払暁ノ参:黒子

「彼女はどうかね? 柿崎かきざきくん」


 柿崎と呼ばれた男が振り向くと、そこには白髪交じりの初老の男が立っていた。


「課長」


「あらためて君の提案には驚いたよ。確かに特別禁出文化財の類の浄化には――死刑囚がサンプルとして提示される事は、アメリカを始めとして認められていることだ。だが日本では前例が無い」


「はい。彼女はそのになるでしょう」


 極めて異質な、人でなしの言葉だった。


 この柿崎という男。歳は三十代を少し過ぎたほど。中肉中背で主だった特徴のない男。赤いフレームの眼鏡が唯一の個性とも言っていい。


 だがその眼鏡の奥の眼光は鋭い。


 真面目で、静謐。


 本職は文化庁の役人ではあるが、どちらかと言えば静かに佇む剣客のような空気を滲ませている。


「課長。一つ訂正を。彼女は死刑囚じゃないですよ。乙種調査員。特別な法的措置によって招集された、調査員です」


「ははは、何が任意だよこの人でなしめ。求刑中の人間をリストアップして招集? まあ効率的だろう。だが一般には絶対に受け入れられないはずだ」


「お言葉ですが課長」


「いい、いい。解ってる。理解者は少ないが必要なことだ。特禁はテロなんて生易しいものがゴロゴロしている。除染の人員も確保が大変だ」


「そのためにダミー法案の影でこっそり通したでしょう。『特別文化財第三者調査員招集に関する手続法案』。やれ、外国人を受け入れるだのどうなどと。裏で全会一致で通るのは常套手段、ですよね?」


「まあ、な。政治というものはそういうものだ。激しければ激しいほどプロレスは盛り上がる。新聞記事は妄言を書けば金になるし、国民はそれに振り回されて錆びた頭にもう一度キックスタートをかける。誰も彼もが得する世の中じゃあないか」


「人でなしはどっちがですか」


「さあね。無知の国民の方が大概じゃあないか? ちゃんと新聞に法案が通った事は書いてあるぞ? 一面記事の端っこに、しれっとな」


「解らないならいいと?」


「民の頭まで保証する仕事なら、もっと給料をよこせというものだ。我々は命をかけているというのに。この地下に格納されている特禁は世に放たれたら最後。核爆弾でも落とさない限り――、いや、それでも物足りない」


「仰ることはよくわかります。ですが、そのためにこの計画を私に預けてくれたのでしょう?」


「無論だ。これが成功すれば私の出世コースは一気に花開くだろう。前代未聞だが、実入りは大きい。テストケースとして米国の機関も注目している」


「ですから、失敗はできないと」


 課長と呼ばれた白髪交じりの男は不敵に笑う。


「ま、その時の責任は全て君にあることを釘に刺しに来た――だけではまぁ無粋というものだ」


で何よりです」


「その真面目ヅラで皮肉を言う性格も気に入っている。さて本題だ。この計画の『何故』という部分を教えて欲しいのだが」


「彼女を選んだ理由でしょうか」


「そのほかに何があるね?」


 課長と呼ばれた男は柿崎の横に立った。


 彼らの正面にはガラス張りの部屋があり、中央にはベッドがある。そこには様々な計器に繋がれた昏睡状態の涼子がいた。


 服は病院服に着せ替えられて、横にはナースがつきっきりでいる。


「墨田涼子。年齢十七歳。に生まれ、摩擦は常に生じて――その結果一家はほぼ離散。ようやく心を預けられる男は最初から浮気をしていた。口論の末に包丁で刺し、殺人未遂で求刑されている……か。絵に描いたような不幸な少女だな」


「ええ、ですが荒みはしたものの、彼女は芯は折れることは無かったようです。ああいう――不良といいますか、ギャルといいますか。あんな格好をしていても学校にはしっかり出席していて、クラスにも馴染んでいた。人当たりはそれなりに良く、成績は良好。さらに後輩の面倒見は良かったと聞きます。喫煙者であり、少し悪い友達もいたようですが」


「……であれば、その人生はますます酷だ。人のせいにして堕ちる未成年は何人もいる。それを食い物にする大人も無数にいる。そこに誰からの支援もなく踏みとどまるのは、ある程度の生粋の強さが無いと無理だ」


「ええ。だから乙種調査員に選んだのです」


 課長の目には僅かに侮蔑の念が込められる。


「君は人でなしだ。目的のためにあんな可哀想な子の命を弄んだ。誰も言わないから言ってあげよう。。外道だよ」


「何を言われても全て受け入れます。ですが私はアレを浄化しなければならない」


「やけに拘るな。前からそうだ。そろそろ教えて貰えると嬉しいかな」


「あの本には――この計画という意味だけではないのです。私の曽祖父が。旧日本軍の高官であり、今の私を、柿崎家のその基礎を作ってくれた先祖が囚われているのです」


 初めて聞いた、と首を振る課長。


「その地位は官僚クラスと言われる日本の裏、文化庁特別禁出文化財保護課。その急先鋒であるエリート様が……特禁課の一か八かの賭けに私情を持ち込むとはな」


 柿崎は眼鏡を直すと、課長へと向き直る。


 思わずその目に、課長はゾッとしてしまう。


 同時に柿崎に対しての評価を検めた。


 努めて勤勉で頭が切れ、隙がなく極めて優秀。ゆくゆくは上り詰めるところまで行くだろうというこの男。


 静かに出世心を燃やすボンボンかと思っていたが、どうやら違うようだ。


 余人には理解できない確固たる信念。


 信念を持つ男は金に勝る。


 地位に勝る。そして民に勝る。


 それが信念に負け――しかし誰もが羨む地位にいながら――文化庁特別禁出文化財保護課の課長に甘んじている男の骨身にしみている経験則。


 だからこの男に賭けたのだと。


 そんな事はおくびにもださずに、課長は不敵な笑みを浮かべる。


「初めて吐露します。これは柿崎家のケジメです。私用というのならばいつでも出る所に出ます」


「そんな事はせぬよ。何せ日本第一号の成功例になるかもしれないからな。推した私も株が上がるどころか、米国の機関に太いパイプを持つことができる。文字通りハイリスク・ハイリターン。誰もが匙を投げた特禁の除去。君ならできる。だから全権を委任している。期待しているよ」


「私は選んだだけ。その先は彼女次第です」


「知っている。もし成功したのなら――彼女の後の人生を見守るほどの報酬を与えることだ。人でなしがマシになる唯一の手段とも言える」


「心得ていますとも。しかし課長、随分と余裕ですね」


「何言ってる。内心ヒヤヒヤだ! ――あの本は特S級の特禁だ。燃やせない、壊せない、弾丸すら弾く。その上無尽蔵に人間を取り込むと来た。米国なら地下シェルターにブチ込むその厄災を、殺人未遂の娘に内部破壊を頼むなど正気の沙汰ではない」


「ですが彼女は全てをクリアしている。身体能力も知恵を使う力も。何より心が強い」


「負けたのは男を刺したときだけ、とでも?」


「相手は生きています。彼女がその気ならもっと残酷な方法で追い込めるはずだった。そして自身を閉ざすことも」


「随分と熱が入っているな。惚れたか?」


「性的な意味を除外した点で言えば、そうですね」


「言うねえ。愛は最強ってことかな?」


「私のは愛ではありませんよ。どちらかと言えばです」


「若いねえ。まあ、いい。君が出来ると言うならそうなのだろう。そのくらい信頼している。だから、失敗するな」


「私は失敗しませんよ」


 柿崎はそう言うとフッと笑い、そしてガラスに手を当ててぽそりと呟いた。


「その小さな背に他人を預けることを、どうか許して欲しい。だが貴方のように、堕ちながら強い心を持つ人間はこの世に何人もいるわけではない――頼みます、涼子さん」

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