39-2:処刑

 白の闘技場に造られた処刑台を背に、灰色のローブを着たサキュバスが、哀れむような表情で壇上の俺たちを見上げていた。


「慈悲深き神の御使い? 本当に笑えない冗談だよね。こんな悪趣味なやり方、地獄ゲヘナとちっとも変わらないんだもん。僕が言うのもなんだけど、あまりにも清い世界に身を置き過ぎて、真の醜さが何か分からなくなっているみたいだね? まぁ、僕としては、こんな下衆げすどもの慈悲なんて、気持ち悪くてごめんだけど」


 そう言い捨てるサキュバスに対し、場内の天使たちから非難の声が次々と沸き上がる。

 その騒めきの中、俺とガブリエルが立つ壇上へと近づいてくる者がいた。



「ガブリエル様」


 名前を呼ばれたガブリエルが、体をわずかに後ろへと捻る。

 声の主はすぐに分かった。俺は、気まずそうにそちらを見る。そこには、薄藍色の祭服を着た座天使の長ラジエルが、険しい顔で立っていた。


「なんだ? まさかおまえ、あの悪魔に懐柔されているのか?」


 ガブリエルの揶揄やゆに、天使たちから失笑が聞こえてくる。

 だがラジエルは周囲には目もくれず、ガブリエルだけを見据えて口を開いた。


「サキュバスは、悪魔でありながらもわれらに協力的でした。彼の協力なしには、今、天界ここにルシフェルはいません」


「……」


 周囲の失笑は徐々に消え、ガブリエルもわずかに眉をひそめる。

 ラジエルは静かに、だがはっきりした口調で尋ねた。


「その彼を、このように……まるで見せ物のようにさらしながら滅ぼすというのですか? これが、神の御使いのとるべき行いなのでしょうか?」


 静まり返った場内が、強張った空気へと変わっていく。

 ガブリエルはわざとらしく肩を上下に動かし、大きなため息をついた。


「やはりおまえも、ミカエルと一緒だ。目先のことしか見えてはいない」


「それは……どういうことでしょうか?」


 ラジエルは、怪訝けげんそうな顔で首をかしげる。

 正面へ向き直ったガブリエルは、サキュバスを見下ろしながら、闘技場内に聞こえるよう声を張り上げた。


「あの夢魔を、地獄ゲヘナへ帰したところで結果は同じだ。主を置き去りにしたのだからな」


「それは……」


 ラジエルは反論できず、言葉に詰まる。

 ガブリエルは、再びラジエルのほうへ顔だけ傾けた。


「では、天界ここに留まるか? しかし、あの夢魔はそれを望まない。ならば、ルシファーへの見せしめのために滅びてもらうほうが、天界ヘブンにとって有意義であろう?」


「有……意義……」


 そう言ったきり、ラジエルは絶句する。

 ガブリエルの隣に立つ俺も、彼の顔を凝視した。



 こいつ……本気で言っているのか?



 ガブリエルは、話は終わりだと言わんばかりに右手を上げる。

 それを合図に、光の鎖を持っていた座天使が、その場にひざまずいていたサキュバスを強制的に立たせた。

 十文字のやりを持った座天使がサキュバスの前後に立つと、闘技場の中心にある白い円形の舞台を回り込むように、列をなして歩き始める。

 その間にルシフェルは、鈍色の仮面をかぶった座天使により、俺たちに背を向け舞台へ体を向けさせられた。


 サキュバスは俺たちと向かい合う位置まで来ると、彼の鎖を持つ座天使に促され、死の魔法陣が描かれた舞台の中央に立たされる。

 サキュバスの光の鎖を解いた座天使は、彼をその場に残し、そろりと舞台から降りた。

 その途端、床に描かれた銀色の魔法陣が金に輝き始めた。円形の舞台の縁からも、その形に沿うように光の壁が空へと突き上がる。


「くっ……」


 顔をゆがめたサキュバスは、崩れ落ちるように前方へ倒れると、体を支えるために両手を床についた。

 魔法陣の線に沿って光り輝く床は、四つんいになったサキュバスの触れているところから、ピシピシと音を立てて亀裂が細かく四方八方へと広がっていく。


「うぐぐぐぅぅ……」


 光の中心にいるサキュバスの背中から、灰色のローブを突き破り、黒い飛膜の翼が現れた。

 床をにらみつけ苦痛に耐えるサキュバスの端正な顔には、幾筋もの青白い血管が浮き出ている。彼の青い瞳は丸い瞳孔から縦長のスリット状の黒い瞳孔へと変化し、額の両側からは黒く捻じ曲がった角が生えてきた。

 ハァハァと肩で息をするサキュバスの口から、二本の鋭い犬歯がチラリと見える。



 これが、サキュバス本来の姿……。



 俺は拳を握りしめた。

 この手首にはめられた、魔力を封じるリングさえなければ……と強く思う。

 今のサキュバスに戻る場所がないとしても、こんな非道な扱いは、俺が絶対にさせないのに。



「がはっ……」


 サキュバスの口から、どす黒い液体が吐き出された。

 それに呼応するかのように、床についていた彼の薄橙うすだいだい色の手が黒褐色へと変化する。それは、じわりじわりとサキュバスの体を侵食していった。

 黒褐色になった彼の手は、さらに灰色へ変色する。

 そして最後には、固められた砂が崩壊するように、灰色に染まった手がボロボロと崩れ始めた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁっ」


「サキュバス!!」


 俺はたまらず、悲鳴を上げるサキュバスのもとへ向かおうした。だが、両脇にいる座天使たちが、俺の腕をつかみ阻止をする。

 俺は、闘技場内を鋭い目つきで見渡した。


「こんなことを、ルシフェルはしなかった! あの場にいたおまえたちだって、知っているだろ!? 俺たちを裏切った『あの時』、あいつはなぶるような滅ぼし方を一切しなかった! それなのに、こんな残虐な方法で悪魔を滅ぼして、おまえたちの憎しみは消えるっていうのかよ!?」


 場内の大半を占める能天使と力天使から、動揺する空気が伝わってくる。

 だがガブリエルはチラリとこちらを見ただけで、何も言わずにすぐさま前を向いた。



 くそっ……どうすれば……。



 俺は苛立ちながら、サキュバスへと視線を戻す。その視界の中に、正面を向いたまま微動だにしないルシフェルの背中が見えた。



 ルシフェル……。



 この場で感情を表に出さないことが、ルシフェルができる唯一の抵抗。

 だからこそ、声一つ上げず、目を背けることもせず、の夢魔が滅びゆくさまを、感情を殺しながら見続けている。


 俺は、両脇にいる座天使を振り切ろうと身をよじるが、魔力を封じる光のリングの効果で力が入らない。悔しさのあまり、ギリギリと奥歯をみしめた。


「そんな……顔……しないで……よ……」


 そう言ったサキュバスは、光り輝く死の柱の中で飛膜の翼を大きく広げる。気力を振り絞るように体を起こすと、苦し気ながらもニヤリと笑った。


「これでも……僕は……悪魔……だよ? いなくなるの……なんて……ちょっとの……間……だから……さ……」


 その間も、サキュバスの体は薄橙から黒褐色、灰色へと変色を繰り返し、首元まで汚染が広がっていく。彼の両腕から下は、三分の二ほどがすでに灰と化して消えていた。


「ぐっ……」


 その場に座り込んだサキュバスの口から、どす黒い液体が再び吐き出される。



 父上!! これを黙って見ておられるつもりか!?



 俺は上空を睨みつけた。

 天界ヘブンで行われていることを、神が知らぬわけがない。それなのになぜ、黙って傍観していられる? それとも、こんな許しがたい所業すら受け入れるというのか?


 ハァハァと肩で息をするサキュバスは、なんとか息を整えると、前を向いてニコリと微笑ほほえんだ。


「待って……いて……。必ず……戻って……くる……から……」


 色が変わったサキュバスの首元から、細かい破片がポロポロと剥がれ落ちる。灰色の浸食は、サキュバスの口元にまで達していた。


「もう十分だ! 早くとどめを刺せ! ガブリエル!!」


 悲鳴のように叫ぶ俺の横を、黒い影が素早く通り抜ける。

 俺は影の行方を目で追うと、死の魔法陣の中にいるサキュバスのもとへと羽ばたいていく、ラジエルの背中が見えた。

 四大天使の後ろに控えていた座天使たちが、ラジエルを止めようと立ち上がる。だがガブリエルは、右手を上げてそれを制止させた。



 肩と足の一部が灰と化して消えたサキュバスの隣に、ラジエルが降り立つ。そして無言のまま、銀色に輝く剣を召喚した。

 サキュバスは前方にいるルシフェル……いや、ルファを愛おしそうに見つめ続ける。


「忘れ……ないで……。僕は……いつも……ルファを……愛して……る……」


 ルシフェルはサキュバスのほうに顔を向けたまま、何も答えなかった。だが、彼女を見るサキュバスは、満足そうに笑う。

 それを見届けたラジエルは、握りしめていた剣を高々と振り上げた。

 顔の一部が崩れ始めたサキュバスは、前を見たままボソリと言う。


「ありが……と……ラジィ……」


 次の瞬間、ラジエルの剣身がくうを裂き、サキュバスの首を切り落とした――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る