羈絆ノ七:疑問

 支配者が二周するくらいの時間が経った。


 涼子は思ったよりも疲弊していたようで、そのまま眠ってしまった。ナビ助も疲れていたようで、涼子が起きるまでずっと彼女の傍らで寝ていたようだ。


 思わず時計を探すが、この世界の時計の針も時間も滅茶苦茶に動いているようで何時か解らない。自分のスマホや腕時計はそもそも押収されている。


 涼子はこう見えて毎日しっかりと時間で区切って動いている。なので、時計のない生活というのは少しストレスな部分があるものの、キャンプに来たと思えば良いとアッサリと割り切った。


「ナビ助」


「……。よく寝た。寝たのは久しぶりだ」


 黒猫はふああとあくびをすると、猫のそれのように四つん這いになって背筋を伸ばす。涼子が背筋をこしょこしょとさわると、尻尾でぺしぺしと手をはたく。


「どのくらいたったのかな」


「さて。この世界に時間の感覚は無意味だ。とはいえ、そうだな、ざっと現実時間で四、五時間くらいか」


「休憩としては十分かな。足も痛くないし」


 涼子は座りながら両足を放り出して自らの手で内腿やふくろはぎを揉む。普通なら筋肉痛になりそうな全速力だったのだが、痛みどころかこのまますぐ走れそうなコンディションだ。


 どうやらこの世界に体力や筋肉疲労といった概念はないらしい。


 代わりに精神力や気力と言ったものが如実に体の変調をきたしている。眠ってしまったのもその要因のほうが大きいはずだ。涼子はなんとなくそれを理解していった。

「さて。気力は十分なようだな。冒険を続けよう」


「続けるのはいいけど、何かあいつを倒す作戦があるの?」


「それなんだがな、涼子」


 ナビ助は前足をペロペロと舐め、毛づくろいをしながらそうきりだした。



「そもそもの話だ。倒す必要があるのかどうかが疑問だ」


「は?」



 涼子は目をまんまるにしていた。いきなり何を言い出すんだこいつはと言わんばかりの表情だ。


「え、何? もしかして食われるのが正解とかいい出すんじゃあないでしょうね?」


「そういうことではない」


「じゃあどういうこと?」


「この本の世界は涼子の世界を反映したもの、と小生は説明したな?」


「した。どっかで見たことあるようなものばかりで、ナビ助の性悪なところが歪曲してるってところも」


「フン。十分すぎるほど理解しているではないか」


 そういいながらもナビ助は涼子の脛にすり寄る。ほとんど甘えている猫だ。もう性悪と言われても、特に気にならないまでに心を許しているということなのだろう。


「少し問答をしてみたい。涼子、今まで腹の立つ人間はどうしていた?」


「どうしていた、って言われても。いろんな場合があるじゃない」


「じゃあそのいくつもの選択肢の中に、殺人はあったか?」


 ぎょっとする涼子だが……よくよく考えれば。いや、よく考えなくとも。その選択肢はなかった。


 確かに涼子は殺人未遂の判決が言い渡されている。だが、その実ほとんど正当防衛に近い。殺意があって包丁を握った――ということではないと、彼女自身が信じている。


 その特例はおいておいて。今まで援助交際を迫ってきた道行くオヤジや、舐めるような視線で見てきた教師たち。クラスのスケベな男子達に……それに、母親。


 無視をした。時々蹴っ飛ばしたりした。思い切りよく啖呵を切った事もあったし、モノを投げたこともあったかもしれない。


 だが。


 その生命を本気で排除しようとは一度も思わなかったはずだ。


「なかった」


「そりゃあそうなのだろう。戦場や鬼気迫る緊急事態を除いてだ。殺人とは人の中で生きる事で最大のタブーだ。言葉に出ることはあっても、思ったとしても。選択肢に乗るはずがない」


「殺人未遂の女だけどね」


「自嘲するな。小生は笑わないぞ」


「ノリ悪いな」


 しゃがんでナビ助の尻尾を人差し指でくるくると回す。普通なら猫は嫌がるだろうが、ナビ助は小さくため息をつくだけだった。


「で、それがどうしたの?」


「だからだ。この世界は涼子の歩んできた道のりだ。その生にはかならず支配者がいたのだろう」


「いたけど何度かぶっ殺そうとは思った」


「しかし、現実として涼子は彼らを殺してはいない。殺していない上で涼子はいま涼子たりえる立派な人格を持っている。ならば、ここでは打ち倒す以外の事を考えるのがスマートだとは思わないか?」


 ぐぬぬ、と涼子は何も言えなくなった。


 確かにそうだ。現実はゲームとは違う。倒してクリア、なんてほうが珍しい。


 勉強の上でも運動競技の上でも敵はいたが、命を奪う間柄だったかと言われれば絶対に否だ。まったく合わない人間もいたかもしれないが、だからといって進んで排除ということもない。


 そういうことをしなくとも、涼子は確かに今の今まで生きてきたのだ。


 つまりは、ナビ助の言う通り。


 人生において圧制者のような人間がいたとしても、時間と共に解決したり、己の気持ち次第でどうにでもなるのがほとんどなのである。


「でも追う物たち……だっけ? あれは撃ち殺したけど」


 涼子が今あの逆さになった能面を思い出すだけで寒気がする。あれは確かに涼子へと明確な敵意を向けていた、まさしく敵であった。


「あれは涼子自身の恐怖だ。他人ではない」


「そういうのでいいの?」


「そういうのでいいのだ。涼子はあの時、その中で自分の降って湧く恐怖や憎悪をただただ払っただけ。それならば撃ち倒すのも理にかなっている。そうだろう?」


 わかったような、わからないような。


 イマイチ納得しかねる顔で涼子は頷いた。


 ただ、少しだけ。腰のホルスターの中の銃がうずいたような、そんな気がする。そういう使い方なのだと諭されるように。


「そういう事は最初から言ってよ」


「小生も今さっき気づいたのだ」


「んもう。ならどうすればいいのよ」


 そう言って立ち上がった涼子は、とりあえず入りこんだ店を見回っていた。


 どうやら入り込んだのは写真屋のようだ。一眼レフのカメラや、恐ろしいほどに長いレンズなどがガラスケースに並べられている。値札も文字化けしていていくらか判別不明だが、桁を察するにかなり高価なものだ。


 ナビ助はというと入口付近のカウンターに座り、外を眺めている。


「まずは支配者が何に起因するかを調べなければならない。力で封じ込める相手ではないとわかった以上、奴にとって決定的なものを探さないと」


「何者かは解ってるよ。多分あれは、母さんだ」


 ナビ助はほう、と感心したようにしっぽをゆらした。


「理由を聞こう」


「まず思春期に抑え込んでいた人なんて一人しかいない。あとあの服装は母さんが好きだったやつ。加えて言えば、あの長髪も母さんのそれに似てる」


「なるほど。君は抑圧された思春期を送っていた――か」


「最初は確かに――ウザかった」

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