払暁ノ弐:『追う者』達

「嘘ではない」


 黒猫はそう言うと、トテトテと歩いてレールの分岐点に座った。


「小生だって人間だったのだ」


「それこそウソじゃないの」


「まあ聞いてくれ。昔むかし……そうさな、今で言う大衆小説が隆盛した時代。とある名もなき文筆家がいた」


「なんだっけ、芥川リューノスケとかそういうの?」


「ああ。そういうのだ。彼は後世に伝わる文豪たちとも交流があり、彼らからも文壇の世界からも一目置かれる文の求道者だったが――その道を極めたのか、ある一冊の本を書き上げて命を落とした」


「ひょっとしてそれ、冒険の書でしょ」


「その通り。そして不憫に思った文豪たちがそれを出版しようと金を出し合ったが――叶わなかった。もちろん作られたは作られたが、弔い用のたった一冊だけだ」


「お金が無かった? 内容が過激だった?」


「どちらかといえば後者の理由だな――内容が支離滅裂の奇怪極まりないものだったからだ」


「メチャクチャってことかしら」


「そう。だが不思議な魅力があった。羅列された無数の漢字群から、何故か自分に関わりのある単語が抜き出されるように。それは読み手によって千差万別の物語を紡ぐものになった」


「怖ッ。でも面白そう」


「皆そう思った。故に、この書は好事家をはじめとした人の手に渡り続け――次第に奇妙なことが起こり始めた。読んだ人間が昏睡状態になり、二度と目を開けなくなったのだ」


「もしかしてあそこのホームにいた人たちが?」


 黒猫は是、というようにふわああとあくびをした。


 話の内容は薄ら恐ろしいものだ。その次代から換算すると百年近い時のあいだ、この本は人間を蝕み続け、食い散らかしてきたことになる。


 渡り鳥のようにふと人に渡っては殺し、また新たな獲物を待つ。


 ほとんど厄災。


 いや、天災の類だ。


 そんな恐ろしいものにその身を投げ入れられて、元凶に近しい存在を前にして。涼子は不思議と恐怖を感じなかった。


 むしろ考えるべきことは。


 この本に考える頭があって、脈を打つ心臓があったなら。


 とても寂しい日々を過ごしてきたのだろうと。


 あろうことか涼子はこの黒猫に。冒険の書に同情をしていた。


「小生はいつしかこの世界に宿り、そして主人公たちの物語を見つめてきた。未だ読み終わったものはいない。興味本位で自分を見つめ直そうとする者には、この本は――酷なのだろう」


「そっか。じゃあさ、仮に。仮にだよ? 私が読み終わったとしたら、アンタと本はどうなる?」


「本は役目を果たすだろうな。小生も終ぞ生涯を終えることが出来る」


「死ぬってこと?」


「無粋な言い方は好ましくないな。『逝く』のだろう」


「同じじゃん」


「ああ、結果は同じだ。だが過程は違うのだ。さすれば生きた意味合いも変わる――涼子、君はその尊さをよく知っているだろう?」


「――」


 涼子が口をつむぐと、黒猫はフフ、と人間臭く笑う。


「涼子、小生はそろそろこの役目呪縛に飽いた。その剛毅な性格は今までの主人公になかったものだ。君を最終章としたい」


「あたしでよければいいよ」


 簡単に返事をした。もしこの黒猫に目があったのならば、大きく見開いていたに違いない。


 涼子からすれば願ってもないことだ。それが嘘だとしても。利用されていることだとしても。ここは無手で進むには厳しすぎる世界だ。


 話を鑑みるに。


 ここは自分を映し出す世界だという。


 なら、尚更だ。


 


 ならばせいぜい、言われるままに踊ってやる。


 涼子はそう思った。なぜなら今までそう生きてきたから、彼女にとってこのシチュエーションはとても慣れたものなのだ。


 黒猫はホッとしたように嘆息をする。彼もまた、同じように主人公達に接してきたは良いが――拒絶されることのほうが多かった。元凶だと礫を投げられることも追い払われることも。


 勿論、涼子には銃撃されるというかなりエキセントリックな出会いをしたわけだが。その後の対応が、今までのどの主人公たちに無いものだった。


 これは彼女の生き方からくる選択なのだろう。あるいは諦念なのだろうか。どちらも紙一重のものではあるが、希望のあるものを願いつつ。


「是非とも」


 黒猫はそう、嬉しそうに言った。


「じゃ、よろしくね――ナビ助」



 黒猫は首を傾げる。涼子はフフッと笑って座ると、黒猫の頭を撫でた。


「そ。ナビゲーション役っぽいからナビ助。ナビだと機械っぽいから」


「ふむ。センスはさておいて。呼びやすければそれが正解なのだろう」


「じゃ、ナビ助に決定ね。早速聞きたいんだけど、この分かれ道、どっちに行けばいいの?」


「さぁ」


「さぁってアンタ」


 ナビ助は猫のように尻を上げて伸びをすると、トテテと歩いて涼子の側に立った。


「君の歩んだ道だ。君が歩いたままに歩けば道が開ける。逆に訝しんで進めばどん詰まりなのが人生だ」


「厳しいね」


「そうとも。人生はどんな世代でも、老若男女問わず厳しいものだ。涼子は今までは一人だった。だが、今は二人だ」


「一人と一匹だと思うけど」


「そうだな。では進もうか涼子――だが、銃は出しておいたほうが良い」


「え?」


 ナビ助が顔を上げる。つられて涼子がその方向を向くと、ゴミ山に何やら蠢いているものが見えた。



 かしゃり。かしゃり。


 ぎちちちちちち。


 かしゃり。かしゃり……

 


「うえ、何あれ」


「あれは『追う者』達さ」


「追う!?」


 涼子が驚いて叫ぶが、すぐに口を塞ぐ。


 その蠢いているものは遠く見つかることはなかった――が、涼子がえづくほどにグロテスクなものだった。


 それは十二、三才程度の子供の体に、逆さの能面をつけた化物だった。


 体は皮がむかれた人間のようで筋繊維が露出していて、ただ手と足の皮膚だけは鱗に覆われている。


 手には血まみれのバールのようなものを持っていて、時々咆哮を上げてゴミ山を崩していた。


 歩を進めるごとにゴミ山がきしむ。素足の『追う者』は鋭利なゴミを踏み抜いて血まみれだが、かまうこと無くゴミ山を彷徨う。


 何かを探すように。


 緩慢だが、必死に。


 何か、なんて涼子は考えたくなかったが。


 こんな状況で探すものなど一つしか無い。


 涼子の、その身体だ。


「何アレ、何アレ何アレ!? 私の人生にそんなのいなかったよ!?」


「いや、いたのだ。おそらくは幼少期の負の感情――子供時代であれば恐怖の集合体なのだろうよ」


「きょ、恐怖……?」


「気をつけて備えたほうがいい。アレは君を殺し、嬲るだけの存在だ。無残に腹を引き裂かれたり、悪戯に長い間顔を殴打されることもある」


「はぁ!? り、リンチされるの!?」


「君も何度かあるだろう。過去の記憶に苛まれることが。それは永遠に無尽蔵に湧き出る化物として、この本では顕現している――殺されれば、また一からやり直しだ」


「冗談じゃない!」


「そう、冗談ではない。小生は顔を剥がされて砕かれた主人公も見たことが在る。ギリギリまで嬲られて悲鳴を上げるものも。四肢を凌遅刑のように少しずつ削がれるものも――怖気づいたか?」


「はぁ? 誰があんなのにやられるかっての」


 涼子は拳銃を取り出して両手で構える。最初こそ震えていたが、その目には闘志めいた炎が灯っている。


 ナメられないこと。


 それが彼女の絶対的なルール。


 故に、震える足をひっぱたき活を入れる。


 使ったこともない銃を構えて、そうして世界に反逆する。


 それが墨田涼子だった。


「剛毅な娘だ。だが震えてるぞ?」


「うっさいな。あったりまえでしょ。こんなのホラーゲームも真っ青だっての!」


「相変わらずげぇむは解らぬが、戯れにこのようなモノを見たことがあるのだな? 涼子の時代は面白いものが溢れていると見た」


「感心してないでナビ助。サポートしてよ。どこから来るとか、見つかったくらいは教えてくれるでしょ!?」


「その程度で良いのならいつでもしよう。さぁ主人公、第一章だ。おっかなびっくりレールを歩け」


「上から目線で腹立つ。いいわやってやる。何が恐怖よ。片っ端から撃ち殺してやる」


 涼子は銃を上げ、腰を低くして歩き出す。


 それこそ泣き出しそうな恐怖を堪えて。彼女は進み始める。


 ようやく涼子は理解する。


 あの始まりのホームで我を失ったモブ達。


 どんなに打ち負けて心を砕いてしまったのだ。それは察するに余りある。


 余りある、が、同情はしない。


「ふざけンな。誰が自分に負けるかっての」


 負けるとは心が折れたこと。


 彼女が負けたのは後にも先にも、愛していた男を刺した時以外に無い。


 ナビ助はそれを知ったか知らないでか――いや、当然知っているのだろうが――ただひたすらに黒猫を演じ、ひたひたとその後を追っていた。







 彼女の銃は己の恐怖を――自分自身を穿つにとても理にかなっているのだろう。


 なにせ持っているのは、『自殺拳銃スーサイド・ピストル』なのだから。

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