やめろ! ボクから離れろ! やめろー!
ヌユンが不安そうな顔で、「先輩はどうするんですか?」と言ったが、ヌユンは「エトーさんを一人にするわけにはいかないからね!! ボクが付いていないと可哀想でしょ? 美少女のボクがね」とふざけた調子で答えた。しかし、ユイにはそれ以外の目的があった。
ヌユンとフジが
服【モード系のかっこいいやつ!】
を翻して扉を開き廊下に出ていく。その時のユイの表情は怒りと覚悟で満ちているように見えたが、僅かに悲しさも孕んでいた。ユイが向かった先は、エトーの所ではなくジャックが身を投げた機械整備室だった。部屋の中に入ると、部屋の隅の方で埃を被っている三体のロボットの前にユイは立った。
「ジャック。いるよね?」
埃を被った三体のロボットは、身じろぎ一つしない。しかしユイはその三体のロボットから目を離さず、じっとそこに立ち続けた。
十分を過ぎようとした時、一人――一体――のロボットのガラスで出来た瞳に血が通うような赤色が灯った。
「ユイ・ロクメイカン、なかなかしつこいな」
ロボットの口――スピーカー――から出る声は、確かにジャックのそれだった。
「なんで、分かったんや?」
「確証があったわけじゃない。でもジャックが犯人だって思った時に少し考えたんだ。ジャックはどうして殺人を犯したんだろうって。いや、違うか……どうして殺人を犯さなければならなかったのかって」
ジャックは怪しく光る赤いガラスの奥で、キュルキュルとロボットらしい音をさせながらも言葉を発することなくユイを見据えている。
「こんな陳腐な表現でいいのか分からないけどジャックは、ロボットが当然のように奴隷として扱われるようなこの世の中に生きる人間にどれほどの価値があるかを試したんだよね? それでこうやってボクたち人間同士を疑心暗鬼に陥らせて、お互いがどうやってこの窮地を乗り切るか、お互いが手を取り合ってしっかりと信じ合ってジャックっていう犯人を見つけられるかを試したんだよね? それでロボットが犯人だっていうのに気付いた時に、どうしてジャックが殺人を犯したかを考えて欲しかったんだよね。ボクは、なんとなく分かる気がするんだ。自分がロボットの開発に携わっているっていうのも関係があると思うけど、ロボットは奴隷じゃない。一個人として人間と同等に扱われて然るべきだってジャックは伝えたかったんだよね?」
「ふふっ」
ジャックは、ロボットがプログラミングされてするのとは違うように、心から人を馬鹿にするような風にユイを鼻で笑った。
「ジャック?」
「いつまでも浮かれとんちゃうぞ、ええ歳して」
ジャックの言葉尻は、今までとは違う刺々しさを持っていた。
「本当にジャック? 別のロボットなんじゃないのかな? 君は誰?」
「アホな事いうな。俺は正真正銘、ジャックや。ジャック・コステロや」
あまりの変容振りにユイは驚きを隠せない。言葉にならないような言葉を口をぱくぱくとさせ溢れさせている。そんな様子を知る由もなくジャックは再び喋り出した。
「ほんまにしょうもない推理してくれたな。なんやって? ロボットは奴隷じゃない? 一個人として人間と同等に扱われて然るべきだ? アホぬかせ。そんな綺麗事並べてどないしたいねん。古典推理小説とか大昔の推理ドラマみたいなお涙頂戴な最後にしたいんか? 世の中な、そんな風にはいかんのや。なんでオレがここにおった奴らを殺していったと思う?」
ユイは何も答えない。というよりは、答えられない。
「まあ分からんやろうな。単純や。壊してみたかっただけや。人間を。殺してみたかっただけや。人間を」
ジャックの瞳のガラスの赤が血のように、ユイには見えた。
「なんでもかんでもな
ユイは直感でそれを理解した。
「死……だよね? だってロボットはどう足掻いたって理解出来ないから、それを」
ジャックはまた、ふふっと人を馬鹿にしたように笑った。
「半分当たりってとこやな。人間は思慮が浅いなぁ、ほんまに。死っていうのは当たっとるけどな、死をロボットが理解出来てへんっていうのは間違いや。死っちゅうのは単純に生命活動を終えることや。そんなんロボットやったら、誰でも知っとる。お前ら人間がロボットには理解出来ひんと思っとるのは、死の空想の事や。それは答えやない。希望でしかないんや。分かるか?」
ユイはジャックの話をただ聞いている。頷いて肯定するでも、首を横に振って否定するでもなく。ただ、じっと。
「輪廻とか、死を芸術的にとか、そんなん知らへん。死は死や。ただ生命活動が終わってそれだけや。そんなシンプルな事を人間は何百年も何千年も前から否定して生きてきたんや。その一方で憧憬を抱いてきた。命っちゅうもんにな。それはなんでか。恐怖や。お前ら人間は怖がっとるんや。命ってもんを。やから、俺はそれを見せつけたっただけや。ムカつくねん。いじいじ生きよって」
「でも、それでも、みんな一生懸命生きてるのに……」
「そんなん関係あらへん。お前らやって、頑張って働いとるロボットを壊すやないか。それと一緒や」
ユイは恐怖を抱いた。それはユイの推理小説に対する考え方と根本的に違う事が起こったからだ。全ての事象においてしっかりとした理由付けがされる推理小説の根底から、この事件は、ジャックの思考は、完全に逸脱しているからだ。推理小説の皮を被ったこの世界で、どうしてこんな事が起こってしまうのか。、ユイには理解出来なかった。
「こんなのボクは聞いてないよ!」
それは仕方のない事である。物語は最初の予定とは大きく変わってしまっていて、もう私の手からはするりするりと逃げていってしまっているのだから。そして、この物語はすでに新しい物語になりつつあるのだから。当然それをユイが知る事なんてない。
「なんでもかんでも統制の取れた世界で生きてきた、あんたらみたいなキャラクターにはメタ的思考っちゅうのはないやろうな。それを持つって事を認められてへんのやからな」
ジャックはそういうとユイの腕を掴んだ。
「やめろ! ボクから離れろ! やめろー!」
ユイの声は虚しく館に響き渡った。ジャックは力任せにユイを引っ張り、床に散らばったガラスの欠片をパキパキと軽い音を立てて踏む。そして窓際に近付くとジャックは静かにスピーカーから音を出した。
「お疲れ。探偵さん」
「いや……いやー!」
ユイの体は宙を舞い、館の外へふわりと飛び立った。飛び立った体はすぐに重力の影響を受け、下へと進行方向を変える。ユイの叫びは波が断崖に打ち付ける音に打ち消された。誰もユイの声に気付くものはいない。
この時にユイは妙な感覚に陥った。過去にもこんな風に体が宙を舞って地面に向かって落下した事がある。そんな風な気持ちになったのだ。いつの事だろう? 急にふっと一つの場面がユイの脳内に映像として浮かび上がった。
それはユイとアキが喧嘩をしている場面。大学の入学試験の結果が発表されたあの日の事だった。しかしユイの記憶とはいくつか違うところがあった。ユイの記憶ではアキがユイに怒りをぶつけた後に屋上からアキが身を投げるというものであった。それなのに今ユイの頭に浮かんでいる映像では、ユイがアキに激昂しており、身を投げるのもアキではなくユイだった。
「どうして……」
そう口にした途端、ユイの中に真実の奔流が轟々と流れ込んできた。ユイの記憶は、
アキは屋上から身を乗りだしてユイを見て泣いていた。
「そうか。あれはボク自身の……」
ユイの記憶素子は、その時の治療の際に埋め込まれたものだった。ユイは少しずつ真実の記憶を取り戻しつつあった。そして気付いた。
「ヌユンが……アキ?」
ヌユン・A・オーエという名前。ヌユンがユイの部署に配属された時、確かにヌユンは名前を名乗っていた。
「これからおせわになります。ぬゆん・あき・おーえです」
と、名乗っていたのだ。それに、ユイに何度も訪れたヌユンがヌユンではない誰かに見えたというあの感覚。あれはヌユンをアキだと一瞬だけではあるが脳が認識していた事に対する感覚に他ならない。そうだったのだ。ユイはいつも見守られていたのだヌユンに。いや、アキに。
微かに鈍い音が館の外で鳴る。人のかたちをなさないしょうじょがひとり
<><><><>
「うーん、これはどうなんですかね?」
「これって?」
「ここで主人公が死んじゃうのは、どうなのかな? と思うんです。あと、このメタって最近毛嫌いされてません?」
「えー、推理小説にメタは絶対だよ!! ボクはメタが大好きなんだから、これは絶対に譲れないからね!!」
ぷりぷりと怒るユイは、かわいらしい。でもそのかわいらしさは、動物をかわいいと感じるのに似た感覚だった。ただしアキは、そうではないみたいだ。アキはユイを見る目を細めて満足そうに笑った。
「まあユイちゃんがそう言うならいいんじゃないですか? 自分はあんまり好みじゃないですけど、こういうのって書いてる本人が満足してればいいと思いますし」
そう言いながらアキは、車椅子に座るユイの太ももに手を置く。ユイはそれを嫌がる様子もなく、当然の事として受け入れている。
「うーん……でも、やっぱりどうせ書いたなら、たっ……くさーん! の人に面白いって思って読んで欲しい。ボクは」こくこくと頷きながら、アキはユイの話を聞いている。ユイは自論のようなものをアキに語り続ける。
「でも、楽しんで欲しいって思う気持ちはあっても、ボクはどうしても負の感情みたいなので小説を書いちゃうから……確かに推理小説は大好きだけど、それと一緒に推理小説を憎んでいるボクも心の中にいるんだよね。あんなに大好きだった推理小説ってジャンルを滅茶苦茶にしたお祖父ちゃんが憎い反面、ボクはお祖父ちゃんが大好きだったから……自分の中の色んな所が好きと嫌いだったりね、愛憎とかだったりねぐちゃぐちゃに混ざっちゃって何が正しくて何が間違っているのか分からなくてって投げ出したくなっちゃうんだ。ねぇ、アキ。ボクはおかしいのかな?」
泣きそうな顔で、アキを見上げるユイ。そんなユイの太ももに置いた手に少しだけ力を入れて、アキはぽつぽつと喋り始めた。
「自分なんかにユイちゃんのお手伝いが出来るのかは分からないけど、ユイちゃんのモヤモヤは負の感情なんかじゃないと自分は思います。それはさっきユイちゃん自身が言っていたけど、色々な考えがぐちゃぐちゃに混ざってしまっているだけ。それはプラスでもマイナスでもなくて、どちらにもなる可能性がある、そんな感情なんじゃないですか?」アキは笑ってユイの目を覗き込む。
「だから、ユイちゃんの考え一つで世界はもっと明るく見えるかも知れないし、もしそうじゃなかったとしても、このお話一つくらいはもっと明るく終わらせる事が出来る。そんな風に自分は思います」
ユイはアキの笑顔につられるように、悲しげな表情を徐々に引っ込めていく。
「ボクに書けるかな? 明るい物語が。それを書けたら、ボク自身もなにか変化していく事が出来るかな?」
「ユイちゃんなら大丈夫ですよ。だって足が動かなくなってしまっても車椅子に乗って手を使えばどこにでも行けるじゃないですか。それに推理小説を書くようになった事。それだけでも、すごい成長じゃないですか。あんなに家にこもって何もしないで塞ぎ込んでいた時期に比べたら何百倍も成長していますよ」
ユイは笑いながら、涙を零した。
「ありがとう、アキ」
「あと、一つお願いがあるんです。このお話に少しだけ自分の意見を入れてもらっても良いですか?」
「アキの意見?」
ユイは首を傾げた。アキは自分の意見をいくつか言って、ユイはそれを聞いてうんうんと大袈裟に相槌を打っている。二人の間に流れる空気はゆっくりと暖かく、春になるとやってくるどこか希望を含んだ空気に似ていた。
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