羈絆ノ参:冤罪

「本の調子はどうかな?」


「柿崎主任」


 メガネをかけた女性オペレーターが振り向き立ち上がる。柿崎は手で「そのままでいい」と示し、モニターを覗き込んだ。


 柿崎がいるのは半円状の広い地下室だった。文部科学省の地下深くにあるという、特別禁出文化財管理下の特別倉庫――いや、牢屋といったほうが正しいか――の管制ルームだ。


 無数のコンソールが並び、そこには多くのオペレーター達が睨むように見張っていたり、流れてくる様々なデータを眺めては分析を進めていたりする。


 根を詰める職場だからか、この管制ルームはとてもゆったりとした間取りで照明も明るい。


 その上、地上の外の時間に合わせて証明が明るくなったり暗くなったりと職員の体内時計を極力狂わせないように気を使われ、空調も絶妙なところで調整されている。


 わずかに流れてくるのはヒーリング・ミュージック。出来る限りのストレスを軽減させる努力が見受けられる。


 一見すると理想的な職場にも見えるかもしれない。役所にしては個々の机の私物が多いし、ある程度の自由は認められているようだ。


 だが逆を言えばそれほど過酷で危険かつ、職員の精神を蝕む仕事であるということに他ならない。


 柿崎ののぞき込んだモニターにはあの『冒険の書』が映し出されていた。しかし奇妙なことに、本は先ほどとは違い開いた状態で置かれていて、しかもひとりでにページがめくられている。風でもなく、まるで人がめくるかのように丁寧に読み進められている。


 繰り返し念押しで言うが、その部屋には誰もいない。


 めくる手は存在しない。何か超常的な力で、勝手に読み進められているのだ。


 画像は本の真横を映し出している。ちょうどよくページの辺りはモザイク処理もされていたりする。故にページの内容までは見ることができない。


 それは無論、監視員への配慮でもある。万が一、このオペレーターがこの本の文字を認識することがあればたちまち昏睡こんすいしてしまうだろう。そういう事故があったからこそ、この処置。解ってはいても、いつその驚異が降りかかるか。


 特別禁出文化財とは、そのような驚異。


 常識の枠の外の、常識に降り立った存在。


 カメラ越しだろうがなんだろうがお構いなし。一度力を行使したならば最後、万物の理を捻じ曲げてでも己の本分を全うする事が多い。


 これは呪いなのだろうか。


 本を作った人間にとっては、祈りなのだろう。


 だが突き詰めた祈りは呪詛に似る。


「不気味だな」


「ええ、特禁○三八号の噂は聞いていましたが、実際に見ると……その、CGの映像を見ているようです」


「だがこれは現実として起こっているものだ。過去十年ほど特禁の除去実験は行われていなかったから、こうやって超常現象を目の当たりにする事が初めての職員も多い」


「実は私もそのクチなのです。柿崎主任、何故、十年前に止まったのです?」


 柿崎は「そんな事も知らないのか?」と小言を言いそうになったが、喉まで出て留まり、そして苦笑する。


 身内の恥を教訓にしないのは、公務員は当たり前のことだ。役人であるなら尚更。だからいつまで立っても大部分はルーティンワークを強いられて、時に心のない罵声を市民から浴びせられてしまう。仕方のない事だが、なんとかならないのかと苦笑してしまった。


「ほら、政権が変わっただろ。この場所を――特別禁出文化財の恐ろしさを知らないも多くてね。難儀したよ」


 柿崎がウィンクすると女性オペレーターはクスリと笑い、そして咳払いをしてコンソールへと向かった。


「進行度は?」


「おおよそ四割。ですが、ここで少し進行が遅くなったようです」


「君の所感を聞こう。担当としてどう思う? 今彼女はどのあたりにいる?」


「……私が思うに、彼女の年齢からいって思春期の章に突入していると思います」


「思春期か。一番難しいところだな」


「特に彼女の経歴から察するに、彼女の幸薄さを決定づけた年齢かと」


「確か彼女は過度に抑圧されていたとあったな」


「ええ。彼女の母親は自分の不幸を彼女に押し付けた上で、彼女に依存していたようです。何かとあれば彼女がいるからと言って当たり――ですが、目を離しては孤独になってしまう。故に時には過度に優しかったり、その逆も。ころころとヒステリックに変わる母親の癇癪かんしゃくは相当堪えるものかと」


「何度聞いても悲惨だ。しかし誰もがそうなる可能性を孕んでいる。そうだろう?」


「ええ。冗談の上でも子が可愛いけれど人生が縛られたと愚痴る人はたくさんいます」


「男もそうだが、悲しいかなそれは母親の仕事と押し付けて逃げることが圧倒的に多い。そういう家庭はだいたい上手くいかない――そうだったしな」


「柿崎主任も」


 女性オペレーターは驚いたように言った。


 彼の実家は名士としても有名な家柄だ。そうとう厳格に育てられたのは言わないでも解ることだが、そこまで踏み込んだことをサラッと言う彼に彼女は驚きを隠せないでいた。


 柿崎は恥ずかしそうに笑うと、メガネをかけなおす。


「だがそれを乗り越えた子供というものは強いものだ。最初は諦念ていねんに縛られて自暴自棄になるものだが――ある日、悟るのさ。強くならねばと」


「強く、ですか」


「そう。私が哀れな母を守らなければと。私が自立しなければと。私がこの縄を切らなければ永遠に傀儡かいらいに成り果てる。ただこれが心地よいと感じる子供は――解りやすく言えば、非行に走るのさ」


「非行――ですか」


「そう。。寂しいから心配をかけさせたりするのさ。そうでなくても、私はいらない人間なのだと諦めて行けるところまで行こうとする。復讐として力を行使して悦に浸ろうとしたり、そうでなくても鬱憤うっぷんだけ溜めて引きこもったり――だが、彼女はその選択をしなかった」


「ですが、彼女は殺人未遂とあります。彼女には失礼かもですが……格好からも荒んだ生活が見えますし――故に乙種試験員として採用されて、除去実験に参加しても――」


 歯切れの悪い言葉。このオペレーターは彼女を少し誤解しているようだ。


 仕方ないことだし、知りえないことだ。


 真実は当事者と、柿崎しか知らないのだから。


 ならば誤解を解かねば。オペレーターの仕事には関係のないことではあるのだが、柿崎は親切心で――あるいは、彼にある隠れたある種のサディスティックな心で――教えてやることにした。


「ああそれ。それは実に不幸な事故だったのさ。なんせ彼女、浮気を指摘されて逆上した彼氏に押し倒されて…… そしてたまたま横に転がっていたのが、包丁だったということだ」


「え……」


「検察も殺意なしだが過剰防衛と判断した。彼女の弁護人は正当防衛だと。裁判はおおむね彼女よりの同情も多かったように感じる。なんせ相手の男の浮気がボロボロと出てきたからね。四股とは驚いたけれども――しかしありえないことに、裁判はひっくり返った。彼女が殺意を持って殺そうとしたと」


「何故!」


「簡単なことだ。日本の司法は中世以下。これは諸外国から指摘されてる恥。ソレ以前に、だ。相手の父親が中々の大物でね。口利きが功を奏して。そして過保護が人の人生を潰したのさ」


 女性オペレーターは目を見開いて驚いた。口を抑えて、そして柿崎の見る目が恐怖の色に染まる。


 柿崎主任! 貴方はそれを知って!」


「しーっ! 聞かれちゃ困るだろう。君の立場もね。ついでに言うならその言葉は正しくない。彼女の魂は間違いなく『善』だろう。。今のところはね」


「で、ですが!」


 オペレーターは見た。柿崎の目の奥底は――優しく、気がきき、そして思慮深いと言われ、女性職員の羨望の的であった彼の瞳が底なしに黒いことを。


 目的のためなら手段を選ばない。その目的すら、余人に理解できない崇高なレベルに達している人間は、こうなる。


 悪い言い方ならそう、狂気にむしばまれている。


 女性オペレーターとて、そこらへんの凡百に比べれば数段も能力が高い。だからこそこの、秘密結社じみた場所にいることが叶う。


 その上、ここのスタッフたちは皆拳銃すらも携え、緊急時の場合は発砲も許可されているほどだ。


 そんな彼女が、恐怖を感じる程に。


 柿崎の心は底なしだった。


「いいんだよ。気に病むことはない。供述書はその略式経歴には書かれていないのだから、君も知らなかったことだ」


「か、柿崎主任……!」


 彼の言葉はある意味慈悲深く、そしてある意味最低の事を言っていた。


 女性オペレーターには全く非がなく、たとえこの時点で日本第一号となる乙種試験員――主に死刑囚や重罪人を減刑で釣り、死亡のリスクが高い特別禁出文化財の実作業を行わせるという、法が定めた『体のいい駒』――が死亡しても全く気に病むことは無いと。


 裏を返せば。


 冤罪である、無垢な命を目的のままに使っていることを黙認しろと言っているのだ。


 その二重の意味で「気に病むことはない」――と。


 女性オペレーターは柿崎のことを怪物を見るような目で見て、怯えてしまった。


 しかしその怪物の柿崎は、参ったなと言わんばかりに肩をすくませる。


「解ってる。君が怯えていることも、そして軽蔑することも理解できる。だが私にはこうしてでもやる必要があるのさ。心配しないでくれ、失敗して――そうだな、この不祥事が露見したとしても君は守る。柿崎家の名にかけてね」


 怪物は嘲笑わらう。女性オペレーターは怯え――その目は、特別禁出文化財を見るそれに変わっている。


 だが彼女はまだ勘違いしている。


 柿崎は涼子を駒などとは思っていない。


 彼もまた、同じような境遇にいた事がある。


 彼女よりも、もっと荒んでいた過去がある。故に、同志とも。そして、その強さに己の未来を託すに値する若者だと。彼女を象る数字的にも総合的に考えて、最適解であると信じているのだ。


 しかし、怪物は余人には理解されないものだ。怪物自身、それをしっかりと自覚している。


 今度から女性スタッフに怖がられてしまうな、と思いつつ。既にその先、彼女たちが喜ぶ菓子折りを見繕う算段をしているのが、この怪物の抜け目のないところだった。

 

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