記憶旅

ボーン

記憶旅

 「おはよう、今日も朝早いの? 」


 とある都会のマンションの一角。健は朝起きると着替えを済まし、居間で朝食を食べていた。妻が起きてくる。そろそろ行かなきゃ、そう言うと健は、上着を着てカバンを持った。そして、パジャマ姿の妻と抱擁を交わすと、「行ってきます」と、家を出た。


 今日は金曜日。今日一日を乗り越えればまた週末がやってくる。今週末は妻と初めての一泊二日の旅行に出かける予定だ。初めてというのは、彼女が妻になってからという意味だ。彼女とは先月結婚したばかりで、忙しくてまだ新婚旅行に行けてなかったのだ。


 会社には入社して2年目になるが、まだ新人なので忙しい。毎日膨大な量の仕事に追われている。しかし健はそれほど苦痛ではなかった。幸せの絶頂だった。結婚して引っ越しが終わり、妻と新しい生活が始まったばかりだ。これを言うと大概の人には「今が人生で一番楽しい時だ」と言われる。しかし健には不思議でならなかった。この先に楽しい毎日しか見えないのだ。


 健の勤め先は大手の金融会社だった。今日は山奥に住む老人、佐々木氏の家へ訪問に行く日だ。俗に言う借金取り立てである。独り身で60歳近い老人である。返済してくれるかというと、希望は薄い。ただ、健は内心、返済が終わらなくてもいいと思っていた。もう一年近くその家へは訪問している。健は訪問する度、自分の近況を話して聞かせていた。今日も佐々木氏の反応は想像できる。無言で頷くだけだろう。ただ会話をしにいく、という仕事と割り切っていたのだ。それだけで給料がもらえるのはありがたい、と。


 家に着いた。森の中にポツンと立つ、古くて大きな木造の家屋である。見ると、相変わらず佐々木氏はベランダの椅子に腰掛けて遠くを見つめていた。訪問するといつもこうなのだ。彼の視線の先はいつも、目の前に広がる小さな池である。


「佐々木さん、今日も例の件で参りました」佐々木氏は変わらず遠くを見たままだ。毎回、訪問時には家に入れてもらう。そして、居間に座って用意してもらったコーヒーを頂くのだ。今回もいつも通りに家に入れてもらった。

コーヒーを飲んでゆっくりしていると、しばらくして佐々木氏がやってきた。目の前の椅子に腰掛ける。


「佐々木さん、未だ滞納が続いているようなのですが…」佐々木氏は黙って頷いた。表情一つ変えずじっとこちらを見つめる。「最近はどうされているんですか。また、ぼーっと一日ベランダで過ごしているんですか」佐々木氏は黙って頷いた。健は、またいつもの話をして聞かせた。「前回来た時、結婚したって言いましたよね? 明日から、その妻と新婚旅行に行くんです。楽しみです」佐々木氏は黙って頷くだけだった。「まだ60歳です。ぼーっとしてるとボケちゃいますよ」


 相変わらず佐々木氏はぼーっとしている。健は続けた。「前にも言ったじゃないですか。趣味に時間を費やしたり、友人と会ったりするのはどうかって。お節介なのはわかってますし、こんな若者に言われてもアレなんでしょうけど…。私は今、幸せで毎日が楽しいんです。佐々木さんももっと楽しいんでほしいんです。せっかくの時間、大切にしてください」


  佐々木氏は立ち上がると、部屋から出て行った。健はコーヒーをすすり、カバンから書類を取り出した。佐々木氏の今日の日付の欄に×を付ける。

佐々木氏が隣の部屋から戻ってきた。手に小さな木箱を持っている。そして、健の目の前に座るとゆっくりと口を開いた。かすれており、今にも消えてしまいそうな声だった。「私は、もう、死ぬ。私の、人生も、楽しかったよ」久しぶりに聞いた佐々木氏の声。寂しそうで、辛く、苦しそうだった。しかし、健が何か聞く間も無く、佐々木氏は木箱を差し出した。開けると、中には一つのカプセルが入っていた。佐々木氏が飲むよう言い、健はそれに従って口に入れ、コーヒーで流し込んだ。


 目を開けると僕は真っ逆さまに落ちた。振り返ると滑り台の上から、男子が滑ってくるのが見えた。走って逃げる。後ろを振り返るとその友達も全力で追いかけてきていた。やばい。心臓がドキドキし、ワクワクしていた。公園の端まで行って植木の後ろに隠れる。そこには、別の男子がいた。「どっちに逃げる? 」隠れながらクスクス笑い合う。すると、パッと場面が変わった。


 目を開けるとそこは学校の教室。授業中で先生が黒板に数式を書いているところだった。椅子に座った僕はとんとんと肩を叩かれ、後ろを振り返る。ノートが回ってきた。大きく「席替え」とあり、その下に机の配置図が書かれ、そこにそれぞれ名前が書き込まれていた、僕は、どこに名前を書こうか悩む。すると、隣に座る友達にちょっかいを出された。「お前、あいつの隣取られちゃうぞ」「うるせーよ」小さい声で返したが、結構うるさかったらしい。先生に睨まれた。「何やってんだ。授業中に交換ノートはやめなさい! 」すると、パッと場面が変わった。


 意識が戻ると今度は箒で廊下をはいていた。隣にいる男子が話しかけてくる。「サッカー、今日こそは勝つからな」俺は笑って返す。「いやいや、今回も俺らが圧勝だって」すると、廊下を曲がった辺りから数人の足音が聞こえた。そちらを見ると、角を曲がった数人が、こちらへ走ってきた。一人が手にサッカーボールを抱えている。俺は言った。「お前ら掃除終わるの早くね? 待てよ、俺らも行く! 」隣の男子と箒を壁に立て掛けると、走って先に行った男子の向かった校庭へと向かった。後ろから叫び声が聞こえる。「ねえ、男子! まだ終わってないでしょ!! 」パッと場面が変わった。


 気づいたらそこは夜の通学路。学校の最寄り駅まで友達の男子二人と並んで歩いていた。「あのドラマの女優可愛くね? 」「わかる!あの髪型が一番可愛いよね、似合ってる」俺は反対した。「え? そうか〜? 絶対脇役の看護師役の方が可愛いよ、名前覚えてないけど」「あ、あの人ね」「え誰だよ〜知らない知らない」そこで、隣の友達が前を指して言った。「待った!ほらほらあそこ!お前の好きな…」そこを見ると、可愛らしい女子が友達と歩いているところだった。俺は焦る。「やめろ指差すな! 静かにしろって」「何焦ってるんだよ〜お前」そこでパッと場面が変わった。


 今度は居酒屋の中で目が覚めた。奥から声がする。「ハムチキ、3! 」「サンキュー」そう答えると、俺は包み紙を取って広げ、そこにパンをのせ、チキンとハムをのせて折りたたむと、上からソースをかけた。「遅い遅い遅い!何度言ったらわかるんだ」「はい、すみません」慌てて謝ると、もう一つの包み紙を取った。「だから! もういい、皿洗いしてろ」俺は言われた通り奥のシンクへ行くと、皿を洗った。皿を取りに来たバイト仲間が小声で言う。「今日も機嫌わりーな、がんばれよ」パッと場面が変わった。


 「ういっす! 」意識が戻ると、俺は駅で友達と待ち合わせをしていた。その友達が言った。「映画、1見てないけど大丈夫なん? 」「大丈夫! 繋がりの深い映画じゃないし、面白いから夢中になれると思うよ」「まじか、それは良かった。てか、レポート続きで寝てないから寝そうだわ」二人で売店に並ぶ。「やっぱりそっちの大学って忙しいの? 」「他の大学と比べたらそうでもないとは思う。けど、レポートの量はえげつない」そこだ、またもパッと場面が変わる。


 目が覚めるとそこはレストラン、目の前には女子が座っていた。一緒にスパゲッティを食べている。質問を投げかけてきた。「彼女作ろうとは思わないの?? 」「うーん…欲しいけどあまりいい人が見つからないんだよね」「どういうこと? 好きにならないってことか」「まー、そうだねぇ」「えー、じゃあどういう人がいいの? 」またも、そこでパッと場面が変わる。


 気がつくとそこは川、俺は仲間と川の中を歩いていた。「ストップ!! 」先頭の一人の声で全員がその場に止まった。自分たちの目の前には滝が流れている。自分たちが歩いてきた川の水がすぐ先で、5メートルほど下の滝壺に吸い込まれていく。「よし、行くぞ!! 」先頭一人がジャンプして飛び込んだ。俺も周りの奴らと共に、落ちるギリギリのところまで行く。下を見ると、怯みそうなほど高かった。足元の水が水しぶきを上げて落ちていく。その先に、先に飛び込んだ奴が手招きしている。「よし、決めようぜ」一人が言った。残りの三人同時に飛び込むしか。「せーの! 」皆と合わせて、俺は思いっきりジャンプした。数秒間宙に浮いた後、足から全身が川に突っ込んだ。水面から顔を上げると、皆で爆笑した。なぜだか、おかしかった。場面が変わった。


 意識が戻ると、入社式が終わったところだった。俺は、一人の女性を見ていた。式の前に廊下ですれ違った女性だ。タイプといえばタイプか、いやそうでもないかもしれない。目が丸くて綺麗だった。で、目が合った時に思った。好きになるかもしれない。彼女のことばかり考えて式が終わり、後に案内された配属先で彼女と自己紹介をした。隣のデスクだった。帰り、一緒に駅まで歩いた。


 彼女と一緒に昼ごはんを食べて、夕飯を食べる約束もした。正直、俺は仕事に集中していなかった。隣に座る彼女ばかり考えていた。仕方ない。視界に入るのだから。その日の夜、彼女と食事をして、彼氏がいることを知った。


 男友達と飲みに行った。恋愛話になると、それぞれに彼女がいることがわかった。俺はまだいなかった。職場の話になった。それから、懐かしい学生時代の話をして、未来の話になった。時間がきて皆と別れた後、俺は一人公園で酒を飲んでいた。何か頭にごちゃごちゃしたものがあって家に帰る気分ではなかった。


 5日間休みが取れたので、久しぶりに友人と沖縄へ行った。計画を立てず、往復の航空券だけを握りしめて飛んだ。ホテルへは泊まらず、レンタカーで車中泊をしたりベンチで夜を明かしたりした。行きたいところへ行き、見たいものを見てゆっくりした。最終日、車で島を一周した。車内に大音量の洋楽をかけて、大声で歌って暴れた。


 職場の目が丸くて綺麗な女性を誘って山へハイキングに行った。その時彼女に恋人はいなかった。二人で話しながら散策し、途中の小さな池で座り込んで会話に没頭した。いろんな話をした。気づけば辺りは暗くなっていて、次の日の出社に間に合うように、タクシーを呼んで帰った。彼女とだんだん仲良くなっていくのを実感していた。しかし、何もできずにいた。


  家を建てることにした。金なんてない。ただ、建てたかった。誰かに見せたかったのもあるかもしれない。こんな立派な家があるのだと見せて自慢したかったのかもしれない。借金をして完成した我が家は木造だった。もちろん、池の隣だった。完成した翌日、職場の彼女は交通事故で亡くなった。


  私は退職し、山奥の家にこもった。何もする気が起きなかった。時々、池を眺めてぼーっとした。しばらくして借金した。そのお金で研究し、失敗して失敗してそれでも試行錯誤を重ねて、25年後、私は一つの薬を完成させた。自分の脳波を読み取って、それを元に作った薬だ。それを飲むと、昔のあらゆる思い出が蘇ってきた。楽しい、充実した日々を思い出すことができるようになった。



  健は涙を流し、椅子から落ちて床に寝ていた。少しの訪問のはずが、長居してしまったようだ。起き上がると、目の前の椅子に佐々木氏は座っていた。彼は、既に息を引き取っていた。机には、木箱と一枚の紙が置いてあった。紙は、佐々木氏の遺書だった。健は読み始めた。


「私は短くて長い、最高の人生を過ごしてきた。君になんか負けとらん。素晴らしい人生で、1秒1秒その瞬間を大切に味わってきた。


君は私の記憶を旅し、体験してくれた。わかっただろう。君だけではない。こんな、独りで何も考えていなさそうな老人だってちゃんとした人生を送ってきたんだ。知らないだけで決めつけないでおくれ。


私は肺ガンでもうじきこの世を去る。そっとしておいてくれ。心配はしなくて結構。借金についてだが、生前に返せなくて申し訳ない。人の記憶を薬に封じ込める、という発明を代わりに君へ譲るよ。


どうか、毎日を楽しんでくれ。死ぬ数秒前に、思い出して生きてて良かったと思えるような記憶を作り上げるんだ」



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