09-4:別離
魔王ルシファー……つまりはルファの息子であるマモンは、俺とルファが『無垢の子』であるハルの今後について話し合っていたことを知っていた。
サイロの中に隠れている俺は、マモンの言葉にひどく動揺する。だが、そんな俺とは対照的に、彼の前に立つルファの表情はまるで能面のようだった。
マモンはルファの動揺を誘うように話を続ける。
「しかし……
「……」
マモンは大げさに頭を左右に振りながら、自分の右手で顔を覆う。
「息子の私も、さすがに戸惑いましたよ。まさか……とね。ですが、すぐに私は考えを改めました。もしやこれは、母上がお考えになった何らかの策略ではないのかと」
「……」
ルファの表情を確かめるように、マモンは自分の顔から手を離した。そして、わざとらしく盛大なため息をつく。
「けれど、いくら待っても、母上は『無垢の子』の命を奪わない。それどころか、あなたは『無垢の子』を愛し子のように扱い、しまいには熾天使たちと仲良しごっこ……。それで私は確信いたしました。熾天使との秘密の会話こそが、あなたの真意であったのだと」
マモンの言葉に、サイロの中にいた俺は
こいつはガゼボの会話から、ずっと俺たちを見張っていたのか? だが、どうやって?
不意に「だからおまえは甘いのだ」と頭の中でガブリエルの声が聞こえた。
常にあらゆる可能性を考慮している
今回も詰めが甘かったということか……そう思うと俺は渋い顔になった。
ルファがわずかに眉をひそめてポツリと言う。
「
マモンはルファのかすかな表情の変化に、満足そうな笑みを浮かべた。
「さすがは母上。ご明察の通りです」
そう言うと、マモンは左腕を折り曲げ、肩の高さまで腕を上げた。すると、その腕の上に黒い煙の塊が出現し、徐々に
マモンは自分の腕に乗る鴉の
「こいつはただの陰。母上の感知能力といえども、私の陰は捕らえられませんからねぇ」
「……」
ニヤリと笑ったマモンは鴉を腕に乗せたまま、左手で煙を払うようなしぐさをした。
マモンの腕に乗る鴉は、彼の動作に合わせるように黒い塊へと戻り、そして、煙が散るように跡形もなく消え去る。
鴉がいなくなった空間に顔を向けながら、マモンは横目でルファを見た。
「しかし……このことをあなたの忠実な
「……」
正面に向き直ったマモンは、何も答えないルファに対し、口角を
「反論なさらないのですか? それとも、できないのでしょうか? このままでは、熾天使との会話が母上の真意だと、認めたことになってしまいますよ?」
ルファは不快そうにマモンを
「……おまえの目的は何なのだ?」
ルファから引き出したかった言葉を聞けてうれしいのか、マモンはねっとりとした笑顔になった。
「母上、『無垢の子』を私にお渡しください。そうすれば、今回のことは、すべて、私の胸の内に収めましょう。迷うことはございません。悪魔が本来なすべきことをするだけです。『悪魔の子』を創り出し、人間界のみならず
「なるほどな……。だが、残念だ。ここにはおらぬ。すでに私の手を離れた」
ルファの言葉で、貼り付いていたマモンの笑顔が途端に崩れた。
「あ? まさかと思うが『無垢の子』をあの熾天使にくれてやったのか?」
マモンの口調がガラリと変わる。さっきまでの余裕は消え、あからさまに苛立ちを見せるマモンはルファを睨みつけた。
ルファは冷たい笑みを浮かべたまま、
「私の手を離れた。そのあとは知らぬ」
目を見開いたマモンは、今にも
「知らぬだと? よくもぬけぬけと……。なぁ、母上、これは立派な『反逆』ってやつだぜ? 手のひら返すのは得意だもんなぁ? あんたは」
「……」
ルファはマモンの憤りを意に介す様子も見せず、無言で彼を見つめた。
舌打ちをしたマモンは、まるで捨て
「ちっ……まぁいい……。あんたをベルゼブブの前に突き出してやる。どうなるか見ものだな?」
それを聞いたルファは、先ほどマモンがしたのと同じように盛大なため息をついた。
「結局、おまえはベルゼブブ頼みなのだな。
ルファのあからさまな挑発に、マモンの顔はみるみる赤くなり、怒りで体が震えだす。
「うるせぇ! おい、何してやがる! 裏切り者の支配者様を
怒鳴り散らすマモンに反応し、
従者の悪魔に促され、ルファはそのゲートへ吸い込まれるように入って行く。そして、マモンとほかの悪魔たちもルファに続いてその中へ入り、最後の一人が通過すると、黒い楕円形のゲートは音もなく閉じられた。
ルファが去ったことで周囲を取り巻く漆黒の闇は消え、夜空は再び巨大な満月の青白い光で満たされた。淡い光が差し込むサイロの中も、再び息を吹き返す。
だが、俺もハルもサキュバスも、世界から取り残された石造りのサイロの中で、ともに朽ちてしまうかのように、その場から一歩も動けなかった……。
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