子宮ノ弐:ホーム

「おや、今度はァめんこい子が来たな」


 目を開ける。


 臭い。


 かびた臭い。


 砂の味。


 埃の味。


 ――


 起き上がるとそこは朽ちた地下鉄のホームのような場所だった。


 あたりを見回すと大地震の後と思わせるほどに朽ちていて、線路は数メートルほどで埋まっていた。


 辛うじて残っている壁や柱にはいつの時代かわからない朽ちたポスターが貼られている。


 それはビタビタと無節操に沢山貼られていて気味が悪い。無機質な男がビールを片手にレトロな煽り文字の上にいたり、かと思えば近代的なものがあったり。メチャクチャだ。


「な、なにコレ……」


 電気は来ているようだが……到るところの電球がチカチカと点滅。蛍光灯も殆ど砕け散っていたりする。


 出発駅にしてはひどい場所だ。


 だが、どこかしら――何かに抱かれているような心地よさがある。


 不気味なのに、ここにいてもいいかなと思ってしまう。


 そう思う時点で自分が侵食されているような――常に誰かに見られているような不快感が這い回っていた。


「本だよ。


 声のする方を見ると、そこには煤けた四十超えの男が柱に持たれて座っていた。見たこともない古びた軍服を羽織り、タバコを曇らせている。


 率直に言えば、ほとんどホームレスに近い。涼子はそう思った。


 だが、ドロップアウターと言うには何故か阻まれる。目は清らかで、諦念に塗れていながらも嫉みは無く。


 そして。


 あのスーツの男のように涼子を性処理と繋げない分別のある大人。故に無害だと彼女は思った。


 煤けた男は涼子を憐れむような目で見ている。そういう目は嫌いだったが、不思議と心を許してしまう。


「お前さん、若いのに『本』に触れちまったのか。ともすれば、今回の主人公はアンタってことになるな」


「主人公? 本? おじさん、どういうコト? ここはドコなの?」


「言っただろう。本の中さ。信じられないだろうがな」


 煤けた男はそう言うと、タバコを吸って紫煙を曇らせる。涼子はよく解らず、とりあずその男の横に座った。


「おじさん、タバコちょーだい」


「いいぞ。ほれ」


 拒むかと思ったが、男は気前が良かった。


 涼子は差し出されたタバコをまじまじと見る。


 見たこともない銘柄だ。


 だが害は無さそうだ。


 タバコはタバコだと割り切ってありがたく受け取る。


「火はある?」


「ホイよ」


「マッチかあ。かっこいい」


 涼子がそう言ってタバコの先端を火に近づけて吸う。スパスパと煙を上げるが、瞬間目を見開き、そして勢いよくむせこんでしまった。


「ゲェッホゲホ! な、何で!?」


「はっはっは。どうやらだったということだな」


「ど、どういうコト!? 別にニコチンとか強いってわけじゃないでしょ? 私二十ミリとか吸ってたんだよ!?」


「違う違う。ここは始まりのホームだ。ここに来た人間の生まれた場所でもある」


「始まりの……ホーム?」


「そう。ここは始まりばかりがある。自分たちが感じた始まりばかりがそこらじゅうに転がっている――そういうわけで、お前さんは初めてのタバコはそうだったということだ」


「意味わからないゲェッホゲホ!」


 涼子は「もういらない」と言って火のついたタバコを男に渡す。


 男はニンマリと笑い、むせる涼子の横で美味そうにそれを吸った。


「おじさん、いつからここにいるの?」


「さあてね。大分経ったが昨日のようにも思える。だが主人公であった日はもう過ぎた」


「ね、さっきからソレ、何いってんの? 主人公って何?」


「わからないかねお嬢ちゃん。ここはお話の中だから、主人公がいる。重要なキャラクターがいて、ポッと出てくるモブもいる。ワシはそうさな、もうモブなんだろうよ」


 煤けた男はそう言うと腰を弄り、そして涼子にヌッと黒革のホルスターのようなものを取り出した。


「持っていけ。先を進むにゃ武器が必要だ」


「は、ハァ!? おじさん、これ銃じゃん!」


 涼子が驚いたようにそう言った。黒ホルスターの中には涼子が見たこともないような自動拳銃が入っている。グリップは細く、涼子の小さい手でもスッポリと手に馴染むようだ。


「九四式拳銃っていってな。けっこう使いやすい。不思議と放っているのに整備されたようになっててな。適当に撃ってもこれまた不思議と当たる。おまけに弾も尽きることがないときた」


 涼子は九十四式拳銃をまじまじと見つめる。鋼鉄製で冷たく、見たこともないデザインに感心しつつも。


 これが人を殺すためだけに生まれたものなのか――と。

 

 自分に重ねて見てみると、実に、実に羨ましいと思ってしまった。


 使用方法が一つだけ定まっているなどとは。


 それだけに生まれたとは。


 


 彼女の感慨はまぁさておいて。


 知る人ならこの銃がかなりの大昔――太平洋戦争時に使われていた将校准士官のもの、あるいは挺進兵などのエリート兵達が使っていたものだと察することができるだろう。


 要するに彼はその時代の人間であって――そういう時代から、この本は人間を取り込んでいたという事になる。


 もちろんその方面の学のない涼子はというとそこまで深刻に考えることは無かった。


 美しい顔に似合わず酷な人生を送ってきたからか、「そう在るもの」なのかとこの超常現象を受け入れてしまっている。


 どうしてそれがあるのかというよりも、これはちゃんと使えるのか、自分に本当に必要なのかと地に足をつけている。


 皮肉なことだと彼女自身も思っているだろう。自分は、自分のあるべき世界からそもそも浮足立っているのに、と。


「おじさん、いらないよこんなの」


「いいや必要なんだ。お嬢ちゃん、ちょっと周りを見てみな」


 煤けた男に促されて涼子は周囲を見渡す。


 よくよく見ると蛍光灯の光の影に、何やらうずくまる人間や石のように動かない人間がいた。


 明かりに照らされた別のホームにも、煤けた男と同じように柱にもたれて座ったり、何かを貪っているような人間もいる。


 何人も、というレベルではなかった。ざっと一〇〇人は越えている。


「ここは出発点のホーム。何度も見直して、何度も立ち返る場所。つまるところいつでも帰ることの出来るものだ。連中も俺も――何度も出直しているうちに、心が折れちまった」


「出直す?」


「お嬢ちゃん、わからんと思うがよく聞きな。この本は主人公の人生を辿らせる性根の悪い本だ。かつて降りかかってきた不幸は魔物になって襲いかかってきやがる。それに対峙するには力が必要だ。お嬢ちゃん、それがアンタの力ってわけさ」


「魔物――いよいよドラクエね」


「そのドラクエはようわからんが、魔物はアンタを殺しにかかってくるだろう。そうして死んだらまたここに戻ってくる。そして進んでは殺され、戻されて堂々巡りよ」


「みんな諦めちゃったの?」


「そうさ。そうしてモブになった。風景になった。景色の一つに成り果てた。それがこの本の怖いところさ」


「ふーん、そっか」


 涼子はスクッと立ち上がると、銃を指でくるくると回しながら歩き始めた。


「ありがとおじさん。じゃね」


「行くのかお嬢ちゃん? その細い体で?」


「行くしか無いでしょ。こんなとこに留まってても楽しいことは無いし」


「そうか。じゃあワシはここでお前さんの無事を祈ってる事にしようか」


「おじさんは行かないの?」


「さぁて。行こう行こうと思っても足が出ないな。仮に進んで本を出た所で、行くところもない」


「私もおんなじ。でも行くよ」


「勇ましいことだ。せいぜいあがくといい。でもそれも人生なんだろうよ。お嬢さん、だからアンタはキレイなんだな」


「詩みたいなお世辞は気持ち悪いだけだけど。おじさんの言葉はキレイだから、なんか嬉しいね」


 久しぶりに笑顔を向けていた。彼女が知る由もなく。愛想笑いではない、ごくごく自然な笑顔。


 煤けた男は諦念を宿したまま、ひさしぶりに希望を見たお礼――とでも言うように。肩が動く範囲で大きく手を振っていた。



 涼子はホームを歩くと、『出口』と書かれた看板を見つけた。


 その矢印の先は線路を伝った奥のようだ。当然のようにこの朽ちた地下鉄のホームには出口に繋がる階段はなく、それ思わしき場所は落盤で塞がれている。


「線路は降りちゃいけないって言われてるけど」


 涼子は飛び降りてレールを伝って歩いてゆく。その先は薄暗いトンネルのようになっていて、ゆったりと左カーブになっていて先が見えない。


 ただ少しだけ風が吹いていることから、必ず外に繋がっているはずだと彼女は思った。


 途中、トンネルに腰を降ろしているモブ達が興味ありげに涼子を見つめていた。誰も彼もが服装の時代が合っておらず、しかし皆諦念に塗れていることだけが共通していた。


「あのおじさんはいい人だったのに」


 ここに転がってる人たちは、涼子の躰ばかり見るいつものクソ達だった。


 舐めるように這う視線はもう慣れたと思っていたが。


 立派な大人の男性を二人見たあとでは、なるほどこれは初めて感じた腹が煮えくり返るほどの不快感だ。


「ヘヘ、お嬢ちゃん諦めなって。俺と楽しいことしないか?」


 途中ボロを纏い卑屈に嘲笑う男がそう言ってきたが、涼子はむかっ腹が立った。


 いつもは無視をする。そうやって生きてきた。


 だが、あのおじさんとの出会いがかき消されるようで。詩のような言葉をくれた人に泥を塗るようなその言葉に。


 やがて銃を取り出し、そして徐に明後日の場所に発砲した。


 音は想像以上に軽快なものだった。


 だが、跳ね回る音は撃ったこちらが冷や汗をかくものだった。


 当然、卑屈に嘲笑う男にとっては恐怖以上の何ものでもない。


「ヒッ! な、何しやがる!」


「うっせ。おとなしく壁になってろ」


 涼子の凄みに臆した男は、「どうせお前も同じになる」と嫌味を言って去っていった。


 どうせ、同じ。


 そんなのは知っている。


 私は生ゴミと同じだ。


 価値なんて無い。


 そう、男に貪られるくらいしか。


 でも。


 だけど。


 だけれども。


 もし。


 万が一。


 あのおじさんのように。


 煤けながらも綺麗なビー玉のような部分が自分にあるのならば。


 あながち悪くない。


 同じゴミでも、こいつらのような糞の塗りたくってできた薄汚い壁には断じてなりたくない。


「壁になんかなるもんか。風景になんかなるもんか。不幸で括られるなんて絶対になるもんか」


 涼子は自分に言い聞かせるようにレールを歩いた。



(子宮――了――)

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