39-2:処刑
白の闘技場に造られた処刑台を背に、灰色のローブを着たサキュバスが、哀れむような表情で壇上の俺たちを見上げていた。
「慈悲深き神の御使い? 本当に笑えない冗談だよね。こんな悪趣味なやり方、
そう言い捨てるサキュバスに対し、場内の天使たちから非難の声が次々と沸き上がる。
その騒めきの中、俺とガブリエルが立つ壇上へと近づいてくる者がいた。
「ガブリエル様」
名前を呼ばれたガブリエルが、体をわずかに後ろへと捻る。
声の主はすぐに分かった。俺は、気まずそうにそちらを見る。そこには、薄藍色の祭服を着た座天使の長ラジエルが、険しい顔で立っていた。
「なんだ? まさかおまえ
ガブリエルの
だがラジエルは周囲には目もくれず、ガブリエルだけを見据えて口を開いた。
「サキュバスは、悪魔でありながらもわれらに協力的でした。彼の協力なしには、今、
「……」
周囲の失笑は徐々に消え、ガブリエルもわずかに眉をひそめる。
ラジエルは静かに、だがはっきりした口調で尋ねた。
「その彼を、このように……まるで見せ物のように
静まり返った場内が、強張った空気へと変わっていく。
ガブリエルはわざとらしく肩を上下に動かし、大きなため息をついた。
「やはりおまえも、ミカエルと一緒だ。目先のことしか見えてはいない」
「それは……どういうことでしょうか?」
ラジエルは、
正面へ向き直ったガブリエルは、サキュバスを見下ろしながら、闘技場内に聞こえるよう声を張り上げた。
「あの夢魔を、
「それは……」
ラジエルは反論できず、言葉に詰まる。
ガブリエルは、再びラジエルのほうへ顔だけ傾けた。
「では、
「有……意義……」
そう言ったきり、ラジエルは絶句する。
ガブリエルの隣に立つ俺も、彼の顔を凝視した。
こいつ……本気で言っているのか?
ガブリエルは、話は終わりだと言わんばかりに右手を上げる。
それを合図に、光の鎖を持っていた座天使が、その場に
十文字の
その間にルシフェルは、鈍色の仮面をかぶった座天使により、俺たちに背を向け舞台へ体を向けさせられた。
サキュバスは俺たちと向かい合う位置まで来ると、彼の鎖を持つ座天使に促され、死の魔法陣が描かれた舞台の中央に立たされる。
サキュバスの光の鎖を解いた座天使は、彼をその場に残し、そろりと舞台から降りた。
その途端、床に描かれた銀色の魔法陣が金に輝き始めた。円形の舞台の縁からも、その形に沿うように光の壁が空へと突き上がる。
「くっ……」
顔を
魔法陣の線に沿って光り輝く床は、四つん
「うぐぐぐぅぅ……」
光の中心にいるサキュバスの背中から、灰色のローブを突き破り、黒い飛膜の翼が現れた。
床を
ハァハァと肩で息をするサキュバスの口から、二本の鋭い犬歯がチラリと見える。
これが、サキュバス本来の姿……。
俺は拳を握りしめた。
この手首にはめられた、魔力を封じるリングさえなければ……と強く思う。
今のサキュバスに戻る場所がないとしても、こんな非道な扱いは、俺が絶対にさせないのに。
「がはっ……」
サキュバスの口から、どす黒い液体が吐き出された。
それに呼応するかのように、床についていた彼の
黒褐色になった彼の手は、さらに灰色へ変色する。
そして最後には、固められた砂が崩壊するように、灰色に染まった手がボロボロと崩れ始めた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ」
「サキュバス!!」
俺はたまらず、悲鳴を上げるサキュバスのもとへ向かおうした。だが、両脇にいる座天使たちが、俺の腕を
俺は、闘技場内を鋭い目つきで見渡した。
「こんなことを、ルシフェルはしなかった! あの場にいたおまえたちだって、知っているだろ!? 俺たちを裏切った『あの時』、あいつはなぶるような滅ぼし方を一切しなかった! それなのに、こんな残虐な方法で悪魔を滅ぼして、おまえたちの憎しみは消えるっていうのかよ!?」
場内の大半を占める能天使と力天使から、動揺する空気が伝わってくる。
だがガブリエルはチラリとこちらを見ただけで、何も言わずにすぐさま前を向いた。
くそっ……どうすれば……。
俺は苛立ちながら、サキュバスへと視線を戻す。その視界の中に、正面を向いたまま微動だにしないルシフェルの背中が見えた。
ルシフェル……。
この場で感情を表に出さないことが、ルシフェルができる唯一の抵抗。
だからこそ、声一つ上げず、目を背けることもせず、
俺は、両脇にいる座天使を振り切ろうと身をよじるが、魔力を封じる光のリングの効果で力が入らない。悔しさのあまり、ギリギリと奥歯を
「そんな……顔……しないで……よ……」
そう言ったサキュバスは、光り輝く死の柱の中で飛膜の翼を大きく広げる。気力を振り絞るように体を起こすと、苦し気ながらもニヤリと笑った。
「これでも……僕は……悪魔……だよ? いなくなるの……なんて……ちょっとの……間……だから……さ……」
その間も、サキュバスの体は薄橙から黒褐色、灰色へと変色を繰り返し、首元まで汚染が広がっていく。彼の両腕から下は、三分の二ほどがすでに灰と化して消えていた。
「ぐっ……」
その場に座り込んだサキュバスの口から、どす黒い液体が再び吐き出される。
父上!! これを黙って見ておられるつもりか!?
俺は上空を睨みつけた。
ハァハァと肩で息をするサキュバスは、なんとか息を整えると、前を向いてニコリと
「待って……いて……。必ず……戻って……くる……から……」
色が変わったサキュバスの首元から、細かい破片がポロポロと剥がれ落ちる。灰色の浸食は、サキュバスの口元にまで達していた。
「もう十分だ! 早くとどめを刺せ! ガブリエル!!」
悲鳴のように叫ぶ俺の横を、黒い影が素早く通り抜ける。
俺は影の行方を目で追うと、死の魔法陣の中にいるサキュバスのもとへと羽ばたいていく、ラジエルの背中が見えた。
四大天使の後ろに控えていた座天使たちが、ラジエルを止めようと立ち上がる。だがガブリエルは、右手を上げてそれを制止させた。
肩と足の一部が灰と化して消えたサキュバスの隣に、ラジエルが降り立つ。そして無言のまま、銀色に輝く剣を召喚した。
サキュバスは前方にいるルシフェル……いや、ルファを愛おしそうに見つめ続ける。
「忘れ……ないで……。僕は……いつも……ルファを……愛して……る……」
ルシフェルはサキュバスのほうに顔を向けたまま、何も答えなかった。だが、彼女を見るサキュバスは、満足そうに笑う。
それを見届けたラジエルは、握りしめていた剣を高々と振り上げた。
顔の一部が崩れ始めたサキュバスは、前を見たままボソリと言う。
「ありが……と……ラジィ……」
次の瞬間、ラジエルの剣身が
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