41-1:覚醒
俺はハルに天使への転生話を持ち掛けたとき、彼女がどんな選択をしても受け入れる、と覚悟を決めたはずだった。
そして、ハルが選んだのは『死』という選択肢。
ハルが包まれた白の繭は、瞬く間に赤くまだらに染まっていく。それまで俺の耳に届いていたハルの心音は、トクンとも聞こえない。
「いやぁぁぁぁぁぁぁっっ」
両手で頭を抱え、その場に崩れ落ちるルシフェルの悲鳴だけが、闘技場内に響き渡る。
俺は、赤と白の奇妙な模様を映し出す繭の傍らで、
当然のことながら、彼の頭上の座位は、
それを視認した俺は、爪が食い込むほどに両手を握りしめた。どうしようもない怒りが込み上げてくる。
この死がハルの望みだったとしても、こんなことは受け入れられない。受け入れられるわけがない。
俺は、隣にいるガブリエルを
「天使がヒトを
こちらを向いたガブリエル、周囲には聞こえない声でボソリと言う。
「いや……これは始まりにすぎない」
ガブリエルの冷淡なまなざしと感情の消えた声に、俺の怒りは胸騒ぎへと変わった。
「おまえ……一体何をする気だ?」
ガブリエルは、俺を見ながら口角を
「闇の統治……と言ったら、おまえはどうする?」
「な……」
俺はガブリエルを見つめたまま、言葉を失った。
こいつは、天使でありながら、
高潔なガブリエルが、自分の手を汚してまで世界を変えようとしていることは感じていた。だがまさか、
俺がその場で凍り付いていると、闘技場内に恐怖をまき散らすような悲鳴が聞こえてきた。
「うわぁぁぁっぁぁぁぁっぁ!!」
それと同じくして、晴れ渡っていた
俺とガブリエルは、闘技場の中心にある舞台へ素早く視線を移す。
その目に映ったのは、黒い炎に包まれたハンネスが床を転がりまわる姿だった。
「なにっ!?」
ガブリエルが驚きの声を上げる。
「火がっ! 火がぁぁぁぁぁっ!!」
発狂するように喚くハンネスの服は、炎によって焼け落ちる。床を転がる彼の背中の皮膚が、焼けた衣服とともにベロリと剥がれた。
「ぎゃぁぁぁっぁぁぁぁっぁぁ!!」
ハンネスは死者ではあるが、いまだに肉体を保持しているため、生きているヒトとさほど変わりはない。視覚や聴覚などの五感はもちろんのこと、痛みを感じる痛覚も消えてはいないのだ。
舞台の上を半狂乱でのたうち回るハンネスを、舞台袖にいる天使たちは微動だにせず見ている。
なぜ誰も助けない?
「彼を早く助け……」
眉をひそめながら、そう口にした俺はすぐさま言葉を失った。
黒い炎に包まれるハンネスの向こう側に、ルシフェルが見えたのだ。赤い瞳をぎらつかせ、六枚の飛膜の翼を広げている彼女の姿が……。
「ルシ……フェル?」
光の首輪で魔力を吸い取られ続け、さらには光の鎖で力を抑制されているはずのルシフェルが、翼の力を解放している。
何が起こっているのか、俺にはすぐに理解できなかった。
ルシフェルの姿をよく見ると、身に
その汚れを
「!!」
俺は息をのむ。
ルシフェルに体を預けていたのは、彼女を拘束する光の鎖を握っていた座天使だった。
ピクピクと小刻みに体を
穴の開いた彼の体から滴り落ちる血により、ルシフェルのローブは赤黒く染められていたのだ。
「ルシフェル!!」
「あの悪魔を拘束しろ!!」
俺の叫びとガブリエルの怒鳴り声が重なる。
その瞬間、俺たちの斜め後方にいたウリエルが、
迫りくる天使たちを見たルシフェルは、座天使を突き刺したまま体を捻る。そして、まるで物を放るように、座天使の亡骸を彼らに向かって投げつけた。
天使たちの先頭にいたウリエルは、目の前に突然現れた血みどろの座天使の体を、反射的に受け止める。それと同時に、紫色の衝撃波が襲ってきた。
爆発的に広がる衝撃の波に吹き飛ばされた天使たちは方々に散らばり、闘技場の観客席へと
ウリエルも抱きかかえた座天使の亡骸とともに、俺とガブリエルの間をすり抜け、後ろに控えていた座天使たちの群れへと突っ込んだ。
舞い上がった土煙に、悲鳴とうめき声そして血の匂いが混ざる。
俺の脳裏には『あの時』に見た、
もう……やめてくれ……。
両脇を座天使に体を拘束された俺の体は、ガクガクと震え始める。
「ミ……ミカエル様?」
俺の異変にうろたえた座天使が声を掛けるが、俺はそれに反応できる余裕はなかった。
ルシフェルが謀反を起こした『あの時』、主戦場となった下層にいた者だけが知っている
首謀者であるルシフェルの元へ行かせまいと、途方もない数の同胞たちが、俺や一緒に下層へ降りた鷲のケルビムに襲い掛かった。
炎が渦巻き、瓦礫が散乱する
そして謀反の
また繰り返されるというのか?
目の前の光景と過去の悪夢が混交している俺を置き去りにし、現実は容赦なく時を刻む。
恐怖と動揺でどよめく場内の中、ルシフェルは舞台に倒れこんだハンネスのもとへ、ゆっくりと近づいて行った。
「たっ……助けて……」
ルシフェルから逃れようと腹ばいになったハンネスは、炎で赤黒くただれた体を引きずる。
彼が
ルシフェルは横にあるまだら模様の赤黒い繭には目もくれず、さも嬉しそうに口角を歪ませながら、逃げるハンネスのあとを追う。
それを見たガブリエルが叫んだ。
「ウリエル! いつまで休んでいるつもりだ!!」
壇上の座天使たちの群れに倒れこんだウリエルは、ガブリエルの怒号に反応し、紅蓮の剣を床に突き刺しながらよろよろと起き上がる。
「ガブ君、むちゃ言い過ぎ……」
ボソリと言ったウリエルは赤髪の頭を左右に振り、何度か深呼吸を繰り返して息を整える。
そしてキッと前を見据えたかと思うと、純白の翼を再び広げ、ルシフェルの元へと一気に詰め寄った。
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