羈絆ノ弐:支配者

「……少し安心した」


「え?」


 涼子が驚いたように言うと、先導していたナビ助が顔だけをこちらに向ける。


「幼少期の君は小生から見ても悲惨だった。レールばかりが綺麗で、他は無駄だとゴミ山が壁のようになっていた。幾人もの人生を眺めていたが、ああも抑圧的なのは指で数えるほどだ」


「そうなんだ」


「この商店街は全てがデタラメだが垣間見た人の優しさがある。つまり、君は拠り所があったということだ」


「拠り所――そうね。拠り所だったかも」


 涼子が少し視線を落とす。ナビ助の言葉は、この強い少女に振り返る間を与えたのだろう。


「私ね、塾に通ってて」


「塾――学校とは違うのか?」


「そう。学校じゃ不十分だからって。成績を上げるんだって。行かされてた。全然おもしろくなくって。この商店街の途中にある公園で遊んでた」


「学校の後ならば、かなり遅い時間なのではないか? 女児一人では感心しないな」

「今はそういう子も多いよ。共働きで帰っても一人とか。私の場合は――お母さんが働いてたから。帰っても誰もいないし、公園で適当に時間を潰すの」


「世も末だ。子に必要なのは温かさだ。親との会話だ。そうやって紡がれる細い細い糸が人という反物を作り出す。それが他者に慈悲を与える糧となる」


「そうも言ってられないくらいウチは貧乏だった。片親だしね。こんなナリしてるけどさ、けっこう頑張ってるんだよ? ほらネイルだって百円ショップのやつだし。服だって雑誌に出てる可愛いのに似たのをしまむらで買うだけ」


「同情する」


「エンコー迫るオヤジとか先生に言われるとムカつくけど、なんでかな。ナビ助はいいって思える」


「――。小生、いや、小生の作者も同じような体験をしたようだ。内なる記憶の断片がそう言っている。もっとも他人事のようにも思えるが」


「悲しいこと言わないでよ。じゃあトモダチになれるってことじゃない」


 ナビ助は足を止め、真っ黒ではあるが驚いたような表情を向けると、すぐにフッと笑う。


「不思議な娘だ。小生は本だぞ?」


「そこらへんはよくわからないし、知らない。私にとっては不思議な場所で喋る猫」


「そうか。ならばチェシャ猫のように誘わなければな――さて涼子。君の心の吐露は終わりだ。近いぞ」


 ナビ助はそう言うと少し体を鎮め、さらに警戒して道を歩く。相変わらず影法師たちは道のど真ん中にいる涼子達に目もくれず、ただひたすらにベルトコンベアーの上を進むように道を流れている。


「何が近いの?」


「番人とも、超える壁とも――最大の障害とも言える。心せよ、ここにいるのは君が超えてきたかもしれないし、逃げたかもしれないものだ」


「相変わらずふわっとした言い方でわかんないよ」


「すぐ解る――振動がしたな。隠れろ。あの本屋でいいだろう」


 ナビ助はそう言うとサッと本屋の方へ走った。涼子もよくわからないままに後に続く。


 本屋は影法師達が棒立ちしていたり、手を伸ばしては宙を掻くようにして本を取ろうとしている。


 取ろうとしているだけで実際には取ることが出来ず、だが何人かの影法師達は手元に本があるよう、虚空の本のページをめくっていた。


「何? 何があるの?」


「少し口を塞ぐのだ。見つかっては面倒だからな」


「??」


 ナビ助が伏せたまま物陰から商店街の通りを見張る。涼子はよく解らず、本棚の影に隠れつつ積まれた本を手にとった。


 どれも意味不明の文字が書かれていた。


 ここ百年間ほどの文字の変遷は激しいのだろうか、読んだことのある文体かと思えば旧漢字の読めないものまでグチャグチャだ。その上文自体が意味不明に文字が羅列されているので目がチカチカする。


 雑誌を取ってみても奇妙なものだった。グラビアだったりいきなり車のレビューのようなものがあったり。ジャンルもめちゃくちゃだ。


 漫画も一コマ一コマに統一性がなく、いきなりリアルになったかと思えば小学生が書きなぐったようなものもある。


「なにコレ」


「静かにしろ」


「ほら見てよ。全部めっちゃくちゃ」


「それはそうだろう。小生は支離滅裂の文字の海なのだ。そこから涼子の人生を拾い上げて構築されている。君が記憶に留める価値も無いと思ったことは、つまるところ


「サッパリしてるね」


「君のその余裕はどこから来るんだ……肝が座っているというか何というか……む! 来たぞ!」


 そう言われて涼子はいまいち危機感のない顔で外を覗く。


 だがナビ助の言った『最大の障害』なるものを見たとき、涼子の気怠そうな目がカッと見開いた。




 どちゃり、どちゃり。




 ずるずるずる。




 どちゃり、どちゃり。




 ずるずるずる……




 水の溜まった柔らかい肉が引きずられるような音。


 ゆっくりと近づいて現れたのは追う者達とは一線を画す不気味で巨大な化物だった。


 辛うじて日本足で立ってはいるが、その背丈は涼子の二倍はある。体は赤黒く、そして膿んでいるのかその巨体を揺らすごとにニチャ、ニチャと耳につく不快な音を立てている。


 全体的なシルエットは――そう、巨大な狼男と言ったほうが良いのだろうか。口は長く突き出ていて、そこからは蒸気とも瘴気とも見える紫がかった煙が出ている。


 顔は汚いボサボサした長髪によって隠れているが、二、三個ほど目玉が飛び出て周囲をギョロギョロと睨んでいる。


 猫背で、そして長い手をダランと垂らして亡霊のように歩いている怪物。何故か引きちぎれそうな女物のワンピースを着てジャケットを羽織っている。だが体の膿が染み込んだのか、白いジャケットは黄ばんで汚れ、白と紺のボーダーのワンピースも薄黒く汚れていた。


「な、なにアレ……」


「シッ! 聞かれるぞ!」


 ナビ助の助言に素直に応じる涼子。


 思わず口を手で抑えたが――




『……。ア……タ……ンテ……』



 

 聞き取ることの出来ない、しゃがれた老婆のような声が聞こえてきた。


 化物はゆっくりとした歩を止めて周囲を見回す。


 涼子は流石に肝を潰したようで動悸が早くなる。


 追う者達とは段の違う危険性に、涼子の動悸のペースが早くなってゆく。さっきの逃走劇には見られなかったような、内臓を鷲掴みにされるような恐怖が彼女を包み込む。




『……タガ……レ…………ッタ』




 化物は首をゆっくりと振ってキョロキョロと見回していたが、暫くするとまたゆっくりと歩きだした。


 よくよく見るとあれだけ涼子が透過していた影法師達が、まるで嫌なものを見たようにじっっと怪物を見て、そして再び流れ出す。


 怪物がカーブの奥に消えてゆくのを見とどけると、ナビ助がホッと安堵のため息をつく。


「あれが番人。正確には『支配者』だ……涼子……?」


 不思議に思ってナビ助が顔を向けると、涼子は膝を抱えてうずくまっていた。


 微かに震えているが、小さく「大丈夫、私はいける。私は強い」と自分自身に言い聞かせているようだった。


「涼子……」


「ナビ助、近くに来て」


「こうか」


 涼子に寄り添うように座るナビ助。露出している健康的な足に、ダイレクトに毛皮の感触を伝えるようにピタッと寄り添った。


 長い沈黙。だが涼子はゆっくりと回復しているのだろうか、顔は膝の中に伏せたままナビ助を撫でくりまわしている。


「……。あれ程とはな」


「何あれ」


 涼子は顔を挙げないままそう言った。


「思春期によくある圧制者と言えば良いのだろうか。それは教師であったり自分より年上であったり――時には自分の両親であったりする。人が芽生える過ぎた反骨心を折るため、そして順応を教育するために押さえつけるもの。それが『支配者』と、小生に記載されている」


「よくわかんない。でも、アレが敵なのは解った」


 涼子はスッと顔を上げて目元をこする。僅かに頬に湿り気のある筋があった。


「恐怖か?」


「わからない。でも、腹が立った」


「そうか。それは正常な反応だ。小生もあの姿に心を挫く主人公を見て――そして、食い破られていた様を見ていたが。皆一様に、怒りとそれ以上に恐怖を感じていた」


「喰われるんだ」


「喰われる。今まで色々な姿形を取っていたが、連中は間違いなく主人公を捕まえて――捕食する。そして愛しそうに腹を撫でて、そしてまた再び徘徊するのだ」


「ざっけんなっての。


 涼子がスクッと立った。そして九四式拳銃を眼前に構えると、額をつけて祈った。


「私は強い。私はやれる。誰が諦めるか。誰がオモチャになるか……」




「その気負いは、君にだ」




 ナビ助の言葉に涼子は目を開き、そして睨みつける。


「邪魔しないで」


「ちょっと言われたくらいで――ああいや、小生の失言だった。すまない」


「いきなり謝らないでよ。どっちかって言うとそうやって気持ちをき止められる方がムカつく。男のオタクに多いよねそういうの。『てめえに一言二言優しくされたところで女はアニメキャラみたいに惚れねえよアホ』がまるまる刺さるやつ。そもそもオタクどころか女慣れしてない○○○野郎に多い。せめて顔を整形して出直してこいってヤツ!」


「何故怒っているのだ」


「怒ってないもん」


「……まあいい。オタクという言葉は知らないが、小生はそういうくくりになるのだろう。それはいい。涼子、気負いすぎだ」


「気負い? よこれは」


 涼子が片手で銃を掲げる。


 僅かに「カチッ」という音がする。


 銃が自然と安全装置を外したようだ。それは涼子の双眸そうぼうが憎悪に似た炎を上げたと同時に連動したかのように。


「私は決めたの。もう逃げないって。全部自分のせいで、全部自分が切り開けるんだって」


「痛ましいほどに勇敢だ。君に何があったかは知っているが、それをいつか君の言葉で聞きたい」


「ここを抜けられたらね。それが報酬」


「請け負った。なら小生は興味本位で導こう」

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