払暁ノ四:反転

 おっかなびっくり。


 その言葉通りに、涼子は音を立てずにそろそろとレールを歩いている。


 こうも歩きにくいのかと、もどかしさに歯がゆくなる。


 レールに敷き詰められているバラストと呼ばれる石は、列車の振動を吸収する役目もある。故に踏みしめてもいい具合に体が沈む。


「音を立てるな涼子」


「そんなこと言っても……もう! 何よこれ!」


「枕木の上を歩けばいいだろう」


「中途半端に開いてるからヤなのよね」


「人の形をしていると大変だな。小生はほれこの通り。レールを歩けば問題ない」


 そう言ってしっぽをくねらせながらナビ助は歩く。これが平時であれば、涼子も面白がって猫の跡を追うのかもしれない。


 だが。



 かしゃり。かしゃり。


 ぎちちちちちち。


 かしゃり。かしゃり。


 ぎちちちちちち……



 涼子を無心に探すその音に背筋が凍りそうだ。 


 追う物達は何に突き動かされているのかは知らないが、執拗に、丁寧に。ゴミ山から見渡すようにして涼子を探している。


 ただ、目が悪いのだろうか。何度か「見つかった!」と肝を冷やした事があったが、止まっていれば気づかれずにいる。


「心臓が破裂しそう」


 珍しく涼子が弱音を吐いた。その言葉にいちいち反応するナビ助が腹立たしい。嘲笑うでもなく、表情を見せず。けれども心配そうにこちらを振り向いてくれる。


「幼年期は思う以上に長い。その分だけ、振り返れば追う者達の数は多い。君の鳥籠とりかごも随分と広いようだ」


「鳥籠?」


「涼子、君のような人には適切な表現であると小生は思う。辛いが――見たまえ、空を」


 涼子は言われるままに空を見た。見上げた空は相変わらず、太陽もなにもないのに明るく、それでいてノスタルジックに色あせた写真のようなモヤが広がっている。


 が、しばらくするとそのモヤの奥に黒い筋が見える。目を凝らして見ると、それは何本も何本もあり、そして真上を頂点に集まっている。


「な……」


「言っただろう? 鳥籠だと」


 涼子はつくづく、この世界がクソッタレだと思った。


 そのとおりだ。箱入り娘と称されていた時には、確かに眼前にはレールがあった。疑わずして走る、真っすぐ伸びた鉄のレールが。


 だがそれもこれも、誰かが敷いたもの。そっぽを向かないように周囲をゴミ山で囲み……それすらも、籠の中に押し込められたものだった。


 親の、ミニチュアの世界。


 本来、先に歩くものは側に寄り添い、広い世界を見せてから取捨択一を教えるものだ。これは悪いものだ、これは良いものだ――と。


 それ自体に罪はない。


 また、先立つ者の生きてきた経験則もある。否定はすなわち、親以前に人間を否定するものだ。


 だが所謂『毒親』というものは、選択すら与えることは無いのだ。


 自分だけが作ったミニチュアの世界。鳥籠の世界の外から見えば、それはそれは気持ちの良いものが広がっているだろう。


 だが押し込められた当人にとっては。廃棄場の中にようやく歩ける場所があるに等しい。


「目が――」


 涼子が見たのは、鳥籠のさらに外にある、ぼやけた円。中央が黒く瞳のようにして、ふわふわと浮いている。


「あれは単なるオブジェだ。気にすることはない」


「気にすることはない? あれは母さんたちよ」


「そうかもしれないな」


「そっか。そういう風に見られていたんだ」


 涼子はつまらなそうに視線を落とす。枕木の上にあるバラスト石を蹴っ飛ばして、拗ねたように口を尖らせた。


「そういう風、とは」


「いい玩具だったってこと。小さい頃は色々な習い事をやらされてた。どれもこれも長続きしなくて怒られたっけ」


「したいことではないなら仕方がない。その拒絶は正しいものだ」


「何よ、知った風に言っちゃって」


「知っているとも。小生は本である。涼子がこの世界に構築されているのは、涼子という人生を文字として読み解き、それを再び物語の人物として投影しているからだ」


「意味わかんね」


「涼子の事は何でも知っているということだ」


「気持ち悪い――でも、何でも知ってるなら私のこと本当に理解できてるってことだよね」


「さてな。人の心は流動的だ。人の感情は変数のように一定の範囲内に不連続した状態を示し続ける。心だけを障る局所的であったり、行動に基づく全体値であったりする」


「わかりにくい」


「涼子は知っているが、心は読めないということだ。だが察する事はできる」


「へえ、じゃあ言ってみてよ」


「言ってみよう。君の言葉で言うならそう、『クソムカつく』だ」


「当たり」


 不思議なやり取りだった。涼子にとって、察する言葉など心を逆立てることしか無かった。


 涼子の太ももにしか視線を落とさなかった教師は、いつもそんな事を言っていた。


 涼子を夜の街で声を掛けるオヤジ達は、わかったような顔でそんなことを言っていた。


 私のことなど知らないくせに。


 何を知った風に言うのだろうか。☓☓☓でも食いちぎって財布を抜き取ってやろうかと何度も思ったくらいだ。


 だが、この奇妙な黒猫には。何故か許せると思ってしまう。


 ナビ助はわかり易い。自身の目的のために涼子に助けを求めてきた。そのためにはリップサービスも含める――と、思わせるほどに知的だ。


 知的な生物を人間以外に感じるなどとは。知的とは何も知っているとか、詳しいだとか。最新を常に取り入れているだとか、そういう事じゃない。


 己を知って、己の範囲内で。


 取り繕わず、さらけ出すことはなく。


 それでいて自然体にもかかわらず、知的好奇心を擽るような魅力が、知的という言葉に集約されている。


「ナビ助」


「なんだ?」


「人の形は取れないの?」


「君が望めばな」


 望めば、という言葉に少し魅力を感じてしまうが――涼子は悟る。多分、今はそういう安らぎを心の底から求めていないのだと。


「じゃ、猫のままでいいや」


「君は時々よくわからないな。君自身が猫のようだ」


「猫耳でもつけようか?」


「小生の真似事なら外に出ていくらでもやってくれ」


「冷たい猫」


「もとより血は通っていない」


 フフ、と笑ってしまう。こんな異常事態に晒されながら、猫に癒されるとは。


 元の世界に戻ったら、猫を飼おう。バイトして――そうだな、それこそ水商売にでも手を出してみようかと。猫のために生きて、金を貯めて。



 人はそう希望を持った時。特に輝く。


 それは心に大きな影を同時に生むのも知らず。


 ここは涼子の世界。涼子を文字に起こした迷宮。


 故に、だ。



 ガシャン――。



 涼子とナビ助が思わず振り向く。それは、一つの雑誌。古びていて、年度もかなり前のものだ。


「な――」


「何これ。ペット雑誌?」


「しまった。小生はやっぱり性根の腐った奴のようだ」


「は? どういうこと?」


「涼子。思い出して欲しい。ここは涼子の抑圧された幼年期の世界だ」


「言い方がムカつくけどそうっぽいね?」


「故に君の希望は全て投棄に繋がる――」




 ガシャンガシャンガシャンガシャン!


 空から、何かが振ってきた。まるで涼子を囲むように、ありとあらゆるゴミが飛んできて、付近に落ちる。


 全てペットに関する何か。


 所々に猫の顔、猫のスナップ。


「ちょっと! 何これ!」


「言い当ててあげようか。君は外に出て猫でも飼いたいと希望を持ったのだろう?」


「ぐっ」


「それ自体に罪はない。だが、空の目はそれを許さなかった。猫などと。そんなのにかまけて勉強を疎かにしてはと!」




 かしゃり。かしゃり。


 ぎちちちちちち。


 かしゃり。かしゃり。かしゃり。


 かしゃり。かしゃり。かしゃり。かしゃり。かしゃり。かしゃり。かしゃり。かしゃり。かしゃり。




「銃を構えろ涼子」


「嘘。ウソウソウソ! めっちゃ! めっちゃ集まってきた!」


 集まってきてしまった。


 追う物達が、音に惹かれてワラワラと。不思議と前方から来ることはなく。決まって後ろから奴らは現れる。


 どれもこれもが醜悪な姿だった。手にはバールや血のついたバット。錆びた包丁に――とにかく、涼子にとって見たくもない凶器ばかりを握りしめて。


「ど、どうしよう!」


「そんな決まっているだろう?」


「知らないよ!」


「なら教えてやろうとも。逃げるのだ!」


「あ、待てこのヤロー! 置いてくな!」


 弾かれたように猫は走り出す。


 追いかけるように涼子が走る。


 もう足元が不安定だとか、音だとかは関係ない。足の動くままに、全力疾走を始めた。


 背中から咆哮が上がる。幾重もの不快な咆哮が、涼子を嬲ろうと歓喜の声を上げる。ガシャリ、ガシャリと金属の擦れ合う音が波濤のように襲いかかる!

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