羈絆ノ四:憤怒

「いいか涼子。あの怪物が鍵を持っているのだ。この曲輪から出る鍵をな」


 ナビ助は忍び足で慎重に先導している。時折しっぽで合図すると、電柱や商店街にある店に二人でサッと隠れていた。


 正面には遠くだが、あの支配者なる怪物がいる。何かブツブツ言いながら彷徨うように歩いていた。何かを探し求めるようでそうでなく、どこか諦めたように手をダランと垂らしながら歩くその様は亡霊のようだ。


 涼子はその様を見て、何故か苛立ちを覚えていた。


 まるでニキビの出来た顔を鏡で覗き込むような不快感。『支配者』の腐敗した体から臭う油のような体臭も相まって、今すぐにでも駆け込んで弾丸をお見舞いしたい衝動に駆られている。


 理由など無い、腹が煮えくり返るほどの怒り。


 つまりそれは、嫌悪感の極みといったところなのだろう。


「ならとっととやろう」


「気が立っているな。ここに来た者はみんなそうだった」


 ナビ助はそう言うと涼子へと向き直り、その場に座った。真っ黒な顔で表情を伺えることはないが、涼子の事を案じてあえての間をおいているのだろう。


 それは行間の空白のようにして。涼子を一呼吸させるようにして。


 だが涼子の苛立ちは募るばかりだ。美しい柳眉が寄り、眉間に皺を刻む。ほとんど爆発寸前と言っていいだろう。


「私はいつもどおり。そこで止まらないでよ邪魔よ」


「涼子。聞いてくれ」


「アンタのことは信頼してるから聞いてる。いつでもそう。今でもそう」


「……。あの怪物は君が受けていた抑圧そのものだ。大きければ大きいほどにそれは強い。その手の銃が効くかどうかは解らないぞ。まずは――」


「なら話は簡単でしょ? ぶっ殺す。そもそも何のために銃持ってると思ってんだよ! 銃の効かないヤツなんていないよ!」


 涼子はナビ助の静止を無視して道に飛び出すと、パン、と銃を空に向かって撃った。


「こっち向け怪物!」


「バカ! 何をしている!」


「黙って見てて。こら怪物!」


 涼子が怒鳴ると、周囲の影法師達がサーッと海を割るように道の端に下がる。そして支配者は銃声に気づいたようで、ゆっくりと涼子の方へ振り返る。


「鍵持ってるんでしょ!? よこしなよ!」


『……ダ…………メト…………』


 ゆっくりと支配者が近づいてくる。道幅を覆うようなその広がりは涼子を抱擁しようとも見えて、そして逃さないという意志の現れにも見えた。


「近づかないで。鍵だけ置いて」


『ア……ア……』


 支配者は不気味な声を上げてにじり寄ってくる。不快な音と長い汚れた髪の毛から飛び出る目が、涼子を見下したように視線を落としてくる。


 涼子はさらにイライラが募る。その根源が何なのかもわからないままに憤り、思わず人差し指へ力が入る。


「逃げろ涼子! まだ……」


「死ね化物!」


 涼子が発砲した。着弾した弾丸は化物の肉を確実にえぐり、肉を吹き飛ばしている。既に弾倉の内容量を超えて弾丸が放たれているのにもかかわらず、銃は涼子が引き金を引いただけとめどなく放たれていた。


『ギィィィィィィ!!』


 化物がのけぞる。血と膿んだ黄色い体液を飛沫させて苦悶の声を上げていた。


 涼子は発砲をやめると、さっき走ったときよりも消耗したのか肩で息をしていた。


「は、はは……死んだかな?」


「油断するな涼子。支配者は小生の中でもかなり異質な方だ。力を振りかざして倒せるなら誰もが簡単に本から出ている」


「でも死んだでしょ。見てよほら、顔にもいっぱい……」



 ぐちゃり。


 ぐちゃちゃちゃちゃちゃ……



「え?」


 涼子が指さしたその時。


 のけぞって止まっていた支配者がグンと起き上がりこっちを睨む。まばらに飛び出た目が、髪の毛からさらに何個も何個も飛び出るように増えてこちらを睨む。


 その目は赤く。


 あり大抵に言えば、怒りに満ちて充血していた。


「嘘」


「だから言ったのだ! 走れ! 逃げるぞ!」




『ガアアアアアアアアアアアアア!』




 支配者は咆哮を上げ、そしてその長い腕をメチャクチャに振り回した。周囲の店のものを引っ掻き回し、立て看板やアーケードに吊り下がった垂れ幕を引っ掛けて、そこだけ暴風雨が過ぎたような有様になっていた。


「走れ! 一旦退却だ!」


「この!」


 涼子は走りながら後ろに向かって銃撃する。だが支配者は先ほどとは打って変わって弾丸の痛みを無視して四つん這いで走り出した。


「やば!」


「全速力だ! ヤツが見えなくなるまで走るんだ!」


「そーは言っても! けっこう速いよ!」


 涼子が振り向いてさらに銃撃するが、やはり支配者には効いていないようだ。それどころか攻撃すればするほど速度を増しているような気がする。


『アァアアアアアアアアアアアアアアアア!!』


 支配者が吠える。道行く影法師が逃げ惑うようにして店へと消えてゆく。


 世界が振動して、まるで軽い地震のようにきしんでいる。


 この世界は抑圧を現した世界だ。支配者の怒りがそのまま世界に干渉してしまうらしい。


「空が!」


 涼子が上を見ると、今まで茜色に染まっていたのが一変。真っ赤な空に変わり、そこにはあの檻とレールの世界のように目玉が浮かんでいる。


 目玉は二つ。アーケードの天窓から、涼子をにらみつけるようにして追っている。


「見られてる!?」


「空を気にするな。俯瞰した視線はどんな人間であれ他者を正しく見ることはできない。だから、あれは飾りのようなものだ!」


「意味わかんない! もっと簡単に!」


「風景だと思え! 無駄口を叩く前に……」


 言い終わる前に、性懲りもなく涼子が発砲した。


 立て続けに連射して、再び九四式自動拳銃の装填数を越えて銃撃している。


 弾丸は確かに、彼女の望む場所に着弾する。次々と髪の毛の中から現れる目を、確実に一つ一つ消し飛ばしている。


 だが。


 支配者は撃てば撃つほどに目玉が増えてゆく。それどころか、消し飛ばしたと思った眼球が再び再生する始末。


 痛みが恨みとなり、力となり。


 怒号として咆哮という出力を介して世界を震わせている。


 逃れることはできない。


 絶対にできないのだろう。


 何故ならこの世界は、ぐるっと一周して――まさしく曲輪のような有様なのだから!


「駄目だ!」


「いい加減にするんだ! 手を出すな! まずいこのままでは!」


「何か無いのナビ助!?」


「今考えているところだ。だが時間がない。この曲輪はぐるっと環状になっている。逃げることはできないし、体力が尽きれば捕まる」


「じゃあどうすんのさ!?」


「仕方ない。何かヤツを阻むものを探すしか無い!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます