第45話 ベイリー邸訪問(3)

                    by Sakura-shougen


 傍に控えていたレイバン夫人がおずおずと尋ねた。


 「 あの、・・・。クラニクス地方の料理を作ったのは私なのですが、・・・。

   何か気付いたような点はございませんでしたか?」


 サムエルがにっこりとほほ笑んだ。


 「 とても美味しくいただきました。

   良くできていたと思います。

   クラニクスの郷土料理は元々肉体労働が多い地域の料理ですから、塩分をどう

  しても多めにするのですが、レイバン夫人は頭脳労働が主体であるベイリー家の

  人達のために塩分を控えめにされた。

   そのことは非常に大事なことだと思います。

   但し、そのために少しクラニクス料理の野趣性が乏しく感じられるかもしれま

  せん。

   もし、レイバン夫人がそのことを懸念されているならば、レイガーリックを少

  量入れて、加熱の前にほんの少しだけメルヴィネガーを加えてみてください。

   塩分の多いクラニクス料理そのものにはなりませんが、少なくともその野趣性

  は十分に味わえる筈です。」


 レイバン夫人は微笑みながら頷いた。

 次にはアンナがおずおずと手を上げた。


 「 あの、私にも何か教えていただけませんか?

   グリーブス料理ですが・・・。」


 「 美味しい料理をありがとうございました。

   グリーブス料理は元々アフォリア南部の料理です。

   同じくアフォリアの南側に位置するメディクとは何かと交流も多い筈ですか

  ら、料理そのものがメディクの影響を受けていてもおかしくはありません。

   ただ、その場合、伝統的なメディク北部の料理の筈なのですが、アンナさんの

  作られた料理は、少し違っていました。

   むしろメディク南部の香りを持つ料理だと思いました。

   アンナさん、失礼ですがご先祖にメディクのアンブレナム地方からの移民はい

  らっしゃいませんか?」


 「 私の母方の祖々父母がアンブレナムのドーリェから移民して来たと聞いていま

  す。

   祖々父母がアフォリアに入植して母の母である祖母が生まれたそうです。」


 「 そうですか。

   それで、貴方がその料理を受け継がれたのですね。

   グリーブス料理はチキンのスープストックを多用します。

   それに肉の旨みや野菜の甘み、渋みを上手く組み合わせることが肝要なのです

  が、煮込み料理にするとどうしてもそれぞれのあくが溶け込んでしまうのです。

   それを避けるためには、別の鍋で湯がいた食材を、食膳に出す1時間ほど前に

  合わせ、煮たたせないようにとろ火で加熱するのが伝統的な手法です。

   でも赤道直下のメディク南部ではそもそも気温が高いですし、水の質が余り良

  くありませんのでそんな悠長なことをしていては具材の風味が失われてしまうの

  です。

   それで、メディクではあくを吸い取る力を持つ特殊な香辛料を煮込む際に一緒

  に入れて、煮込み終わるとその香辛料を取り出すのです。

   あくが取れる代わりにほんのわずか香辛料の味が残るのが特徴です。

   多分、アンナさんの御先祖様である祖々母のかたでしょうかね。

   メディク南部では、主にウィルカツオから取った出汁を使うのですが、祖々母

  様はその技法をチキンのスープストックに使えるように工夫されたのでしょう。

   多分、この味はアンナさんの家にしか伝わらない味なのではありませんか?」


 アンナは、頷いた。


 「 はい、その通りです。私が子供のころから慣れ親しんでいる味なのですが、他

  所の家に行って似たような料理を食べても同じものはありませんでした。

   ですから、我が家に伝わる独特の料理なのだろうと思います。」


 「 お母さまから娘に或いは嫁に引き継がれ伝統の家庭料理があると言うのはとて

  も素晴らしいことだと思います。

   時代を経るに連れて、徐々に味は洗練されたものになると思います。

   アンナさんも少し工夫をされたのではないのですか?

   チキンの代わりに黒ガモを使われたでしょう。」


 「 あ、それもわかってしまいましたか・・・。

   はい、チキンではなく黒ガモをスープストックの材料に使うと、野菜に浸み込

  む味の度合いが少し違うのです。

   以前、黒ガモの料理を食べてみて、もしかすると我が家の料理にも使えると思

  って、何度か使いました。

   ただ、ベイリー家でお出しするのは初めてでございます。」


 「 黒ガモを使ったのは確かによいアイデアだと思います。

   今度同じ料理を作られる時には、ハーブでカイマヌルというものがありますの

  で、それを煮込みの際に使われると良いでしょう。

   それと、黒ガモのスープストックは余り時間を置かずに使うと、少し荒々しい

  野生の香りが残ります。

   人によってはその香りを好む方もいらっしゃいますが、逆に嫌う方もいますの

  で、一晩置いたスープストックを細かいメッシュの布で濾してからもう一度温め

  るといいと思います。

   黒ガモのスープ本来の穏やかな香りと味が楽しめる料理になると思います。」


 アンナも微笑んだ。

 悪人にとっては怖い存在かもしれないが、サムエルは逢う人を皆幸せにするようだ。


 「 うーん、こいつは本物だね。

   一度、サムのところに行って料理を食わせてもらわねばなるまいな。」


 「 あ、批評と料理を作るのは別物ですよ。

   評論と言うのは、自分ができなくても勝手に評価できると言う無責任な一面を

  持っていますから。」


 慌てて、サムエルが謙遜するが、シンディが保証した。


 「 そうでもないわよ。

   多数の評論家がそうであってもサムがそうだと言うわけではない。

   実際にサムの料理を食べた私が保証するわ。

   サムの料理はどこのレストランに出しても引けを取らないわ。」


 「 おやおや、困ったですねぇ。

   でも、ご要望があればいつでもお越し下さい。

   但し、我が家のレストランは、ブレアムとスレバム以外で営業しているのは全

  くの不定期の時間ですので、ブレアムとスレバムならばできるだけご要望にお応

  えしたいと存じます。」


 「 なるほど、リズ、一度彼の家でごちそうになりに行くかね。」


 「 ええ、ぜひ。」


 どうやらベアトリスの意識を覗く限り、母はサムエルの家の中がどんなものなのかに興味があるようである。

 母は、家を見るとその人の人柄がわかると思っている。


 シンディはサムエルの家の話はあまりしていない。

 スカルデック・コンドミニアムとだけは言ってあるので、高級住宅と言うイメージはあるだろうが、メゾネット・タイプのペントハウスと知ったら流石の母も驚くだろう。


 延べ床面積で言えば間違いなく、このベイリー邸の倍ほどもある家なのだ。

 しかも、内部は凄く綺麗に使っている。


 二日に一度来ると言う家政婦が一生懸命に掃除をしているのかもしれないが、サムエル自体が綺麗好きで、どこかに物を放置してあるというようなところを見たことが無い。

 いつも乱雑なハンスの部屋とは大違いなのである。


 何となく母はハンスの部屋のイメージでサムエルの家を思い描いているような気がするのである。

 そう言えば、クレイグもまた余り整理好きではないようだ。


 ベイリー家の男達を基準にサムエルを考えていると、随分と違う男性がいると言うことに気づくことになるだろう。


 「 あ、僕も行っていいかなぁ。」


 ハンスが唐突に言った。


 「 ええ、どうぞ、いらして下さい。

   ハンス君は、確かベオローズが演奏できると聞いたけれど?」


 「 あれぇ、そんなことまで知っているんですか。

   確かにベオローズは少しできますけれど、・・・。

   最近は専らエレキの方です。」


 「 エレキですか。

   あれは音が大きいから中々練習するにも困るでしょう。」


 「 ええ、普通のベオローズならば許容されるけれど、我が家でエレキを弾いた日

  には総スカンを食らいます。」


 頭を掻きながらハンスは答えた。


 「 結局はエレキ仲間と一緒にスタジオに行かねばならないんですけれど、これが

  また中々予約ができないんです。

   しょうが無いんで、ブレアムとスレバムは専らファルガス広場に集まって演奏

  活動を兼ねた練習をしています。」


 「 ふーん、ファルガス広場には若い音楽家が良く集まっていると言う噂は聞いて

  いるけれど・・・。

   ハンス君は将来的に音楽で身を立てるつもりなの?」


 「 いいえ、音楽で身を立てるほどの力量があるとは思っていません。

   ただ、何かに夢中になれる時って本当に若い時しか無いじゃないですか。

   今は、父のすねをかじらせてもらっているんでそれができますけれど、自分で

  自分の稼ぎを得るためには、音楽以外の別の職業を見つけるしかありません。

   それが、父の後釜であってもそれは仕方が無いと思うけれど、少なくとも自分

  も周囲も納得して就きたいですね。

   父の七光りだけで父の会社に入りたくはありません。」


 「 ほう、エレキなんぞにのめり込んでいつまでも子供だと思っていたが、ハンス

  も一端のことを言うようになったな。」


 クレイグがハンスを冷やかした。

 ベイリー家の晩餐は和やかに過ぎて行った。

 サムエルがベイリー家を後にしたのは、午後9時を回った頃であった。


 「 姉さん、彼氏を送って行かなくてよかったのかい?」


 「 ううん、送って行けば、また彼に送られて帰って来る羽目になるわ。

   彼ってそういうところは固いのよ。

   だから、送ったりはしない。それよりハンス、今度のブレアムかスレバムにサ

  ムのところに行ってみる?」


 「 えっ、早速かい・・・。

   うーん、スレバムは無理だな。

   ブレアムの午前中ならば何とかなるよ。

   午後1時までにはファルガス広場に集合の約束があるけれどね。」


 「 うん、取り敢えずはそれでいいわ。

   じゃぁ、今度のブレアム午前8時半に私の車で行くから、出掛ける準備をして

  おいてね。

   時間厳守よ。」


 「 えーっ、そんなに早いの?

   いつも、スレバムは昼近くまで寝ているのが僕の習慣なのに・・・。」


 「 他人の家に行くのに、自分だけの習慣を持ちだしてどうするのよ。

   ちゃんと向こうに合わせなければいけないでしょう?」


 「 だって、8時半に出ちゃ、9時には付いてしまうぜ。

   普通来客で訪問するなら午前中は10時以降が礼儀ってもんでしょう。」


 「 それは、普通の人の話。

   私もサムも舞踏会の準備で忙しいんだから、朝から色々と準備をしなければな

  らないのよ。」


 「 だって、舞踏会は来月の末日でしょう。

   まだ一カ月もあるじゃん。」


 「 何を言っているのよ。

   私たちにとっては、1カ月もじゃなく、1カ月しかないのよ。」


 シンディは、余裕が無いのはシンディだけであると知っていたがわざと私達と言う言葉を使ってごまかしていた。

 サムエルは大丈夫だと言っているのだが、シンディは正直なところ不安でしょうがない。


 ネットで王宮での儀礼やら慣例などを読み漁ってはいるが、肝心なところは殆どわからないのである。

 舞踏会の舞踊にしても、オーソドックスな社交ダンスもあるらしいのだが、そのほかに王宮舞踏会でしか使わないステップが少なくとも10種以上はあるらしいのだ。


 ネットは10種類以上あるようだとしか記載しておらず、どんなステップなのかを記述していない。

 せめて踊っている画像でもあればいいのだが、伝統的に王宮舞踏会は一切の報道や映像記録を認めていない。


 慣れない衣装を着て、慣れないステップを踏むなんて絶対に間違えてしまうに違いない。

 ましてや舞踏会では最初と最後は必ずパートナーと踊ることになっているのだが、二回目以降は殿方に誘われた場合余程の事が無い限りは断ってはならないらしい。


 もっとも、二人以上の殿方に誘われた場合は、女性に選択権があるようで、決して先着順ではないところが鷹揚であるらしい。

 しかもネット情報では、この申し込みも受け答えもかなり厳密な礼儀作法があるらしく、作法に反して申し込みをした者には断ってもいいし、間違った受け答えをした者も白い目でみられるらしい。


 だが、その要領など何処にも書かれていないのだ。

 そんなこんなでシンディはかなり焦っている。


 それでも、サムエルが来週から舞踏会の準備を始めるよと言っているので、サムエル次第ではあるいはという気になっているところではある。

 しかしながら不安が無くなるわけではない。


 この次のブレアムがドクワレル月の最終日、翌日のスレバムがヒルワレル月の初日であり、そのスレバムには舞踏会まで残り21日となっているのである。

 長い伝統で王宮舞踏会はヒルワレル月の第三ブレアムと決まっており、今年は22日になるのである。


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