審理ノ弐:初江

 ナビ助がそう言うと、突如周囲が真っ暗になった。


 涼子がびっくりして辺りを見回すと、そこは小高い丘。夕焼け空の茜色に染まる、不気味なほどに広い丘の草原だった。


「な、何ここ……」


「最終章だ。ついに来たのさ」


 ナビ助はぴょん、と跳ね、そして涼子の前に座った。


「いいか涼子。この物語は君の物語だ。君が生き君が歩んだその道筋を、小生が醜悪に歪ませたいびつな冒険譚だ。それはようやく最後を迎えることになる」


「相変わらず訳のわからないこと言わないでよ! 何なのよ!」


「聞け涼子。君の強さを誤解していた。君は――君は最初から捨てていたのだ。自分自身を捨てていたから、その強さは捨て身の強さだったんだ」


「ハァ!?」


「君の強さは主体性のない強さだ。自分を捨てた強さは際限なく膨れるが、それは爆弾のようなものなのだ」


「何を――」


「これを見ろ」


 ナビ助がそう言うと、いつの間にかナビ助の背後には二人の男女が組み合っていた。


 それは夕焼け空に染まっている――



「颯馬!?」


「そして、君だ」



 ナビ助が言う通り、そこには涼子の首を締める大学生の男と、締められて仰向けに倒れる涼子の姿があった。二人は時間が止まったように、あの時のままピタリと止まっている。


 流石の涼子も狼狽えて錯乱している。逃げるように後退りして、そして叫んだ。


「ふざ……ふざけんな! 何がしたいんだよ!」


「もちろん、君の人生を歩ませるためだ」


 ナビ助はとてとてと歩き、固まった二人の脇に座る。


「いいかよく見ろ涼子。君のこの顔を」


 涼子は思わず銃を抜いて立ち上がり、おそるおそるその顔を覗き込む。


「うそ……うそよ!」


「そうだ。君は死ぬことを望んでいたのだ。見ろこの穏やかな顔を――」


 ナビ助の言う通り、涼子は跡が付くほどに首を締められているのだが――何故か、全てを終わらせたかのような、そんなやりきった顔をしていた。


「わ、私は……私は……」


「涼子。君は嘘をついているのだ。自分自身に。本当は辛くてたまらないのだ。投げ出したくてたまらないのだ。それを母のためと、今まで支えてくれた人のためと。君は真面目に! 周囲の言い訳と情けの理由を作る都合のいいグレた君を演じていただけだ!」


「嘘よ!」


「君は幼い頃に自分を殺したのだ。そうした強さは確かに非行にも走らないだろうし、堕ちることもないだろう。だがその果ては、不幸が堂々巡りする。よしんば上手くいってこの後伴侶を持ったとしても――」


「ふざけんな!」


 涼子が銃を向けナビ助へ発砲した。だが最初に会ったときのように、その弾丸はナビ助の体へと吸い込まれてゆく。


 そして、あれだけ撃っても無くなることのなかった弾丸はついに底をついた。トリガーを何度引いても弾丸は出てこなかった。


「何なのよ……説教はもうたくさんよ!」


「いいや。君は見つめるべきなのだ。君が生きるために。君という冒険譚をこの先も紡ぐ為に!」


「知らない! 私は檻にでもいればいい!」




「だから刺したのだろう?」




 ナビ助の鋭い言葉に思わず喉を詰まらせる涼子。全てを看破されたような気分になり、あれだけ怪物に退治しても震えなかった彼女は、今立っているのがやっとな程に震えている。


「涼子。小生は知っている。君は聡い子だ。だから、実はあのとき――意識がハッキリしていたのだ」


 涼子はガタガタと震えて膝をついてしまう。


「知っているとも。君は包丁の柄を握ったとき、一瞬で全て先を見通した。それは一種の精神加速下に置かれていたとも言っていい」



 つまりは。


 彼女は。



 自分の意思で。


 この世からの逃亡するために。


 起こりうる結果を確信して。


 容赦なく刺したのだ!




 それは冤罪などではなく!


 ましてや正当防衛でもない!


 彼女は自ら世界を見限ったのだ!




 だから、納得をして笑顔を作ったのか。




 ――そら見たことか。


 ――この世に心休まる場所など無く。


 ――私のような女は、貪られるだけなのだと。


 ――ならば、全て居なくなってしまえ。


 ――何が男だ。何が親だ。


 ――全てが全て、私を使い、利用しようとする。


 ――全てが私の敵。私の敵は、全て、全て……


 ――殺してやる。


 ――殺しきって、殺しきって、殺し殺し殺ス殺s殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺助けて殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺…………





 ――最後に、一番の敵を……













 ――一番の敵は。












 彼女は咎人として完成を見る。


 故に強く、だからこそ仮初の芯を持つ。


 明らかに怪しい本を手にとったのも、戯れに似た自殺。


 モブになるものかと、最初のトンネルで拒絶したように弾丸を撒いたのも自分らしく死ぬため。


 追う者たちから全力で逃げたのも、他者による死を受け入れることができなかったから。


 母親を、支配者を浄化しようとしたのも、心の何処かで死に向かう自分を精算をしようと思ったからこそ。


 今の今まで全て、生きるための道のりではなかった。


 言わば彼女はナビ助を裏切り続け、現在進行系で自殺を行っていたのだ。


 そうして手に持つのは九四式拳銃――通称、


 遅かれ早かれ、彼女はそうあった。


 包丁だの、銃撃だの関係ない。


 今の今まで彼女は自殺をし続けていた――故に、これは、彼女自身が起こした罪なのだ。己を殺している罪なのだ!


「だから……何よ! 何がいいたいのよ!」


「見るのだ咎人よ。罪を認めるのだ。贖罪をするのだ。そして、決別するのだ」


「何に!」


「生きることを放棄した自分にだ。言っただろう? この本は冒険譚なのだ。小生が願った、普通であれかしと願った最後の希望なのだ」


「私には希望なんて無い!」


「あるのだ。だから君は主人公なのだ」


 ナビ助はそう言うと、ゆっくりと涼子に近づいた。既に言葉を絞り出すことも苦になるほどに震えた彼女は、追い込まれた獣のように体を震えさせ、汗が尋常でないほどににじみ出ている。


「涼子」


「殺して。私を」


「それはできない」


「あのホームに戻して。モブでいい。壁でいい!」


「ダメだ。これは君が主人公の物語なのだ」


 ナビ助は震える彼女の膝を登り、その腹に潜り込む。


「いいか涼子。君は幸せになるべきなのだ。誰にも媚を売らず、誰の言い訳の的にならないように。


「私は、私は解らないの。母を支えるために生きているのか。不幸な自分を見返してやろうと生きているのか。周りに、不幸な子だと思われないようにしたいのか。何にナメられないように生きたいのか!」


「どれもいいが、そこには君の軸が無いのだ。他人からの刺激から来る、その生き方の発露じゃない。君がどうしたいかなのだ」


「どう、したい――か」


「そうさ。小生は文を極めたかった。極めるために生きていた。結果、迷惑をかけることにはなったが――不甲斐ない自分を含めて、小生は小生であったと思える」


「――」


「涼子。君の言葉にポッカリ抜けていたものを取り戻そう。奪われていたものを取り返すのだ」


 にわかに、ナビ助から光が放たれる。それは凄まじい光で、すぐに世界が真っ白に塗りつぶされた。


「な……何!? 今度は何!?」


 ナビ助はその中央で真っ黒な尻尾を揺らめかせる。その時ようやく、そしてやはり。あの猫は猫でなく、この本に開いた穴だということを涼子は再認識した。


なのだよ。さあここからが最後の勝負だ」


 ナビ助がそう言った後すぐ、涼子は自分の体が見えなくなるほどの光に包まれた。

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