審理――シンリ――

審理ノ壱:秦広

 ナビ助の言う「扉」というものは意外な場所にあった。


 しばらくアーケードを歩き回り、グルっと一周したあたりでそれはあった。シャッターが閉まった店と店の間に不自然な隙間ができていて、それを辿ってみると奥には仰々しい両開きの鉄門扉が出現していた。


「ここ?」


「そのようだ。涼子、鍵を」


 ナビ助に促されるまま、支配者が落としていった鍵を差し込む。するとそれはにわかに光を放ち始める。ぼんやりとした青白い光だったが、なにか触れてはいけないような気がして、涼子はすぐに手を離す。


 すると鍵はそれに応えるようにしてゆっくりと回り、カチリと音を立てる。瞬間、鍵は真っ白になると、パッと燐光となって消えてしまった。


 やがて振動が響き渡る。鉄門扉は誰が触れることもなく、軋む音を立ててゆっくりと開いた。


「階段?」


 覗き込むと狭い階段があった。地下へと続いているようで先は全く見えない。


 まるで、地の底へ――いや、地獄へと続いているかのような。そんな雰囲気さえ感じてしまう。


「そのようだな。涼子、足元に気をつけてくれ」


「ホントにこの先であってるの?」


「ああ。そう思う。ほら、小生も行くから」


 ナビ助が先導する。先は真っ暗だったが、一度足を踏み入れると天井に吊り下がった裸電球が柔らかい光を放ち始めた。歩くごとに、一定間隔に設置されたそれらがじんわりと涼子を照らしてくれる。まるで自動照明のようだ。


「あ、後ろ!」


 背後を向いてみるといつの間にか扉は閉まっていた。退路を絶たれたようで冷や汗がでるが、ナビ助が安心しろと言わんばかりに足にまとわりつく。


「涼子。安心しろ。退路が絶たれたとて、そもそも人生に戻るところなど無いのだ」


「そりゃそうだけど……あ、でもあの駅のホームは?」


「あれはこの本の救済措置のようなものだった。しかし蓋を開けてみれば、あそこは逆に残酷な現実を突きつける場所になってしまった。三回以上、リトライした人間を小生は知らぬ」


「そうなんだ。私でも二度もいけなさそう……そうだよね……進まないと」


「弱気だな?」


「うっせ。これでもか弱い女の子だっつーの」


 ぷふ、と。


 思わずナビ助は笑ってしまった。


「笑うなクソ猫!」


「出会い頭に撃ったくせに何を言う。そら、次の章が始まるぞ」


 ナビ助がそう言うと、正面が妙に光り輝いているのに気がついた。それは狭い階段の通路をどんどん昇ってきて、いつの間にかすぐそこまで迫っている。


「うわっ! ちょっと!」


「安心しろ。まだ冒頭のようなものだ――ほう、これは!」


 ナビ助が感心したような声を上げる。涼子は塞いだ目をゆっくりと開けると――



「な、何これ」



 そこは不思議な空間だった。薄いピンクと乳白色のモヤの中に、様々な極彩色の看板や窓、そして薄型テレビのようなものが浮かんでいた。


「これは――そうだな。涼子の体験した快楽なのだろう」


「ええ、これが?」


 涼子はそう言って怪訝な目で周囲を見ながらゆっくりと歩を進めた。


 宙を舞っているのは、はやはり意味不明な文字が書かれた垂れ幕や看板。


 浮かび上がるテレビに写っているのは、どこの景色かわからない、けれどもどこかで見たような綺麗な景色。そうと思えばどこかの都市であったり、映画館のような場所や、美術館のような場所だったりする。


 空間に張り付いているという、不気味な窓を覗いてみるとそこは様々な部屋。どれもこれもが生活感は無いのだが、何かの雑誌で見たように整然かつ、お洒落な空間だった。


「私、こんなの見たこと無い」


「いや、たしかにそれは見たことはあるのだ。それか想像したり、期待を膨らませたことがあったはずなのだ。なにせここは、涼子の世界なのだからな」


「……」


 涼子はそう言われて、どこか思い当たるフシがあるようだ。先導するナビ助は振り向いて座る。しっぽをゆっくりと揺らめかせて、涼子の言葉を待っているようだった。


「別に隠し立てしなくてもいい。小生は君の物語を既に紡いだ存在だ。何があったのかは端的には知っている」


「性格わるっ。ああそうよ、彼氏が出来てから、私は浮かれてたよ!」


 涼子が顔を真赤にしてそっぽを向いた。腕を組んで「もう!」と言うと、やがて深い溜息をついてその場に座った。


「何ここ。ふかふかかと思ったらけっこう床は硬いんだ」


「見た目よりな。それにしても――フフ、涼子らしい世界だ」


「笑うなよ」


「笑ってなど無い。安心したのだ。君の思春期は、安堵と脅迫のせめぎ合う牢獄だった。他の人間からは見えない煮えきれない牢獄。常にあの怪物が横にいたのなら、歪んでも不思議では無かった」


「安心、ね。こんだけファンシーな気持ちで満たされれば、そりゃそうよ」


「むくれるな。嬉しいのさ小生は」


「なにが」


「この後に迫る事実があったとしてもだ。君は初めて夢というものを持つことが出来た。希望というものを持つことが出来た。それは過去のものであっても、先を進む糧になるというものだ」


「そうね。颯馬とのひと時は、確かに楽しかった。心の底から」


「馴れ初めを聞いても?」


「知ってるくせに。ああ良いわよ言うわよ。彼は大学生で、教育実習生だったの。私は高校でも見た目が浮いてたから、何かと心配されて――そのまま。気づいたら好きになってた」


 涼子が観念したように言うと、あぐらをかいた涼子の足のくぼみにナビ助が再びスッポリと入り込んだ。


「ほう。それはまたベタな展開だ。同年代や上の学年とかではないのだな」


「そりゃ、告白は何回もされたわよ。でもやっぱり、同学年生って子供っぽく見えちゃって。先輩からも告白されたこともあるけど――その、何というか。言うことがガキっぽいのよね」


「当然だろう。君は強いし、ああいう家庭で揉まれて生きていたのだ。感覚は大人のそれに近いものだろう」


「だから、自分よりその――優れてるっていうか、頭がいいっていうか。知的だと、ちょっといいなって思っちゃう」


「単純な奴だ」


「うっせ。どうせ単純だよ!」


 涼子が頬を赤らめてナビ助の頭を人差し指でつつく。「あがががががが」とナビ助は変な悲鳴を上げるが、構わずつつく。


「そんでコロッとね。父親がいなくてその、男にあんま慣れてなかったから、優しくされただけで、ね」


 ナビ助は首を振って涼子の攻撃をかわすと、涼子のあぐらの上にぴょんと乗っかった。そしてそこが定位置だというように、涼子の内股を枕に寝転ぶ。


「その間に逢瀬を重ねたということか。ふむ、いい。小生の小説に――いや、これは小生の元の作者の気持ちか」


「逢瀬って何?」


「愛し合う二人がこっそり合うことだ」


「なにそれ! 難しい言葉で言うな! うっせ! うっせ!」


「ぬがががががが……つつくのはやめろ! 小生の頭蓋が割れる」


「本のくせになに言ってるの」


「にゃーんと鳴けば納得してくれるか?」


「何それ変なの。あはは」


 涼子は笑ってそう言うとナビ助を抱えあげて、ふっと抱き寄せた。


「幸せだったよ。颯馬は色んなところに連れてってくれたし、私に手を出すこともなかった。時々子供っぽくて、それがとっても良かった」


「だが……その……水を挿すようだが」


「いいの解ってる。私は……私は遊びだったんだと思う」


 涼子はナビ助をきつく抱きしめる。


「そりゃそうよね。私は体に気をつけてるもん。だらしない格好かもしれないけど、お洒落にしてる。最低限のお金でとっても頑張ってる。そんな子が幸薄そうな生活をしてたらさ、誰だって守りたいとか思うよね」


「小生には何も言えない」


「言わなくていいよバカ。私が喋るの。今は猫になれって」


「いいだろう」


「……。颯馬はね、私より少し大人で、ちょっと経験があるってだけだった。真面目な人で、最初に私に話しかけたのもとってもウザかった」


「それが良くなったのか?」


「うっせ。私はどうでもよかったんだけどさ。何を勘違いしたのかカウンセリングの真似事みたいなこともして。単なる実習生のクセにってよく先生たちに怒られてた」


「根はいいヤツなのだな」


「そう。最初は茶化してやろうと思ったんだけど、あんまりに熱心だったから、さ。いつの間にか彼の腕に頭を埋めてた。キスもしたし、その、体も色々触られて……その、嬉しかった」


「そのまま進めば良かったのにな」


「ホント。まさか、そこまで惚れさせといてさ――あいつ、本命の女がいたのよ。でさ、抱き合ってるトコロ見ちゃった」


「間の悪い。そういう男は得てして脇が甘いのだ」


「脇が甘いと言うよりも――最初から私は恋人じゃなかったのよ。だから鍵なんてかけないし、押しかけるとも思わなかった。迷惑とすら思ったかも知れない」


「会いに行ったのは初めてだったのか?」


「恥ずかしいこと言わせないで。色々と捨てる気でいたの。そしたらアレよ。ばっかじゃないの」


「それなら何故――」


「言ったでしょ。子供だったのよ」


 涼子はナビ助の顔を自分の顔まで持ってくると、コツンと額と額を合わせた。


「責められてたよ。何この子って。私も責めたよ。何あの女って。私は泣いたわ。母さんそっくりにヒステリックに。そしたらさ、私、首絞められてやんの」


「――……。同情する」


「されてたまるか。流石に颯馬の彼女も止めたけど、彼、もうパニックになってて。突き飛ばして彼女が倒れた。ワンルームタイプだから台所がひっくり返って……」


「君が握ったのは包丁だった」


「そう。殺されると思った。殺されてたまるかと思った――気づいたら、彼は首から血を流して倒れてた」


 涼子はそのまま再び深くため息をつくと、そっとナビ助を降ろした。


「涼子」


「何よ」


「何で私がこんな目に、とは言わないのだな」


「ハハッ、言ったところでどうしようもないじゃない。お父さんとお母さんが別れたのも私の知らないこと。母さんがヒステリックになったのも仕方のないこと。颯馬が気の迷いを起こしたのも、それに気が付かなかったのも……」




「違うのだ」




 ナビ助が前足でとす、と涼子の胸を叩いた。


「違うのだ涼子。


「何? よくわからないよ」


「もうその言葉を口にするな」


「ハッ!? どうみても私がいたからでしょ? 私がいたから! 私が生まれたから! 私が哀れだからこうなった!」



「違う!」



 ナビ助がそう叫ぶと、突如周囲が真っ暗になった。

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