていない。自ら生み出した波濤が、すさまじい力を生み出したとも知らずに。


 というわけで。「やっぱり問題児なんだな~」と他人事のように呟きつつ、涼子はシャーペンを持ってノートを取る――ふりをしていた。



 ☆



 涼子にとって、今まで休日というものは時間に苦心するものだという認識しかなかった。


 部活にでも入ろうかと思ったが、それはそれで金がかかる。家に引きこもっていると、時折母親が癇癪を起して気を休まらない。勉強も毎日それなりにやっているので休日に根を詰めるということもあまり無い。


 なので、彼女はよくアルバイトに出ていた。ファーストフードだったり、ガソリンスタンドだったり。時々、商店街の昔からあるカフェの店員をしたり。


 そうして稼いだお金は特に執着がなかった。半分くらいは家に入れていたし、機嫌のいい時の母親を連れて映画を見に行ったりした。


 ただ、今は時間が惜しいと思ってしまう。



「今日はどこ行こうか」



 颯馬はそう言って車を走らせる。彼は大学生とは思えないくらいの高級車に乗っていた。


 涼子にとって車が高かろうが安かろうが、それこそ普通車だろうが軽自動車だろうが特に関係無かった。ただ、休日に一緒に出てくれる彼氏がいるというだけで幸せを感じていた。


「もうそろそろ椅子起こしていい?」


 涼子は助手席で思いっきり背もたれを倒していた。


「そんなに警戒しなくてもよくない?」


「颯馬は甘い。私みたいな金髪が高級車の助手席に乗ってみ? なんて言われると思う?」


「とうとう援助交際に手を出して、良いカモを捕まえた、かな?」


「そうだけど改めて言われるとムカつく」


「理不尽だ」


「そもそも颯馬の脇が甘い。もし私たち知ってる人が見たらどうすんの? ソッコーで問題になるよ?」


「スリルがあっていいじゃない」


「馬鹿」


 げし、と足で颯馬の脇を蹴る。「危ないだろ」と言いながら、優しく足を撫でられるのは嫌ではなかった。


 やっぱり自分は阿保だと、涼子は脳内で自分自身を叱っていた。男に触られるなんて、ゴキブリの次に嫌いだったはずなのに。顔がいい、ちょっと頭がいいっぽいというだけで許してしまうなんて。


 もっとこう、恋愛というのは心を通わせるとか、深い信頼があるとかそういうのを言うんじゃないかと自問する。


 だが全く経験の無い自分自身は心の中で押し黙るばかりだ。


 でも、確かに。


 そう考えれば、違和感はある。


 颯馬に一回でも愛していると言われたことが無い。


 それどころか、時々油断して出す好意をさらりと躱されている気すら感じる。いや、決してこちらから好きとかは言わないようにしているのだけれども――と。涼子の脳内に不安の文字が大量出現する。


 もしかしてこいつも――


「涼子」


「え!?」


 素っ頓狂な声を上げてしまった。信号待ちをしている颯馬が驚いた顔で涼子の顔を覗いている。


「どうしたの? なんか忘れ物?」


「え、いやその」


「もうそろそろいいかも。高速入るし」


 言われるままに座席シートを起こす。もう料金所を超えて、高速道路に入り込もうとしているところだ。


「今日はそうだな、海見に行こう。水族館いって適当に海鮮もの食べてさ」


「ねえ颯馬」


「え?」


「私のこと、好きなの?」


「もちろん」


 即答だった。


 安堵。脳内に何か麻薬のようなものが分泌される感覚。後頭部からじんわりと、頭の登頂へ進みそして全身へ広がる。


 馬鹿だ。自分は大馬鹿野郎だと涼子は頭の中でののしる。ほっぺたを掴んでにやけないようにと、顔の筋肉を緩ませないようにするのが精いっぱい。「そう」とそっけなくクールに決めてそっぽを向いてごまかして。


「ミラーに映ってるよ。真っ赤な顔」


「え!?」


「嘘」


 悔しくなって肩にパンチを繰り出す。やめてと言われてもやめなかった。うれしかったからだ。




 ――――子! ――嘘――――――!




 ズキリ。


 再び心に鈍痛があった。


「!!?!?」


 涼子は向けた拳を自分の胸に添える。何か解らなかった。颯馬を前にして、不自然な鈍痛が涼子の胸を締め付けている。


 これは何なのだろうか。幸せの絶頂にいるからこその不安感が、こうして反動を生み出しているのだろうか。


「ねえ颯馬」


「どうしたの? またお母さんと喧嘩した件か?」


「そうじゃあないの。ねえ、私は次の日も開けてあるの」


「そっか。じゃあゆっくり帰れるね」


「そうじゃなくて。チャンスだと思わないの?」


「――。それにのって、あわよくば君に乗ってみたいな感じの?」


「こんなチャンスめったにないよ。現役女子高校生、逃げ場もないし知り合いの人目もない。やりたい放題――」


「君、僕をAV男優だと思ってるわけ?」


「男なんてどうせそうでしょ。ほら、突っ込みたいっていいなよ」


「違うよ」


 ぴしゃりと言われた。けれども、はぐらかされているようにも感じる。


「嘘つけ。ヤりたいなら言いなよ。いいよ、何でもしてあげる。したことないけど」


「もう少しピュアに行きたくない?」


「アンタ本当はゲイなんでしょ」


「なんでハリウッド映画みたいな台詞言うんだよ。あと、男を偏見で見すぎな上にゲイの人達にちょっと失礼。君の――君の生きてきた中ではそうだったのかもしれないけれど。世間は広いんだよ涼子」


「フン。草食系め」


「そういうのが好みだろう?」


 ああそうだよ!


 あんたみたいなのが好みだよ!


 涼子は心の中で叫んだ。心象としては、黒潮の滾る絶頭で波に向かって叫んでいるような、そんな感じだ。


 溺れている。この優男に溺れている。


 涼子はついに、心に贅肉が付き始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます