第一章 海上要塞・綿津見神 2

 外周部にある鋼鉄祭壇を抜けて、中央へと直通する列車に乗ると、しばらくして中央部に到着した。

「で? 教団ってそもそもなんなんだ?」

 この海上中央都市で行う作戦会議に向かう途中で、嵐司は質問を口にした。それを聞いて、小瑚はわざとらしく頬を膨らませ、手にした端末の画面を指先で叩いて見せる。

「さっき読んだじゃないですか。書かれてる通りですよ」

「んなもんいちいち真面目に読むタマに見えるか」

「せんせーが渡したテキストはちゃんと読むものですよ。それに、左雨って人はともかく、世界中で活動する遊園地パークの元メンバーですよ、嵐司くんは。分からないはずないでしょう。もっと大悪党だったって自覚を持ってください」

「仕方ねぇだろう。丸くなってんだよ、俺は」

「………。……え?」

「何もそこまで呆れなくても……」

 一瞬演技も仕事も忘れて、完全に呆気に取られた小瑚を流し目で見て、嵐司もまた、結構本気でため息をついた。それから、切り替えるように元の話題に戻る。

「まあ、教団って組織があるってのは聞いたことがあるっちゃあるけど、噂程度だ。それぐらいの認識で作戦に入ってほしいなら、俺は別に構わないが?」

 適当ながらも、本当にそうしかねない口調で言うと、小瑚は頬をぷくっとしたまま、軽く嵐司を睨んだ。とはいえ、十三や調波官としての自覚は一応あるらしく、面倒そうにしていながらも、意外とちゃんと返答を口にした。

「ま、いいですよーだ。嵐司くんはこういう人って分かってるもん。仕方ないんですから、親切なせんせーが教えてあげちゃいます」

「自分で言うな」

 言いながら頬を突いてきた小瑚に目もくれずに抗議したが、小瑚は気にせず言葉を続けた。

「教団というのはですね、無二の天才を神として崇拝する宗教集団のこと。ほら、西暦時代ってイエスがいたじゃないですか。それっぽいものですよ」

「つまり、その教団とやらはキリスト教みてぇに、攻性理論体系として成立するってことか」

「ううん、それはちょっと違います。キリスト教は数千年信じられ続けてきて、時間の次元にも干渉したから、新しい攻性理論体系として成立しましたけど、教団は新時代の宗教ですよ。まだそんなことはできませんよ。ただ」

 と、作戦本部にある会議室の前、小瑚はくるりと踵を返し嵐司を見上げる。

「原典九十九冊。無二の天才が書いた論外次元の理論書を教団が持っています。それが問題です」

「はっ、なるほどね」

 小瑚の言った言葉に、嵐司はにやりと唇の端を吊り上げる。

 原典九十九冊。それは、無二の天才が書いた、論外次元に関する九十九冊の理論書だ。

 普通なら、ただの理論書は役に立つし、知識を伝達する媒介としては有効で、良い本であれば重宝されるが、それまでのことだ。歴史に影響を与えるほどの本であっても、本は本でしかない。

 しかし、論外次元という一つの時代を終わらせ、一つの時代を作った理論を、人類史の過去も未来も二度と現れない天才が書き記した本となると、話は別だ。

 原典九十九冊は、理論書である同時に、その理論を実証する魔導書でもあるのだ。

 そのほとんどは亜終末のあと紛失していて、存在を観測できるとしても、本自身の性質で別の時空や概念の狭間にあることが多い。そして、この時空間に残った数少ない何冊は、日本やほかの国の政府によって厳重に保管されている。

 それを、違法組織が持っているのだ。詳細が分からなくとも事の重大さが分かる。

「無二の天才の遺産を取り戻せってのは、言っちゃえば原典九十九冊を奪ってこいってことか」

「そういうことです」

 理解が早いのが気に入ったのか、小瑚は小さな胸を反らしてから、一つ頷く。そして、ちょいちょいと扉を指さして見せる。

「そして、これからはそのための会議です」

 幼い声に続くように、小瑚が口を閉じたのと同時に、二人の存在を確認した扉が自動的に開いた。

 視界に入ってきたのは、長いテーブルを囲んで座っている人々。皆が違う服装をしていて、特徴もそれぞれだが、唯一共通なものがある。

 誰一人としても肉体を持っていなくて、代わりに青みがかった立体映像で体を構成しているのだ。

「ほら、わたしたちの席はこっちですよ」

「へぇ、俺にも席があるのか。ずいぶんと評価されてるじゃねぇか」

 言葉とは裏腹に、嵐司のニヤリとした笑みにはありがたみなど一切なく、代わりに疑問のような色が浮かんでいる。

 とはいえ、それも当然といえば当然のことだ。なにせ、このテーブルを囲むメンズはあまりにも尋常ではないからだ。

 黒髪を一本結びにして、適当にスーツを羽織る男。探索庁長官にして十三の四位、佑弦。

 頭にシロクマのベレー帽をかぶっていて、雪のような長髪を持つ女性。研究庁司令官、小牧。

 そして、小瑚と一緒にこの海上中央都市にくる途中、写真で一度見た女性。

 人間が持っていいものとは思えない、上質そうに見える長髪は黒が少し色褪せて、銀になろうかグレーになろうかと迷っているかのような色合いをしている。

 色素が薄い瞳は、透明感のある孔雀石緑マラカイトグリーン。その神秘的な色合いをする瞳に、ともすれば見逃すほど、微かに虹色が湛えている。

 そして、その雰囲気を和らぐかのように、文学的な黒縁メガネがかけられている。

 佑弦に次ぐ、十三の五位にある女性。研究庁に勤めるにもかかわらず戦闘を主な仕事にする独立調波官、九十九の剣姫だ。

 加えて自分の隣にいるのは、末席とはいえ十三の一人である少女。探索庁所属の独立調波官、小瑚。

 この国の最高戦力が三人もいる場に、嵐司が同じく席を与えられたのは、同等あるいはそれと近い立場にあると認定されていることだ。戸惑わないほうがおかしいだろう。

 とはいえ、その疑問をすぐ解消されることになった。

「あ、あなたが宇多川嵐司くんなんだ! へぇ、うん! かっこいい顔してるね。うちの妹にあげちゃうのはもったいないぐらい!」

 立体映像の口を動かし、マイクで音声を流したのはシロクマのベレー帽をかぶった女性、小牧だ。

 それを小瑚が無視を決め込むようで、席で両脚をぶらぶらと振っていると、今度は佑弦のほうがため息とともに言葉を漏らした。

「その辺にしようか、小牧。そろそろ本題に入りたまえ。君と違って、僕のほうは大人数でね、そんな暇じゃないんだよ」

「えー、加苗さんのお友達ともっとお話ししたいのに、佑弦ったらひどい。くすくす」

「………」

「………」

「………」

 嘘泣きをする小牧に、三人の十三がただ沈黙を返した。その無反応にさすがの小牧もふざけるのを続けないのか、あっさりと嘘泣きをやめてから、その水晶と思しき水色の目を嵐司に向けてきた。

「もう、泣いてる女の子を無視するなんて、みんなひどい。ね、嵐司くん」

「そうか。俺にはそのぐらいの仕打ちがちょうどよかったと思うけどな」

「あら、上司を敬うつもりなんてどこにもない。うん、さすが元遊園地パークメンバー。では、こちらも気遣いなく、本題に入らせちゃおう」

 にこりと微笑みかけると、表情を微笑みに切り替えるのとほぼ同時に、間髪入れずに言葉を口にする。

「嵐司くん、遊園地パークと教団って、なんか繋がりとかあったりするの?」

「はっ」

 いつも通り悠々とした小牧に、嵐司もいつも通りの不遜さのまま顎を持ち上げながら鼻で笑った。

「享楽主義者と狂信者の集団の関係性か? んなもんあるわけねぇだろう。遊園地パークについてはお前たちも調べてるならわかるだろう? そもそもあんなロクでもないクラブに入った時点で、誰かと徒党を組むわけねぇって」

「そうなんだ。なら一安心だね」

 嵐司の話を聞いて本気で安心したようで、小牧は両手の指先を軽く合わせて、首を傾げて柔らかい笑みを浮かべる。そして、見るだけで警戒心を解かせられそうな表情のまま、言葉を魅惑的な唇からこぼす。

「ではでは、今回の作戦について説明しようと思いまーす」

「だから勿体ぶるのはやめとけってあれだけ……まあ、いいだろう。うん? 凪乃か。すまないが今は会議中だ。また後で」

 完璧にいつも通りの小牧を見て、佑弦が画面越しにため息をこぼしてから何か向こうの人に言葉を返すとまたこちらに注意を向けてくる。

 ちょうど、小牧が切り出したところだった。

「みんなに配った資料にも書いているから、ちゃんと知っていると思うけど、教団は複数の拠点を持っていて、そこに住民たちが住んでいるんだ。反中央都市の組織だから、余裕があれば潰しておいたほうがいいけど、今回の私たちの目標は別にある。それは、教団の持つ神殿。もっと正確に言えば、その神殿の中に保管された原典九十九冊の一冊」

 透矢たちがかつて圏外都市H9で墓守という組織を立てたように、圏外には組織によって作り上げた街はほかにもいくつかある。その中で、教団は特に大きな組織で、統括する都市の数は確認したものだけで数十個ある。

 しかし、教団の都市はほかの圏外都市とは決定的に違うところがある。

 小牧が事前に作成し、配った資料を読めばわかるのだが、教団の都市は、どれもこれも血霧を恐れていない。それどころか、血霧を外敵から自らを守る障壁として利用している。

 都市全体を、ドーム状の血霧が包んでいるのだ。

 そして、教団の言い方を借りれば神の奇跡であるこの現象を誘発したのは、まさに教団の神殿だ。ベースにした理論は不明だが、無限因果の数式に干渉し、ランダム発生する血霧を固定現象として扱う技術は、確かに教団にある。

「でも、困ったことに、教団の神殿は特定の空間にいないの。侵入や殲滅、破壊を何度か試したけど、全部失敗に終わっちゃった。本当、なんでそんなめんどくさい仕組みを思いつくの? ね、柊名ひな

 眉を顰めて、困っているとわざとらしく主張してから、小牧が柊名――九十九の剣姫に微笑みかける。

 傍観者を貫こうとしている雰囲気だった柊名は話を振られるのに、数秒かけてようやく気付き、メガネ越しに孔雀石緑マラカイトグリーンの瞳を小牧に向ける。

「ええ、拠点鎮圧作戦で拠点に『逃げられた』のは珍しい経験だったわ」

「拠点に逃げられた?」

 どうも想像がつかない言い方をされて、嵐司が素直に疑問を口にする。すると、小牧がよくぞ聞いたと言った様子で言葉を続ける。

「そうなの。教団の神殿は空間連鎖神殿。いくつかの空間座標に同時に存在し、そして同時に存在しないことになっている。壊したければ、全部の空間座標を同時に攻撃しないと意味がないんだ。それがとっっても厄介なの」

「はっ、なるほどね」

 ここまで聞いて、嵐司が納得したような不遜な笑みを浮かべる。

 つまりこういうことだ。全部の空間座標を同時に攻撃を仕掛けないと意味がない敵の拠点に、どうしても確保しないといけないものがある。ならば、話は簡単だ。

 抑えるべき空間座標を全部把握し、そこに同時に攻撃を仕掛ければいい。

「で、俺の担当はどこだ? 海上中央都市なんかまで来て、海だってことは確定だと思うが」

「ふふ、頭いいね、嵐司くんは。そう、今回嵐司くんと小瑚の担当は、北太平洋中央にある、教団の神殿γガンマよ」

 柔らかい微笑みを深めて、小牧はリラックスした様子で机に肘をつき、十本の指を合わせるとそこに顎を乗せる。小瑚と似たような水色の目は、しかし小瑚とはまったくの別物である甘い甘い悪意を通り越した何かを秘めて、嵐司の目を覗き込んでくる。

 そこに込められたメッセージに視線で返事をしようとすると、二人の間に立体映像が表示された。

 海の映像だ。

 論外次元の乱れによって、一年中ずっと荒れている海原には暴風雨が降っており、血霧の生成も許せないほど劣悪な環境だ。この神のご加護を受ける中央都市とて、あの海域に入ったら無事では済まないだろう。

 しかし、そんな原初の暴力を振るう海のど真ん中に、アレは確かに存在している。

 ぽかりと空いた巨大な穴だ。

 ブラックホールのように、荒れて暴れる海の中心に、ぽかりと空いた巨大な穴。規模でいえば、今嵐司がいる海上中央都市や前にいた中央都市C3を丸ごと入れてもスペースが余るぐらいの大きさを誇るアレが、異質の環境にありながらもその異常さを際立たせている。

 まるで、目の見えない巨大な柱が刺さっているかのように、暴風雨を退け、波を近づかせない。さらに雷や暴風雨を叩き続けるどす黒い雲も、その穴の真上のところにその領域を拡大することができない。

 環境そのものが振るう惑星の暴威をも拒絶する、ぽかりと空いた空間だ。それが教団の所持する空間連鎖神殿の一角であることを証明している。

「お前、新人と妹をこんなとこに送り込もうってのか」

「あー、嵐司くん、人聞きの悪い! これは私なりの信頼の表現なのに」

 悠然と頬杖を突き、ふふと浮かべられた小牧の笑みに、作戦の難しさとリスクを瞬時理解したにもかかわらず、不遜さを失わないすべてを睥睨する笑いがぶつかる。

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