払暁――フツギョウ――

払暁ノ壱:黒猫

 トンネルを抜けると絶景が広がっている――ことはなく。


 そこはどう見てもゴミ山だった。


 ゴミと言ってもそれは様々。粗大ごみが多く積まれているようにも見えるが、そうかと思えばバスがまるまる横転していたり、コンクリートの瓦礫だったり。


 近づいてみると、細々とした玩具や食玩、本や漫画と滅茶苦茶だった。


 空は日焼けた紙のように薄茶色になっていて、雲なのか、それとも砂嵐なのかわからない淀みが流れている。


 太陽はなく、だが明るいのは不気味だった。


 広大なゴミの大地。


 だが、レールには塵一つ落ちていない。


 不気味なほどに。


 清潔そのものだ。


 そして線路とゴミ山の境界には矢印が書かれた道路標識のようなものが無数に立てられている。


 規則性はなく、色も統一性はない。さらに指し示す先はどれもこれもが統一性なくグチャグチャだった。


 何故、既視感を感じるのだろうか。


 どうでもいい、で括るほど小さいわだかまりではないが、どうにもならない。


 直視すると、ただの背景なのに気が狂いそうになる。


 とりあえず脇には置いておきたい。


 涼子はそう、思考の回転に歯止めをかけて、無視をするように歩き始めた。


「ひどいところ」


 涼子は他人事のように言って歩く。足元はバラスト石で素足ならば到底歩けたものではない。


 だが幸か不幸か彼女の履いているのはスニーカーハイカットの厚底靴。慣れない石敷きの上では多少足を取られるが、なるべく枕木を歩くようにすれば苦もなく進むことができた。


 しばらくレールを歩いていると分岐点があった。シンプルに右か左か別れていて、どちらも大きくカーブしたゴミ山の谷になっている。


 先は見通せず、看板は多すぎて意味がわからない。


 音も聞こえず、何も感じない。


 試しにとレールに耳を当てて振動を聞いてみたが、何も軌陸走行電車の音しているような気配はない。


 つまり、どちらも、何も、何が正解なのかも解らなかった。


「どっちが良いんだろう?」




「さてね、どちらも同じようなものだとは思うけど」




 茶化したような声が聞こえてきた。


 涼子は本の世界に入ってようやくビックリしたようだ。


 髪を逆立て、思わず拳銃を取り出して身構える。


 心臓はバクバクと音を立てている。


 いつもは冷え切っている頭がぐちゃぐちゃな回転をしている。


 魔物、というフレーズがにわかに脳内を埋め尽くす。


 襲われるのだろうか。


 ならば、どこから?


 耳を澄ませたい。


 声在るならば音があるはず。


 だが、興奮と恐怖のあまり、体を巡る血流の音が鼓膜を塞いだ。


 涼子は解りやすくパニックに陥っていた。


 だが、彼女は自分に言い聞かせた約束を思い出す。


 ナメられないこと。


 堂々としていること。


 これが女にとっては一番大事なこと。


 足が震えていても凛と立つこと。


 これが『駒』にならない唯一の防衛方法だ。


 堂々としていれば。自然体で立っていれば。


 あとは躰が、流れが、勝手に場を作る。


 この拳銃も一役買ってくれるだろう。


「おや、やはり今回の主人公は肝が座っているようだ。前の男などヒステリックに喚いてここから出せと言っていたけれども」


 ふと涼子が顔をあげると黒猫がいた。


 分岐点のゴミ山の上、冷蔵庫の残骸のようなものに座るそれは、黒猫――というよりも、穴、だった。


 風景から猫型に抜け落ちた黒い穴というべきなのだろうか。象っているだけで質量を感じさせない。


 風景からそこだけ猫型に象られた漆黒。


 猫型の穴には艶もなく、照りもない。


 置き物かと思ったが、猫型の穴はしっぽを揺らしている。やがて口元をニンマリと弓月のように広げ、不気味な口内を晒していた。


「穴? 穴が猫? 喋る――猫?」


「キミにはそう見えるんだろう主人公。ともすれば小生はチェシャ猫の類なのだろうかね」


 黒猫はひょいとゴミ山から降りて、トコトコと涼子の目の前に歩み寄った。まるで猫のように。明らかに猫でないにも関わらずだ。


「はじめまして主人公。小生は本である」


「あ、そうなの?」




 ドンドンドン!




 何を思ったか、涼子は銃撃した。


 猫型の穴へ立て続けに二、三発と容赦せずにだ。


 しかし、超常現象に超常現象が重なる。


 弾丸は確かに発射された。


 だが、黒猫に当たることななく。


 いや、当たったと言うべきなのだが。


 弾丸は何も柘榴と散らせることはなく。空洞に吸い込まれたかのように反響音を散らし、そして消えた。


 否。


 猫型の穴の深淵に消えていった、というのが正しいかもしれない。


「素晴らしい。素晴らしい判断力だ。一応、発砲の理由を聞かせてくれまいか」


 猫はピンピンしている。穴のしっぽをくねらせて猫のように振る舞っている。撃たれたのにも関わらず、それを咎めようともしていない。


 それは、単純に興味が大きいのか。


 それともそんなものでは殺せないという自信なのか。


 涼子は一瞬恐れを感じたが思考に再び歯止めをかける。


 ダメだったなら仕方ない。


 むしろ撃ったのに平然と言葉を返してくれるなら、無害だろうと。そう、ため息を付きながら銃口を空に向け、参ったと言うように腰に手を当てた。


「ラスボスを倒してゲームクリアと思ったのだけど」


 とても思慮深いとは言えない物言いだが、涼子にしてみれば大真面目な答えだった。


 一般論で『荒んだ心から来る短絡思考』と捉えるのは簡単だ。


 だがよく考えてみて欲しい。


 この超常的な状況でソレを持ち出したところで最善策なのかは疑問である。


 彼女は彼女なりに最善策を取ったのだ。


 


 それはある意味、とてもスマートな解決方法かもしれない。


 黒猫は銃撃されたのに、特に怒る様子も無かった。それどころか――いや、真っ黒なので表情を伺うことはできないが――どこか涼子にますます興味津々といったようすだった。


「素晴らしい。この暗澹あんたんたる世界の元凶と見抜いてか。いや実にスマートだ。小生はキミを気に入ったぞ」


「なら出口教えてよ。知ってるんでしょ?」


「ますます気に入った。『』ではなく『』と。つまりは、自分の足で出る――そう言うのだな?」


「普通そうでしょ? 私が入って勝手に迷ってるんだから」


「ならば本たる小生は教えるというのが筋だろう。ただ悲しいかな、小生は出口は知っているが道は知らぬのだ」


「どういうこと?」


「ふむ。質問を返して悪いのだが美しい主人公。この本のことを知っているのかね?」


「いや全然。檻にいたらスーツのオッサンに連れられて、読み解いてくれって。本を開いたらいつの間にかここにいたの」


「主人公。君は咎人とがびとなのか」


 涼子は首をひねって僅かな間を開ける。あまり聞いたことのない言葉だが、流れでなんとなくその意味を理解した。


「とがびと?……罪人ってことなのかな。なら一級品かもね。殺人未遂」


「すると減刑を引き合いに出されたか」


「それ。チャラにしてくれるって」


「はあ……いつの時代も人とは罪なことをする」


 そう言うと黒猫は前足をペロペロと舐めた。まるで本物の猫のように振る舞う黒猫型の穴。口元だけが実体化しているようで気味が悪い。


「主人公」


「涼子って呼んで」


「では涼子。ここは君の物語だ。この風景もこのレールも、山積するゴミまでもが全てきみのもの。


 涼子はキョトンとすると、しばらくして「ククク……」と笑い、そして弾けたように笑った。


「面白いことでも? 小生何か変なこと言った?」


「いやいやいや。だって! ウケるじゃない。私の人生でしょ? 綺麗にレールがしかれてるのにさ、周りはゴミだらけ。自覚してなかったけど、確かにそうだったなってね。あはははは!」


 心底おかしそうにして……やがて涼子は枕木の間に座った。


「はあ、そんなもんか」


「そんなものとは?」


「いやね、私の人生。最初から歪だったってこと。両親はさ、昔っから厳しくて私を認めなかった。いっつも喧嘩ばっかりして。そのくせ綺麗事はしっかり並べて、やれ勉強しろだのやれいい学校行けだの。自分たちはそんなんでもないのにさ」


「親などそんなものだ。器が凡百のソレなら、まず間違いなく結果だけを提示する。行き着いた場所だけを見て、伴わなければ吐き捨てる――人はそれをという」


「そ。そんなのヤになっちゃうのにさ。あまつさえ二人共浮気してやんの。まあ浮気はいいよ。でも私のせいにしてさ」


「ほう」


「さんざ子供を否定し続けていたのに、自分たちの非は人に押し付けるんだよ。凄いよね大人って。結局離婚してお母さんに引き取られたけど私はさっさと家を出ちゃった」


「子供には酷な話だ。故に、このゴミ山なのだろうな」


「ちっちゃい頃は箱入り娘っていうぐらい大事にされてたの。でもよくよく考えたら、両親はいろんなものを私から遠ざけていた。多分ここに積み上がっているのは――全部両親に無駄と捨てられたものなんだ」


 涼子は立ち上がってゴミ山の前に立つ。積まれているものをふと手に取ると、それを黒猫に差し出した。


「これさ、子供の時に流行った育成ゲームのおもちゃ。みんなこぞってやってたけど、私は学校で自慢されるまでそんなものがあることさえ知らなかった」


「げぇむなるものはよくわからないが、なるほど流行りすら捨てられていたのか。それは――酷い」


「ね。酷いよね」


「そうだな。酷い」


 黒猫はゆっくりと涼子に近づくと、彼女の細いすねに頭を擦り付けた。穴のように見えるのに、何故かふかふかと温かい毛皮の感触がする。本物の猫のようだ。


「くすぐったい」


「少しは慰めにでもなったか」


「優しいのね。でもアンタ、人をいっぱい閉じ込めているんじゃないの? どうして――」


「さぁ、どうしてかな。そも、小生は好きでこんな場所にいるわけでもなし。加えて言えば、特段に人を飼うような歪んだ性根を持っているわけではない」


「ウソつけ」


「嘘ではない」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます